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ＶＯＬ．９１ 「選択・Ⅱ」 日曜早朝。天羽がコーヒーを飲んでいると、ドアを開ける音が聞こえた。 おずおずと顔をのぞかせたのは。 「遙。」 「朝早くごめんなさい。・・・お願いがあるの。」 思いあまった表情。寝不足なのか眼が赤い。 「明日、一緒に良介の学校へ行ってくれない？」 突然の話に驚く天羽に、目を伏せて説明する。 「こないだの１件のあと、良介と相手の子どもたちのもめ事がとても多くなって。 ううん、今まで黙って来た良介が、はっきりその子達に対抗しだしたの。 ジムを守るって。 大抵は相手が挑発したり手を出してきたりで、 先生もいろいろ話し合ってくださったんだけど。」 遙の手はウロウロと唇のあたりをさまよう。 「ゆうべ、いつも良介と揉めてる子たちのお母さんから電話があって。 授業にならなくなりそうだからって、明日保護者で話し合いをもつって。 クラス崩壊になる前にって。それで両親そろって来て欲しいって。 でも。ジムがいないから。できたら－。」 天羽の眉が寄る。 「ジムには言ったのか？」 唇を噛みしめて首を振る。 「遙。」 「お願い。今ジムには言えないの。 第一、言ってもアメリカからじゃ間に合わないわ。これだけお願い。」 縋ってくる遙に天羽は一瞬考えた。でも。もう答えは出ていたから。 「俺は行けない。」 「天羽くん。」 「わかってるだろ。俺は、良介のパパじゃない。」 「あの子はあなたのー。」 「良介が待ってるのはジムだ。何のためにあいつは一人で闘ってる？」 「・・・それは。」 天羽は遙の顔を正面から見つめた。 「もうやめよう、遙。お互いに甘えるのは。」 遙が息を吸い込んだ。 「俺はずっとおまえに負い目があった。 一人で産んで育てさせてしまったことに。放って置いた良介にも。」 「それは私が。」 「俺に責任がないわけないだろ。」 「天羽くん。」 「親父ともめたから。良介にそういう思いはさせたくなかった。 どうしても幸せに育って欲しかった。」 天羽の眼が昔に翳る。 「だから、おまえと良介のことがどうしても気になって。ずっと気になって。 ジムと結婚したとき、安心できると思ったんだけどな。」 うつむく遙。 「土壇場で俺がいつも優先したのは。選択したのは良介とおまえだった。 一番大事なものを傷つけるのに気づこうとせずに。」 低くなる声。 「あいつはずっと何も言わなかった。黙って助けてくれて。包んでくれて。」 記憶の中であたるが言う。 『・・でも、わがまま言えないでしょう？ 良介くんがいるんだから。』 『良介くんが誰にも言えないときは聞いてあげられるように。』 『イブに小さい子が泣いてちゃ駄目だよ。』 「俺はそれに甘えたんだ。際限なく甘えて、忙しさにかまけて。 自分がホントに守らなきゃいけないものが見えなかった。最後まで。」 聞いていた遙は目を覆う。 自分がどれだけあたるを悩ませたのかわかっていた。なのに今も。 「おまえと良介への責任を取ってるつもりで。 また同じことを繰り返してる。今度はあいつに対して。 結局、人を傷つけることじゃなく、自分が傷つくことから逃げてただけだ。」 視線が射通すように遙に放たれる。 「俺はもう逃げるわけにはいかない。ーおまえもだ。」 「あたし・・・も？」 遙の体が震えた。 「ああ。わかってるだろ。お前が愛してるのは俺じゃない。ジムだ。」 うなだれる遙。 「怖いから。拒絶が怖いから。だから俺の所に来てるんだ。 それも甘えだ。良介のことで甘えられるのは俺だけだったから。」 天羽が遙をのぞき込む。 「でもそれも間違いだ。俺にじゃなく、ジムに言わなきゃいけなかったんだ。全部。」 遙の眼から涙が落ちる。 「二人とも間違ってたんだ。そうだろ？」 「・・・そうかもしれない。でももう遅いわ。 私はこれ以上、良介まで壊したくないの。お願い。今度だけお願い。」 言い募る遙に、しかし天羽は首を振った。 こんなにはっきりした拒絶は初めてだった。 「俺はずっと楽な選択しかしなかった。自分可愛さに。潮時だよ。遙。もうやめる。 俺に必要なのは、俺が選ぶのは、あいつだ。」 「天羽くん・・・。」 「おまえに必要なのがジムであるように。」 「でも・・・あたるさんは・・。」 天羽が足元のバッグに手を伸ばした。ハッと気づく。 「居場所、わかったの？」 「あってるかも知れないし、違ってるかも知れない。 でも行く。行ってつかまえる。必ず。逃がさない。」 昨日、小笠原への船便を確認した天羽はその後、 他のリーダーに連絡して頼み込んだ。 自分をプレゼンからはずすことと明日から１週間の休みをとること。 立場から言っても時期から言っても、無茶苦茶なのはわかっていた。 この土壇場で責任放棄と取られても仕方ない。 正気の沙汰かと聞かれたが、ためらわなかった。自分ぬきでもプレゼンはできる。 「おまえー、誰か親でも危篤なのか？」 なるほど。嘘も方便？ でもそれじゃ最低だろう。 それに。俺はあいつのために何もかけてやらなかったから。今まで。 「惚れた女をつかまえなきゃならないんだ。」 その台詞に絶句した仲間はどう思ったのか。 ４ヶ月で築いた信頼関係。 人を喰ったような天羽の台詞に滲んでいた、切羽詰まった真剣な想い。 ちょっとやそっとで物事を投げ出す奴じゃないとわかっていた。 「すまない。行かなきゃならないんだ。どうしても。」 そこまで言われたら止めようはない。 「わかった。」 結局彼らは、肯定も否定もしなかった。そのまま後のことは全て任せた。 直属の上司にも電話を入れた。 「バカ野郎っ、何言ってる！ 必ず来いっ！」 怒鳴られて切れた。当然だ。妙に冷静な自分がいた。 放り出す事への申し訳なさと悔しさは押し殺す。 俺がいなくてもプレゼンは成功する。 そこまでやったという自信はあった。どう言われようとも。 だから、安堵の方が大きかった。 荷物をみつめて、悲しげに遙が呟く。 「あたしは。あたしと良介は残されるんだ。」 「違うだろ。おまえはジムをつかまえなきゃ。」 遙は激しく首を振る。 「もう遅いの。ジムは－。」 「聞いてないだろ？ 一度もちゃんとぶつかってないだろ？」 「それは。」 「遙。大事なものを無くしたくなかったら、ちゃんとぶつからなきゃ駄目だ。 見栄とかプライドとか、そういうのはあとから拾える。 一番大事なものを無くしたら、そのあと何が残っててもしょうがないじゃないだろ？ 一人で良介を産んで育てられたおまえが、出来ないわけない。」 「怖いんだもの！ 駄目だったら？ もう愛されてなかったら？」 思いあまったように叫ぶ遙。 この不安をどうしたらいいのかわからないと言うように。 「－当たり前だろ。誰だって怖いさ。」 静かな天羽の言葉。 「見ろよ。」 差し出したその手を見て驚いた。小刻みに震え続けている。 「天羽くん・・？」 「あいつの居場所、思いついてからずっとこうだ。 止まらないんだぜ、この震え。・・・いなかったら？ いてももう駄目かも知れない。 考えて見ろよ。体も心も思いっきり傷つけたんだからな。」 声もなくその手をみつめる。みんな怖い。誰だって。 「怖いのは失いたくないからだ。平気だったら必要ないものだろ？」 「それでも行くのね。」 「行かなきゃ。このまま失うのはもっと怖い。それこそ恐ろしいよ。 また後悔して過ごすのはごめんだ。」 遙は天羽を見上げた。 「天羽くん、変わったね。なんだか強い。昔からこうだった？」 「いや。知ってるだろうに。俺は逃げてた。 平気な顔して、痛いところには触れまいとして。 ・・・あいつのお陰だよ。脆そうなのに、ぶちあたってくる。 いつもそうだったな。名前の通り。」 「あたる・・。」 「ああ、当たって来た。真正面からいつも。だから。」 顔を上げる天羽。 「今度は俺が追いかける。逃がさない。つかまえてみせる。」 天羽は遙に向かいあった。 「逃げるなよ。ちゃんとジムに伝えるんだ。良介のためにも。」 「・・・良介の？」 「良介はジムが。ジムとおまえが大好きなんだ。二人で良介を守ってくれ。頼む。」 「あたしに、できる？」 「できるさ。知らないのか、自分のこと。いい女なんだぜ、おまえは。」 天羽は遙にニヤッと笑った。 「俺が昔、惚れてたんだからな。」 「ふったくせに。」 「ふったのはそっちだろ。」 遙の顔が泣き笑いになった。天羽はもう一度だけ遙を抱きしめる。 「信じろよ。自分を。それからジムを。頑張れ。」 遙は悟る。 もうこの胸に甘えちゃいけないんだ－。 天羽はそっと腕をはずすと、バッグを担ぎ上げた。 「じゃな。」 good luck－。 お互い相手をつかまえられるように。自分の力で。 残された遙は、部屋を見回す。 ここに。 天羽がいて、あたるもいた。 さくらも来てた。カヲルものぞいた。伊倉もいたっけ。洋子も－。 みんな旅立っていった。みんな大事なものをつかまえに。 行かなきゃ。取り残されるのはイヤだ。 私もつかまえたい。大事なものを。大事な人を。 押し開くドア。 そして。 「ＨＡＴＣＨ」にはしばらく、誰もいなくなる。 その日の午後。「ＨＡＴＣＨ」の前に吉良が立っていた。 もちろんドアは閉まっていて、人の気配はない。 「・・・みつけたのかな。」 そう、多分あいつにはわかるんだろう。あたるの行く先。 あたるがいなくなった日。天羽の話を聞いて帰った後、さくらに電話した。 しないわけにもいかなかった。 たぶん、イライラしながら待ってたんだろう。出るなり怒鳴られた。 「なにやってるのよっ！ 遅いっ！！」 このやろ～。このまま切ってやろうか。 そう思ったものの、さくらの心配はよくわかるからぐっとこらえる。 「しょうがないだろ。俺だって遊んでたわけじゃねえよ。」 吉良の声に多少怒りがこもっていたせいだろう。さくらがしゅんとなる。 「ごめん。・・・ヒマじゃないのにね。」 「ヒマだよ、今日は。気にするな。」 「吉良くん。」 「あいつだけどさ。」 「あたる、いたの？」 なんて言おうか、ずっと迷っていた。 全部話す？ でも。それもためらわれて。なによりさくらが悲しむだろうし。 「試験、受かったんだ。聞いたろ？」 「うん。」 「それで旅行に行こうと思ったらしいぜ。がんばったご褒美ってやつ？」 「一人で？」 「彼氏あてにしてたらどこにもいけないじゃん。会社あるし。 ヒマになるのはいつなんだか。」 「それはそうだけど・・・。じゃあ、荷物は？」 「んーっと。」あ、それもあったな。ちょっとあわてる。 「アパートは前から引き払うつもりだったって。 今までもほとんど、居たのはあっちの家だったろ？」 「まあそうだけど。あっちからも荷物が。」 「試験に合格したから、いろんな意味で心機一転を考えてるらしい。 あんまり心配するなよ。気まぐれだろ。」 「なんで携帯つながらないの？」 「だから旅行なんだから。羽を伸ばすには邪魔なんだってさ。」 かなり苦しい言い訳。こんなんで納得しないよなと思ったが。 不思議なくらいさくらはすんなり受け取った。 「・・・やっぱり天羽さんとうまくいってないのかな。」 うっ。鋭いね、お前。 「んー、そうなのかな。」まあこのくらいはいいか。 「一人で考えたいんだね、たぶん。わかった。お父さん達にはうまく言っておく。」 ホッとした。 「頼むわ。」 「ごめんね、なんかものすごい迷惑かけてるね。」 「いいよ。俺も自分で首つっこんでるところがあるから。」 「ほんと、吉良くんいい奴だったのね。・・・彼女まだ？」 「切るぞ。」 「あ、あ、ごめん。・・・でもありがとう。助かった。」 「どういたしまして。もうちょっと楽しい連絡、今度はよこせよ。じゃあな。」 長く話してるとボロがでそうだから、それで切った。 しっかり頼むぜ。聞こえるわけもないけど、天羽に呼びかける。 さくらのためにも、ちゃんと連れ戻してもらわないとな。 「あーあ。俺も彼女作るかなぁ。」 本気の恋か。 さくらには、惚れかけたところでふられちまったし。めんどくさいと思ってたけど。 あれだけ振り回されるにしても、それはある意味幸せなことだと思えてくる。 あたるも。天羽も。さくらも。遙も。 見ているだけの自分が、一番つまらない奴かもしれない。 「とりあえず、やる気だな。」 吉良も自分だけのものを捜し始めている。 |