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ＶＯＬ．６５　「イブの夜・Ⅰ　－乱入者－」




クリスマス・イブ。
店は急に休みになった。遙から連絡をもらったのだ。
「本店も今日、休みにするの。そっちも今日はお休みにしたら。」
「いいんですか？」
「ええ。天羽くん、休みとれたの？」
「夕方には。」
「そう、よかったわね。」
優しい声。やっぱりあたし、気にしすぎなのかな。
とにかくよかった。時間がたくさんできた。
ツリー飾って、ご馳走作って。
匂いに敏感になってきていて、揚げ物は作るのが辛い。
鶏は家でオーブンで焼いて、あとでフライパンで温めよう。
サラダとオードブルと。
妊娠のことをなんて話したらいいのか悩んだけど、考えてもわかるわけもなく。
考えるのをやめた。
とにかく話す。しゃべり出せばなんとかなる。


料理にツリーに飾り付けにetc.　すごい大荷物になった。一度に持てない。
あんまり無茶してもお腹に響くので、仕方なく往復した。
楽しいことだから苦にならない。そう、楽しくなって欲しい。
あれだけ構えた去年。あの空虚さは何度思い出しても辛い。
いなくなった待ち人。
今年はちゃんと帰ってくるよね。仕事のトラブルがありませんように。
ツリーを飾って。ご馳走の下準備をして。
あ、ケーキ忘れてた。やっぱり欲しいよね。
時間はたっぷりあるので、あたるはもう一度商店街まで足を延ばした。
量はいらない。二人だから。おいしいのがあればいい。
小さいリングを買って抱えて帰るあたるは、
とても嬉しそうで、すれ違う人が皆微笑んだ。
幸せを抱えたサンタに似ていた。



その頃、さくらは実家で包丁を握っていた。
イブなのに。
魚屋で修業してきたとばれて、幸造が試すと言い出したのだ。
「いいか？　鯛と鰯と鰺。三枚に下ろして刺身にして見ろ。」
「鰯と鰺も？」
「そういうのができて１人前ってんだ。一通り習ったんだろ。ならできるよな。」
挑発されてムキになるのはいつものこと。
「わかったわよ。」
身仕舞いをきっちりして髪をしばって、まな板に向かう。
包丁の感触を確かめる。よし。
イブの雰囲気なんてどこにもないけど、ま、いっか。
さくらの目の色が変わる。幸造も母も、みつめながら笑みを浮かべていた。




陽が落ちた道を天羽が急ぐ。
心配していたトラブルもなく、何とか今日は夕方に解散できた。
仲間達もそれぞれ、浮き浮きしているのがおかしかった。
「夕飯前なんて、いつ以来だっけ？」
「俺、無理矢理友だちつかまえちゃったよ。」
「そうだよなー。こうなりゃ何が何でも、誰かと遊びたいよな。」
誰かと。
つい足早になる。家並みはすっかり街灯に沈んでいる。
店が見えたとき立ち止まった。
ドアにリースが飾ってあったから。
ゆっくり歩み寄る。赤と緑の小さなクリスマスリース。
天羽の顔がほころんで、ドアを開けた。


「いるか－？」
開けたドアが閉まる前に、あたるが飛び出してきた。
「お帰り。」
笑顔にホッとした安堵感が滲んでいて、目が貪るように天羽を見つめる。
「・・・なんだよ？」
「え？」
「おまえ、凄い目つきしてるぞ。俺、食べられそう。」
「だって・・・久しぶりなんだもん。」
口ごもりながらあわてて横を向く。その拍子にパラッと揺れる髪が。
いつのまにか肩をおおうほどになっていて、逢えなかった時間の長さを感じる。
天羽はゆっくり近寄ると、赤い顔のあたるをすっぽり抱え込む。
あたるの体がビクッとするけど、構わずその頭に顔を埋める。
「そうだな。久しぶりだ。」
髪の香りも。細い体も。
抱え込んだ腕にあたるが頬を寄せた。


「帰ってこられないんじゃないかって、心配しちゃった。」
「サンタに感謝かな。」
クスクス笑うあたるの声が耳に心地いい。
「ね、お腹空いたでしょ？　着替えて食べようよ。一杯作ったの。」
「ん。腹ぺこ。前菜くれる？」
「へ？」
無防備に見上げるそのあごをつかまえて、赤い唇を唇で食む。
一瞬見開いた瞳がすぐ落ちる。
久しぶりのキスはついばむような軽さから、ふいに踏み外すように深くなった。
でも、首筋へすべりかける天羽の手を、あたるはなんとか押さえ込む。
「・・・せっかくご馳走つくったんだから。」
赤い顔で訴えるあたるに、天羽が妥協した。
「しゃあないな。腹ごしらえしてからにするか？」
「その言い方変だよ。」
内心焦りまくってるあたるなのだが、天羽はいつもの調子。
「嫌じゃないだろ？」
そう言って横をすり抜けながら、又軽くキスされて。
あたるの焦りは倍増するだけ。
「もう～！」



鶏のもも。サラダ。オードブル。シャンパンにツリー。
ちょっと呆れるくらいのいかにもクリスマスな部屋。
着替えた天羽が口笛を吹く。
「ずいぶん頑張ったじゃん？」
「えへへ。でも手抜きもしちゃったけどね。」
シャンパンを手に照れ笑いしている。
ソファの横に飾ってあるツリーがピカピカ光る。
「どっから持ってきたんだ？」
「カヲルの家。借りて来ちゃった。」
そう言いながらシャンパンを抜こうとするから、天羽が止めた。
「ま、まてって。照明割られるんじゃたまんない。貸せよ。」
「そんなことしないよ。」
ふくれながら、シャンパンを天羽に渡す。
「おまえ、そそっかしいから。」
さすがに確実にソファへ向けて、シャンパンの栓は飛び出した。
２つのグラスに注ぐと透明な泡がたつ。
「シャンパンの泡って綺麗だよね。」
「そうだな。」天羽の声が優しい。
カチンと鳴らして。
「メリー・クリスマス」
そう言ったあたるが嬉しそうだったから、天羽も笑顔だった。




「・・・よく食べるね。」
呆れてあたるがつぶやく。
いつもの天羽はそんなに食べる方じゃないのに。
今夜は並べた皿を見事に片づけている。
もちろんあたるも食べているのだが。
「そっか？　朝からあんまり食べてなかったからかな。」
天羽はしれっとそう言う。
飲んでないせいもある。シャンパンは天羽には甘すぎるのだ。
あたるも軽く口をつけただけで、食べる方に専念していた。
つわりが気になってたけど、匂いの強いものを意図的にさけて作ったので、
幸い大丈夫みたいだ。天羽はまだ知る由もないが。



「そうだ、洋子虫、生まれたんだよ。」
「ほんとに？　そっか。クリスマス前だって言ってたよな。どっち？」
「女の子だって。」
「へえ。名前は？」
「ひろみ。」
「ひろみ？　ずいぶんあっさりしてるな。」首を傾げる天羽。
「カヲルがつけたんだってよ。洋子虫の『洋』に『海』がイメージなんだって。」
「ふーん。『ひろいうみ』ね。カヲル君らしい。」
クスッと笑う。


「洋子さんも元気なんだ？」
「ん。アメリカってすぐ退院なんだね。」
「あー、そんな話聞いたことあるな。」
「だから、もう自宅で落ち着いてるはずだよ。
　カヲルはこの後が大変なんだけどね。」
「そうだ。コンペ、いつ？」
「２７日。」
「すぐだな。」
「うん。うまくいくといいけど。」
あたるは箸をもったまま、心配そうな目。
机の下で延ばしたもう一方の手は、ポケットのお守りにタッチする。


「さくらちゃんは？　落ち着いたのか？」
「たぶん。田舎だもん。」
「だよな。伊倉さんのことはよかったのか？」
「ゲソね、お見合いしてるんだよ。」
「へ？」これも初耳。
「海外栄転の話があるんだって。ひょっとしたら結婚していくのかもって。」
「それでさくらちゃん・・？」
「うーん。相手の人にも会っちゃったらしくて。素敵な人らしいけど。」
「潔いんだな。そこがいいんだけどさ、さくらちゃんは。」
「そうなんだけど。」
「お前の発表はいつだった？」
「う・・・。年明け。」
「忘れてたろ？」
「無理だよ。忘れてるフリはしてるけど。」
「まあ、気にしてもどうしようもないもんな。今さら。」
頭をクシャっとなでる。



あらかたテーブルの料理を平らげて。
「ちょーっと食べ過ぎか。」
ソファにひっくり返った天羽。
「この頃まともに食べてなかったんでしょ。しょうがないよね。」
あたるはさっさと皿を洗ってしまう。
「おまえ、あんまり食べてないんじゃない？」
「食べてるよ。あなたが食べ過ぎなの。」
「へいへい。」
クスクス笑いながら流しに立つ後ろ姿を眺める。
ほんと、久しぶりだな。細いうなじと華奢な体と。
テーブルの上ではグラスが光を弾いている。
「何か飲む？」
あたるが振り返る。
「水割り。」
「ん。」
もう覚えている。天羽の好きな酒。匂いに気をつけて。
氷をカランと入れて、酒をグラス注ぐ瞳が見えた。



「はい。」
琥珀色のグラスを差し出すあたるは、照明を背に光の輪郭。
眩しそうに受け取って、ついでに手首もつかむ。
「ん？」
「ちょっとこいって。」
後ろから抱えるようにして一緒に座り込むいつものクセ。
「ほんと久しぶりだな。」
髪を梳きながら耳元で囁く。あたるは嬉しさ半分、焦り半分。
「ん・・あの・・ね。あたし。」
「そういやさ、悪かったな。」
「え？」
「なにしろヒマがなくて。俺、プレゼントも何もないぜ。」
ちょっと眉を寄せてそう言うから、首を振る。
「ううん。一緒にいるのだって無理してもらってるんだもん。」
その言葉に、天羽はあたるの頭をこづいた。


「いたっ。何？」
「おまえね、そういう言い方はやめろって前にも言ったよな。」
「あ・・うん。」
「俺がおまえに逢いたくないみたいだろ。」
「そんな風に思ってないもん。」
「思ってなくても聞こえるの・・・すねるぜ？」
声を潜めて囁く言葉に赤くなって。
「・・・ごめん。」
「あやまるなって。」
「じゃどうすればいいのよ。」
困って抗議するように見上げると、いつもの意地悪な目つき。
「んー、じゃおわびにキス一つ？」
「へ？」
「安いもんだろ？」ニヤニヤした声。マジなんだか。
「あたしがするの？」
「当然。」
「だってー。」
「お返しはするぜ？」
「あのねー。」
「いいじゃん。クリスマスだぜ。」
そう言われたら文句は言えなくなる。
「なんならヤドリギ持ってくるか？」遊んでいる。絶対。
「・・・目、閉じてよ。」
「お、その気になった。」
「その気じゃなくて、閉じて。」
「オッケー。」


口の端で笑いながら瞳を閉じた天羽。
なによ。結局からかってるじゃない。久しぶりなのに。
ブツブツ胸の内で思いながら、体半分向き直って唇をそっと重ねた。
かすかな震え。
触れただけで離そうとした途端、体をとらえていた腕に力がこもって。
驚いて目を開けたら、天羽の強い視線。
「ほんと、わかってないだろ。・・・逢いたかったんだぜ。」
何も言えないうちに再び重ねられたキスは深かった。
突然放り込まれる混沌の中。そう、この人のキスはこうだったっけ。
まるでおさらいするみたいに。
深く深く。何かを探すように口の中をさらっていく舌。
こういうキスはこの人から習った。それからー。
一緒に意識もさらわれかけて不意に思い出す。
あ。
唐突に唇を放すから、天羽が驚く。


「どした？」
「あ・・・のね。あたし、話があるんだけど。」
「話？　何？」
「う・・ん。」
聞くフリをしながら、でも唇を彷徨わせようとする天羽。
「ちょ、ちょっと。だから。」
「あとでもいいじゃん。」うなじに触れる熱さ。
「駄目だって。先に聞いてよ。」体をよじる。
「おまえねー。」
「お願い。」
目を見据えられて、不承不承納得する。
「はいはい。・・・で、何？」
「あ。その。」
改まられても話しづらいことなんだけど。どうにか口を開く。
「あのね。」



その時。カランと店のドアが開いた音がした。誰？
二人が音の方へ目をやる間に。
バタバタと小走りの足音が近づいて来て。
部屋の戸口に立ったのは、良介だった。

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