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ＶＯＬ．９６　「マモッテアゲタイ」




午後、父島を出た船は、東京へ向かって波頭を立てていく。
一昼夜の旅。
波は穏やかで、水面は闇に滑らかな光を跳ね返す。
空には水面の光と同じ色の月が高い。もう夜も深いのだ。
すでにどの船室でも、大方の人は眠りに落ちている。
静かだ。聞こえるのは寝息ばかり。
横になったのはずいぶん早かったのに。
眠るのが怖くて。
あたるは暗がりの中、皆が、天羽が、寝静まるのをただ待った。
やっと天羽の寝息を聞いてから、デッキへとしのび出たのだ。
１月。
真冬の海は晴れていると尚更冷え込む。走る船が受ける風は肌を刺す。
もともとさめていた意識がさらに追い立てられる気分だ。
でもゆうべ、久しぶりにゆっくり眠れたせいか夜中でも辛くない。




今朝眼を開けた時、あたるは自分のいる場所がわからなかった。
温かくて。
ボーっとした頭で手を伸ばしたら、すっと冷たい空気。
思わず温もりにすりよるように潜る毛布。
すると抱き寄せる腕を感じて、安心して。
−いきなり驚く。腕。　誰の？　え？

「おはよ。」

響いた声にクルッと振り向いたら、天羽がいた。
眼をまん丸にしているあたるに、首を傾げて。
「どした？」
「えっ・・・あ・・・ううん。・・・温かくて忘れてた。」
「何を？」
「あなたがいること。」
「−おまえね。」
ピンッとおでこを人差し指で弾かれた。
「イタッ！　・・・痛い〜。」両手で押さえ込む額。
「俺は毛布か？」
「・・・そうかも。」
「なに？」
もう一度、でこピンを構える天羽にあわてるあたる。


「そっ、そう言う意味じゃなくて。」
「どういう意味だよ。」
「だから・・・ライナス知ってる？」
「は？」
「スヌーピーの漫画の。ほら、チャーリーブラウンとか。」
「ああ・・・知ってる。」
「その中の毛布をひきずってる子。」
天羽の脳裏にもイメージが浮かんだ。指をくわえて毛布持ってるあれか。
「あの子がいつも持ってる毛布が、安心毛布って言うの。」
「安心毛布？」
「小さい子とかが、何かをよりどころにするのと同じ。
　あると安心するもの？の総称かな。」
「・・・それが・・俺？」
「う・・ん・・。・・あたしの安心毛布・・・かなって・・。」
赤くなりながら呟く。天羽の眼が丸くなってから笑いを含む。
「だって・・よく眠れたから・・。」


だがその言葉にちょっと眇に変わる。
「眠れたのか？」
「うん。こんなにすっきり起きたの久しぶりだったよ。」
「・・・そっか。」
ギュッと抱きしめられて焦った。
「う、うわっ？　ちょ、ちょっと。」
「んー？　毛布は巻き付けないと駄目だろ？」声が遊んでいる。
「あ、朝だってばー。」
「襲ってるわけじゃないって。」
「あっ、あたりまえでしょっ！」
真っ赤になって騒いでいたあたるが、急に聞く。


「ね、あなたは？」
「ん？」
「眠れたの？　ぐっすり？」
少し心配そうな声。もしかしてー。
「相変わらず、強力睡眠薬だよなぁ。」
そう言う天羽の眼は赤くなかったから、あたるはホッとした。
その隙に天羽は、でこピンして赤くなっている箇所をペロッと舐めた。
「ひゃっ」
またクスクス笑う相手に、抗議しようとしたところで。
「あんたたちー、いい加減に起きなさいーっ！」
下からおばさんの声が聞こえた。


それからおじさんとおばさんに別れを告げて、一緒に小笠原を後にした。
結局中１日しか滞在していない天羽をあたるが気にしたけど。
「俺はおまえをつかまえに来たんだから。目的はちゃんと果たしてるし。
　気にするなよ。」
「でも。」
「くじらも見たしな。」天羽の顔は満足げだった。





月の下。一枚布のように滑らかなうねりを繰り返す海原。
切り裂いて行くのは船だけ。
あのくじらはどこにも見えない。でも見たんだ。この海で。一緒に−。
ポッと温もる胸。同時にまだ走る痛み。
あたしは楽な方へ逃げたんじゃないかな。
ほんとに・・・許してもらえるんだろうか。
不安がともすればあたるを襲う。また夢を見てしまいそうで。


「眠れないのか」
声がして驚いた。振り返ると天羽が立っている。
その姿が見慣れないのは、
革ジャンにグラサンの格好が頭に貼り付いているから。
横に並ぶ顔はメガネもかけてない。
「あなたは？」
「・・・眼覚めちまった。おまえ、いないから。」
「え？」
天羽があたるの声に苦笑する。
「寒くてさ。」
きょとんと見返すあたる。
二等船室。基本的に大部屋での雑魚寝状態。
でも暖房は効いているから。
確かに隣で寄り添っていたけど、自分がいないからって寒いわけもないのに。
１０テンポくらいずれてから、赤くなるあたるの顔。


「・・・またからかってるでしょ。」
「なんで。」
「だって・・・。」
つんと海に顔を向けるあたるを、でも天羽はいつもみたいにつつかない。
「しゃあないじゃん。ホントなんだから。」
そう言うとグッと肩を抱き寄せる。
「きゃっ。」
「おまえは寒くないわけ？」
「・・へ？」
その問いは、何か別のことを聞いてる？
響く声色にあたるは、天羽の顔を見直した。


「話、あるんだけど。」静かな声。
「・・・何？」
あたるが首を傾げると風が髪をなぶった。
背まで伸びてきたその髪が天羽の頬をくすぐる。
それを指で玩んでから、ゆっくりあたるの眼を戻して。
天羽は告げた。


「帰ったら一緒に暮らさないか？」

”カエッタライッショニクラサナイカ”


あたるの耳に入ったその言葉が、
脳に意味を伴って辿り着くのにどれほどかかったのか。
その間あたるの表情はただ、ポカンとしている。
「・・・え？」


”イマ　ナンテイッタ？”


かなり唐突なので、あたるのとまどいが納まるまで、天羽はのんびり待つ構え。
その構えの穏やかさに、あたるは聞いた言葉が信じられない。
あたしが聞き違ったんだよね。きっと自分に都合のいいように。
・・・だけど、どう聞けばああなるのかな。


”カエッタラ”　・・・帰ったら？　変えたら？　孵ったら？

”イッショニ”　・・・一緒に？　遺書に？　衣装に？

”クラサナイカ”・・・暮らす？　暗すぎる？　クラス？


一体何を考えてんだ、こいつ。
ひょっとしたらいつまでたってもわからないのかも。
あたるの百面相をみつめる天羽。


”・・衣装を・・替えたら・・暗すぎる・・？”　


どんな伝言ゲームでもできあがりそうもないシロモノを、
今にもひねり出しそうなあたるの思考。
しまいにブツブツいいはじめたので、さすがに呆れて。
天羽はその耳元でもう一度繰り返した。


「帰ったら」


「一緒に」


「暮らさないか？」


はっきりした抑揚と言葉。それを告げる表情。
さすがに聞き間違いようがなく、あたるはやっと意味を飲み込む。
浮かんできたのは、わずかな喜びと焦りを含んでの驚き。
その顔はパッと赤くなり、同時に少し眉が寄った。
「やっぱりあたし、ゆうべ寝言を言った？」
その口から出るのは問い。
「あたし、何か言ったんだね。」
「あたる。」
「ぐっすり眠れたから、平気だったかなって思ったのに。」
こういうところは勘が良すぎる。
鈍いときは果てしなく鈍いくせに。−さっきみたいに。
隠しても仕方ない。


「・・・少し、夢でうなされてた。」
「・・・そう・・。」
「あのあと、ずっとか？」天羽が聞く。
「・・・毎晩ってわけでもないんだけど・・・ばれちゃったね、やっぱり・・・。」
「目が覚めるほど？」
「・・時々・・。」
大きな手があたるの頭を抱き寄せる。肩口に押しつけられて感じる温もり。
「・・・寝言が怖いから・・・眠らないのか？　今も。」
「だって・・他の人の迷惑になるのは・・・。」
口ごもるあたる。
「あなたにもやっぱり迷惑かけたね。・・ごめん・・。」
返事はない。


「で、でもね。大丈夫だから。無理しなくても。」
「無理？」
「心配で、言ってくれたんでしょ？」
「そうじゃない。」
「おかげでゆうべも眼は覚まさずにすんだみたいだし。
　多分だんだん平気になるから。」
「あたる。」
「だからね、そんなに無理しなくても。」
「そうじゃないって！」
急に天羽の声が苛立って。あたるの両肩をつかむと、面と向かいあった。
「・・・天羽さん？・・」
身をすくませてあたるが見上げる。
一瞬目を閉じた天羽は、再びそれを開くとあたるをみつめて。


「まず。おまえはゆうべうなされてたけど、
　俺が呼んでだきしめたら、安心したらしくてすぐ眠り込んだ。」
あたるの顔がまた染まる。

「次に。俺はここんとこ睡眠不足が続いてたけど、おまえがいれば眠れる。
　睡眠薬だからな。」
逃げる視線。だってー。

「この２つから導く結論は？」
「・・あ・・・の・・。」
「俺もおまえも、ずっと眠れる方法。」
「・・・。」
「おまえそんなに頭悪かったっけ？　よく試験受かったな。」
「ひどっ・・！・・」
「あたる。」
柔らかく呼ばれてビクッとする。
「俺はもう、おまえを見失うのは嫌なんだ。」
あたるの瞳が大きくなる。


「そりゃ、そばにいれば全部わかるわけじゃないけど。
　少なくとも逢えないよりはわかるだろうし。話もできる。もっといろいろ。」
「・・天羽さん・・。」
「同じことを繰り返さないために−・・違うな。」
天羽はクシャッと髪をかきあげた。
「理屈はいい。とにかく俺は、おまえと一緒にいたい。
　寝言をわめこうが、寝相が最悪だろうが。当分お預けでも構わないからさ。」
その言葉に隠されてる気持ち。


「俺は、今のおまえを全部ひっくるめて守りたい。
　俺がつけた傷も。残ってる痛みも。目を反らさずに全部。
　それからできるなら、一緒に治したい。だから。」
まっすぐにあたるに届く想い。

　「一緒に暮らそう。・・・駄目か？」

３度目のそれがとどめ。ホントに自覚してないでしょ、あなたこそ。
その聞き方って、最強なんだよ。あたしにとって。でも。
あたるはゆっくり口を開く。
「守られるだけじゃ・・・治してもらうだけじゃ、嫌だよ。」
「ん？」
「・・・あたしにもできること、ある？」
「バーカ。先に俺を、俺の傷を、癒してくれたのはおまえだろ。
　でなきゃこんなとこまで来ないよ。」


そう、来てくれたんだよね。


あたるはその胸にすりよった。小さく呟きながら。
「あたし、猫飼いたいな・・。」
すると今まで気づかなかったけど、天羽の全身から力が抜けるのがわかった。
大きな腕に抱え込まれる。あなたも緊張してたの？
「・・・俺はどっちかっていうと犬がいいんだけどな。」
言葉はいかにも。


「えー、猫がいい。」
「うーん、それについてはこれから、検討しようぜ。ゆっくり。」
「でもあたし、仕事やめちゃったから。見つけないと。」
「遙のとこ、戻らないのか？」
「・・・まだ頭真っ白。」
「そっか。ま、俺だってどうなるかわかんねえし。」
「どっちもどっちだね。こんなんで一緒に暮らせるかなぁ？」
「しつこい。」
「だって。」
「もう決めた。キャンセル不可。」
「えー？」
「・・・力抜けちまった。これを逃すと次はないぞ。」
独り言みたいな囁きが、天羽の緊張と安堵を知らせて。
あたるはクスクス笑いながら、嬉しくて胸が痛いほどだった。



真夜中の冬の海の上なのに。こんなに温かい。
まだ信じられないよ。
夢はまた見るだろうけど。でも目が覚めたらそばにいてくれる？
あたしもあなたを温められる？
あたしも。
あなたを。


−”マモッテアゲタイ”−

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