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ＶＯＬ．９２ 「帰る場所」 月曜の午後。天羽抜きでプレゼンは行われた。 突然の天羽の欠勤に、プロジェクト全員が驚いていた。 理由はリーダー３人しか知らなかったけれど。 彼らはこれだけ告げた。 「天羽は、よんどころない事情でどうしても来られない。 どう思われても仕方ない。だが、あいつぬきでもやれる。 そこまで俺たちは創ってきたんだ。あいつも一緒に。」 皆を見渡す。 「だから。全員で最後までやり遂げる。いいな。」 この４ヶ月あまり、一緒に頑張ってきた。建前でなく本音のつきあいで。 だからみんな、頷いた。納得しきれない奴もむろんいたが。 それでも。天羽という人間を知っていたから。 ぬけた天羽の発表は他の３人が分担した。 綿密に立てた作戦としっかり創ったモノによって、 説得力は二乗三乗の効果を及ぼし、頭の固い上の連中も頷かせることができた。 危ぶまれた若手のみのプロジェクトの成果。 それはとりもなおさず、リーダーの見事な手腕と評価された。 そこに参加した全員の力も同様である。 プレゼンは成功といえた。全員力が抜ける。 天羽の姿がないことに激怒していた直属の上司が、ホッとしたように声をかけた。 「いい出来だった。やっとすんだな。 ・・・それにしてもあいつは何考えてるんだ？ 俺には理由も言わなかったぞ。」 その口調にはまだ、当然怒りが潜んでいる。 一瞬目を見交わすリーダー３人。 「あ・・・・いつのおふくろ・・・さんがずっと、具合良くなくて。」 一人が思わず口にしていた言い訳。 「そうなのか？」 「いや、その、暮れからよくなったり悪くなったりで」 堰を切ったように他の二人も続く。 「でもほら、忙しかったから行けなくて。 おふくろさん、お姉さんのところだから遠いんですよ。な。」 「そうそう、で。やっとこっちのめどがたったし、 おふくろさんも今あいつが行けば持ち直すだろうってんで。 俺たちが行って来いって言ったんですよ。」 嘘八百じゃん。言ってる本人達がヒヤヒヤしているが。 「そういう事情だったなら仕方ないか。・・・実際しっかり出来てたし。」 軟化してきた上司の表情に、もう一押しする。 「ええ。プレゼンの段取りは７割方あいつの考えなんです。」 一瞬であった上司とリーダー達の視線。 上司が呆れたように笑った。 「・・・わかった。」 そのままスタスタと歩き去った上司に、思わず３人は頭を下げた。 あの。馬鹿野郎。 「・・・帰ってきたら、奢らせようぜ。思いっきり。」 「だな。それも１度じゃ足りない。」 「全くだ。」 頭には来たけど。ほんと馬鹿野郎だけど。 戻れよ、早いとこ。ぶん殴るから。 成功したから。 心配するな。 胸の内でそう呼びかけた。どこにいるのかわからない天羽へ−。 同じ午後。良介の小学校で。遙はクラスの母親達に取り囲まれていた。 授業中なので、担任は後から来ることになっている。 「ですからね。こんな状態だと授業が進まないんですよ。」 「いくら１年だからって、いいえ。１年だからこそ、大事じゃありませんか。」 「その原因が良介だっておっしゃるんですか？」 「・・・他に考えられないじゃないですか。」 先鋒にたっているのは、終業式に良介に怪我をさせられた子どもの母親達で、 つい感情的になるのは致し方ないのかも知れない。 「お言葉ですけど。では皆さんは、 良介がずっと仲間はずれにされていたことはご存じなんですか？」 母親達の間にザワッと声が走った。 「どう言うことでしょう？」 クラス役員で、まとめをしている母親が促す。 「私は−再婚です。今の夫はアメリカ人です。 彼は仕事柄、アメリカと日本を行き来することが多く、 あちらでの滞在が長引くことも当然あります。 でも良介のことはとても可愛がっていますし、良介も彼を信頼しています。 ですが、他のお子さん達から見ると、良介と彼は当然目も髪も肌の色も異なりますし、 血のつながりがないのは一目瞭然ですから。 あの子はずっと、『本当の父親でないこと』『本当の父親が誰なのか』、 そういうことでからかわれ続けてきてます。」 遙は視線を当の子どもたち、慎吾やつかさの母親達に向けながら、語り続けた。 どうやらまるで知らないわけでもないらしく、目を伏せてしまう。 「２学期の間中そうでした。あの子はストレスをかなり感じていました。 それはあの子に落ち度や過ちのあることではないのに。」 同意を示す母親もいる。 「良介はずっと悩みつづけて。先日の始業式の騒ぎはそれが爆発してしまったんです。 もちろん他のお子さんに怪我をさせることはいけないことです。 でもあの子は怪我をさせようとしたわけでなく、ただ、 自分の父親について言われ続けることに、耐えられなくなっただけなんです。 皆さんなら耐えられますか？」 天羽と話したあと。 家に戻った遙は、やっと自分自身と正直に向き合うことができた。 そう。あたしはジムを求めている。ジムを愛している。 こんな簡単なことを認められなかったのは、ただ怖かったからだ。 ずっと一人で頑張ってきたのに。二人で居ることの安らぎと満足を知ってしまって。 それを失うことがあまりにも恐ろしかった。 逆にそれで自分を見失っていたというのに。 誰だって怖い。誰だって。 そう言われて初めて、覚悟が持てた。 ちゃんとジムと話そう。良介はあんなにジムを求めている。私だって。 ジムの心は今、よく見えなくなっているけど。 でも話さなければ何もわからない。 始まらない。 その場でジムに連絡をとろうとしたが、なぜかつながらない携帯。 「ただいま電波の・・」何度かけてもメッセージが返るだけ。 仕方なくメールを送って置いたが、今朝になっても返事はないままで。 でもジムへの気持ちを認めてしまえば、自分に怖いものなどないと気づいた。 ジムと良介のためなら。 「あの子は、父親であるジムを守ることに決めたと私に言いました。 決して自分からケンカを仕掛けてはいません。 大事な人を守ろうとするあの子を、私は叱れません。」 遙は静かに言い切った。 母親達の中にきまずい沈黙が流れる。 単なる子ども同士のもめ事と踏んでいた親が多数で。 こんな反論は予想していなかったから。 「だ・・からって、このままってわけにも。」 慎吾の母親が、急に劣勢になった気がして無理に声を挙げようとした。 そこにガラッとドアが開いて、担任が入ってきた。まだ授業中のはずなのに。 何かあわてている。嫌な予感。 「先生？」 「何か？」 他の親たちもあわてる。 「い、いえ。あの。アンダーソンさん。」 「はい？」 又良介が？ 身構える遙に、担任から漏れた言葉は。 「ご主人がいらしてて。」 「・・・え？」 何を言われたのか、頭がついていかない。 「いえね。今ホームルームの時間で。 このところのもめ事について、子どもたちにもじっくり話し合わせようとしていたんです。 そうしたら急に、良介くんのお父様。ご主人が入っていらして。」 「・・・ジムが？」 アメリカにいるはずのジムが？ ここに？ 確かにメールで、今日のことは伝えてあったのだが。 昨日携帯がつながらなかったのは？ じゃあ飛行機だったの？ 「それでー。」 最後まで聞かずに、遙は良介の教室へと走り出した。 他の親たちもわたわたと後に続き。担任もあわてて追いかける。 １年１組は、静まり返っているようだ。 あまりの静けさにためらった遙は、教室の後ろ側のドアをそっと引き開けた。 「・・・そういうわけで、僕は良介のお母さんと結婚して、良介のお父さんになったんだ。」 そっとのぞきこんだ教室。 やっぱり静まり返った中、教壇の前に立っているのはジムで。 子どもたちに話しかけている。 「だからもちろん、僕と良介は血はつながっていないし。 僕はアメリカ人で、良介は日本人だから。見た目も全然違う。 でも僕は良介のお父さんになりたかった。僕は良介を自分の息子と呼びたかったんだ。 良介のことがとても好きだったからね。」 どの子どもも真剣に話に聞き入っている。 遙の後ろから、他の親たちも入ってきた。 「良介もそう言ってくれた。僕と家族になりたいって。 僕と良介は、父親として、こどもとして、お互いを選んだんだ。 そういう親子がいてもいいとは思わないかい？」 ジムの問いかけに、子どもたちは考え込む。親たちはただ聞いている。 「いろんなひとがいる。いろんな国がある。それからいろんな事情がある。 君たちはたぶん、ふつうにお父さん、お母さんが居て。 何の不思議もなく親子になってる。それがほとんどだとは思うけど。 でも、それ以外の形があっていけない理由があるかい？」 ジムの瞳は、子どもたちひとりひとりに向けられた。穏やかに。 やがて、慎吾が立ち上がった。 「おじさんは、良介がすごく、好きなんだ。」 「ああ、そうだよ。」 「だから、良介のお父さんになったんだ。」つかさも聞く。 「うん。」ジムが笑顔になる。とても誇らしそうに。 「僕、ずっと・・・良介のこと・・・ホントのお父さんじゃないだろって、言ってた。 よくわからないまま、言ってたけど。そういうのもあるんだね。・・・わかった。」 慎吾は良介に向き直った。 「良介、ごめん。もう言わないよ。」 「僕も。」つかさが続く。 「ごめん。」 良介は自分の席で黙ったままだったけど、ブルンブルンと首を振って答える。 それからジムを見上げると、不意にジムに向かって駆けだした。 「ジム！」 その首っ玉にかじりつく良介を、ジムはしゃがんで受け止めた。 そのまましがみついて、肩を震わせている良介。 ジムは抱きしめたまま、子どもたちに言った。 「いつも仲良くなんて言わない。ケンカもするだろう。 でも。僕のことを良介に悪く言うのはやめてくれるかい？ 君たちもお父さんやお母さんの悪口はイヤだろう？ 約束してくれ。」 「うん。言わない。」 「もう言わないよ。」 「約束ね。」 口々に叫ぶ彼ら。 「ありがとう。−−ほら、良介。」 良介は何度もこすった赤い眼をしながら、やっと前を向く。 ジムに肩を抱かれて皆に笑って見せた。 「ありがとう。」 二人を見つめながら。遙の眼からも涙がこぼれ落ちる。 一番大事な二人が。並んで微笑むのは胸に痛いほど幸せで。 子どもたちの後ろにやっと遙を見つけたジムは、 ゆっくりと机の間を通り抜けて、まっすぐ歩み寄った。 「・・・ジム・・。」 「遙。」 遙はとまどう。どうしよう。涙が止まらない。 突然慎吾が立ち上がると、悪戯っぽく言った。 「おじさん、おじさんは良介とおばさんと、どっちが好きなの？」 子どもの突拍子もない質問に、母親達が焦る。 「慎吾っ！」 だがジムは振り向くと、ためらいもせずに答えた。 「それは選べないなぁ。 良介は僕にとって、最高の息子で、遙は最高の奥さんだからね。 おじさんは贅沢者なんだよ。」 ニコッと笑ったと思うと、遙に向き直ってウィンクする。 「だろ？ 奥さん。」 そこでキスされてしまう。ワッと子どもたちが歓声を上げた。 「ジッ、ジムッ！」 まだ涙が残る顔を、真っ赤にする遙。 「きゃー、キスだ。キスしたー。」 「わー、すげえっ！」 「テレビみたいー。」 「おじさん、もっぺんやってーー。」 まるで動じずにジムが遙を抱きしめたから、一段と騒ぎが大きくなる。 目のやり場に困る母親達。静めるのに躍起になる担任。 叫びながら駆け回る子どもたち。 良介の声が一番大きい。 「僕のパパとママだよーー！」 でも。遙に聞こえたのは、耳元のジムの囁きだけだった。 「・・・I'm home・・・・遙。」 「・・・おかえりなさい・・。」 やっとこの腕に戻ってきた人。 ここが自分の帰る場所ーー。 |