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ＶＯＬ．６９ 「イブの夜・Ⅴ －何故－」 クリスマス早朝。 まだ暗い冬の道をあたるが家に辿る。ゆっくり。一人で。 告げる前に言えなくなった秘密を抱えて。 言わなきゃいけないのに言えなかった。それは弱さ。 思いがけず聞くことになった天羽の傷。 今なお生々しく口を開けているその痛み。 夕べの天羽に対しては、伝える勇気も、覚悟もなかったのだ。 告げて。 その目が驚きとあせりになるのも。 必死で受け入れようとするのも。どちらも見たくなかった。 崩れるように眠り込んでしまった天羽。 その体に毛布をかけてやって。でもあたるは一睡もできなかった。 眠らなきゃ体に響くとわかってても。 そばにいたくて。でも辛くて。黙って帰ってきてしまった。 ユラユラと揺れる体。 寝ていないのに眠いどころか、頭は刃渡りをする人のように冴えている。 言えなかった秘密。だからって逃げられない現実。 どうすればいいんだろう。 「さくらのねーちゃん。」 ギクッとして顔をあげた。目の前に吉良がいた。 モデル仲間と久しぶりにどんちゃんと底抜けに騒いで。 途中酔いつぶれたりもして。明け方やっと解散してきた帰り道。 歩いていく小柄な姿をみつける。あたるだ。 ふーん、朝帰りか。 いいイブだったのかな。 ちょっとからかってやるつもりで、軽く声をかけたのに。 あげた顔に驚いた。赤い寝不足の瞳。泣いた後がある。暗い表情。 おまけに吉良を見て、焦った顔。かばった腹。こいつー。 ひらめいた勘を確信して、まっすぐ歩み寄る。 「話さなかったのか？ 子供のこと。」 サッと顔色が変わってうつむく。あたりか。 「なんで？ 話すっていったろ？」 つい大きくなる声。 「黙っててどうなるんだよ！」 うつむいたままのあたるがぽつりという。 「言えなかったの。」 「だからなんで？」 「・・・良介君が来て。 遙さんとジムのケンカを仲裁に行ったの。天羽さん。」 「はあ？ なんであいつはイブの夜にあんたほっぽって、 よその夫婦の仲裁に行くんだよ？」 説明出来ない。疲れすぎていたし、あまりにも複雑なのだ。 それにこれは言い訳。言えなかったのは。 「あたしに・・・足りなかったの。勇気も覚悟も。」 あげた瞳があまりにも哀しい色で、吉良も黙った。 「勇気」と「覚悟」。 勇気はわかる。 でも覚悟って、一体？ 「・・・どうするんだよ。おろす気なのか？」 とりつくろったってしょうがない。わざと口にしたきつい言い方。 現実を突きつけることも必要だ。 あたるはでも、きっぱりと首を振った。その態度に安堵したけど不安も増す。 「俺が言ってやろうか？」 こんなおせっかいな自分なんて信じられねえな。でも乗りかかった船だ。 何より気がかりで仕方ない。 あたるはその言葉に目を丸くした。 吉良の優しさとその向こうのさくらの気遣い。 「ううん。自分で言う。言うけど。」 黙って考え込んで。 「・・・発表がすむまで待ってくれる？」 「発表？ 試験の？ いつだよ。」 「年明けてすぐ。」 「そんなことしてるうちに、赤ん坊は大きくなるんだぜ。わかってんのか？」 その台詞も心配してくれるから。 「うん。絶対産むから。それは大丈夫。」 あたるの目の色がきつくなったが、顔色はさらに青くなった。 そこで吉良は話を打ち切る。 「あんた、寝てないんだろ？ とにかくさっさと帰って暖まって寝ろよ。 いくらあんたに産む気があったって、 無茶したら産めないかもしれないんだぜ。」 ギクッとする。そう。自分で注意することなのに。 「う・・・ん。」うなだれる。 「年明けだな。受かっても、落ちてもだぞ。 過ぎたら俺が強引にしゃべるから、あいつに。」 あたるが頷いたので、吉良はその肩をつかんで家の方向へ促した。 「さっさと帰れ。」 「・・ありがとう。」 それだけ言ってトボトボと帰っていく後ろ姿。 頼まれたけど、さくらに。でもそれだけじゃない。 微妙に疼くものもあるかもしれない。 なんでああ、頑張っちゃうかな。あの姉ちゃんは。 さっさと呼べばいい。叫べばいいのに。助けてくれって。それが苛立たしい。 細くて折れそうで。その実強い。 柳のようなその強さが惹かれるところでもあるのだ。 でもなぁ。ハッとため息。ほんとに大丈夫かな、あんなんで。 年明けまで。 不安が広がる理由は十分にあった。 飲んだ量がたいしたことなかったからか、天羽はいつもの時間に目を開けた。 寝不足でもそう言う習性がついている。この３，４ヶ月。 でもさすがに頭は重い。なんでだっけ。 おきあがって服のままの自分に気づく。 どさりと落ちてくる夕べの記憶。－あたるがいない。 携帯は７時にもう少し。立ち上がって、机にメモをみつける。 「帰ります。７時頃に起こすから。」 ため息と共にもういちどソファにひっくり返った。自己嫌悪の嵐。 なんてイブだったんだ。 あたるが望んで、淋しい思いをさせたくなくて作った時間のはずが。 良介のことも遙のことも中途半端のまま。 あたるとはろくに話もできずに、自分の過去だけぶつけて。 あげくに潰れたのか。俺は。 やりきれない。 携帯が鳴った。あわててつかむ。 「あたる？」 「・・・起きてたんだ、すごいね。」 声が疲れ切っているのはどちらも同じで。 「仕事、行くんでしょ？ 大丈夫？」 「ああ。あたるーごめん。」なんだかゆうべからあやまってばかりだ。 「仕方ないよ。クリスマスは・・・又来るよ。ね。」 そう笑おうとしてかすれた声。ふいに思い出した天羽。 「おまえ、俺になんか話があったんじゃ？」 ぐっと迷う。今言ってしまえば。顔を見ない方が言いやすいかも。 でも。やっぱり違うと思う。 受け止めなくちゃならない。辛くても。ちゃんと覚悟を決めて。 「うん。でも今度。年があけてから。」 「いいのか？」 「ん。仕事、頑張って。でも体気をつけてね。」 「ああ・・。正月がヤマになるよ。」 「あたし、お正月は多分、田舎へ戻るから。」 「そうだな。その方が寂しくないだろ。」 寂しいよ。あなたがいないんだから。それは言えない言葉。 言えないことと。 言わないことと。 『親なんてなるもんじゃない。』 『育てるなんてできそうにない。』 『良介一人でオタオタだ。』 胸の中で繰り返し響く苦い言葉が、あたるの口を封じて。 ただ覚悟を迫られる気がしていた。何の？ 吉良はあたるに逢った日の夜、さくらに電話をかけてみた。 帰郷してから初めてだ。 「はい。吉良君？」 「よう。久しぶり。」 「うん、元気？」 「ああ。田舎のクリスマスはどうだ？」 「クリスマスどころじゃないわよ。 とうさんたらあたしに、包丁さばきのテストやらすんだよ？ 何が楽しくてイブに、鰯おろさなきゃならないんだか。」 ブツブツ言ってるけど、結構楽しそうなのがわかる。 「なんだ、楽しいんじゃん。やっぱおやじさんが好きなのな。」 「やめてよね。で、どうかしたの？」 「んー。ちょっと聞きたくてさ。姉ちゃんに関係するんだけど。」 「あたる？」 さくらの声が変わる。 「どうかしたの？ クリスマス、一緒じゃなかったのかな。」 「一緒だったらしいんだけど－。 天羽さんってさ、あの遙さんと昔何かあったのか？」 「やっぱりなにかあったんだ。」 さくらが口ごもる。 「はっきり聞いてないんだけどさ。なんかー。 良介君が来て、遙さんとジムのケンカの仲裁に行ったとかなんとか。 でもさあ、普通行かねえだろ？ イブによその夫婦喧嘩の仲裁。」 「なんなのよ、それ！」 さくらが叫んだ。 「何？ 天羽さん行っちゃったの？」 「らしいぜ。戻ってきたのかしらねえけど。」 「・・・呆れた。なにやってんの、天羽さんも。」電話の向こうでイライラしている。 「何でそこまでやるんだ？」 吉良にしてみるともっともな疑問だろう。 「・・・遙さんって、天羽さんの昔の彼女なのよね。」ボソッと小声。 「へ？」 「結構長くつきあってたらしいの。でもって・・・多分、良介君の父親って・・。」 そこでやめたさくらの言葉の続きは、吉良にも察せられた。 心中舌打ちする思い。なんだよそれ。 知らないからしょうがないけど。でも。 今の彼女が妊娠してるってのに、 再婚してる前の彼女と息子の心配してる場合じゃないだろ？ 男としてはそりゃあ、気持ちはわからなくもないけど。 でもそんなの見てるあたるの身になると。 だから言えなかったのかー。 ほんとお人好しだなー、あの馬鹿ねーちゃん。 実際はその先でとどめがあったにしろ、当たらずとも遠からずの吉良の推測。 今朝のあたるの顔が目に浮かんでくる。 だからって黙ってても、解決する訳じゃないだろうが。 「で？ あたるめげてた？」 「当然だろ。強がってるけどな。」 約束したから、妊娠のことはまだ言わない。 「しょうがないよね、天羽さんまで。そのうちあたるだって愛想つかすわよ。」 「ほんとだよな。」 ここぞとばかり思いっきりこき下ろして鬱憤晴らしをするふたり。 もっとも吉良にはさらに以前の個人的恨みが入っているのは否めない。 「ごめんね、吉良君。変なこと頼んで。」 「いいよ。どのみち気になったと思うし。」 「あれ、あたるに惚れた？」 「へ？ やめろよ。なんで姉妹両方にふられなきゃならねえんだ？」苦笑する。 「この際、天羽さんから取っちゃうってのは？」 「おまえさぁ。」 無茶苦茶だな。気にはなるけど、なにしろあいつは妊娠してる。 「正月は帰らせるから、こっちに。」 「そうなのか？」 「天羽さん、それこそヒマ無いはずだもん。」 「その方がいいな。」頷く吉良。 「ちょっとあたしも言ってみようかな。考えろって。」 「何を？」 「だってさ。大事にしてもらってないじゃん。」 さくらの怒った声が、あたるを心配している。 こういうとき、自分のことはそっちのけ。そこがいいんだが。 携帯を切ってから、吉良はベランダに出てみた。 冬の空は東京にしては澄んでいて高い。 前の彼女と子供か。 遙さんってのは確かにいい女だし。それに子供じゃ気にするなってのも無理か。 でもなー。 あんなに大事に思ってるくせに。ちゃんと見てなきゃ知らねーぞ。 夏に自分を殴った天羽の瞳をよく覚えてる。 本気だった。 両思いでもすれ違うのは。何故－。 吉良は小さくため息をついた。 |