フローリングに散らばるピースは残り半分。

「それ、こっちじゃないか」
「え？　そっか。じゃあ」
「緑ならこれが」
「ここね。ピッタリ。あとは」

向かい合ったふたりの間でジグソーパズルがどんどん形を成していく。世間に良く知られた名画だ。横向きに座るのは婦人というよりも少女だろうか。柔らかな色彩とゆるぎないタッチはパズルのピースとなっても、一つ一つが作者の個性を主張して見える。

Ａ３程度のサイズで絵がモチーフなら、半分を過ぎればできあがりまでは加速度だ。みるみるうちにピースは減り、とうとう最後のひとつを彩芽が手にした。


「これで完成、っと」

ラストは横向きの顔の顎の下あたりだった。落ち着いた色合いにふたりとも黙して見入る。今、絵に気づいたみたいに。


「いいな。接着剤付いてただろ。固めちまうか？」
「うーん」
「あの辺に飾れば」

右生が指さす壁をチラと見て、彩芽はまた黙る。


「彩芽？」
「あ、うん」
「どうかしたか」
「どうしたっていうか」

歯切れが悪い。目線をさまよわせた挙げ句、ぽつりと言う。


「綺麗にはまるもんだなあって」
「は？」
「ひとつも残らないで」

さっさと接着剤を手にした右生が、わけのわからない顔をする。


「あたりまえだろ。もともと１枚の絵だったのを切り分けてんだし」
「そうよね。そうなんだけど」
「なんだよ」

パズルに触れる彩芽の指先。つるりとした面と境の切れ目を確かめるように辿る。


「もし、あたしだったら」
「何？」
「今のあたしをパズルにしたら」

「おまえ、ジグソーパズルになりたいの？」
「違うけど」
「なら」
「だからもし、って言ってるじゃん」

急に声が大きくなった彩芽に、右生が驚いて眼を瞬しばた　かせる。


「もしもね。あたしって人間をパズルにしたら、こんな風にピース全部をはめこむなんて無理だろうなって」
「……何だよそれ」
「きっと、はめこめないピースがたくさん、積もるほど残るだろうなって」

大きくなった声が段々小さく弱くなり、語尾が聞き取りづらくなる。


「それって、なんだか、情けない気がする」

とうとう口を噤つぐ　んで彩芽はうつむいた。しんと静まりかえった部屋で、微かに動いていると主張するエアコンの音。カーテンの隙間はとっぷり闇だ。



美しい絵とか華やかな光景とか。綺麗なものを見るのは昔から好きだけれど、昔と違うのはふとしたことでよみがえる苦さや痛みだ。

仕事はもちろん人間としてもまだまだ幼いと言われる自分でも、これまでにいくつも醜いもの、汚いものを拾ってきた。普段は見ないふりで忘れているのに思い出すそれら。たとえば会心のできばえだと思ったアレンジメントを見つめる胸の奥で。

消え去るわけじゃない。



まだパズルを撫でていた彩芽の指先を右生がつかんだ。はっと見る彩芽に構わず指をよけると、持っていた接着剤をギュッとパズルの上に絞り出す。


「あ」

とろとろと蜜のようにとぐろをまいた透明な液はすぐへしゃげる。へらで手早く広げていく右生の手を彩芽はただ見守る。全体に行き渡らせたあと、彼は言った。


「ほんとにそうか？」

彩芽が眼だけで問い返す。


「できあがったパズルはそれ以上変わらない。変わりようがないから余ったりしない」

右生は淡々と言葉を紡ぐ。


「俺もおまえも、人は毎日変わってる。毎日ピースを集め続けてるんだ。その時その時で要るピースは違う。今日必要だったピースは明日は使わなくなって余り物になったりする。冴えないピースを拾った翌日にとびきりいけてるピースを見つけたりもする。いつのまにか山ほど、余りすぎのピースを抱えていたりするんだろうけど」

右生が彩芽をまっすぐ射抜く。


「生きてるってそういうことだ。だからって今まで拾ってきたピースは無駄か？　情けないのか？　俺たちがいつか死ぬ時まで、そのピースは残らず俺たちっていうパズルのどこかにはめこまれるんだぜ。たとえ俺たち自身が忘れててもさ。それくらい膨大なピースを持ってるって凄いんじゃないか？」

パンと、目の前を塞いでいた磨りガラスが割れたように、彩芽の視界が開けた。


「ったく。ジグソーパズルで遊んでて落ち込むなんておまえくらいだな」

言葉は呆れていても、くっと喉を鳴らした声は温かい。彩芽の髪をくしゃりと撫でて右生は立ち上がった。


「これ、乾くまでもうちょっと置いておけよ」
「う、ん」
「コーヒー入れるわ」

キッチンに向かう右生の後ろ姿。背中が大きい。見つめる彩芽の中で彼の言葉は波のように繰り返し打ち寄せ、澱よど　みを洗い流して行く。彩芽はもう一度、パズルを見下ろした。


そうだね。
こんな風に綺麗じゃなくても。振り返ると情けなくても。
余りすぎたピースは決して、無駄なんかじゃないんだ。

心が緩やかに着地したそこは、右生がならしてくれた場所だ。彩芽は顔をパンとはたいた。


「ねえクッキー、あるよ」
「そっか？　どこに」
「冷蔵庫の横の」

「こっち来て出せよ」
「はーい」

勢いよく立ち上がった彩芽は、コーヒーの粉を計っている右生の横をすりぬけキッチンに駆け込んだ。


こうしてふたりで居る現在いま　も、ひとつのかけら。
決して余りじゃない、大切な１ピース。



翌朝。ふたりが出かけた部屋、空いていた壁にはジグソーの絵があった。穏やかな横顔の少女はふたりを作るピースとなって、静かに時を止めている。





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