＜Home＜二次創作メニュー＜本編メニュー back＜ ＞next
|
ＶＯＬ．８５ 「壊れた願い」 悪露は続いていたし、打撲は治るはずもなかったけれど。 あたるが仕事を休んだのはあの日だけだった。 自分の部屋でも。翌日には戻ったカヲルの家でも。それから店でも。 突き動かされるように動いていた。 ジッとしている方が辛かったのだ。 一人でいるときまって思い出して、考えて。後悔するから。 体の痛みは返って救われる気すらした。 当然自分が受けるべきものとして。 幸い、天羽にも出くわさないし、遙からも仕事の連絡はこない。 −遙は。 ジムと別れるんだろうか。天羽さんを選ぶんだろうか。 でも良介は、ジムと３人での生活を切望していた。 あたるの脳裏から離れない、あの夜の二人。 心はごまかそうとする。決断を逃げようとするけど。 このまま胸に抱え続けることは、できそうになかった。 だからって伝えられない事実。怖くて。なら。 あたるに見える道は一つしかなかった。間違っていても。 やっと仕事が一段落したはずなのに。 プレゼンについて上から呼び出され、土曜日も出勤になってしまった天羽。 他のリーダー３人も同じく呼び出されたので、 打ち合わせがすんだあと自然に、４人だけでささやかな打ち上げとなった。 「なんとかなったなぁ。」 「おお。長かったな。」 「でもさ。４ヶ月ちょっとだろ。実はそんなに長くないんだよな。」 「中味の問題だよ。こんなに２４時間をフルに使った４ヶ月って、 これまでの人生で初めてだぜ。」 「それは言えるよな。」 ため息と満足感。ぼやきと喜び。４ヶ月を共にひっぱってきた４人だから。 お互いの結びつきは確固たるものとなっていた。 「あとはプレゼンかぁ。」 「ああ。これが締めだから。」 「ん。ものは良くても、説得力がなくっちゃな。」 「上は頭固い連中が多いから。」 「最後まできっちりやろうぜ。頑張ってくれたもんな、チーム全員。」 「もちろんさ。あとちょっとだ。」 「ここで投げ出すなんてバカなこと、するわけないだろ。」 「そりゃそうだ。４人そろって、ぴしっと決めようぜ。」 「ああ。」 楽しい酒だった。 こういう感覚は、バスケット時代以来かも知れないと天羽は思う。 ハードな４ヶ月でほとんど寝食を共にする羽目になったことが、 まるで学生時代のように、お互いを知る日々になったわけだった。 それでも。 天羽の心の底にたまっている苦み。 いくら飲んでも、いくら騒いでも。 忘れきれない痛みは厳然とそこにあって、目の前にいつも突きつけられる。 あたる−。 その名前から逃げようとして、今は思い出すまいとして、 しかしそんなこと出来るわけもなく。 気がついたら４人そろって、泊まり慣れたカプセルホテル。 苦笑した日曜の朝だった。 二日酔いから抜けきらない頭を抱えて。 ３人とおそいブランチをとって別れたあと、天羽はふらふらと店へ戻ってきた。 日曜の街はどこか寝坊な風情で、 それが自分とよく似合ってるなと笑ってしまう。 あたるがいるだろうか。 あの日以来逢ってない。 平日もたいして遅くならないのに、帰るとすでに姿はなかった。 昨日は出勤してそのまま潰れたし。 逢いたい。逢いたくない。 この数日。何度携帯を握っては、放り投げただろう。 こんなにウロウロと頼りない自分は初めてかも知れない。 とはいえ、帰り着いてしまった店の前。 いつものように品物が並んでいなかった。 休みか？ ドアを押すとしかし、開いている。そっと入っていく。 「あ・・・お帰り。」 奥の部屋で作業していたあたるが、こっちをむいて声をかけた。 何だ？ 店の中は机と言わず床と言わず、品物が所狭しと並べられている。 いつもは奥へしまいこんであるものまで出ているような。 訝しげにぐるっと見渡したあと、思わずあたるに聞く。 「何だよ。年明けだって言うのに大掃除か？」 その質問を予期していたのか、 あたるは動じることなく手元の作業を続けながら応える。 「ちょっとね。ひきとってそのままになってる物とかずいぶん増えたし。 わかりやすいように全部整理してるの。」 「なんで急に？」 ちょっと黙ってから言葉を継ぐ。 「こういうのってため込むと大変だけど、 ある日突然やりたくなったりしない？ それだけ。」 何かひっかかる。でも理由がわからずみつめる天羽。 やっぱり顔色はよくない。 集中しているようで、無理に天羽を見まいとしているようにも見える。 その腕にまだ残る包帯。 「仕事。プロジェクトはもう全部終わったの？」眼を上げずにあたるが問う。 「・・・いや。プレゼンがある。 それが仕上げっていうか、そこが肝心なんだけどな。 いくらいい物作っても、認めてもらわなきゃしょうがねえから。」 「いつ？」 「来週の月曜。」 「−そう。」 「それだけは何が何でも。みんなの努力の結果だ。 これをちゃんと示すのが、俺たちの責任だし。」 「うん。うまくいくといいね。」 あたるは仕事を続けていたけど、顔をあげて頷いた。 「今日はあいつ、来ないのか？」 「え？」 「・・・吉良。」 ビクッとしたように天羽の顔を見てから、首を振る。 「もともと臨時だから。吉良君、他にも仕事あるしね。」 言葉が続かない。 あの日のあたるの行動に、聞きたいことが山ほどあるはず。 だが、あたるの態度は最初から、それを拒否している。 だから、逆に問いかけた。 「おまえ。俺に言いたいことがあるんじゃないのか？」 あたるの手が止まった。 言いたいこと。心から離れない光景。 でも、今さらそれを問いただしてどうするんだろう。 あたしは遙さんにはかなわなかった。天羽さんのことも。子どものことも。 あたるの心に打ち込まれたそれは楔で、くい込んで行くだけ。 −−そうだ。話したいことはあった。今しか言えない、きっと。 「あのね。」 手を止めて振り返ったあたるが、 身構える天羽に言い出したのは、まるっきり違う話。 「こないだ、お正月に田舎へ帰ったとき。」 「え？ ・・・ああ。」 「父さんがね、言ったの。」 「何を。」 カヲルからの電話で、すっかり祝い事になった実家で。 上機嫌で飲んでいた父が、ちょっと酒をさまそうと庭へ下りた時、 あたるも一緒だった。 大して広くない庭だが、植物の好きな母だから。 とりまぜていろんな花やら木やらが季節を彩っている。 寒椿が重そうに花をもたげていた。 「ねえ父さん？」 「んー？」 「カヲル、嬉しそうだったね。おじさんにほめてもらって。」 「そうだな。カヲルの奴はよ、昔から勝っちゃんを追いかけてたからな。 また勝っちゃんが素直にほめねえしなあ。」 カカッと笑う父。 「父親と息子って特別かな、そういうの。」 「どうかな。男同士だからじゃねえか。」 「もしね。」 「なんだよ。」 「もし、血が繋がってなくて。」 「あん？」 「血の繋がらない親子がいたとしてよ。子どもはそのこと知らなくて。 で、その子どもに、『他人の方がましだ』って言われたら。 親はやっぱり悲しいかな。辛いかな。すごく。」 こいつは一体何の話をしてるんだ？という顔をしながら。 それでもなぜか「バカなこときくんじゃねえ」とは言わずに。 幸造は腕組みをして考えた。 「どうかな。人によって違うだろうけどさ。俺なら・・・嬉しいかもなぁ。」 幸造の返事はあまりにも意外で、あたるはびっくりする。 「な、なんで？ だって。」 「子どもは知らねえんだろ？ 血が繋がってないって。」 「うん。」 「それで『他人の方がましだ』って言うんだろ？」 「うん。だから−。」 「ってことはさ、血が繋がらないなんて夢にも思わずに 育ってきたってことだろ？ それまで。」 「・・・あ？・・」 「それでそれだけ本音を遠慮もなくぶつけてくるってのは、 普通の、ただの親子じゃねえか。 血が繋がってたってなかなか、そうやってぶつかってくることは難しいんだぜ。 だろ？」 聞かれてあたるは思い出す。 去年、じぶんが幸造にようやっと本音をぶつけたときの、嬉しそうな顔。 「考えようによっちゃ、血のつながりを一瞬たりとも疑わないくらい、 しっかり親子してきたってことじゃねえか。 俺なら喜ぶね。まあそのあと、ぶん殴るかもしれねえけど。」 父の言葉はあたるを温かく包む。 「なら。なら。ちょっとくらいは嬉しかったのかな。」 「だから。俺なら大喜びするって言ってんだろ。その後はともかくな。」 ニヤッと笑うと、又客の所へ戻っていく父を見て。あたるはどこか安堵した。 そして天羽に伝えたいと思ったのだ。 「親父さんが？」天羽の声が掠れる。 「うん。自分なら、大喜びするって。あとでぶん殴るって付け加えたけどね。」 父の口調を思い出して、あたるが笑う。 でもその笑顔は儚い。 「うちのお父さんとあなたのお父さんは違うから、同じ気持ちとは限らないけど。 だけど。」 今しか言えない。伝えておきたい。 少しでも、あの棘を抜きたい。 「良介君に逢ったでしょ？ ジムと暮らしたいって聞いて、怒った？」 「まさか。」 「幸せでいて欲しいでしょ。」 「・・・ああ。」苦しげな声。 「だったらわかるはずだよ。あなたのお父さんも同じだよ、きっと。 大事にされてたことは知ってるんでしょ。」 必死な目の色。 「あなただって親なんだからわかるよ。子どもの幸せを祈る気持ちは皆同じだよ。」 言いながら心が痛い。 あたしにはこんなこと言えないのに。 「わかるから。許せないんだろうけど、 そうやってずっとあなたが引きずってたら、お父さんだって辛いよ。 だって好きだったんでしょ？」 そう。好きだった。幼い自分と遊んでくれる。笑ってくれる。守ってくれる父。 やがて食い違ってしまったけど。 好きだったから、その望みを絶ってしまったことが辛かった。 こんな自分を。もう許してもいいのだろうか。 「すれ違ったのは辛いけど。 お父さんは知ってるよ、あなたの気持ち。だから。」 あたるの言葉を信じたい。でもそんな風に自分を許すことができなかった。まだ。 あまりにも長くその傷にさいなまれてきたのだ。 ずっと−。 「たやすく言うなよっ！」 つい口に出たのは。 「そんな簡単じゃないだろ？ 許すのも！ 許されるのも！」 ドン！ と机を力任せに拳で殴った拍子だった。 ガシャンとあたるのくじらが落ちた。 広げていた品物やノートで机の隅に追いやられていたのだ。 床の上に散らばる破片。しっぽが割れたくじら。あたるが顔を上げる。 「簡単だなんて思ってないよ。 許すのも許されるのも大変だって。難しいってわかってる。 でも、そこにずっと止まってるあなたを見て、お父さんが喜ぶとも思えないでしょ！」 「な・・！」 「いつまでも痛みから動こうとしないで、そこにいても誰も喜ばない！ わかっててそうしてるなら、それはただの甘えになっちゃうよ！」 思わず天羽の右手があがった。 ぶたれる？ だが天羽の振り上げた拳は冷蔵庫に叩きつけられる。 あたるの切ない視線に、逃げるように店を出ていってしまった。 その後ろ姿に無意識に伸ばした手は、宙をつかむだけで。 殴ってくれたらよかったのに。 ううん。それじゃただの自己満足だ。 天羽に言った言葉はそのまま自分に戻ってくる。ブーメランのように。 動き出さなくちゃ。甘えないで。−ひとりで。 こんな風にしかできない自分。 目を落とすと割れてしまったくじら。 「・・・一緒に見たかったな。」 しっぽのかけたくじらを胸に押し当てる。目を閉じて痛みをこらえて。 「・・・・ごめんね。」 消え入るようなつぶやきは、誰にも届かなかった。 |