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ＶＯＬ．７０ 「挑戦の先」 スポットライトが眩しい。 モデルたちがターンするたびに、その髪が光を弾く。 その動きに間違いがないことを祈りつつ、 次の出を待つモデルのメイクと衣装を最終チェックする。 ほぉっと歓声が聞こえるたびに、喜びよりも不安が大きくなるのは、 初めての経験ばかりのカヲルには無理ないのかも知れない。 トラブルが起きてもあたりまえ。いや、起きるに違いない。 極度の緊張感の中、いざという場合を想定して、 カヲルの心の糸は張りっぱなしだった。だが不思議なほどトラブルはない。 ラストステージ。 洋子に教えてもらった店でそろえることのできた、パステルカラーの花の雨の中。 カヲルは初めての自分のショーの舞台に呼ばれた。 デザイナーとして。 たとえそれがコンペであり、観客は関係者のみで、 勝ち負けがかかる物であっても、その感動が１ｇと減るわけもなかった。 自分の全てを出し切ったから。この先の未来は運に委ねるしかない。 それ故にカヲルは笑顔であり、瞳は微かに潤んだ。 この３ヶ月の苦労全てがここにあった。 コンペ参加者、３人のステージは各４０分。 ２時間のスタンバイをはさんで続けられ、関係者はそれぞれを詳細にチェックし、 終了後即検討に入っていた。むろん楢崎を筆頭に。 結果は翌日の午後、伝えられる予定だった。 「カヲル、よかったよ。」 スタッフが口々に称賛してくれ、握手を求められる。 「ありがとう。みんなのおかげだ。」 握りしめる手。手。手。 デザイナーとしてもプランナーとしても、 まるっきり素人の自分がここまでこられたのは、 全て補佐し協力してくれた彼ら一人一人のおかげだった。 「他２人のは見てないからわからないけど、君の作品は立派にプロとして通用する。 結果はどうあれ自信を持っていいよ。」 「ありがとう。みんなのそう言ってもらえるのが一番嬉しい。ほんとに感謝してる。」 一人一人を抱きしめて。カヲルのコンペは終了した。 後かたづけを済ませて会社を出ると１０時過ぎ。 ショーなら打ち上げとなるところだがこれはコンペだ。 明日の結果が出なければ祝いにもならない。 皆それを知っているから、とにかく休めといってくれた。カヲルは携帯を鳴らした。 「はい。」 「洋子さん？」 「相沢くん？ 終わった？」 「ああ。終わった。」 言った途端、その場に座り込んでしまった自分に驚いた。 「はあー・・。疲れた。」 「あ、相沢くん？ 大丈夫？」 「大丈夫。洋子さんの声で力ぬけただけ。」 「・・お疲れさま。満足できた？」 「ああ。」短いその言葉に満足と自信。 「来る？」 「いいかな？ ひろみの顔、見たくてさ。」 「もちろん。」 マウンテンバイクをすっとばして、洋子のアパートにつける。 産後一週間。洋子も赤ん坊も至極元気で落ち着いている。 「ごめんな。こんな時間。」 「ううん。入って。」迎え入れてくれた洋子の顔色もいい。 ベビーベッドの赤ん坊はクークー眠っている。 又顔が変わったような。そっと抱き上げるカヲル。いくらでも見ていられる。 「おなかが一杯だから、起きないと思うわよ。」 笑いながら洋子は冷蔵庫を開けると、缶ビールを取り出す。 「あたしはまだ飲めないけど。はい。」 「サンキュ。」 膝の上に赤ん坊をおろして、開けた缶ビールをグイッと飲み干す。 「うまい〜。」 「ふふっ、おいしいわよね。」 洋子が微笑む。 「明日の今頃はしょげてるかもしれないんだけどさ。」 こればかりはほんとにわからない。 他の二人の作品を目にしていないから。判断しようがないのだ。 劣っていたのか、優れていたのか。でも。 「これで落ちてもあきらめがつくよ。やれることは全部やったし。 スタッフも満足してくれた。」 「そう・・・。晩ご飯食べてないんでしょ。軽く作るから待ってて。」 洋子は立ち上がった。膝の上のひろみをみつめるカヲル。 「なんかさ、ぷくぷくしてきたな、こいつ。」 「よく飲んでくれるから。一杯飲んで一杯眠る、いい子よ。」 「そっか。おりこうなんだな、おまえ。」 マシュマロのような頬をちょんとつつく。いくらみても見飽きることのない我が子だ。 「おまちどぉ・・・あら。」 膝の上の赤ん坊をのせたまま、カヲルはソファにもたれて眠り込んでいた。 幸せそうに。 「疲れたのね。頑張ったんだから。」 赤ん坊をそっとベビーベッドに移す。 「相沢くん？ 横になるならあっちの方がいいわよ。」 そっと声をかける。 「んー・・。」 もう起きあがる力はなさそうだ。仕方なくその体をソファに横にしてやる。 毛布をつつみこむように掛けて、その髪をなぜてやると、 ふいに手が伸びて洋子の首筋をとらえた。 「あ・・・？」 柔らかなキスを数度繰り返して、胸に抱きしめる。 「・・・お疲れさま。」 「んー。疲れたー。でもよか・・った・・。」 またストンと眠り込んでしまった。 フッと微笑んだ洋子は、しばらくその胸でカヲルの確かな鼓動を聞いていた。 翌日の午後。カヲルは社の会議室にいた。 この３ヶ月、幾度となく訪れたこの場所で、宣告は下される。 カヲルの他にもコンペを受けたデザイナーがふたり、共に緊張の面もちで待っていた。 カチャ。 ドアが開いて入ってきたのは楢崎。 他に企画部が数名。 ３人の向かい側にそろって座った。 楢崎がゆっくりと３人を見渡す。その視線と合ったとき、 何故かカヲルは結果が分かった。 「３人とも３ヶ月、頑張ってくれた。 それぞれ非常にレベルの高い出来だったことは、我々としても満足だ。 感謝するよ。だが。選ばれるのは一人だ。 マーチン・ベリー。 我々は君にこのプロジェクトを託すことを決定した。」 その瞬間も。カヲルの口元に浮かんだのは笑顔だった。 ピンポーン。鳴ったドアホンに洋子が急いだ。 確信していたから確かめることもなくドアを開けた。 そこにいたカヲルの表情でわかった。 「・・・駄目だった？」 「うん。残念ながら。」 でもカヲルの顔は清々しく、慰めなんていってはいけない気がした。 洋子がキッチンでコーヒーを入れている間、カヲルは窓から眺めていた。 もう見慣れたはずのニューヨークの夜景。 でもいつも新鮮な風景。自分がここにいるのが信じられなくなる。 「相沢くん？」 振り返ると、洋子が少し心配そうな顔でコーヒーを手にしている。 「ああ。」 ソファに座ってカップを受け取る。 「楢崎さんはなんて？」 「いや。結果を聞いただけ。レベルは高かったって言ってた。」 「そうー。」 「前にさ。」 「え？」 「子どもが産まれたら、話があるって言ったじゃん。」 「ええ。」 「引き延ばしちゃったけど、ちゃんと話そうと思って。」 「なに？」 カヲルは洋子にまっすぐ向かい合うと、その瞳をみつめてはっきり言った。 「俺と、結婚してくれないかな。」 洋子が目を見開いた。沈黙がしばし。 「ごめん。コンペに受かったならともかく、落ちたんだから。 職なしのこの状態じゃあんまりなんだけど。 子どもが産まれたらちゃんとプロポーズしようって決めてたから。どうしても。」 「相沢くんー。」 「楢崎さんが、こっちへ来てずっとプロポーズしてるってのは聞いてる。 断り続けてるってのも。」 洋子がうつむく。 「でもそれは関係なくて。俺は子どもが無事に産まれたら言おうって決めてたんだ。」 カヲルの声は静かだ。 「ごくふつうに。できるなら好きな人と、その子どもと。一緒に暮らしたい。 家庭を作りたいって思ってるだけなんだ。」 カヲルの声は、コーヒーに落とされたミルクのように。 溶けて螺旋に沈んで、洋子に届く。その気持ちがうれしくないわけはなかった。 「・・・ありがとう。」 洋子はカヲルを改めてみつめる。 「私はね。あなたに会えてほんと、幸運だったって思ってる。 いろんなものをもらって。ひろみはもちろんだけど、それだけじゃない。たくさん。 あたしはあなたのおかげで、自分を好きになれて。一人でたてるようになれた。」 「洋子さん。」 「だから。やっと立ったところだから。今度は歩きたいのよ。一人で。」 その言葉もカヲルは予想していたのだろうか。変わらない表情。 「ひろみを守って一人で歩きたいの。ずっと夢だったことを。 我が儘なの。わかってる。ひろみにとってもあなたがいる生活が自然なのよ。 わかってるけど。・・・ごめんなさい。」 洋子が言葉を捜す。 「以前とは違うの。あなたを疑ってるわけじゃない。信じないわけじゃない。 これはあたしの我が儘なの。」 「・・・我が儘だよな。」 カヲルが繰り返す。洋子の瞳が哀しげに曇る。 「でもさ。俺が好きになったとき、洋子さんはもう我が儘だったから。」 「相沢くん。」 「たぶん。そう言うだろうって気はしてたんだ。でもどうしても言いたかったから。」 その答えに洋子の瞳は初めて潤んで、目を伏せた。 「ごめんね。ごめん。」 その肩を抱き寄せて。胸に閉じこめて。 「気が変わること、あるかな？」 「・・・あてにしないで。待ったりしないで。」 「ん。でも。俺の気が変わらないうちは、又言うかもよ。」 「・・馬鹿ね。」 「ひろみは俺の娘だから。」 「わかってる。会いに来てね。いつでも。」 「ああ。」 「・・・これからどうするの？」 「んー。まだわからない。ちょっと考えるよ。３ヶ月突っ走ったから。まだね。 ニューイヤーは一緒にいてもいいかな？」 カヲルのささやかな願い。 「う・・ん。」 うなづいた洋子の額に口づけて。もう一度抱きしめた。 翌日。 洋子の部屋で久しぶりに眠りを貪っていたカヲルは、昼も遅くなってから起こされた。 「電話よ。楢崎さんから。」 「・・・楢崎さん？」 何だろう。まだ何か残ってたっけ。いぶかしみながら電話に出る。 「相沢くんか？ 急いで社まで来てくれるかい。」 「はい？」 「話は来てからだ。」 それで切れてしまった。何？ 社へ着いたカヲルは、再び昨日と同じ部屋へ通される。 そこにいたのは楢崎。それからカヲルと共にこの３月仕事をしてくれたスタッフ。 「すまないな。急に。」 「いえ。何でしょう。」 「実はね。」 楢崎がスタッフを振り返ってから話し始める。 「我々は昨日の決定を下すのに随分迷ってね。 君とマーチンの作品は我々の中でも支持を２分した。 技術的にはむろん、経験の勝るマーチンに分があったのだが、 君の若さと勢いは彼を凌駕する点も多かった。」 頷くスタッフ。 「最終的に下した決断は、この企画が総合力を必要とすることだ。 君の作品は勢いのある反面バランスに欠けた。」 言われてみればそうだろう。なにしろニューヨークに在してまだ３ヶ月。 デザイナーとしての経験は皆無の自分なのだ。 「だが逆に。」 楢崎が言葉を継いだ。 「揉めたということは、君の作品を押す人間も少なからずということなんだ。」 言葉の意図がわからずポカンとするカヲルに、楢崎が正面を向いた。 「これは別企画だから規模はぐっと小さくなるが。 君の作品を出してみないか？ ここで。」 え？ 心臓がどくんと跳ね上がった。 出す。 俺の作品を。 ニューヨークで？ カヲルの挑戦は、砕け散ったかけらを踏み越えて、 さらなるステップへ踏み出していた。 |