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ＶＯＬ．１１３　「挙式前日」




あたると天羽が、あたるの実家最寄りの駅に降り立ったのは、
伊倉とさくらの結婚式の前日、午後だった。
もう３月。この辺は東京よりも春の気配が早い。
潮の香を吸い込んだあたるが、嬉しそうに笑い出す。
「んー。海の匂いがする。懐かしい。」
「だな。歩くか？」
「そうだね。」
パッパッーッ！
そこでクラクションに振り返った二人に、頭を出して手をふる姿は。


「伊倉さん。」
「ゲソーっ？」
「いらっしゃい。良く来てくれたね。」
なんだかその顔はすでに弛みきっている。
「乗って乗って。荷物後ろに。」
「迎えに来てくれたの？　忙しいのに。」
乗り込みながらあたるが言う。
「男なんてヒマなもんさ。ねえ？」
発進すると、バックミラーで天羽に同意を求めるものの。
「悪いけど俺は未経験だからさ。そうだ、伊倉さん２度目だもんね。」
「あ、慣れてるの？」
突っ込まれてハンドルを切りながら苦笑する。
「勘弁してよ。」
その笑顔の柔らかさにあたるも、天羽も驚いた。なんだか変わった？
「あれ。どうかした？」
本人は何もきづいてないらしい。


顔を見合わせた二人は、改まって声をそろえた。
「結婚おめでとう。」
「おめでとうございます。」
「え？　え？　や、やだな。やめようよ。照れるから〜。」
ホントに照れまくった伊倉の手が、ハンドルから離れる。
「うわっ、ハンドルっ、ハンドルっ！」
「伊倉さんっ！」
「やばっ・・！」
一瞬グイッと揺れた車体は、なんとか車線に収まる。３人でハーッとため息。
「・・・結婚式の前に死んじゃしゃれにもならない。」
「あたしなんか、生き残ってもさくらに殺されるわよ。」
「同じく。」
沈黙の後。誰ともなく吹き出し笑い出し。
後ろからクラクションを鳴らされてあわてつつも、
家に着くまで思い出したように３人は笑い転げていた。




「ただいまーっ。さくらっ？」
家に飛び込んでいくあたる。
後に続こうとした伊倉が、立ちんぼうの天羽に振り返る。
「どしたの？」
「いや・・・なんつーか・・。」
「あー、天羽さん初めてだよね、うち。」
うち、か。
クスッと笑う天羽に不思議そうにしてから、理由に気づくと鼻の頭をこする。
「あはは。もうすっかりね。」
「うち、なんですね。」
「ま、毎日のことだから。」
「・・・よかったですね。」


「ありがと。天羽さんもよかったじゃん。逃げられなくて。」
「なんとかね。・・・俺、ぶっとばされるのかな。」
「ん？」
「親父さんに。」
「うーん、それはあるかもよ。俺やられたし。」
「覚悟はしてきたんだけど。」いざとなると敷居は高い。
「大丈夫だって。あたるちゃんが元気で一緒なんだからさ。」
そこへ当のあたるが顔を出す。
「どうしたの？　入って。ほら、荷物。」
差し伸べた手が天羽の腕をつかむ。
「ああ。」
「お父さんちょっと披露宴会場まで出かけてるらしいけど。」
うーむ。
ホッとしたような、単なる執行猶予のような。
ポンと伊倉に肩を叩かれ、悪戯っぽく笑われて。
天羽はようやく「ゆずきや」へ足を踏み入れた。


「天羽さん。久しぶり。」
迎えてくれたさくら。
「さくらちゃん。結婚おめでとう。」
「へへー。」
照れ笑いするさくらのうしろから。
「これ、なんですその挨拶は。」
母がさくらを睨むと、天羽を迎えた。
「遠いところをわざわざありがとうございます。」
「あ、いえ。」
「母なの。お母さん、天羽さん。」あたるが引き合わせた。
「あたるとさくらの母です。二人していろいろお世話になってまして。」
「いえとんでもない。」


「お母さん、それはあたるだけでしょ。」さくらが訂正をかける。
「東京に居たときはあんたもお世話かけたんでしょ？」
「・・・まあそうよね。」
「ったく。すみませんねぇ。こんな娘が結婚なんて申し訳ないくらい。」
「だから。お母さんったら。どういう意味よ？」
「嫁に出すんじゃなくてよかったねってことよ。心配で出せないじゃん。」
「うー、あたるまでそういうこと言うの？」
「まぁまぁ。」伊倉がなだめる。
とても挙式前の母子の会話には聞こえない。
「あらすいません。とにかく上がって下さい。今お父さんが出かけてるんですよ。
　そうそう、あの人が東京へ行ったときもお世話になったとか。」
「いや、俺はほんとに何も。」
どっちかっていうと、これから殴られるはずで−は胸の呟き。
「天羽さん、こっち。」
あたるが手招きするので、上がらせてもらった。




通されたのは客間らしく庭に面している。桃が綺麗だ。春を誘うように。
「へえ、いい庭だな。」
「そう？　お母さんが好きなの。」
「今度のとこの庭にも、何か植えるか？」
「勝手に植えるとまずいんじゃない？」
「聞いてみればいいさ。」


あたるの家はいわゆる田舎の一軒家で。
表が店を兼ねていて、仕事用の調理場をとおりぬけると住居部分。
居間と台所に仏間・客間と夫婦の部屋。二階に娘達の部屋がある。


「ねえ、ゲソなんか・・・変わったね。」
「やっぱり思うか？　なんていうかな。うん、変わった。でもいい感じだ。」
「うん。」
「幸せそうだし。」
「二人して照れるんだもんね。」
一緒に眺めてる庭の向こうで、空がゆっくりオレンジに染まっていく。
「明日晴れるね。」
あたるがそう言った時、向こうから呼ばれた。
「お茶よー。」
「はーい。」
あたるは天羽を引っ張っていく。


居間で。
テーブルに着いた５人。あたるに天羽。さくらにゲソに母。
天羽が緊張するヒマなどなく、女３人はしゃべりたおしている。
挙式がらみでこのところ頻繁に連絡をとりあっていたはずなのに、
電話でしゃべるのとあって話すのは別物らしい。


「えー？　じゃあカヲル来られないの？」
残念そうにあたるが叫ぶ。
「そうなのよ。もう頭きちゃって。絶対来てってあれだけ言ったのに。」
さくらがこの時だけふくれる。
「何言ってんだ。カヲル君は始めから無理っぽいって話だったじゃん。」
伊倉はすっかり宥め役。
「そりゃあ言ってたけど、何とかしてくれるって思ってたんだもん。」
「しょうがないでしょ。めでたいことじゃないの。」
「めでたい？」
天羽が首を傾げると、伊倉が補足してくれる。


「カヲル君の売り出したデザイン、調子いいらしいんだ。」
「ほんとに？」
「うん。滑り出し好調でね、生産追加かけてるんだって、もう。」
「すごいじゃん。」
「それは動けないわよね。いくらなんでも。」
「・・・わかってるけど・・。」口をとがらせるさくら。
そこに表から誰かが呼んだ。
「ゆずきやさーん、宅急便ですーっ」
「はーい。」
母があわてて腰をあげる。


「ね、洋子虫も来ないの？」
母が居ないスキに、あたるがこそっと聞く。
「カヲルが来ないのに、来るわけないじゃん。
　まあどっちみちまだ小さすぎて無理だけど。」
「そうよねえ。でももうじき３ヶ月でしょ。早いね。」
「うん。電話のたびカヲルがもうデレデレ。」
「あー、目に見える。」
屈託なく笑うあたるを天羽がさりげなく気にしてる。
「さくら、あんたによ。カヲル君から。」
「え？　カヲル？」
戻ってきた母の手には、航空便の包み。
「・・・なんだろ？」
「来られないから、お祝いになんか送ってくれたんじゃないの？」


あたるの言葉に首を傾げながら、がさがさと包みを開いていく。
おのずと皆の視線が集中したそこから現れたのは。
「うわぁ〜素敵。」
「あらあらあら。」
あたると母が感嘆の声をもらす。
霞のような薄く白い生地のベール。その上に添えられたティアラが輝く。
目を丸くしたさくらは声も出ない。
「・・ああ、だからだったのね。」
母が言い出す。
「こないだね、カヲル君から連絡があって、ドレスのこと聞かれたのよ。
　披露宴で着るって言ったら、生地とかデザインとか細かく聞かれたから、
　レンタル先に問い合わせてもらったんだけど。」
「カヲルが？」
「うん。さくらには内緒にって言われてたから。」
「そうか。ちゃんとドレスにあわせて見つくろったんだよ。さすがだな。」
天羽が感心する。


「きっとさ、ほんとは自分で作りたかったんじゃない？　でも時間もないし。
　これでも無理したんだよ。死ぬほど忙しいはずでしょ、今。」
黙ったままのさくらの目が潤んできていた。
「・・・・ンと・・バカ・・・不意打ちするんだから・・・」
「来たかったんだよ、カヲルも。あんたの文句が聞こえたんでしょ。」
「・・・かな・・」
「よかったわねえ。ドレスにつけたら凄く素敵よ、これ。記念になるわ。」
「うん。」
さくらにしては至って言葉少なにただそれを抱きしめるだけだった。
伊倉がその頭をポンとなでた。
こうして祝ってもらえることの喜びを、どちらもしみじみ感じていた。


「おう、帰ったぞ。」そこへ幸造の声が投げられた。
「あ、父さんだ。」あたるが飛んでいく。
「おかえり。」さくらが涙をゴシゴシとこする。
「いけないっ。夕飯の仕度が。」バタバタと動き出す母。
天羽はなんとなく、伊倉と顔を見合わせて苦笑した。
ついに来るかな？　身構えつつも。




夕飯は当然のごとく鍋だった。
「明日はご馳走だから。今日は普通の方がいいでしょ。」
そう言いながら、母が天羽につみれをよそう。
「おう、飲め飲め。」
「天羽さん、ほら。」
幸造も伊倉も、天羽に両側からビールを傾けようとするけど。
「あー、二人とも。飲むのは明日！　今日はおとなしくしてよ。」
さくらが開けかけたビールを取り上げる。
「お、おいおい。ちょっとくらい。」
「じゃ一本だけよ。」
ドン、と置かれた一本に二人して恨めしそうな顔。
天羽が吹きだす。


「んとに。花嫁の父と花婿には見えないわよ。」これはあたるの弁。
「しょうがねえだろ？
　嫁に出すなら感慨もあるがこいつらはずっといるんだからな。」
幸造の憎まれ口だ。
「何よ、不満そうね。いつでも出てくわよっ。」
「お、おい。さくら。」
「おおっ、とっとと出てけっ。」
「お父さん。」あたるがそのやりとりにため息を吐く。
全然変わらないわね。でもそれが嬉しい。
「新婚旅行は？　行くでしょ？」
「もちろん。明日披露宴の後で出発。ハワイだよー、ハワイ。」
「へえ。いいなぁ。海外？」
「へへー。今行かないと、ずーっと行けなくなる気がするから。」
「それは言えるわね。」


「俺は国内にしようって言ったんだけどね。」
伊倉が小声で天羽にこぼす。
「なんで？」
「遠いと移動で疲れるじゃん？　新婚旅行なんてやること決まってるのに・・」
バコッ！　天羽が笑い出す前に伊倉の頭はぶっ叩かれている。
「いてっ！」
「聞こえてるわよ。」
「あ、いや。楽しみだねえ、ハワイ〜。」
ほんと変わんないなぁ。あたるが笑いをこらえて鍋をつつく。
「吉良君には？　連絡したの？」
「うん。明日くるはず。」
「来てくれるんだ。よかった。あたし全然あってなくて。
　店がなくなることは連絡したんだけど。」
あたるの話を聞きながら天羽が口を歪める。あいつも来るのか。しゃあないな。


「おう、まだ平気だろ？」
幸造がどこからともなく持ってきたビールを天羽へ注ぐ。
「すいません。」
「あーっ、父さんたら。」
「もうあけちまったんだから。もったいねえだろ？　こんだけな。」
確信犯のくせに。さくらの渋い顔。あたるは笑ってる。
「久しぶりだな、夏以来。」
「ええ。体はもういいんですか？」
「ま、ぼちぼちな。悪くはなってねえみてえだ。
　忙しいと気にするひまもねえや。なあ？」
伊倉にふると、ほろ酔い加減で答える。
「何言ってんですか。全然元気じゃないですか、お父さん。」
「ばかやろっ。お父さんはまだはええよっ！」
すっかりボケとつっこみだな。これは前からだっけ？
天羽が苦笑する間もその応酬は続いて。


鍋がなくなる頃には伊倉は眠り込んでいた。
「・・・伊倉さんってこんなに弱かったっけ？」天羽が驚く。
「違うの。朝が早いから。今朝も夜明け前だったし。」
さくらが仕方ないって顔。
「夜明け前？」
「うん。漁師の修行中。」
「漁師？」
あたるもびっくりする。それは初耳だ。
「会社やめたからって、ずっと遊んでもいられないじゃん。」
「それで漁師？」
伊倉さんっていざとなると切り替えがすごいな。感心する。
「ま、ものになるかどうか。」
幸造が鼻で笑うとさくらが噛みつく。
「お父さんがそそのかしたんでしょっ。責任とってよね、ちゃんと。」
「なにをっ？」
「あーもう。式前に花嫁とその父がケンカしないでよ。」
あたるがしっかり割り込むと、どうにか黙る。


「伊倉さん、運びますよ。どこ？」
「天羽さんの隣。仏間。」
「え？　上じゃないの？」
「式まではってお達しだもん。」
さくらがさすがに顔をあからめて台所へ逃げた。なるほどね。
「伊倉さん、ほら。」
「しゃあねえな。俺も手伝うか。」
男二人に担がれて、明日の花婿は運ばれていく。




ドサッと布団に転がすと、コロッと丸くなって熟睡した伊倉。
天羽と幸造は顔を見合わせて笑いつつ、部屋をそっと出た。
綺麗な月だ。
「つきあえよ、酔い覚まし。」
「・・ええ。」
ふたりで縁側から庭先へ。
星も。東京よりは明るく数も多い。小笠原を思い出す。


「・・・ちっと聞いていいか？」
「はい？」我に返る。
「あたるな、なんか・・・様子変わった気がするんだが。
　あんたとさ、なんかあったのか？」
なんて答えればいいんだろう。言葉が出ない。
「いや、いろんなことがあって普通だけどな。ないわけないし。
　あんたがこうしてさくらの祝いに来てくれるってことは、
　もう終わったことなんだろうし。」
そう言われると余計に辛い。
「たださ、なんか。ずいぶん大人びたからさ。」
月を仰いでいる幸造に、天羽が声をかける。


「・・・殴りますか。」
「あん？」
振り返った幸造の眼を見て。
「気のすむまで殴っていいですよ。それくらいあたりまえなんで。」
言ったのはそれだけ。幸造が目を見開く。
「・・・いいのかい？」
「っていうか、その方が・・・俺は楽だし。」
その言葉に幸造は口をすぼめてしまう。待っている天羽。
「なら・・・やめとこう。」
「・・え？」
くるっと家に歩き出す幸造に驚きあわてる。
「あの。」
「・・・そんな、殴ったくらいで気がすまれちゃかなわんからな。」
「・・・っ・・・」
まるで知ってるようなその言葉に怯む。


「何があったか知らんが、俺の娘はそうそうヤワじゃないから。
　あった分だけは成長する。それでチャラだ。」
まるで自慢してるみたいだと思う。
「ま、よろしく頼むわ。手がかかるだろうけど。」
「でも。」
「あんたをさ。・・・ゲソみたいにぶっ飛ばす日が来ると・・・楽しいがな。」
ニヤッと笑って、幸造は家に入っていった。
「おやすみ。」


残されてしまった天羽は、しばらくボーっとしていたけれど。
カリカリ頭をかいて、ため息を吐くと月を仰いだ。
殴られる方が楽なんて、そんな簡単にチャラにできるはずもないか。
あたりまえだな。やっぱり俺より上手だ。
『ゲソみたいにぶっ飛ばす日が来ると』
どういう意味だろう、あれ。


「天羽さん。」あたるの声にふりかえる。
「お風呂どうぞって。寒いでしょ。」
「ああ。サンキュ。綺麗だな、月が。」
「うん。やっぱり明日は晴れるよね。」
「そうだなー。」


その月が西へ沈めば、さくらと伊倉の結婚式の朝になる。

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