＜Home＜二次創作メニュー＜本編メニュー　　　back＜　　＞next

ＶＯＬ．９７　「道の向こう」




東京湾。接岸した船の揺れを感じながら、地上へとおりる。
足元の地面の確かさがなんだか妙に思える。
多分、あっという間に消えていくその感覚を、でも忘れずに覚えていたいとも思う。
「あたる。」
呼ばれて顔を上げる。立ち止まっていたらしい。
「行くぞ。」
「うん。」
頷いてまた振り返る。
ひとりで飛び乗った船だった。
乗ったときは、ここに戻った後はどこへ行こうか、そう思っていた。
それを決めに行くんだと。
万に一つを期待しなかったわけじゃないけど。
今、その一つをつかんで帰れることを、誰に感謝したらいいのかな。
前を歩く人に？　背中を支えてくれた人に？　遠くで心配してくれた人に？


みんなに。それから。
彼方のあなたに。
ありがとう−。
手にした荷物を握り直して、あたるは天羽の後を追いかけて行った。





「とりあえず店に戻るか。アパート引き払っちゃったろ。」
「カヲルんちの鍵はまだ持ってるの。あとで書留で送るつもりだったから。」
「そっか。実家の方、大騒ぎじゃないのか？」
「うっ・・・。携帯見るのが怖い。電源切りっぱなしだったから。」
「あー、俺もだ。やばそう。」
ふたり顔を見合わせてから、笑い出す。
「今さらだな。とにかく戻るか。疲れたろ？　タクシー拾ってくる。」
「ん・・・。」
さりげなく。でも気遣ってくれるのがわかった。


店に帰り着いたら、もう日暮れだった。
家の前で立ち止まるあたる。たかだか１０日だったのに。
「どした？」
「なんかすごく・・・久しぶりの気がする。」
「そっか？　俺は４，５日だから。」
「あたしだって１０日だよ。あー、でも。」
「でも？」
「１０日もここに来なかったことって、この１年なかったから。」
思い至った。とにかくずっと居たから、ここに。だからかな。
「入るぞ。」


カチャ・・・。部屋の中、止まっていた空気が流れ始める。
外の冷気と数日行き場もなくよどんで温んでいた空気が、
一瞬にして入ろうとし、出ようとし、ドアの前後で押し合いへし合いするのがわかる。
そこに、ダンダンッと荒い足音が静寂を蹴散らしていく。
気にも止めずに。
それがいかにもらしくて、ありもしない足跡をなぞるように後ろから続いた。
自分が片づけたそのままの状態のそこに。
また戻ってくるなんて、正直思ってなかった。
何かをするときは夢中で。
その後を見直すなんてあまりないから、なにか気恥ずかしい気分だった。


「おまえさ、とりあえず家に連絡入れた方がいいんじゃないか？　さくらちゃんとか。」
「あ・・・。うん、そうだね。」
なにしろ荷物だけ送りつけて、ろくに説明もしなかったし。
バッグの底にしまいこんでいた携帯をやっと取り出す。
「・・・これも・・ね。」
「ん？」
「捨てるつもりだったんだ。ほんとは。」
みつめる携帯。
「１０日過ぎて、戻ってくるときに。」
「−そっか。」
「うん。」


電源を入れて着信をチェックする。
それを見ていた天羽も、自分の携帯に電源を入れた。
「あんまり・・・あ。さくらと吉良くんからメールが入ってる。」
吉良。その名前にちょっと反応しつつ。
自分の携帯にもメールが入っているのを確認する。
「どうしたの？」
「いや。同僚からメールがさ・・・やばいかな。」
覚悟を決めて読みはじめる天羽の顔を、あたるが心配そうに見ている。
自分のために放棄させてしまったプレゼン。最後の最後で。
どうなったんだろう。どう・・・なるんだろう。


だが天羽の表情はホッとゆるんだ。
「・・・大丈夫だ。さすがだな、あいつら。」
信じていたけど。それにしてもこのメールは。

『馬鹿野郎！　おまえなんかいなくてもやったぜ！』
『どーだ、尊敬しろっ！』
『火事場の馬鹿力、思い知ったか！』

それから。

『帰ったら殴るぞ！』
『帰ったら奢れよ！』
『帰ったら吊し上げだ！』

だから。早く帰れとそう言ってる？　どれもこれも。
「・・・あいつら・・。」
もう１つ、立木からも入っていた。
『あたるさん、間に合いましたか？　帰り待ってます。』
・・・こいつもかよ。
苦笑しながら、パチッと携帯を閉じてしまう。
ちゃんとプレゼンが成功した。それで十分だった。よかった−。
「天羽さん？」
あたるのもの問いたげな視線を笑顔で受ける。あとは月曜だ。
「おまえのは？　なんて？」
「え？　う、うん。」


さくらからは。
『のんびり羽根伸ばしておいで。でもちゃんと帰って来るんだよ。』
吉良からは。
『あの野郎は間違えずに辿り着けたのか？』
クスッと漏れる笑い。
「なんだよ？」
「ううん。さくらにかけておくね。あなたはかけないの？」
「俺は休みにしちまったから。月曜まではいい。どうせ就業時間過ぎてるしな。」
無断欠勤でクビの可能性が高いけど、心配なんて今さらだ。
「いいの？」
「早くかけろよ。」
頓着しない様子で促すので、それ以上言えなかった。


「さくら？」
「・・・あ・・たるっ・・？・・」
「そう。ごめんね。心配・・」
「この馬鹿ーっ！！！」
うわ、やっぱり？
「今まで何やってんのよっ！！」
「・・・ごめん・・いろいろ・・」
「今どこ？」
「店。」
「店？　戻ったの？」
「うん。まあ・・。」
「天羽さんはっ？」
「・・・ここにいるけど・・。」
「いる？　ちょっと代わって。」
「へ？　なんで？」
「いいからっ！」
剣幕に押されて、仕方なく天羽に差し出す。
「何？」
「さくらが、代われって。」
・・・・・・・・やばい？
「はい。」


「天羽さん？　この・・・ばぁっっかぁあああっっ！！
　あたる泣かすんじゃないわよぉおっっ！！」


じ〜んと鼓膜が揺すぶられるのがわかった。
「さ・・くらちゃん・・。」
「いくら仕事が忙しいからってね、ほっとくんじゃないのっ！」
「・・悪い。反省してる。」
「ホントに？　口先じゃないでしょうね？　ちゃんと見てなさいよっ！」
「ああ。身に沁みてる。なにしろ逃げられかけた。」
「女を甘く見るからよっ。いい？
　今度同じことしたら、あたしがあたるを連れて帰るからねっ？」
「わかったって。勘弁してくれ。」
「うーーー。まだ言い足りないんだけど。」
天羽の困り切った顔に、オタオタしていたあたるは携帯を奪い取った。


「さ、さくらっ？　もういいから。」
「あたるは甘いわよっ！　この際だから言うべきことは徹底的に！」
「もう言ったって！」
「・・・ほんと？」疑わしそうな声音。
「ホントだってば。」
「・・・どうだか。ま、あたるに免じてあげるわよ。」
「うん。」
天羽に向ける視線が申し訳なさそうだけど。あたりまえだよな。
蹴られてもぶっとばされても、文句言えないところだ。実は。


「じゃあ、送ってきた荷物はどうすんの？」
「あっ・・と・・・ちょっと待ってて。アパート引き払っちゃったし。」
「だってね。吉良くんに聞いた。」
「吉良くん、心配してた？」
「あったりまえ・・・何よ、まだ連絡してないの？」
「戻ったばっかりだもん。」
「しょうがないわね。すごく心配してくれたんだから。ちゃんとお礼言いなさいよ。」
「うん。」
「あ、資格試験のやつも届いてるよ。送り返そうか？」
「それもちょっと待ってて。又連絡するから。」
「ＯＫ。」


「・・・お父さんとか・・・心配してない？」
「してないわけないでしょっ！！
　もう、東京まで行くって大騒ぎでさ。押さえるの大変だったんだからっ。」
さくらの声がまた大きくなる。
「・・だよね。」
「天羽さんにさ、今度父さんに逢うときは覚悟しろって言っといて。
　あれは２，３発じゃ足りないわよ。たぶん。」
「や、やめてよ〜。」
「しょうがないでしょ。心配かけてるんだから。」
「だから、それはあたしで。殴られるならあたしでしょ？」
「娘を持つ身は複雑なの。」
「さくら。あんたすっかり、父さんサイドね。」
「あたりまえよ。父さんのそばにいるんだから。」
「そう・・だよね。ごめんね、いろいろ。荷物のことよろしく。」
「了解。送ってきたまま置いてあるから。いつでも返却するわよ。
　・・・あたる、ほんとにもう大丈夫なのね？」
「うん。大丈夫。」
「・・・そう。ならいい。又ね。」
それで切れた。


切った携帯を握って、はーっとため息。天羽が苦笑いしている。
「ごめんね。」
「いや。当然だろ。ホントならもっと罵倒されるところだ。」
自嘲気味にそう言う。
「そんなことないよ。来てくれたから、ここにいるんだよ。あたし。」
「まあ、親父さんとか会ったら間違いなくぶっとばされるな。」
「やだ。さくらと同じこと言ってる。」
「やっぱり？　あ、でも。伊倉さんが先だ。」ニヤッと笑う。
「ゲソ？」
きょとんとするあたる。ここでいくらの名前が出てくる理由がわからない。


「なんでゲソ？」
「こないだ来たんだけどさ。ほら、結婚の話あったろ？　あれやめたって。」
「・・・え？」
「会社やめて、さくらちゃん迎えに行くってさ。」
「え？　ええっ？　それってどういう？」
唐突にすっとぶ話に目が点になる。
「だから。伊倉さんはさくらちゃんに決めたってこと。」
「ほんと？　ほんとに？」
「嘘言ってどうする。さくらちゃんはどうなんだ？」
「さくらもずっとゲソのこと想ってるよ。ずっと。だからあたしー。」
「行ったんだって？　伊倉さんのところ。」
「うん。・・・聞いたの？」
「ああ。感謝してた。それで決められたって。」
「なら。行ってよかったのかな・・・」
ホッと息を吐くあたる。おせっかいかなと思ったんだけど。
「ああ。ホントおまえって・・・人のことばっか心配してたな。」
「そんなことない・・。」
口ごもるあたるの手をとらえて引き寄せると、ソファに一緒に座り込んだ。


「今度からもっとさ、自分のこと先にしろよな。」
「してるって。」
「どうだか。とりあえず文句は言えよ。ちゃんと。」
「・・・言ってもいい？」
「言わなきゃ駄目だ。」
「うん。」
抱え込む腕に寄りかかるようにして頷く。
「そういや、仕事どうするつもりだ？」
「うん。ここやめちゃったし。」
「それは遙だから平気だろうけど。・・・イヤか？」
「・・・ちょっと考えたい。戻ってくるつもりなかったから。」
「そうか。そうだな。」


「あなたこそ、どうするの？」気がかりなあたる。
「俺の場合は、選択権は俺にないだろうから。多分。」
大変なことを話している割に、天羽の口調が軽い。
「ふつうはクビだろうなぁ。」
あたるがビクッとして見上げる。その眼。
「バーカ。んな顔するな。」
「・・・でも・・」
「とりあえずおまえがここにいるんだからさ。」
「え？」
「必要なものがあればいい。あとは又一からやれるさ。」
さっぱりしたその口調には、悔しさも焦りもなかった。



曲がり角なのか。交差点なのか。自分の行く道は自分が見つけるしかない。
でも。ひとりじゃなければ。怖れることはない。
道の向こうを目指して。手を放さずに−。

＜Home＜二次創作メニュー＜本編メニュー　　　back＜　　＞next