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ＶＯＬ．１０３　「ブランド　Q-jilla」




ニューヨーク。摩天楼なるビルの一つ。
さらにその中の一室で、顔をつきあわせて難しい顔をしている二人。
一人は楢崎。
いつもすっぱりと切るように物事を判断していく彼が、なんとも逡巡した表情だ。
もう一人はカヲル。
腕組みをして椅子の背に寄りかかり天井を仰いでいる。
見えるのは蛍光灯ばかりだが、それが見たいわけではないだろう。



「洒落てて、耳に残りやすく、覚えやすく、イメージを内包していて、でも柔軟でー。」
「・・・楢崎さん、無茶苦茶いってませんか？」
呆れたカヲルの声に、延々と呟いていた楢崎が我に返って苦笑した。
「ああ、悪い。つい声に出してたな。」
「難しいものなんですね。参ったなあ。」
やっぱり天井を向いたカヲルは、体の前で組んでいた両手を上げて、
頭の後ろで組み直す。視線は宙を睨んで。
いい考えがそのへんを浮遊してたら逃がさないとでもいうように。
「これも戦略の一つだからね。インパクトのあるいい名前なら、
　それだけで成功への近道になったりするし。」
「そんなこといわれると余計に悩みますよ。」
「半分は君の思い入れでいいんだよ。ほんとに何かないのかい？」
「・・・そう言われても・・。」口を捩るカヲル。



二人が悩んでいるのは、カヲルのブランド名。
何を今さらといわれそうだが、
これまでそんなこと考えもせずに馬車馬のごとく突っ走ってきたのだ。
いざ聞かれてみてハタと困ってしまった。

『ブランド名、何にする？』

カヲルが挙げては楢崎が却下し、楢崎が挙げてはカヲルが首を傾げ、
すでにそんなことを１時間。
いい加減二人とも行き詰まっていた。


「ふつう自分のブランドっていうと、夢見て名前も考えてることが多いんだけどね。
　一度も考えたことなかったのかい？」
疲れた笑みで楢崎が聞く。
「そんな余裕なかったですよ。知ってるでしょう？
　俺の場合とにかく、目の前をクリアするので精一杯だったし。」
「そうだったな。」
「それに名前と言ったら、子どもの名前考えるので気とられてて。」
そう、ひろみの名前も散々悩んでいたのだ。
「やれやれ。君も忙しかったからな。しかしリミットだ。
　生産ラインに載せる以上、ブランド名を決めてタグをデザインしてしまわないと。」
「ですよね。・・・すいません、一晩だけ考えさせて下さい。」
「そうだな。これじゃ埒があかないだろう。明日の朝ってことにするか。」


また宿題か。
まともな時間に帰ってないカヲルにするとウンザリだが、しょうがない。
作業の合間を縫って頭の片隅で、あれこれ考えては駄目出しを繰り返している。
なかなかいい名前は浮かばない。




カヲルのデビュー準備はギリギリの線で続けられていた。
流れとしては順調なものの、何しろ絶対的に時間が最初から足りない。
それを間に合わせるためには、
常の倍の作業を同じ流れの時間に詰めるしかないのだ。
普通なら悲鳴と文句のそれらを、カヲルと彼のチームは黙々とこなしている。
それは去年コンペの時に造り上げた人間関係がそのままだからこその、
チームワークであり、速さだ。
コンペ敗北により一度は解散したチームだった。
カヲル個人のブランドが、ずっと小さな規模にしろ立ち上がると知った後、
彼らそれぞれが希望してきたのだ。再びカヲルと仕事することを。


再始動したそこに彼らを見て、
カヲルがどれだけ安堵したか言葉にできないほどだった。
時間だけが作り上げる信頼関係。それがこれからの１ヶ月には莫大な力となるから。
『できる』　初めて確信できた。
むろん何が何でも『やる』つもりではいたが、彼らが居てくれるならそれは確信になる。
そしてチームは動き出した。
カヲルは初めてそこでボスとしての座に納まり、あらゆる責任を負った。
デザイナーとしての仕事において、もう泣き言は言えない。
成功か失敗かと聞かれれば、成功するしかない。
そうして、仲間と共に昼夜分かたぬ作業に没頭する毎日だった。


その夜。
１１時を回ったあたりで、カヲルは帰宅することにした。
このところ午前様が続いているが、
ブランド名が気になり、少しは考えに集中したいと思ったのだ。
久しぶりに洋子に連絡してみる。
「相沢くん？」
「悪い。まだ起きてる？」
「ええ。来る？」
「いいかな。」
「もちろん。待ってる。」
ひろみの顔を見れば、なにか思いつくだろう。
まあそれは言い訳で、２週間ぶりに顔が見たかったというのが、正直な処だ。




「ごめん。遅くに。」
「ううん。寝ちゃってるけど。」
まっすぐベビーベッドに向かうカヲルに、洋子がクスッと笑みを漏らす。
「うわ、でかくなったな。」
「そう？」
「ああ。毎日大きくなるんだから、あたりまえか。」
「一ヶ月検診、いってきたのよ。」
「そっか。一ヶ月か。」
「標準よりちょっと重いくらい。元気だって太鼓判押されたわ。」
「うん。ぷくぷくだ。抱くのが大変だろ。」
「毎日抱いてると、あんまりわからないわよ。」
笑いながら洋子が缶ビールを渡してくれる。
それで喉を潤してから、やっとソファに座り込む。


「どう？」
「ん。なんとかやってる。ギリギリだな、やっぱり。」
「きついわよね。２月下旬じゃ。」
「でもみんなが頑張ってくれてるから。ありがたい。」
「あなたが作り上げたチームだから。自分の力よ。」
「いや。」
もう一度ベビーベッドに眼をやりながら呟く。
「名前をさ。」
「え？」
「楢崎さんに、ブランド名をつけろっていわれて。」
「あ・・・そうよね。そういえば名前のことは聞いたことなかったわ。」
「考えたことなかったんだ。」
「全然？」
「まるっきり。」
「珍しい。」クスクス笑う洋子。


「楢崎さんにもそう言われたよ。」肘をついて口を尖らせるカヲル。
「ヒマなかったし。」
「でも決めなくちゃ・・・でしょ？」
「うん。なんかいいのない？」
「そんなこといわれても。」さすがに困った顔になる。
「これはあなたのブランドでしょ。あなたが納得できる名前じゃないと。」
「そうだよなぁ。でもいざとなると浮かばなくてさ。」
「難しいわよね。」
「いっそ、ひろみってつけるか。」
「Hiromi？」
「うん。響きとしては悪くないかって。」
ちょっと呆れた顔の洋子だが。
「うーん、インパクトがね。」
「やっぱそこか。」
「名前は実力が育てるものだから、
　最初からインパクトがなくてもいいのかも知れないけど。」
「いや、楢崎さんも言ってたよ。」
「他にないの？　案は。」
「うーーーん。」


うなったところで携帯が鳴った。思わず顔をしかめたカヲル。
こんな時間に。なんかトラブルかな。ところが着信を見てびっくり。
「・・・さくら？」
「え？」
その名前に洋子まで驚く。あわてて出てみる。
「もしもし？」
「カヲル？　きゃ〜、カヲルだ。おひさしぶりぶりぃ♪」
・・・・確かにさくらだった。


「元気か？」
「うん。お正月以来よね。そっちはどう？」
「忙しい。」
「だよね。ねえ、カヲルのブランドっていつ発売なの？」
「２月末。」
「２月末？　うわぁ、ほんとに忙しいんだ。」
「どういう意味だよ。」
「・・・どうかなぁ。」
「何が。」
「３月の頭にさ、日本へ戻って来られない？」
「３月頭？」
「うん。」
「なんで？」
「結婚式。」
「・・・誰のさ。」
「あ・た・し。」
「・・・・・・は？」
「あたしの、結婚式！」
「・・・・・・・・・誰と？」
「伊倉に決まってるでしょっ。」
「・・・・・・・・・・・・・はああああっ？？？　なんだ、そりゃあっ！？」


あまりのことに思いっきり叫んだカヲル。
その声の大きさにびっくりして、ひろみが泣き出した。
「ふっ・・ぎゃあ〜・・。」
「あっ、あっ、悪いっ。」
「大丈夫よ。」洋子が駆け寄る。
「馬鹿ね、大きな声出すから。」さくらが電話口で突っ込む。
「出させてるのは、おまえだろっ！」
「・・だから声大きいって。」
あわてて口を塞ぐ。洋子が笑いながらひろみを抱いている。


「・・・おまえ、別れたって言ったじゃん。」
「別れたんだけどね。」
「じゃなんで。」
「だって。あいつが結婚してくれっていうから。」
「・・・ゲソが？」信じられない。
「うちまで来て、それも道で叫んだんだよ。」
「マジ？」
「大マジ」
「へえーー。ゲソもやるときゃやるね。」
「でしょ〜。」
「おじさんとか、大丈夫だったのか？」
「なんとか。殴られちゃったけど。」
−−やっぱし。
「で？　３月に結婚式になったのか。」
「うん。決まったの。だから、カヲルも出て欲しいのよ。」
「あたるには？」
「さっき電話した。天羽さんと来るって。」
「あいつもうまくやってるんだな。」安心する。
「いろいろあるみたいなんだけどね。とりあえず・・かな。」


「そっかー。３月頭ね。どうだろ。」
売り出し直後。普通に考えると無理かなぁ。
「悪い。ギリギリまでわかんないかも。なるべく出るように努力するけど。」
「えー、絶対来てよ。２度と見らんないわよ、あたしの花嫁姿なんて。」
「２度目があったりして？」
「カヲルっっっ！！」
「ジョークだって、ジョーク。」でもゲソだし。
「ったく。お祝いくらい言ってよね。」ブツブツ言うさくら。
「え？　あ、悪い。俺まだ言ってない？」
「言ってない！」
口をとがらせてすねるさくらが見えるようだ。
「ごめん。じゃ改めて・・・おめでとう、さくら。よかったな。」
幼なじみの祝いの言葉はやっぱり嬉しくて。さくらの声が溶ける。
「・・・うん、ありがとう。」


「相沢くん、あたしにも貸して？」洋子が手を伸ばしてくる。
「ん。」
「さくらさん？」
「え？・・・洋子虫？」
懐かしい呼ばれ方に苦笑する洋子。
「久しぶり。」
「ホント。あ、えっと、赤ちゃんおめでとう。」
「ありがとう。お祝いまで頂いちゃって。」
クリスマス前に、あたるがさくらと連名で、
洋子とカヲル宛にベビー服を送ったのだ。
「それから、遅くなっちゃったけどお守りありがとう。」
さくらがびっくりする。
まさかあれにお礼を言われるなんて。
「あたしね、すごく助けられたの。ほんとにありがとう。」
ああ、洋子虫はお母さんになったんだなぁ。
その声がどこか、母に似通って聞こえて、さくらはしみじみ思った。


「・・ちょっとでも役に立ったならよかった。」
「うん。今もちゃんと持ってるから。」
「ほんと？」
「あっ・・といけない。あなたのお祝いだわ。結婚おめでとう。」
「・・ありがと。」
「伊倉さん、つかまえたんだ。」
「苦労したわよ。」
クスクス笑う洋子だけど、皮肉な響きがないのが昔と違う。
「さくらさんなら大丈夫よ。ちゃんと手綱握ってね。子どものままのところ残ってるから。」
「そうなのよね。うん、握ってる。ねえ、洋子虫も来てくれない？　結婚式。」
あっさりしたその誘いに、洋子が黙った。
「あ、ごめん。
　カヲルの実家もすぐそこだから・・・そういうわけにもいかないかな。」
「ええ。それに３月じゃまだ小さいし。」
「そうだよね。丸１日飛行機は難しいかなぁ。」
アメリカは遠い。


「じゃ相沢君に返すから。伊倉さんにもよろしく言ってね。」
「わかった。ありがとう。」
「もしもし？　とにかくわかった。詳しい日程また、知らせてくれ。
　極力出ようと思ってるけど、駄目だったらごめんな。」
「えー？　絶対来るの！」
「さくら、おまえね。」
「だってさ、あたるだって逢いたがるよ。」
「わかったって。だから努力する。」
「約束だよ。待ってるから。」
「うん。ゲソ、逃がすなよ。」
「当然。」
「じゃ、またな。」
「絶対だからねー。」



切ってから洋子と顔を見合わせて笑い出す。
「さくらとゲソがねー。今年最初のびっくりだな。」
「伊倉さんに年貢を納めさせるなんてすごいわ。さすがね。」
「一度は諦めたはずなんだけどな。どうひっくりかえったんだか。」
「伊倉さんはさくらさんのこと、好きだったから。それは確かだもの。」
「結婚式か。行きたいけど、どうかな。」
そう言ってふと思いを馳せたカヲル。
まさかさくらが結婚なんて。あたるも追い越して。わからないもんだな。
去年、いやもう一昨年か。
暮れに田舎から一人で飛び出してきたときは、てんで糸のない風船みたいで。
ただ、ゲソだけは追っかけてたよな、確かに。


風船。あたるとくじらの風船をとばしたっけ。大晦日。
あそこが始まりだった気がする。夢の−。
空へとばしたくじらの大群。願いを込めて。
くじら−−？


「くじら・・・か。」
呟くカヲル。
「え？」
「くじらっての、どう？　名前。」
「・・・くじら？　ｗｈａｌｅじゃなくて？」
「こっちでも、『　Gojilla　』があったろ、映画で。
　語呂は悪くないしインパクトも残るんじゃないかな。
　・・・そうだな、スペルはこっちなら、Ｑ、ｊ、i、ｌ、ｌ、ａ。『　Ｑ-jilla　』」。
洋子が笑い出す。
「日本人じゃないとわからないわね、意味が。」
「いいさ。俺は日本人だし、響きが残れば。よし、決めた。」


そうして。カヲルのブランド名はほんとに決まったのだった。
懐かしいあの光景をイメージして。
『　Q-jilla　』　−くじら−　と。

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