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ＶＯＬ．６３ 「約束の日」 コンペまで後少し。大詰めだ。 モデルも決まり、デザインしたドレスをモデルのために細かく調整する。 さらにヘア・メイク・小物。むろん舞台プラン、諸々の詰め。 間にイブを挟んでいるのが結構辛い。 アメリカではクリスマスは、ニューイヤーよりもずっと大きな行事だ。 非常時だから皆休み返上だが、 それも社内のみで社外に依頼しているものはどうにもならない。 ２６日にリハーサルを控えているだけに、今馬力をかけるしかない。 当然ではあるが、皆眼の色が変わっていた。 中でもカヲルはろくに眠らない日々を気力で乗り切っている。 いや、眠くない。今くらい何でも出来る気がしたことはない。 やれる。 ちょっと勢いで慢心していたかも知れない。 落とし穴に気づいたのはその夕方だった。 「カヲル、花の手配が足りない。」 「え？」 驚いた。 コンペで花を溢れるほど使おうというのは、カヲルのアイディアだった。 割と安直なイメージだと自分では思っていたのだが、 逆に新鮮だったらしく、皆が乗り気になったのは意外だった。 ただ、イメージ通りの花を残り２週間で手配するのは結構骨だった。 クリスマス直後と言うのも思わぬネックだった。 ニューイヤーへと続くため長期休暇になる店も珍しくない。 春をイメージして、パステルカラーの小花を中心にしたカヲルのイメージは、 冬のニューヨークで調達に苦労した。 それでもスタッフの努力でなんとか手配は完了したはずだったのに。 「何故？」 「あとで追加した分。あれを確認しなかったんだ。」 そう言えば予想したより必要になり、あわてて計算し直して追加した。 手違いでその半分がキャンセルされてしまっていたのだ。 「かなりの量だな。」 追加とはいえ、パステルのピンク・ブルー・イエロー。それぞれある。 それがそろわないとなるとダメージは大きい。 「どうする？」 「探そう。」 即答した。ここでイメージの変更は辛い。まだ時間はある。 カヲルの意志がスタッフの意志となる。即全員が電話に飛びついた。 深夜まで心あたりをしらみつぶしにあたりまくったが足りない。 ０時をすぎるとさすがにつかまらなくなる。 参ったな。どうする？ イメージの変更か？ ここまできて。 明日もう一度探すか？ スタッフと考え込んだとき、携帯が鳴った。こんな時間に？ 「はい・・・病院？ 生まれるっ！？」 洋子の主治医からだった。昼間陣痛が始まって入院したらしい。 予定日の２日前だったからあせることはない。洋子も落ち着いていたようだ。 カヲルへ連絡を頼んだがそれも、初産が時間がかかるのを考慮して、 分娩室へ入ったらという念の入れようだった。 あわてたのはカヲルの方だった。 とりあえずその場をスタッフに任せて直行することにした。 洋子はここのスタッフには同僚でもあるわけだから話は早い。 「明日、朝もう一度花の手配を当たってみよう。 洋子にガンバレって伝えてくれよ。生まれたら連絡まってるから。」 皆疲れているのに、笑顔でそう言ってくれる。 新しい命の誕生はどんなときも人の心を浮き立たせるのだ。 「サンクス。無事に生まれたらすぐ戻るから。」 礼を言ってカヲルは会社を飛び出していく。 深夜の道路をマウンテンバイクで突っ走る。 なんか、いつもこうだな。洋子さんのところへ行くときは。 クスッと笑う。それが吉兆に思えた。 うん。大丈夫。元気に生まれてくる。必ず。 病院まではマウンテンバイクだととばしても３０分かかる。 冬の冷気がカヲルの頬を刺すけど平気だ。 急げ。 夜なので少し道に迷って。何とか辿り着いたら１時を回っていた。 救急受付を目指す。 「すみません。えーっと、洋子さん、・・ヨーコ・マノ。」 焦ると慣れてきた英語もすっ飛んで、つい日本語が口をつく。 その時呼ばれた。 「相沢君。」 振り返ったら楢崎がいた。驚いた。 「楢崎さん。」 「私の方が車だから、少し早かったな。」 「洋子さんから？」 「ああ。連絡くれるように頼んでおいたからね。やっぱり心配で。」 不思議なことに。この人は洋子を巡るいわばライバルなのに、 今は彼の存在も嬉しかった。 楢崎もそうなのだろう。フッと笑う。 「お産には男は役に立たないな。妻の時も思ったが。」 カヲルもクスッと笑う。 「まだ時間がかかりそうですか？」 「ああ。初産はどうもな。彼女は促進剤は使わないって言ってたろ。」 「ええ。なるべく自然がいいって。順調ならそのままって。」 話ながら分娩室前までやってきた。 誰もいないそこで一人待つよりも、 たとえ恋敵でも相手がいた方がいい。そう実感する。 無事を祈る人間は一人でも多い方がいい。 生まれてくる命のためにも。 「仕事は大丈夫か？」 「ちょっと今、トラブッてて、まずいんですけど。」 「どした？」楢崎の眉が寄る。 「花の手配ミスで。ひょっとしたらイメージ変更かも。」 そう言ってから頭をかく。 「みんな会社で詰めてくれてるのに、申し訳ないです。」 「いや。洋子は皆から好かれてるから。昔の彼女じゃ考えられない。」 楢崎が窓の外を見ながら言う。 「昔は、ピンと張って今にも切れそうで。 鋭かったけど近寄りがたいものもあった。 ニューヨークへ来た彼女は、命を抱えていたせいなのか、 とても柔らかくなっていて驚いたよ。スタッフとも佳くうち解けたし。」 カヲルに振り返る。 「私は彼女をそう言う風に変えた男に、随分嫉妬したものさ。」 カヲルは首を振る。 「俺じゃないですよ。自ら変わったんです。彼女は。」 「そうかもしれない。でも一人では変われないさ。人はね。」 「なら、あなたもその一人ですよ。彼女を変えた。」 カヲルの言葉に楢崎が立ち止まる。 「いろんなことが彼女を変えてきた。 今日、また変わるんでしょうね。新しい命を迎えて。」 「・・・そうなんだろうな。」 本来ここに駆けつけるべき彼女の父も母もいない。 それを悲しく想うけど。 でも彼女はちゃんと自分を愛して、愛される自分に変わってきたんだ。 それを誇らしくも思った。 窓の外が白む頃。 うつらうつらしていた二人の耳が、赤ん坊の泣き声をとらえた。 「・・・ギャー・・・」 一瞬ボーっとして。ハッと顔を見合わせて。 「・・・生まれた？」 やがて、その声はドンドン強くはっきり聞こえて。 「やったあ！！」 カヲルと楢崎は両手を握り合って踊っていた。 夜明けに洋子は新しい命を授かった。 この世に。 病室に移された洋子と赤ん坊の元へ、カヲルが来た。 楢崎は外で待っている。 「一緒に行かないんですか？」 「何言ってる。父親がまず逢ってやらなくちゃな。当たり前だ。」 年長者らしい温かい言葉だった。 黙って頭を下げると、部屋に入った。 さすがに疲れた様子の洋子。でもベビーベッドの赤ん坊に手を伸ばしている。 その姿がとても綺麗で、神々しくすら思えたカヲル。 近づくのをためらっていると、洋子が呼んだ。 「ありがとう、来てくれて。」 それでやっと歩み寄る。 「頑張った？」 「ええ。でも相沢君の言ったとおり。元気だったから。 あたしは生まれようとするこの子に、ちょっと手を貸すだけでよかったの。」 愛しげに目を落とす。 「いい子でしょ。」 「・・・どっち？」 「まだ聞いてなかった？ 女の子よ。だから『ひろみ』。」 「そ・・うなんだ。」 「抱いて上げて。」 そう言われてカヲルは、危ぶみながらもその小さな塊を腕に乗せた。 小さくて。あまりにも小さくて。 その小ささになんだか泣けそうで。でもなんて温かいんだろう。 くしゃくしゃの顔。線で閉じられている眼。 泡に親指で痕をつけたような口。 こんなに儚い小さなものが育つんだろうか。 不安になったとき、赤ん坊はまるで呼応するように泣き始めた。 カヲルの危惧を吹き飛ばすような現実的で強い声。 ああ、生きてるんだ。 半ば茫然としながら、何故かそう思えて嬉しかった。 「こっちへ。」 洋子がそっと手を伸ばす。 赤ん坊を受け取ると体の向きを少し変えた陰で、その口に乳房を含ませる。 つい１時間前にであったとは思えないくらい、自然な動作。 母子って凄いな。この１０ヶ月の間、一つの体で会話していたんだな。 父親って損だな。そんなことまで思って、カヲルは苦笑した。 洋子が恥ずかしげな顔で、ちょっと首を傾げる。 「ねえ、そう言えば男の子だったときの名前、教えてくれるって。」 「あ・・うん。今さらだけどね。相沢君の名前、もらうつもりだったの。」 「俺？ 『カヲル』？」 「ひらがなで『かをる』」 「へ？」 「相沢君が『ひろみ』って持ってきてくれた時、笑いそうになっちゃった。 あなたは私の名前から、私はあなたの名前から考えて、それもひらがなでしょ。」 なんだか照れて鼻の頭をこするカヲル。 そう考えてくれたことが嬉しかった。 まだ生まれたばかりの赤子は、すぐお腹いっぱいになったらしく眠ってしまった。 二人で見つめる赤ん坊。その背に羽がないのが不思議だ。 それはカヲルの感傷だったけど。 二人にとっては紛れもなく、 一足先にやってきた天使のクリスマス・プレゼントだった。 「あ、楢崎さん、来てるんだ。入ってもらうだろ？」 「ええ。」 屈託なく呼びに行くカヲルをみつめながら、洋子は満たされた思いに浸っている。 楢崎も又、やってきた命を眼を細めて喜んだ。 赤ん坊を抱いた洋子に、楢崎の胸は密かに痛んだけれど。 あの時。彼女に赤ん坊を抱かせてやれば、失わなかったんだろうか。 いや違う。あの時の彼女では無理だった。 今の彼女だからこんなに美しく優しい。その目が見上げるのはカヲルだった。 妬ましくもある。 カヲルが言った。自分も又洋子を変えた一人だと。それは確かだろう。 でもその後、彼との出会いで洋子は決定的に変わったのだ。 出会いの不思議さ。 そして生まれた命。 胸に抱かれる赤ん坊に、まさしく羽が見える気がする。 ふと思い出す。 「相沢君、そう言えばなにか、トラブルって言ってなかったか？」 ハッとするカヲル。 「やばい。俺戻らなきゃ。」 「どうしたの？」 「ちょっとさ、花がね。」 「花？」 カヲルはゆうべからのトラブルについて、かいつまんで説明した。 すると洋子が言った。 「『レイチェル・フラワーズ』に聞いてみた？」 「レ、レイチェル？」 覚えがない。 「ここ１，２年で力を付けた卸屋なんだけど、社長と知り合いなの。 あたしの紹介って言って聞いてみて。 かなり広範囲にやってるから、ひょっとしたら。」 「ホント？」 「新しいから、リスト漏れしてるかも。」 「サンキュ。俺行くわ。あ、いつ退院？」 「明日には。」 「へ？」 驚くカヲル。日本だと早くても５，６日は入院してるのに。 「アメリカは早いの。」 「大丈夫なの？」 「ハウスキーパーと契約したから。２週間程ね。 私は家で、自分とこの子に専念するわ。」 「そっか。手配済みなんだ。俺、のぞいてもいい？」 「もちろん。」 「私も天使の顔を見に行きたいな。」 「どうぞ。」 洋子の落ち着きが嬉しかった。 「じゃ、行くから。ゆっくり休んで。」 「相沢君。」 「ん？」 「何か話しがあったんじゃ？」 あ・・・そうだ。いや。 「ごめん。コンペのあとにする。」 「・・・そうね。がんばって。」 「楢崎さん、有り難うございました。俺、行きます。」 飛び出していくカヲルを見送って。 「じゃ、私も失礼しよう。君も休まないとな。」 「来てくれてありがとう。嬉しかったわ。」 「いや。」 もう手が届かないかも知れない。そんな予感がかすめた。 「じゃまた。退院の時には送るよ。」 「いいの？ ありがとう。」 ふたりが帰ったあと、 洋子は小さな存在に確かめるように触れた。 あまりにも小さくてあまりにもささやかで、でもこんなにもしっかりとした存在。 あたしは間違っていた。自分のためにどうこうするものじゃない。 すでに一人。ひとつの命。 ただ一人の存在。 ありがとう。生まれてきてくれて。 心に溢れるのは感謝の思いだけだった。 生まれてきた命に。それから支えてくれた人たちに。 それから、この子をはぐくめた自分への喜び。 洋子にやっと訪れた約束の日。 自分を、そして自分以外の誰かを、心から愛することができたその日だった。 |