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ＶＯＬ．７４ 「呼んでいても」 元旦に、二日酔いも手伝って父に感情をぶつけたあと、 なだめられてまた寝入った遙。 目が覚めたらすでに翌日も午後。 一瞬ガバッと起き上がり、しかし誰も起こしに来なかったことに気づく。 あたりまえだ。元旦から二日酔いで潰れている母親なんて。 砂を噛むような苦さは酒の残りもあるけど。 何でこんな事をしてるの。 どうして。 又滲む涙を押さえつけて、のろのろと起きあがる。 良介の部屋をノックしてみるが、答えはない。 カギは空いているから、父の処だろう。窓の外はすでに日が暮れ始める。 ジムに逢いたかった。渡米したきり、連絡をくれていない。大晦日も。新年も。 ジムの声を聞きたかった。できるなら安心したかった。 この不安を吹き飛ばすために。 ゆっくり階下へ下りた遙は、ジムの携帯を鳴らした。 それから思い出す。アメリカはまだ早朝？ 休日の朝早くまずかっただろうか。 その時つながった。 「ジム？」 「・・・ハルカ？」 その声に固まった。 「お・・・義父様」どうして。 「ジムはまだ休んでいる。 久しぶりの我が家でのニューイヤーで昨日は遅かったからな。 携帯をリビングに忘れていったようだ。」 その言葉は遙を刺す。楽しいニューイヤー。私と良介のいない。 「ハルカ。私の意志は変わらない。いい加減にあきらめてくれないか？」 「嫌です。私の意志も変わりません。」 崩れそうな気持ちを駆り立てられる。 嫌だ。こんな言葉を聞くためにかけたんじゃない。 「そうか？ だがジムにはそのつもりがあるんじゃないか？ あんた達を置いて帰ってきたんだから。」 「それはー。」 「この帰国は離婚へのステップだと私は思っている。」 胸に激しく何かをぶつけられたような衝撃に、遙はよろめいた。 言葉を紡げない唇。 「あんたも諦めて覚悟を決めて欲しいものだ。」 言いたいことだけ言って、切れてしまった電話。 リビングの窓際に寄りかかるようにして、遙はだらんと携帯をおろした。 離婚ー？ そのためのステップー？ ジムは。私と何も話さずに決めてしまうつもりなんだろうか。 私はもう、必要とされてないんだろうか。誰にも。 手から床に携帯を落としたのにも気づかず、遙はふらふらとリビングから出ていった。 しばらくして帰ってきた良介。祖父の処にいたのだ。 ２階へあがろうとして、リビングからの音に気づく。携帯？ のぞいてみると誰もいないそこで、見慣れた母の携帯が鳴っていた・ 忙しい母は良介が物心ついてから、携帯を持たずに動くことがない。 「ママ？」 良介の胸に広がる不安。 取り上げた携帯の着信は「ジム・Darling」。あわてて出てみる。 「遙？」 「ジム？」 「良介か？ ママは？」 「いないの。僕、おじいちゃんのところへ行ってて。戻ったらいなくて。」 「携帯、持っていかなかったのか？」 「リビングに落ちてたの。」 ギリっとジムが唇を噛む。 ニューイヤーのどさくさに巻き込まれ、 −父はここぞとばかりにジムを、後継者として紹介しようと画策していたから、 それを交わすのに精一杯で、遙に連絡できなくて。 起きたらすぐと思っていたら、リビングに置き忘れていたことに気づいた。 あわてて下りてみると、妙な光景。 自分の携帯を握りしめて、口の端を歪める父。 直感してもぎとって思わずその胸ぐらをつかむ。 「遙に何を言った？」 突如迫られてあせった父。その顔色が物語る。 ジムは手を離すと、 今だかつて父が聞いたことのない冷たい声で言い放った。 「父さん。僕にどうしてもー貴方と決別させる気なのかい？」 狼狽した父が言い訳を始める。 そんなのにかまわなければよかった。 ようやく父から逃れて携帯をかけ直した時にはすでにいない遙。一体何処へ。 「ジム。ねえママは・・？」 「ちょっと・・出かけただけだろう。 良介は淋しかったら、もう一度おじいちゃんのところへ行ってなさい。いいね。」 そう。遙は子どもじゃない。でも。 ジムの不安と疑心暗鬼は天羽へ向かっていた。 明日の早朝東京へ戻ることになったあたるは、荷物を片づけていた。 大したこともないのだが。 母が持たせてくれると言ったおせちが、一番大きな荷物になりそうだ。 車だから店の近くにつけてもらって、置いてから帰ろうかな。 天羽さんはいない確率の方が高いし。 「あたる？」 さくらの声がして、障子があく。 「何？」 「ちょっといい？」 「うん。」 スッと体を入れてくる。なんだろう。 「頼みがあるんだけど。」 「頼み？」 「これをね。返してきて欲しいの。」 さくらが差し出したのは小さな指輪だった。 指輪と言ってもこれは・・・おもちゃ？ 青いガラス玉がキラキラするけど。 「返すって？」 「伊倉に。」 予想はしていた名前。 「これ、どうしたの？」 「夏のお祭りの時、もらったの。」 もう随分昔に思えるあの夏祭り。浴衣に帯にくじらの風船。 あの時のさくらはすでに、伊倉と別れたつもりだった。 「あいつがくれた最初で最後のプレゼント・・・なの。」 「そうなの？」 「あいつ、物は贈るのも贈られるのも好きじゃなかったから。」 そう。なんでかわからないけど、そういうことはしたがらなかった。 「でもさ。それならすごくあんたには大事なんじゃない？」 「・・・うん。大事だったから、帰る前には返せなかったんだけどね。」 見つめる指輪。小さすぎて指にはとても入らない。 「でもやっぱり、持ってるといつまでも残っちゃうから。」 そう言って気づいた。 残るから。 そうか。だからあいつは好きじゃなかったのかな。贈るのも贈られるのも。 軽く軽くしかふれあおうとしなかったから。だったら。 「・・・返されても困るかなあ、あっちも。」 迷うようにつぶやく。 「捨てたら？」 「捨て・・・られないんだもん。」 気の強いさくらの、滅多に見せない気の弱い顔。 年相応の子どもの顔。 「海に投げようとか、ゴミに出しちゃえとか。いろいろやったんだけど。 やろうとしたんだけど。できないんだもん。」 うつむいてしまう。 切なさが伝わってくる。ああ、気持ちを切るのは難しいよね。 あたるはさくらのために決心した。 「わかった。じゃあ、あたしが捨てる。それでいい？」 のぞきこむように問われて、さくらは頷いた。 「この近くじゃ、あんた捜しに行きかねないから。 東京で捨てるよ。まさか夢の島までは行かないでしょ？」 「・・・行かないもん。」 泣くような笑うような声と笑み。 「あとで文句言わないでよね。捨てちゃったら拾えないんだから。」 「うん。」 固く決意を込めて頷くさくらを抱きしめてやる。 「人のことは散々言いたい放題のくせに、自分のことだとなによ。」 「うるさいわね。ちょっと・・・未練なだけよ。」 「未練はちゃんと捨てなきゃね。」 「・・・声がね。」 「ん？」 「伊倉の声が聞こえるの。時々。」 「さくら。」 「バカだよね。そんなのあるわけないのに。」 自嘲的に笑顔を歪めて。 「お願いね、あたる。ごめん。ーありがと。」 それだけ言うと、部屋から出ていった。残されたのは青い、ガラスの指輪。 「もう一辺くらい、お節介してもいいよね。」 あたるのつぶやきをその青いガラスが弾いた。 深夜１２時過ぎ。 天羽は店に戻ろうと駅へ下りた。 イブ明け以来、会社と近くのカプセルホテルに貼り付きっぱなしの日々。 さすがに年明けなので、交代ではあるが、 チーム全員を着替えをとりがてら、家へ顔を見せられるようにと配慮した。 今日は自分の番だった。 誰がいるわけではないが気分転換になる。戻った方が眠りやすいし。 通り抜けようとした商店街。 正月２日目じゃ大抵の店はまだ閉まっている。そんな中で揉めている数人。 ケンカかな。 関わるまいと思ったとき、聞こえた声。 「放してっ！」 え？ 遙？ 驚いて振り返ると３，４人に絡まれているのは、確かに遙だった。 相手はかなり酔っている。考える間もなく走った。 「遙っ。」 「・・・天羽くん？」 「なんだよ、おまえ。」 「悪い。知り合いなんだ。やめてくれるか？」 「なんだよ。寂しそうだからさ。遊んでやろうって言ったのによ。」 「嘘よっ。無理にひっぱったのはそっちでしょっ。」 ギョッとする。 遙らしくもない言動。こいつも酔ってるのか？ 「なにぃ？」 「ちょ、ちょっと。ほんと悪い。勘弁な。 正月早々じゃお互い嫌だろ。」 もっともな天羽の台詞だし、相手の方がまだ理性があった。 「ちっ。女の酔っぱらいはなー。」 捨てぜりふと共に立ち去っていく。 「何ですって？」 「バカ！ いいかげんにしろっ！」 天羽に怒鳴られてビクッとする。 「おまえ、正月早々こんなところで何やってんだ！ 良介は！？」 見上げた視線は力無く落ちて。 唇を噛んでうつむくと肩が震える。 「遙？」 また何かあったのか。こっちも寝不足の頭でどうしようもない。 「とにかく。店まで戻ろう。」 いつまでもこんなところじゃしょうがないし、第一寒い。 「おまえ、なんでそんな格好なんだよ。」 コートも上着も着ていない。 しょうがなく自分のコートを掛けてやって、店まで戻った。 奥のソファに座らせておいて、着替えるとコーヒーを入れてきた。 眠気覚ましだ。遙にカップを渡してやる。 「どうしたんだよ。おまえがこんなところで酔ってたら、良介はどうする。 ジムもいないんだろ。」 カップを握りしめている遙が細くつぶやく。 「いらないのよ。私は。」 「ん？」 「良介にもジムにも。私はいらないんだわ。」 「何言ってんだ。」 「良介とはもう、何日もまともに話もしていないのよ。話そうとしても駄目なの。 部屋にこもるか父のところで。大晦日も私はひとりぼっち。・・・酔いつぶれたのよ。」 天羽が眉をひそめる。 遙が酔いつぶれる？ 見たことがなかった。 「ジムだって。渡米してから一度も連絡をくれなくて。今日かけたの、携帯に。 そしたら。」 遙の唇が震える。 「お父様が出て。・・・今度の帰国は離婚へのステップだって。」 滲む涙。 「もう何もわからない。ジムは信じろって言ったけどー。」 ため息が出る天羽。怒りすら覚える。 ジムの父はどこまで遙を追いつめる気なんだろう。 ジムは一体どうしてるんだ？ 彼が遙を愛しているのは確かだと思ったのに。 「何がいけないのかしら。私。どうすればいいの。ほんとに。どうすれば。」 カップを置いて、遙は腕に顔を埋めてしまう。 ジムの父の言葉にふらふらと外へ出て。気づくとこの街の駅だった。 でも。天羽は忙しいはずだ。 何よりこれ以上彼に頼ることに、遙だってためらいはあった。 イブの後。仕事で何度かあたると顔を合わせている。 でもどちらも、イブのことは一言も言わず。用件だけの会話を繰り返した。 あたるに負い目があった。 イブを楽しみにしていたのを知ってる。ろくに逢えてなかったのも。 自分がそれを邪魔したことも。 でも。なのに。あたるの目には非難も怒りもなくて、ただ哀しげで。 それが不思議だった。 憎まれてすらあたりまえの気がするのに。何故かそんな色もなく。 それが余計に遙を辛くさせた。 自分だけならまだしも、まわりを巻き込んでいることに。 だから。頼っちゃいけないと思うのに。他に頼る人はいない。 店に行きたくて。行けなくて。 まだろくに人気のない商店街をうろついた挙げ句、すれ違った酔っぱらいに絡まれて。 結局この人に助けてもらっている私。 どうしてこんな風になったんだろう。前はなんでも一人でできたはず。 こんな情けない女だから。涙がまた落ちる。 「・・・だから？」 「ん？」 「こんなだから、ジムにも嫌われるのかしら。」 「遙。ジムがおまえを嫌うはずがないだろう？」 「じゃあ何故私を置いていくの？ どうしてここにいないの？」 「ジムも考えてるんだよ。」 「何を？ どう？ 私との離婚を？ 離婚届を取りに行ってるっていうの？」 「遙！」天羽が遙の両腕をつかむ。 「しっかりしろよ。今お前がそんな状態だったら、良介はどうなる？」 良介。そう、良介。 これまでどんなときも、その名前が遙の生命線だった。 何よりも大事な存在。自分自身よりも。 そう思うから、どんなに辛くても頑張ってこられた。 あの子を守るのが私の誓いだ。何があっても。必死で唇を噛みしめる。 もし。 ジムがいなくなっても。 良介を守るために、私はしっかりしなくちゃいけない。 ううん。信じなきゃ。ジムを。 「・・戻ってくるわよね。ジムは。」 「信じろよ。」 「うん。」 うつむいて涙をこらえる姿に思い出す。 昔、こんな遙を見た。あれは。二人での最後の別れ話。 やっぱり遙は涙をこらえて。唇を噛みしめていた。 俺の前で、本当に崩れたことはないよな。いつも最後は強い。 「少し、眠れよ。」 遙は素直にソファに横になると、吸い込まれるように目を閉じた。 ジムの声が無性に聞きたい。自分を呼んで欲しかった。 夢にでも。 それを見届けた天羽はホッとため息をつく。 遙がこんな状態じゃ、良介はどうなっているんだろう。 だからって今は真夜中。ああ、良介に連絡をいれてやるべきだっただろうか。 でも。遙が落ち着くのがまず先だったし。 疲れた。眠りたい。 天羽は毛布をかぶると、床に転がった。 彼も又束の間の休息だった。夜明けまでわずかの。 |