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ＶＯＬ．１０４　「春の予感」




馬淵佳織と会うのは二度目。ほぼ半年ぶりだった。
インパクトのある女性なのではっきり覚えていたが、その印象は変わらなかった。
「こんにちわ。」
ツカツカと歩み寄るその背は決して大きくない。
小柄なあたるより多少上回る程度。
だが佳織に会った人は、あまり『小柄』を印象に残さない。
彼女のはっきりした声と話し方、自信に満ちた態度がその体を覆って、
体格を忘れさせるのかも知れなかった。
「お久しぶりです。あの時はありがとうございました。」
「ううん。ちゃんと資格取ったんですって？」
「・・・なんとか。」
はしゃぐでなく穏やかに微笑んだあたるに、ちょっと眼を見張った佳織。


「雰囲気変わったね、あなた。」
「そうですか？」
「うん。なんだか−−なんだろう？」
「そう言われても。」自分ではわかるはずもない。
「でも悪くない。うん、むしろいい感じよ。」
「ありがとうございます。」
「遙から大まかな話は聞いてるわよね？」
「はい。」
「当初は遙が自分でやるつもりだったのよ。
　でもふたつのブランドを置くとなると、本店じゃ無理ってことで。
　元々アドバイスは頼まれてたんだけど、店長やってくれってことになったの。
　あたしもボツボツ自分の力を試してみたかったから。」


テキパキと話しながら、書類をあたるに見せる。
どうやらこの店の改装資料らしかった。
「ここ、改装するの。知ってるわよね？」
「ええ。」
「まだ誰か住んでるって聞いたけど。」
「えーっと、あたしの前に臨時店長やってた人が。」
「・・・なんで？」
「なんで・・でしょうね。」
ここで延々と天羽との縁を話すわけにもいかず、ただ笑うしかない。
「まあいいわ。今月中には開けてくれるってことだし。」
「はい。それは確かです。」
「来月早々工事に入って一ヶ月。３月になったら品物も届き始めるから。」
「・・・あの・・。」
すでに話が突っ走っていることにあたるは気づく。


「馬淵さん？」
「佳織でいいわよ。」
「いえ、その・・・あたし・・・。」
「あ、そうか。」
佳織が向き直った。
「ごめん。あたしはもうあなたとやる気なの。だからつい。」
「・・・どうしてですか？」
「ん？」
「一度しか会ったことのないあたしと、どうしてやろうと思って下さるのか。」
語尾を濁しながらあたるが聞く。
「それはね−・・。」
腕組みして考え込んだ佳織が、あたるをもう一度見る。
「眼かな。」
「眼？」キョトンと首を傾げる。


「うん。なんていうのか、最初会ったときのあなたの眼が。
　すごく興味津々で純粋な眼だったの。
　あの頃あまり出逢わなかった眼だったから。おもしろいなって。」
誉められてるんだろうとは思うけど、よくわからない。
「あなたは？　あたしの印象。」
「え？　あ、あの、すごいインパクトあって、強いなーって。」
いきなりだったので、思ったまま答えたあたるに、佳織は苦笑した。
「ありがと。あたしって良くも悪くもそうなのよ。」
「・・え？　あの、あたし、悪いつもりは。」
「わかってる。でもね、強いってのは時と場合があってね。
　・・・あ、そうそう。だからあなたには、
　そういうあたしのやたら強いところを、受け止めてもらえそうな気もしたの。」


「あたしがあなたを・・・ですか？」
「うん。その部分は余計強くなったわね。包容力みたいな。」
それこそ言われても自分では全然わからない。
「もっと言えばあたしはあなたの感性、どこか突拍子もないそれと、
　そのくせ保守的で許容量の大きそうなところ。
　その二面性を欲しいと思ってるのよ。」
「二面性・・？」首をかしげる。
「別にあなたに限らず、誰にでもあるのよ。二面性って。
　ただあなたは両方のバランスがとれてていいなって。」
あたるにすると、スパスパッとハサミで一刀両断するような佳織の、
キレの言い思考と感覚こそうらやましいと思うのだが。



佳織の言葉に、自分に対してあるはずのない羨望が響いて不思議だった。
でも決して不快感はなく、嬉しい言葉だったから。
「・・・わかりました。あたしも、あなたと一緒に仕事してみたいです。」
「ほんとに？」
「ええ。」
「よかった−。」
にっこり笑った佳織の笑顔は、
意外なほどというのはなんだが、可愛いとあたるは思った。
「良かった。ホッとした。」
ソファに沈み込みながら、佳織はもう一度繰り返した。
「あたしも引き受けるからには、
　自分に出来ることをきっちりやるのはもちろんだけど、
　その上でさらにやってみたいこともあるの。こういうチャンスはなかなかないもの。
　だから、一緒にやる人も自分がやりたいと思った人と是非って、
　遙に無理を言ったのよ。ラッキーだったわ。」
しゃべりながら、そのシャープな頭脳は激しく回転してるらしい。


「・・・っと、さっきも言ったとおり、一ヶ月でこの店を改装する予定。
　そのプランがこれ。」
バサッと渡される資料。うわ。
「ほぼこれで行くつもりだから、一応眼を通して。
　気になるところがあれば、小さいことでもいいから聞いて頂戴。いい？
　わずかなことも遠慮しないで、って言うよりそれが仕事だから。」
すでに佳織の顔は仕事モードだ。
「こっちは店に出すブランドの資料。
　それぞれの特徴をしっかり把握するためによく読んで。
　どっちもまだ日本にはないブランドだから、本物を見せてあげられないんだけど。
　・・・あ、本店にサンプルがひとつずつあるわ。遙に見せてもらって。うん。
　とにかく売る立場になるんだから、モノについては詳細につかんで欲しいわ。」
山ほどの宿題を出されている生徒みたいだ。


「それと、あなた経理の経験ある？」
「ここで見よう見まね程度です。」
「そっか。あたしもないのよね。
　二人でやっていくからにはお互いそれも覚えなくちゃ。
　とりあえず遙にレクチャーしてもらおう。」
「はい。」
うわ〜。あたしできるのかな。
あたるでなくても弱腰になりそうだ。
機関銃のようにしゃべっていた佳織が、眉を八の字に寄せたあたるに気づく。
「−−ごめんっ。あたし夢中になるとこうなのよ。
　わからなくなったらストップかけてね。構わないから。」
「・・・はい。」


笑ったけれど。決して遊びじゃない。新しい仕事に就くんだ。
実感したあたるは、背筋をピンと伸ばした。
そこを走るゾクッとしたものは期待？　不安？
なんにしろ、始まるんだ。気合いを入れよう。
あたるの表情に一本入った厳しさ。それを認めた佳織は微かに笑みを浮かべた。
満足そうに。





その１週間。天羽はプロジェクトのまとめに追われ、
あたるは毎日佳織と新しい仕事について、あれこれ打ち合わせを繰り返した。
とはいえ、どっちも定時（あたるは定時とは言わないが）頃には切り上げている。
どっちも遠慮なしで携帯を鳴らして、その日のことを報告しあっていた。


「へえ。じゃあ決めたんだな、新しい店でやるの。」
「うん。おもしろそう。」
「それって大変だろ。なんたってバイトじゃなくなるんだし。」
「・・・わかってる。」
「ま、おもしろいのが一番だよな。とりあえずは。」
すでにやる気のあたるに何をいっても無駄だろうし、別に反対なわけではない。
「佳織さんもね、おもしろそう。」
「ってことはクセがありそうなんだな？」
図星だ。
「ま、それはお互い様じゃないか？」
「えー？　あたしも？」
「思ってないのは自分だけってな。」
天羽の声が笑っているのにムッとする。


「どうせ。・・・あなたはホントに大丈夫なの、仕事。」
「ああ。俺って周りに恵まれてるんだな。」
一転、しみじみした口調になった天羽。
「それもお互い様かもね。」
今度はあたるが笑っている。
「おまえ、眠れてるのか？」
「うん。大丈夫。たまに起きるけど。」
「・・・ほんとか？」天羽の声が尻上がりで疑問形。
「心配ないって。」
その声は無理しているようではない。
「それより、そこいつ出るの？」
「いつでも。たいして荷物もない。」
「・・・簡単だね。」
「まあな。」
この身軽さってすごいなぁ。男の人ってみんなこうなのかな。


「あ、うちに来る？」
「んーー。やっぱなぁ。おまえのとこはカヲルくんちだから。ちょっとな。」
「そうよね。」
「短期間だからどこでもいいって。月末までに出ればいいだよな。」
「うん。なんかね、楽しみなの。」
「新しい店か？」
「そう。」
「名前はどうなるんだ？」
「なまえ？」
「新しい店の名前。」
「・・・・・あ・・・どうなんだろ。聞いてなかった。
　同じってことないよね。それも楽しみ〜。」
「楽しみが多くていいじゃん。」


「あ、そうだ。教習所、申し込むから。」
ぞくっ。天羽の背に鳥肌。
「・・・マジ？」
「マジだもん。」
「・・・そっか・・まあ・・・がんばってくれ・・。」
「うん！」
この場合、頑張るのはあたるだろうか？　それとも教習所の教官達だろうか？
天羽としてはどちらにしろ、双方の無事を祈るしかできなかったが。





週末土曜日。天羽は一人、客を待っていた。
バタン！　ドアが開いたと思ったら、力強い足音が駆けてくる。
「あもんくーんっ！」
首っ玉にかじりついたのは良介。
「・・・元気だったか？」
前に会ってから一ヶ月経ってないのに、ずいぶん逢ってなかった気がした。
その後ろからゆっくり入ってきたのはジムだ。


昨日の昼間。ようやく残務整理が終わり、
来週から次の仕事かなと思いつつ一服していたら、携帯が鳴った。
「遙？」
「天羽くん？　ごめんね、仕事中に。大丈夫？」
「ああ。何？　店を出る話なら。」
「ううん、違うの。明日の土曜は店にいる？」
「特に予定はないけど。」
「ジムがね、どうしてもあなたに会いたいって言うのよ。お礼が言いたいって。」
「そんなの別に・・。」
「ううん。ほんとにどうしてもって。」


クリスマスの遭遇が最悪だったからなぁ。
ちょっと怯むが、これもけじめのひとつだろう。
それに、良介のことを改めて頼んで起きたい。自分も。
「わかった。いいぜ。」
「ありがとう。喜ぶわ。」
遙がホッとした声を出した。
「良介も会いたがってるから、多分一緒に行くと思う。」
「おまえは？」
「あたしは明日は遠慮する。二人・・・三人でゆっくり。」
遙はそう言って切ったのだ。




立ち上がった天羽はジムと向かいあった。
「しばらく。」
なんて言えばいいんだろう。
「ああ。・・・あんたも忙しかったみたいだな。」
「いや。」
「あもんくん、こないだね、ジムが僕の学校に来てくれたんだよ。」
良介がいかにも自慢そうに告げる。
「そうか。」
「うん。友だちみんなにお話してくれたの。
　僕とジムは血は繋がってないけど、ちゃんと親子なんだって。」
天羽が思わずジムを見上げる。ジムは良介に微笑むだけ。


「そしたらみんな、わかってくれたの。僕もう、仲間はずれじゃないよ。」
「・・・良介・・。」
「良介が頑張ったからだよ。」
ジムの言葉に良介が向ける視線は信頼に満ちていて、
天羽は心から安堵し嬉しく思った。
一抹の寂しさはやっぱりあったけど。
「良介、ちょっと表で遊んできてくれるか？　天羽と少し話がしたいんだ。」
「うん。あもんくん、ボール持っていってもいい？」
「車に気をつけろよ。」
「大丈夫。」
飛び出していった良介が揺らしたドア。それをみていた二人の目があった。


「・・・君に一度、ちゃんと謝りたいと思っていた。」
「謝る？」
意外そうな顔の天羽に、ジムは続ける。
「クリスマスイブに。
　感情にまかせて、良介に君が父親だと漏らしてしまったことを。」
天羽が黙る。
「それから・・・良介と遙を不安にさせて、君にまで迷惑をかけたことを。」
ジムが頭を下げる。
「すまなかった−−。」
口を開きかけ、また閉じ、もう一度天羽は口を開く。


「・・・やめろよ。あんたひとりが悪いなんて思ってない。
　結果的にはあれで良かったのかも知れない。
　いつかはわかることだし。第一俺は良介に責められてあたりまえなんだ。」
「いや、君と遙のことまで邪推してー。」
「それも・・・俺にだって非はあった。
　遙から相談を受けた時、無理にでもあんたのところへ連れていけばよかったんだ。
　こじれる前に。」
天羽は思いだして悔やむ。
「結局俺も遙も、あんたも。
　お互い、痛いところに触れまいとしたのが悪かったんだろう。」
「・・・そうかもしれない。」


「でもあんたはちゃんと家のことも片を付けて、二人のところへ戻ってきただろう？
　戻らなきゃならない時に間に合うように。」
そう、間にあって。
「だから、謝ることなんかないんだ。」
「・・・お礼もいいたかった。」
「礼？」
「僕は二人に対して、自信を失いかけていた。それを取り戻してくれたのは良介だ。
　良介はその勇気を君とあたると、カヲルにもらったと言っていた。」
「良介が？」
「ああ。だから、−−ありがとう。良介があの時僕に電話をくれなかったら、
　僕はあのまま全て失っていたかもしれない。」


「・・・俺は何も。あたるだってカヲルくんだって、助言はしただろうけど、
　結局良介がそれを望んでいたからだ。強く。
　良介は俺にもはっきり言った。ジムと一緒に暮らしたいって。
　ジムとママと３人で。良介がそう言ったのは、
　君が良介にちゃんと愛情を注いでいたからだ。父親として。」
「天羽・・。」
「俺は−良介と遙が幸せでいることが望みだ。
　だから、改めて頼むよ。二人を離さずに守ってやってくれ。
　俺の手はもういらないはずだし−塞がっちまってるから。」


微笑む天羽にジムが問う。
「あたるは・・・大丈夫なのか？」
「・・・ああ。」
「そうか。」
ジムは手をさしのべた。
「ありがとう。たとえ君がいらないと言っても僕は感謝する。
　それから約束する。二人を守る。必ず。」
その手を握って。天羽も頷いた。
「いろいろこれからもあるだろうけどな、お互いに。」
「ああ。」


「あもんくーん、ジムー、お話まだー？　遊ぼうよー。」
ドアを開けて、良介が呼んだ。
その後ろから差し込んでくる光は、どこか春の予感がして。
天羽とジムは笑みを交わすと、良介の方へ歩き出した。
「今行く−。」

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