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ＶＯＬ．１１９ 「朝（あした） −OVER−」 鳥が鳴いていると、その日は晴れだ。 誰に聞いたわけでもないが、それは知ってる。 だから。 晴れだな、今朝も。 眼を開けた瞬間、そう思って微笑んだ。 それくらい気持ちのいい目覚めだった。 あれ？ やっと気づく。腕の中が空っぽだ。 それどころか、セミダブルのベッドのどこにもいない。 下に落ちてるわけでもない。 サイドテーブルの上から、青いくじらがクリンとしたまなざしを向けてくる。 「あたるー？」 どこいったんだ？ 夜明け前。 沖の船上で伊倉は空を見上げていた。 漁についてくるようになって一ヶ月。 やっと要領はつかめてきたものの、まだまだ先は長い。 とりあえず船舶免許一級をとらないとな。目標を定めたところ。 「よう、誠さん。始めるぞ。」 「はいっ。」 三次に応える声に、以前より少し野太さが加わったかもしれない。 冷気の中、伊倉は海をにらんで動き出す。 「さくらーっ。起きなさいっ。」母の声。 「・・・眠い・・。」 「ご飯作らないと、誠一さんがおなか空かせて戻るわよっ。」 「・・・はいっ。起きるっ。」 朝の目覚めはいつもきついが、そんなことに文句は言えない。 あの人を迎えるために。 自分も１人前になるために。 顔を洗うその左手にマリッジリング。それから。 しゃらっと首からのぞくのは、 チェーンにぶらさがった青いガラス玉のリング。 「・・父さんもっ、起きなさいよっ。いつまで寝てるのっ？」 「・・・うるせーっ！」 「ふたりともいいかげんにしなさいっ。」 『ゆずきや』のいつもの光景。 朝一番で携帯が鳴る。 「相沢君か？ 今日の取材は４件だ。２時にマンハッタン。」 「・・・は・・・い。・・・っと？」 覚めきらない頭。 「こら、ちゃんと起きてるか？ 遅れるなよ。」 「は、はい。あ、楢崎さん、洋子さんはいつから？」 「来週から復帰だ。慣らし保育も順調らしいな？」 「ええ。ひろみはおとなしいから。」 得意げな響きの声。 「・・・親バカ・・」 楢崎の口元の笑みはカヲルには見えない。 「え？」 「いや。じゃ、午後に逢おう。」 「はい。」 切った携帯で時間を見る。 「やべっ。」 取材の前に会社で片付けることが山ほどある。 飛び起きたカヲルは、支度に走った。 カヲルのブランド”Q"は、順調な売れ行きを続けている。 「ひろみ、いい子にしててね。」 「ヨウコ、行ってらっしゃい。」 保母さんが、ひろみをあやしながら手を振る。 「心配ないわ。」 「よろしく。行ってきまーす。」 産休もあとわずか。復職に向けて忙しい毎日の洋子。 わずかでもひろみと離れるのは辛いが、 二人での暮らしのためには必要なステップだから。 「さ、頑張らなくちゃ。」 今日は本社での打ち合わせが待っている。 「おじいちゃんも行こうよ。」 「ディズニーランドにか？」 「行ってらっしゃいな、マックス。」 「おばあちゃんは？ 来ないの？」 広い庭での朝食。良介がふたりにねだっている。 せっかくまたアメリカまで来たのだからと、春休みを満喫している３人。 ディズニーランドには明日からの予定なのだが。 「お父様、お母様も行きませんか？」 遙も誘う。トムが笑う。 「孫と一緒にってのもいいじゃないか。 ロブがお供できるのはもう少し先だから。」 「そうね。早く一緒に行けるくらい、大きくなって。」 ジョアンが膝の上の赤ん坊をあやす。 トムとジョアンの初子はロバートと名付けられ、可愛がられている。 「・・・たまにはいいかな。」祖父が陥落の気配。 「ほんと？ ジム、いい？」 「悪いわけないだろう？」 「やったーっ！」 嬉しさに駆け回る良介を、祖父も祖母も。 ジムと遙も嬉しそうにみつめ、微笑む。 春はここにも来ている。 携帯が鳴った。 まだベッドの上でボーっとしていた天羽が、あわてて取った。 あたる？ 「おい、どこにいるんだ？」 「おはよう。どこって・・・本店。」あたるの声はいつもどおり。 「本店？」 「ゆうべ言ったじゃない。 今日は荷物の搬入するから、朝早く出るよって。」 「・・・・そうだったっけ？」 忘れてた。 いや、聞いてなかったかも。 「これから運転するの。」 「げ。おまえが？」 「当然。免許証はここにあるし。佳織さんが隣でナビしてくれる。」 「・・・命がけだな。保険かけてもらっておけよ。」 「ひっどーい。」すねる顔が目に浮かぶが。 「ほんっとに、大丈夫か？」 いまいち不安な天羽。対してあたるは自信満々。 「大丈夫。あたしは最高にラッキーなんだもん。」 「・・・なんで？」 「良之に逢えたから。」 「・・・っ・・！・・」 思わず押さえる口元。頬が熱い。 あたるに絶句させられるなんて、一生の不覚。 携帯でよかった。 こんな顔見られるのはごめんだ。 「もしもし？ それよりまだ家にいるの？」 「ああ。」 「だって・・・会社は？」 「は？」 「月曜だよ。」 「・・・・何時？」 「８時過ぎ。」 「嘘だろ−っっ！？ やばっ！！」 ぶちっと切れた携帯にポカンとした後。 あたるが吹きだした。 珍しいなぁ。目覚ましなくても平気の人が。 ５分で身支度をすませた天羽は、家を飛び出した。 朝ご飯は作ってくれてあったけど、とても食べるヒマなんてない。 ・・・あいつに全部先手とられたのか？ 先が思いやられるな。走りながら、そのうち笑い出した。 「・・・っくっくっ・・・あっはっはっ・・」 今までもいろいろあったけれど。この先もいろいろあるだろうけど。 最高にラッキーなおまえがそばにいるなら。 実は最強無敵、一番運がいいのは俺だって。 知ってるか？ なあ−。 あたる−−。 「え？」 呼ばれた気がして振り返ったら、佳織が手招きしていた。 「行きましょ。試運転よ。」 「はい。頑張りますっ。」 「うん。ま、事故らない程度に。」 佳織らしい励ましにびびりつつ。 あたるはエンジンをかけると、前後を確認してアクセルを踏んだ。 「出発ーーっ！」 あなたも。 あたしも。 泳ぐのはそれぞれ自分の力。 晴れの日、雨の日。嵐だって来るに違いないけど。 お互いを見失わずに、寄り添って進んでいこう。 彼方の水平線を目指す、大海原のくじらのように−−−。 ＜ ２００１年のおとこ運・勝手につづき 了 ＞ |