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ＶＯＬ．６１　「さくらの出発」




帰郷を翌日に控えて、さくらは荷物を全部済ませた。
来るときはカバン一つで転がり込んできたのに。
物って増えるんだな。
いざ帰ろうとしたら、ダンボールに３箱ほどの荷物になった。
１年しかいなかったのに。ううん、１年もいたのか。
明日、出かける間際に送るつもりだ。もうこの家には何も残さない。
楽しかったけど。
カヲルも旅立った。あたるだっていつまでいるかわからない。
たかだか１年で随分変わるんだな。
そんなことを思うのはやっぱり感傷なのかも知れない。



片づけ終わったらリサイクルショップへ向かった。
せっかくの残り時間、一人で過ごすのは勿体ない。
今日はたぶん、吉良も来ている。
カランとドアを開ける。
「よ、来たな。」
思った通り吉良が迎えた。あたるも顔を出す。
「荷物すんだ？」
「うん。」
「とうとう明日か。」
吉良があたるを振り返る。
「淋しくなっちゃうな。」
「静かになっていいわよ。」
あたるはちょっと笑ってつっぱった。
さくらが応酬する。
「お互い様よ。」
そこへ遙が入ってきた。
「あたるさん？」
「今行きます。じゃ二人は留守番しててね。」
「はいはい。最後までこき使うのね。」
「使われにきたくせに。吉良君、お願い。」
とびだしていくあたる。


吉良は最近いつもそうだが、
調子の悪い電化製品の修理にいそしんでいる。
この光景も見慣れてきたのに。もう見納めかな。
「吉良君。」
「ん？」ドライバーを回しながら返事をする吉良。
「いろいろありがとね。」
顔を上げるとにこっと笑うさくら。
吉良はドライバーを止めると、ちょっとためらってから聞く。
「おまえさ・・・あいつはどうしたの？」
伊倉のことだ。
帰ることに決めたとあたるに聞いたから、察してはいたけど。
だから何も聞かずにいろいろつきあったけど。
やっぱり確認しておこうと思ったのだ。もし何も聞いてないなら。


「きっぱり諦めた。」
「へ？」
「再婚して栄転していく奴に、未練残しても仕方ないし。」
「栄転？」
「ロンドンだって。」
「それ、本人から？」
「ううん。」
「じゃあ・・言ってないのか？」
頷くさくら。
「それじゃあ。」
「だってー。あたし今、ロンドンには行けないよ。行きたくもない。」
吉良が黙る。


「あたしがロンドンに行っても、あいつのためにしてあげられることないし。
　見合いした彼女、素敵な人だった。英語とかもきっと上手なんだと思う。
　海外栄転の奥さんにぴったりでしょ。」
言葉だけだと皮肉に聞こえそうだけど、なんともあっさりした口調。
「あいつがそれを望んでるなら、そこにあたしの場所はないよ。」
「望んでるのか？」
「でなきゃお見合いしても、つきあったりしないよ。」
そうかもしれない。でも。
「あたしは・・いまでもあいつが好きだけど。それは確かだけど。
　それだけじゃどうしようもないこともあるんだね。」


吉良は違和感を覚える。
こんな、悟りきった台詞はさくらには似合わない。さくらの台詞には聞こえない。
ジッと見つめる表情は淡々としていて本音に見えるけど。
ふと。落とした視線の先で、指が微かに震えていた。
これがさくらの精一杯なんだ。頑張ったんだろう、さくらなりに。
納得できたわけじゃないけど。これ以上踏み込んではいけない気がした。
「それでいいんだな？」念を押す。
「ん。ありがとう、いろいろ。」
そう言って微笑むから、吉良は頷いた。
どうしようもないこともある。それはほんとだ。
でもそれを変えるパワーもこいつにはあると思うんだけど。



吉良は立ち上がると、コーヒーを入れた。
その手つきもすっかりサマになっているのがさくらにはおかしい。
「なんかー、天羽さんみたい。」
「え？」
「まるでここの主みたいだよ。吉良君。」
「そっか？　俺、あの人とはどうも相性悪くてさ。
　っていうか、俺のろくでもないところばっかり見られてるから。
　あの人にすれば俺の印象悪いんだろうなあ。夏以来逢ってないんだけどさ。」
「夏？」
やば。殴られた日のことはさくらは知らない。
今さらそんな話もしたくない。話を変えた。
「よっぽど忙しいんだな。
　結構俺ここに通ってるのに、全然逢わないんだから。」


「そうだよね。あたしも滅多に。
　それどころかあたるだって滅多に会ってないよ、多分。」
「姉ちゃん、忍耐強かったんだな。
　もっと気短くて、喧嘩っ早いかと思ってたのにさ。」
吉良の言葉にさくらがちょっと眉を寄せる。
「そうなのよね。
　あの人、前は逆プロポーズかける根性だってあったのに。
　どうもね、ここんとこ待ってばっかり。」
「大人になったってことか？」
「えー？　あんまりそうも。大体そんなのストレスたまってしょうがないよ。
　相手のことばっかり考えすぎるのよね。もちょっと我が儘言えばいいのに。」


吉良は思わず顔を背けて笑いを漏らす。
人のこと言えないくせにな。自分だって相手のこと考えすぎだ。
「それでね、吉良君に頼みがあるのよ。」
「え？」
「あのね、あたるのこと、様子見てくれるかな。
　できたら相談に乗ってやってくれると嬉しい。」
「俺が？」
「うん。ほら、あたしもいなくなるし、カヲルは当分戻らないでしょ。
　あの人今まで、ホントの一人ってあんまりなかったのよね。
　ずっとカヲルいたし。なんか、心配でさ。」
「へえ、姉ちゃん思いだね。」
「父さんたちに余計な心配かけるのも困るし、あたしも気になるから。
　別に特にどうこうしてくれなくていいから。
　それとなくみてやってもらえると助かる。暇なときでいいから。」


こういう関係っていいなと吉良は思う。押しつけがましくもなく遠回しの心配。
これまで自分の回りになかった気遣いの網。
「ＯＫ。たいしたことできないだろうけど。」
「いい？　よかった。どうもさ、最近のあたるって弱気で。
　見ててイライラしちゃうんだよね。
　クリスマスだってあたしがハッパかけて、やっと約束取り付けたんだよ。」
「天羽さんって確か、年明けまで忙しいんだろ？　だからじゃねえの？」
「だからって文句も言わないんじゃ忘れられるわよ。
　ほんとしょうがないわよね。
　でも逢えるみたいだから、あたしも安心して戻れる。」
「どっちが姉ちゃんかわかんねえよな。」
「この頃あたしよ。人間苦労するとね。」
威張ったように、でも寂しさをほんのすこし滲ませて、さくらが笑った。


「吉良君は？　クリスマスの予定たったの？」
「んー、モデル仲間とどんちゃんするかなって。」
「そういえばモデルの仕事、どうするの？　続けるの？」
「そうだなー。今考えてる。春には方向決めたいからさ。」
「考えてるんだね。」
「ったりまえじゃん。おまえばっかりいい格好させるんじゃ癪だしね。」
「今度さ、遊びに来てよ。海近いから夏はいいよ。サーフィンとか。」
「お、いいね。行く行く。」
こんな風に話せる人がカヲルの他にもできた。やりたいことも見つけた。
あたしは東京に出てきた甲斐は十分あった。
それは喜びであり、さくらの慰めにもなった。



あたるがやっと遙と戻ってきた。
「おかえり。」
二人にもコーヒーを入れてやる吉良。
「さくらさん、帰るんですって？」
「はい。いろいろお世話になりました。」
「あたしは何も。お父さんのことで？」
笑って首を振る。
「それもないわけじゃないけど、でも自分のためです。」
「そう。頑張ってね。」
「ありがとう。あの、あたる、お願いしますね。」
あたるが面食らう。
「ちょ、ちょっと。」
「おっちょこちょいで小心者で、ご迷惑かけますけど。」
「さくら、あんたね、あたしが姉よ？」
「大丈夫さ。俺見てるし。」
「吉良君？　あなたまで。」


３人のかけ合いを微笑みながら見ている遙。
あたるの回りにはいつも人が集まっている気がする。
その温かな柔らかさは本人は気づかないだろうけど、
天を仰ぐ明るさがあって、いつのまにか惹きつけられる。
天羽もそうなんだろうと思った。チクリと刺す痛み。
これは何の痛み？
気づいてあわてる。あたしが求めているのはジムなのに。


ジムー。その名前はまた、大きな痛みを伴ってしまう。
あの口論以後、二人の間には大きな壁が出来て。
話そうとすると立ちふさがり、別の口論を招くようで。
二人の会話は減っていった。
いけない。ここでこんなこと思い出しちゃ。
感情のコントロールにこのところ自信がないから。
あわててカップを置く。
「じゃ、あたしはこれで。さくらさん、元気でね。たまには顔を見せに来て。」
「はい。遙さんもお元気で。良介君とだんなさまによろしく。」
「ありがとう。」



カランと出ていった遙の後ろ姿にさくらが聞く。
「この頃、落ち着いてるの？　遙さん。」
「・・・どうなのかな。よくわからない。なんかー、波がある感じ。」
「どうなってるんだろうね。」
どうなってるんだろう。結局遙には何も聞けないあたる。
いや、寝言なんて遙には聞けるわけもないけど。


「クリスマス、逢えるんだって？　彼氏に。」
吉良に言われて赤くなる。
「さくらったら、言った？」
「いいじゃん。いいことなんだから。」
「そうだよ。相手がいるならクリスマスは会わなきゃ。なあ？」
うなづき会う二人に返す言葉はない。
「そうそう、去年は悲惨だったもんね、あたるは。」
「え？　なんで？」
「あ、駄目。さくらったら！」
近づく別れに、３人とも意識してにぎやかになっていたのかも知れなかった。




翌日。荷物を田舎へ送った後、さくらは東京を後にした。
その格好は来たときと変わらないけど。
瞳がずいぶんしっかりしたな、とあたるは思った。贔屓目でなく。
「じゃね、あたる。合格したらすぐ知らせてよ。
　クリスマスはちゃんと、天羽さんつかまえなさいね。」
「うるさいわね。父さんと母さんによろしく。頼むわね、二人のこと。」
「まかしといて。」
「あんたもさ。無理することないから。いざとなったらあたしだって帰るから。」
「あたるこそ無理しない方がいいわよ。ーでもありがと。」
ニッと笑って駅へ歩いていった。


送ると言ったけど、イヤだと言われたあたるは、家の前で見送った。
振り返るとカヲルの家が大きかった。この広い家にとうとう一人かー。
最初はカヲルだって一人で住んでたんだけど。
いつのまにか三人になって。それから二人になって。
気が付くと一人。１２月って鬼門かな。ふと思う。
ううん、いけない。一人じゃない。
クリスマスは一緒だし、それにここにもいる。おなかを抱えて。
頑張って元気にすごさなくちゃ。ああ合格できますように。
「大掃除でもしようかな。」
寒いけど、晴れた空の冬日だった。



夕方、さくらから電話があった。
「あたる？　着いたよ。」
「父さん、なんて？」あたるが気にする。
「鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔してた。」さくらの声が笑っている。
「驚きすぎて怒鳴るの忘れてたみたい。」
「母さんは？」
「うん。びっくりしてたけど、ホッとしたみたいよ、やっぱり。」
「そっか。」
「一人で淋しいでしょ？　家が広いんじゃない？」
先に言われちゃね。
「平気よ。のびのびできるもん。」
「そ。お正月は帰って来いって、父さんが言ってる。」
その向こうから『俺は言ってねえぞー』と父の酔った、でも機嫌のいい声が聞こえた。
「わかった。なるべく戻るから。」
やっぱり嬉しいんだろう、二人とも。改めてさくらに感謝の思いが湧いた。




天羽から待っていた電話が入ったのは、深夜だった。
「あたる？　悪いな、連絡遅くなって。」
「ううん。あの・・・どう？」
「オッケー。大丈夫。夕方からだけど、時間取れるぞ。」
「ホント？　・・・嬉しい。」
それは静かな小さな声で、なのに余計に嬉しそうに聞こえて。
天羽の胸もポッと温かくなる。
「時間はっきりしないけど、店に来てろよ。」
「うん。」
「どっか行くか？」
「ううん。一緒にいられればいい。」
なんとも素直な言葉に天羽が苦笑する。ほんとこいつは。会いたくなるじゃないか。


「ケーキ、いる？」
「んー？　大きくなくていい。」
「ご馳走の方がいい？」
「あ、そっちがいいな。うまいの作れよー。」
「わかった。何にしようかな。」
あたるの声がはしゃいでいて、それが耳に心地よかった。
このあとまた修羅場でゆっくりできないからな。時間取れてよかった。
そう思うそばから、会いたいと思う自分がいる。
イブを楽しみにしてるのは、実は俺の方かな。


「じゃ、イブにな。」
「うん。あのね。」
「ん？」
「ありがと。」
「バーカ。」フッと笑って。
「俺もさ、薬の補給で助かるよ。」
「へ？」
「楽しみにしてるからなー。」
「あ、あの・・。」
切れた携帯をにらんで、あたるは嬉しいのと困ったので難しい顔をしていた。

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