ここ何年か、バレンタインはろくなもんじゃなかった。
今日までの予約を確認しながら、右生は頭の隅で考えていた。



ホストはクリスマスとバレンタインが１年の中でもかき入れ時だ。尋常でなく忙しい。おまけに指名客から降り注ぐ愛の嵐で物理的にも精神的にも窒息寸前、息も絶え絶え。いつか愛なんぞにふりまわされない仕事をみつけてやると何度も誓ったというのに。

自分はどうやら愛の女神ってやつにつきまとわれる運命らしい。


ホストをやめた直後の去年のバレンタインは、それまでに勝るとも劣らぬタイトなスケジュールになった。それというのも新しい仕事のせい。気まぐれで引き受けた花の配送と彩芽のボスのインスピレーションを足して産まれた、その名も「エスコート・サービス」という。始めて一ヶ月たらず、エスコート用の人員はまだ右生とふたりのバイトだけ。

ろくに宣伝もしないのに不思議と口コミで広まり、やがてバレンタインに向け注文が殺到した。許容数を越え断っても断っても鳴り続ける電話。滅多に顔色を変えないらしい彩芽のボスが青ざめ、右生もあわてた。

「どうしよう。捌さば　ききれない」


始めたばかりで放り投げるのも性に合わず結局、右生が決断するしかなかった。

「とりあえず、大急ぎでバイトの増員だな」
「頼める？」
「緊急だ。時給に色つけてくれよ」


コネという言葉も中身も大嫌いだったがそんなこと言っていられない。ホスト時代の人脈をフルに使って人を、それもエスコートに足りるレベルを掻き集め言い含めて間に合わせた。火事場の馬鹿力？　いやいや火事場はそのあとだった。

やってきたバレンタインウィークは右生も彩芽もまさに忙殺の日々。当日では捌けない注文がその前後にしわよせたため、花を作る方も届ける方も死にものぐるいだった。出勤時間も帰宅時間もバラバラ。エスコートで外をとびまわる右生とひたすらアレンジメントと格闘する彩芽は一日中顔を合わせないこともざら。帰れば帰ったで疲れ果てて寝るだけ。それでも眠る時は寄り添って体温を感じられる。

自分たちそっちのけのバレンタインで。それはそれでいいと右生は思っていたのだが、彩芽は違ったらしい。


ツケはバレンタインラッシュが過ぎてからやってきた。一緒に暮らして右生が知ったことのひとつ。彩芽はイベントに拘こだわ　るタイプだ。明日からそろって休みとなった夜、ようやく仕事から解放されてほっと帰り着いた右生だったが、迎えた彩芽は不機嫌全開、半泣き。なんだなんだと身構えたとたん。


「あたし、右生にチョコあげられなかった！」

文字通りガックリと右生は肩を落とした。彼の意識の中ではすでにバレンタインは何万光年の彼方、銀河の向こう、来年まで別れを告げたばかりだ。なんで今さら？　頭を抱えながら言葉を絞り出す。


「彩芽。忘れろ」
「忘れてたんじゃないよ。買うヒマも作るヒマもなかっただけで」
「知ってる。あの忙しさでそんなヒマある方が驚く」
「でも、あげたかったの。出逢って初めてのバレンタインだよ？」

彩芽の主張に執念を感じる。女性の遺伝子には生まれ落ちた瞬間から「バレンタイン」って文字が組み込まれてるんじゃなかろうか。


「告白なら思い切り派手なのをバースデーにしてもらっただろ？」
「それとこれとは別でしょ」
「一緒でいい！」

ほぼ三週間ぶりのふたりそろっての休みの前夜をどうして、過ぎ去ったバレンタインのことで揉めなきゃならないのか。あの忙しさの中でバレンタインをやりたかったなどと聞くと彩芽にはマゾっけがあるのではと疑ってしまう。つまりどっちも疲れていたのだろう。


ありがたいことに恋人同士は恋人同士だけのコミュニケーションがある。次の朝、仲直りのsexは最高だなって言ったらベッドから突き落とされそうになった。まあ、昼まで寝過ごしてしまって、出かけるつもりがパアになったせいもあるが、右生に言わせるとそんなのご愛敬。一緒のベッドで寝坊する。休日の過ごし方としては最上級じゃないかと言いたいくらい。

ついでに右生は釘を刺すのも忘れなかった。今の仕事をふたりで続ける限りは、来年も再来年もバレンタインは間違いなく忙しい。甘いチョコのやりとりなんておそらく不可能だ。それに万が一バレンタインを彩芽にもらったら今度は右生がホワイトデーを気にしなきゃならない。そっちも忙しいに決まってる。だから宣言した。


「花屋をやってるうちは未来永劫バレンタインはしなくていい」

言い切られた彩芽は至極不満そうな顔をしていたが、元々バレンタイン、特に日本のそれはお菓子メーカーの陰謀だ。今じゃ誰だって知っている。法律でも条例でもない。やらないと犯罪になるわけでもない。義務や重荷にするくらいならやめるのが正しい。断言する。


あれから一年。時計は止まらずカレンダーは一年分めくれて、また同じ季節になった。エスコート部門は一年前とは段違いに人が増えた。予約手順もこなれてきてあんなわけのわからぬ忙しさはないはずだが、年明け前からバレンタインの予約は入っていて、一月ですでに満杯に近い。今年はどうなると思う一方で忙しさに負けず劣らず、仕事の面白さとそれを取り仕切ることが右生には快感になりつつあった。やばい気がする。マゾじゃあるまいに。

マゾといえば果たして彩芽はちゃんと諦めてくれたんだろうか。出逢ってこのかた、彼女の行動が右生の予想内に収まったためしはない。バレンタインウィークを目前にして右生は、いいとも悪いとも言えぬ、強いて言えば奇妙な予感が強まっていた。





去年のバレンタインは最悪だったと、振り返って彩芽は思い出す。仕事のことでも右生のことでもない。自分が、だ。


右生がエスコートという仕事に誘われたのは去年の年明け。まさか本当にやるとは思わなかった。宣伝もしないのに注文はどんどん増えて、翌月のバレンタインに向けその数はグラフでいえば富士山頂目指して急カーブで右肩あがり。ボスが焦ったのを初めて見た。

なのに右生ときたらあっさりそれを切り抜けてしまった。ホスト時代の伝手だったんだろうか。どこからともなく集めた見目麗しい連中をひとりで切り回したんだからすごい。なんて言うヒマは彩芽にもなかった。エスコートの注文はそのまま花束とアレンジメントの注文に変わる。ものすごい数だった。

入社して５ヶ月、ひとりでアレンジメントを作らせてもらえるようになって間がない彩芽には毎日がプレッシャー。頭を空にして花のことだけ考えた。スタッフ全員朝から晩まで作り続けてどうにか切り抜けられほっとしたのだが。


代わりに自分と彼のバレンタインは宇宙の彼方へすっとんでしまった。気づいてもまさしく後の祭りでめげた。多分、彼に何もあげられなかったことより、用意するのを忘れてしまった自分にガッカリしたんだと思う。

だからって、ようやく休みがとれたあのタイミングで愚痴るなんて。右生じゃなくても怒るに違いない。何週間分のストレスがどっと出たのかもしれない。仲直りの方法はともかくケンカが収まって良かった。でも「来年からバレンタインなし」と言われてまためげた自分。

確かにバレンタインは強制じゃない。彼の言い分は間違ってない。
でも。女の子の気持ちは別問題なのだ。今年は絶対それを伝えなくちゃ。


予約ですでに去年を上回っているバレンタインの注文数にため息を吐き、アレンジメントのイメージを脳内でいくつか組み立てその上、彩芽は色々と企てていたのだった。心密かに。





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＞＞後編へ続く