＜Home＜二次創作メニュー＜本編メニュー back＜ ＞next
|
ＶＯＬ．６８ 「イブの夜・Ⅳ －傷－」 かけた声に返事がない。 帰ったのかなと落胆しつつ、奥へ行くとあたるが座ったまま。 「・・おかえり。」 涙をこぼしながら一生懸命笑おうとしている。 胸の奥がキリキリと絞られるような痛み。 こだまするジムの声。 『遙達と彼女とどっちが大事なんだ？』 ほんとに。何やってるんだろう。 「・・・悪い。」 折れるほど力をこめた腕の中であたるが首を振る。 お互いの体が冷たくて、温めあうようにしばらく離れられなかった。 あたるがそっと聞く。 「遙さん達は？」 天羽は答えず腕を解くと、ため息を吐いた。 カウンターへ行くと、グラスにストレートで注いだ酒を一気に飲み干す。 全身に漂うやりきれなさがあたるにも届く。 やっぱりー。じゃあ。 「良介君は？」 あたるの問いに天羽の背がビクッとする。またあおるグラス。 そうだ。 良介は今頃、いきなり突きつけられた事実にどうしているんだろう。 なんだかんだ言っても、ジムを慕っているのに。 ジムと良介がうまくいかないことは辛い。 良介と自分を比べてしまう－。 あまり飲み続ける天羽に、カウンターまでやってきたあたる。 「ねえ、明日も仕事あるんでしょ。そんな飲み方、駄目だよ。」 でもやめようとはしない。また注ぐ酒。 「良介にばれた。」ボソッと投げた言葉。 「え？」 「俺が・・・父親だって。」 「・・・嘘。」 あたるが固まる。 「それでなんて？」 「・・・みんな自分のことが嫌いだって。」 あたるの目に去年の良介が浮かぶ。 影なんてどこにもなくて、無邪気でただ可愛かったのに。 「子供なんて・・・持つもんじゃないな。」 その台詞にドキッとする。 「気づかないうちに、自分を見てる。」 「自分？」 「比べるんだ。だからこだわる。」 グラスの氷をにらみつける目。 「だから、辛い。」 眼の中に青白い炎が見えたようで、あたるが怯む。 何－？ 「俺の。おやじのこと、前にちょっと言ったよな。」 「う・・ん。」 話すときはいつも辛そうで、後悔しても取り戻せない事実が重そうだった。 だから何も聞けなかった。今まで。 「おやじはさ、一人で会社興して、文字通りたたき上げで大きくした人で。」 ぽつりと話し始めた天羽。 グラスにまた注ぐ琥珀の液体。 「でも、子煩悩な人で、俺の相手も姉貴の相手もよくしてくれた。 忙しいけど学校行事とかは必ず来てくれたし。 おやじが好きだったよ。ある意味、お袋よりも。」 思い出したように振り返る。 「おまえんちもうるさかったろ？」 急に聞かれて焦る。 「そりゃあ・・・わかるでしょ？ ああいう人だもん。 参観日とか運動会とか必ず来て、辺り構わず目立ちまくるし応援するし。 あたしにすると恥ずかしくて仕方なかったけど。」 口をとがらせてぼやくと天羽が笑った。切ない笑い。 「だろうな。でもさ、温かいよな。」 「・・・うん。」 そう、温かい。今はわかる。思い出すと心がぽかぽかする思い出。 「そういうものの積み重ねなんだよな。親子とか家族ってさ。 たとえば血がつながらなくても、 そう言う毎日を少しずつ重ねていくことで出来ると思うんだ、それは。」 「そう・・・かもね。」 「親父はさ、そういうことを実践した人だったんだ。」 「え？」 「身をもってさ。」 よく意味がわからないあたる。 「そんなおやじがさ。高３の頃からだな、急にうるさくなった。」 天羽はまたグラスをあおる。 「それまでは子供の自主性を重んじる人で。俺でも姉貴でも、意志をまず聞いてくれた。 やりたいことはやらせようとしなかった。 反面、やりたくて始めたことは最後までやらされた。 でもそれはわかりやすかったし、納得できた。なのに。 いきなり、大学の進路に口を出し始めて。」 思い出しながら眉を寄せる。 「俺は反抗した。面食らったし、俺の望む方向とおやじのそれは異なってたから。 揉めることが頻繁になった。 受験が終わるまでずっとケンカしてた。受かったのは意地だったな。 おやじに対して自分の希望を押し通した意地。」 薄く笑う。 「浪人なんて絶対したくなかった。希望を蹴ったんだから。 おやじが変わった理由なんて考えてみなかった。」 表情が段々翳る。 「理由なんて。おやじが病気を抱えてるなんてな。」 痛恨の響き。 「親父は病気のことは、自分では決して言わなかったから。決して。 お袋も口止めされてたらしい。 大学卒業して就職して２年目に突然言われた。会社を継げって。」 天羽の顔が表情をなくす。怖いー。あたるが身じろぎする。 「なんでって驚いた。当然蹴飛ばした。でも頑なに主張されて大喧嘩して。 それを見かねたんだろう。お袋がおれに言った。 初めて知った。おやじの病気と会社の状態。」 天羽の眼が細くなる。感情を隠すように。 「若い頃から無理してたのが祟ったらしい。 おやじの心臓はかなりいかれてて、薬で持たせてた。そんなこと俺も。 姉貴だって知らなかった。 その上バブルが弾けた後で、おやじの会社ももろに直撃されて。 相当苦しくなってた。 俺はその前に就職でまたおやじとぶつかって、それでもバスケットで就職したから。 卒業と同時に会社の寮に入って。家には滅多に戻らなくなってたんだ。」 視線が落ちる。 「２年。その間におやじはどんどん悪くなってた。 でも俺はバスケットだけ見てきたから。やめるなんて考えられなかった。 そうでなくても、大学での専攻とおやじの会社はまるっきり畑違いだったし。 自分が会社を継ぐなんて、そんな自信もあるわけなかった。 蹴り続けたよ。無理だって。 俺も試合抱えてるから、家に戻る時間もあまりなくて。逃げて。 おやじは、壊れかけた心臓かかえながら、仕事やってたらしい。必死で。」 注ぐ酒は何杯目なのか。止めることもできない。 「・・お姉さんは？」 「ん？」 「お姉さんが継ぐってわけには・・・いかなかったの？」 不意に口をはさんだあたるに、天羽は視線を戻してため息をつく。 「俺もそう思った。おやじにも言った。 姉貴は大学で経済専攻してて、商社に就職してた。 どう考えても俺より向いてると思った。でもさ、おやじは首を縦に振らなかった。 あとで理由はわかったけどな。 姉貴は、もうずっとつきあってる人がいて。その人は地方の人で。 遠距離恋愛だったけど、結婚は約束してたらしい。 そんな娘に枷はめるのが嫌だったんだな。 俺とおやじがもめて、おやじの病気がわかって。 だから姉貴はなかなか結婚にも踏み切れなかった。心配で。」 グラスを睨む。視線で酒が沸騰しそうだ。 「わからないわけじゃなかったさ。 自分がやっと造り上げた物を、一緒に守って欲しいって想いは。 でも俺はどこかで、おやじの病気をのんきにとらえてた。 家から離れてたし、発作なんて見ることなくて。 耳だけで心臓って言われても実感なかったんだな。 そうこうしてるうちに、俺の会社にもバブルの影響が出始めた。 チームも調子悪いし。先行きが不安になりだして、俺自身気がたってきた。」 天羽がまたスッと無表情になる。 何？ 何があったの？ あたるが怯える。 「ある日。また家に呼び出されて。おきまりのように継ぐ継がないで揉めて。 おやじも俺同様に切羽詰まってたんだろう。 『親の苦労もわかってくれ』とか、『自分を助けてくれ』とか。 そんなこと言う人じゃないのに。 俺の苛立ちも頂点だった。チームの存続が危うくなりつつあった。 次のシーズンが勝負だった。 考えたんだ。自分なりに何度も。でも辿り着く答えは同じだった。 これまでやってきたことを否定するようで、そこでやめるわけにはいかなかった。 だから余計に。らしくないおやじの懇願が辛くて。」 瞳の光だけ強くなる。どんどん。 「俺にとっては常に強くて、大きい人だったおやじの、 そんな弱々しい姿は見たくなかった。 見せて欲しくなかった。まだー強い人でいて欲しかった。 まだ、子供にすがる人だなんて思いたくなかった。 苛立ちと情けなさと申し訳なさと。いろんな思いに一気に襲われてー。 俺は全部放り投げたー叫んだんだ。」 『あんたも会社も俺の知ったこっちゃない！ こんなことなら他人の方がましだっ！』 瞳の中で燃えているのは。 「おやじが・・・絶句した。おふくろが悲鳴をあげた。なんでかわからなかった。 姉貴はいなくて。言うだけ言って、俺は家を飛び出して、寮に戻った。」 そう言ってうつむいて黙り込んだ天羽。 重い重い沈黙。 「・・・それで？」 聞いちゃいけない気がするのに。沈黙に耐えきれずあたるが聞いてしまう。 「２日後、練習してた俺に、連絡が入った。おやじが死んだって。」 あたるの瞳がこれ以上開かない程見開いた。 死んだ－。 ２日後－？ 「心臓発作。仕事してて、倒れて。そのまま。」 無表情で淡々とした声の重さ。でも。 「通夜やって。葬式やって。そのあと。俺は初めて知った。 俺とおやじが血が繋がってなかったってこと。」 「・・・え？」 「おふくろは、結婚するはずだった男に身重になってから逃げられて。 その直後に、奥さんを亡くしたばかりの姉貴を連れたおやじと知りあったんだ。 二人は結婚して。産まれた俺を実子として届けたのはおやじの意志だったらしい。」 「・・天羽さん・・」 「俺が叫んだ言葉は、言っちゃいけないものだった。 おやじは俺に継いで欲しかったんだ。他の誰にでもなく、息子の俺に－な。」 何が言えるだろう。何も。 ただ哀しいー。 「初七日からは姉貴に任せた。俺は試合が近かったし。 家に居たくなかった。いられなかった。おやじの会社はやっぱり継げなかった。 おやじが文字どおり創って支えた会社だから、後は会社は潰れるしかなかった。 そうでなくても継ぐ資格もないと思った。」 あたるの瞳がゆっくりと潤む。 「おやじの心臓はボロボロだったから。いつ発作が来てもおかしくなかった。 おふくろは俺に何も言わなかった。姉貴は知らないだろう。あの口論。 でも。自分が知ってる。 絶対言うべきじゃなかったことを言って。 それが最後になっちまった。その後悔はいつまでも残って。消えない。」 あたるの目から涙が伝い落ちる。 「たとえ知ってても、おやじの頼みは聞けなかったかもしれない。 あの時はバスケをやめられなかった。どうしても。 だからって、あれで終わりにするつもりはなかったんだ。まさかー。 でも終わっちまった。」 カウンターでうつむいてしまった天羽。 あたるは手を伸ばすと、その頭を黙って抱きしめた。涙は止まらない。 ゆっくり顔を上げた天羽があたるの涙に気づく。 「バーカ。何でおまえが泣いてんだ？」声が掠れてる。 「・・・ご・・めん・・」唇を噛む。 その頬を指で拭ってから。 天羽は涙で湿ったあたるの唇に唇を重ねた。 何のためかわからない。 ただその温もりに触れたかった。 それから抱きしめた。胸の痛みを抑えるように。 あたるは自分より大きな背を必死で抱えて、その乾いた胸に涙を落とし続けた。 泣きたいのはこの人だろうに。 「・・・そのあと。」天羽が言葉を継ぐ。 「結局戦績もふるわなくて。チームは休部になった。 おやじの死で会社も閉じられてる。おふくろは結婚した姉貴が引き取った。 バスケがなくなったら、何もなかった。」 空洞のような声だと思った。また涙が落ちる。 「遙とはさ、おやじと揉め始めた頃からおかしくなって。 あいつもお袋さんが具合悪かったし。チームが潰れてすぐに別れた。 そのあと彼女はすぐに結婚したから。 まさか子供がいるなんて、夢にも思わなかった。」 天井を見上げて。 「俺がさ。良介を。良介と遙をいつまでも気にするのは、良介と自分を比べてるんだ。 良介にとって俺は、おふくろをおいて逃げた実の父親みたいなものだろ。 俺もあいつも最初からハンデを与えられちまって。 でも俺は、幸せな子供時代だった。天羽のおやじのお陰でこの上なく。 だから良介も幸せに育って欲しいと思ってた。」 あたるは何か言いたいけど、言葉が出ない。 「遙に再会したときは知りもしなかった。ただ大変だろうと思って手助けしたんだ。 わかったときは、何も知らなかった自分に呆れたけどな。 実の親父と同じかと思ったら情けなかった。どうしようもなく。 遙に対して。それから良介に対して。 血の繋がらないおやじにあれだけ可愛がってもらった俺が。 ほんとの親である俺が。良介に辛い思いをさせるだけなのは嫌だった。 できることはしなきゃならないと思った。なんでも。なのに・・・。 ジムはいい奴だって思ってる。 血のつながりは関係ないって知ってるのに。・・・こんな風に。」 「・・・遙さんとジムは・・どうして？」 あたるは詳しいことを聞いてない。 「ジムの親父さんがジムに、アメリカへもどれって言ってるんだ。 それも遙と離婚して。」 「ええ？」驚きで声が止まる。 「ジムにも遙にも多分そんなつもりはないんだ。話し合えば大丈夫だと思ってた。 でもこじれてる。俺のせいかなー。」 思い出すジムの言葉。 「夫婦だけのことなら、こんな中途半端に首をつっこんだりしないのにな。 良介のことがあるからどうしても気になって。らしくねえな。」 カウンターに肘をついて頭を支える。 「自分でもはっきり自覚してなかったんだ。良介と自分を比べてるなんてさ。 子供って・・・怖いもんだな。」 口調が皮肉になる。 「自分で育ててなくても、こんなにオタオタするんだからな。 親なんてーなるもんじゃない。 育てるなんてできそうにない。 まだ当分、俺には無理なのかもな。良介一人でこのありさまだ。」 天羽にすれば疲れと過去の傷から、つい漏れたその言葉は。 あたるの告白を封じてしまった。 少なくともその夜は。 『あたし、妊娠してるんだよ－。』 喉元の塊を飲み込みながら、あたるの顔は仮面のように強ばっていった。 |