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ＶＯＬ．５９　「幸せの箱」




さくらはその週、荷物をゆっくりと片づけ、その合間にちょこちょこ遊んでいた。
遊ぶと言っても買い物とか、当分行けない場所とか一人じゃ淋しいところばかり。
だが吉良がつき合ってくれた。
あたるから、実家へ戻ることに決めたと聞いて、伝言をくれたのだ。
「行きたいところがあったら、つきあうから。」
悪いかなとも思ったけど。一人じゃ淋しいのを知ってるんだ。だから甘えた。


気の置けない友人としての二人は、至って開放的に遊んだ。
カヲルとはまた違う楽さ。
でもこの先へはもう行かない二人。どちらもそれを納得していた。
聞いてみるさくら。
「ねえ、もう口説かないの？」
「口説いて欲しい？」
「・・・欲しくない。」
「俺も口説きたくない。」
「なんで？」
「なんでかなぁ。こういう女友達っていなかったからな。」
「こういう？」
「何の気も使わない関係。」
「楽だよね。」
「ああ。これから始めたなら口説いたかも知れないけどな。」
「うん。」
「ここに辿り着いちゃったんだから。俺達はここがゴールでいいんじゃねえの？」
「うん。」


吉良の言うことがよくわかった。
人と人とは不思議だ。
いつまでも残る関係もあるのに、こんな風にどこかにゴールしてしまう関係もある。
「年くってもさ、一緒に遊べるかな。」
「あ。それいいね。彼女出来たら教えて。」
「ちゃんとできたらな。」
苦笑する吉良がいい顔だと思った。
惜しいことしちゃったかな。ま、いっか。



実家にはまだ連絡していない。
父に言うとまた、あーだこーだ文句をたれるに違いないから面倒だった。
荷物と共にとっとと帰って、それから説明しようと思っていた。
だから、荷物を送るのも当日。自分が先に帰り着く予定だ。



残り３日。さくらは魚屋へ挨拶に出向いた。
やめる時ははっきり言えなかったから、ちゃんと報告して帰るべきだと思ったのだ。
世話になったから。
まだ夕方手前。人もまばら。
魚屋の店先には、見慣れない青年が前掛けをかけている。
あれが息子さんかな。
「こんにちわ。」
「いらっしゃい。なんにしましょう？」
「いえあの。おじさん、いますか？」
「親父？　・・・あ、ひょっとしてさくら・・さん？」
「あ、はい。」
「やっぱり。美人って聞いてたから。ちょ、ちょっとまって。」
青年はあわてて奥へ怒鳴る。
「親父ー、さくらさん、来てるぜー。」
「ええ？　ほんとか？」
バタバタとあわてた足音。主人が飛び出してきた。
「さくらちゃん、よくきたね〜。」
その笑顔にホッとする。あたし、この人が好きだったなぁ。


「こんにちわ。」
「おう。おまえ、よくわかったな。」
「耳にタコができちまったからさ。背が高くて、気の強そうな美人って。」
「やだ、おじさんたら。」
「いや、ほんとに。」
青年は改まってさくらに頭を下げた。
「本来なら息子の俺がさっさと手伝ってやらなきゃならないときに、
　ずっと助けてもらって。ありがとうございました。
　親父もおふくろも、あなたにほんと感謝してます。もちろん俺も。」
思いがけぬ感謝に驚いて、言葉に詰まる。
「そんな。あたしは・・逆ですよ。教えていただいた方で。」
「いいえ。帰ろうと決めてからもなかなか動きがとれなくて。
　その間あなたがいてくださったので、
　二人とも凄く心強かったみたいです。恩人ですよ、うちの。」


主人も、いつのまにかでてきたおばさんも微笑んで頷くから。
さくらは胸がいっぱいになって困った。やだ、泣きそう。
今まで生きてきて、こんな風に他人に感謝されたことがなかったから。
一生懸命やってきたけど。
やりたいことだったし、この人達が好きだったから。
それでこうしてお礼を言ってもらえて。あたし、幸せだったんだな。
「・・・あたしこそ、楽しかったです。とっても。ありがとうございました。」
気が付くと自分も頭を下げていた。
沸き上がってくる感謝の思い。
ここにいたこの１年も無駄じゃなかった。それが嬉しい。
目をこすってごまかすさくらを、３人とも温かく見てくれる。



「あの、あたしやっぱり、田舎へ戻ることに決めたの。だからご報告とご挨拶に。」
「そっか。戻るか。親父さん、喜ぶだろう。」
我が事のように嬉しそうな主人。
「まだ言ってないの。嬉しくても文句言うに違いないから。
　さっさと戻っちゃおうと思って。」
「いつ？」
おばさんもニコニコと聞く。
「日曜に。」
「そう。ご両親ほんとに喜ぶわよ。でも淋しくなるわね。」
「ほんとだよ。」主人も頷く。
「おばさんもおじさんも、何言ってるの。
　息子さんもお孫さんも来たんでしょ。淋しいわけないじゃない。」
「それは違うさ。さくらちゃんはさくらちゃん。
　誰も代わりはできないからな。いなくなったら淋しいよ。仕方ないけどな。」
主人の言葉が沁みた。誰も代わりはいない。


「ありがとう。またこっちに来たときは顔出します。」
「もちろんよ。必ず来てね。」
「それまでにこいつを一人前にしとかねえとな。
　今んとこ、さくらちゃんの足元にもおよばねえんだから。」
「きついな、親父。これからなんだからさ。」
「すぐでしょ。おじさんの息子さんだもの。あっと言う間よ。」
「だといいけどな。」
「ほんと、また来てください。いつでも歓迎です。」
息子が笑顔で念を押す。
「ありがとうございます。」
「孫を見て欲しかったんだけど。」残念そうなおばさんの顔。
「今日はちょっと出かけててね。」
「今度来たときは是非。」微笑むさくら。
「さくらちゃん。」
主人が改まる。
「ほんと、ありがとな。親父さんを助けてやれよ。
　さくらちゃんにもいいことあるぜ。俺が保障する。あんた、いい子だから。」
口を開いたら今度こそ泣きそうで、さくらは黙って頷いた。
いい人達だった。その中にいられて嬉しかった。


ボツボツ人が増え出す商店街。
魚屋をあとにして抜け出そうと思ったとき、目の前にー伊倉がいた。
立ち止まるさくら。
いつからそこにいたんだろう。
もう陽は沈んで、街灯の下あちこちの店から、
威勢のいい客引きの声が飛び交っている。
でもさくらと伊倉だけ、ポツンと静けさの中にいた。


さくらは歩き出すと、伊倉の前で立ち止まる。
「どうしたの？」
「いや、今日休みでさ。久しぶりにここ歩いてたら、おまえがいたから。」
びっくりしたのだ。この頃買い物に来ることもなくて。
さくらが魚屋でバイトしてたことなど知りもしなかったから。
「魚屋に知りあいがいたのか？」
「バイトしてたの。もう終わったんだけど。」
「バイト？　魚屋で？」
「驚くことないじゃん。あたし、干物屋の娘だよ。」
「だってさ。ブティックは？」
「とうにやめてる。」
「そうなの？」



ふたりはなんとなく歩調を合わせた。一緒に歩くのは夏の祭り以来だ。
「なんで魚屋？」
「性に合ってるってわかったから。」
「ふーん。」
「休みって代休？」
「いや。有休。サボり。」
「駄目じゃない。栄転間近なのに。」
ギョッとする。なんでそんなこと知ってるんだ？
「あの人。」
「え？」
「お見合いした人、素敵な人だね。」　ああ、見かけたって言ったっけ。
「おまえの彼氏だってカッコイイじゃん。」
さくらは唇を噛んでから、サラッと言った。
「あれ、嘘よ。」
「・・・は？」
「嘘。吉良くんは彼氏じゃないの。」
「え？　ええっ！？」
伊倉の声が裏返る。


「あなたに素敵な彼女が出来たのに、あたしが一人じゃ悔しかったんだもん。」
「だってさ、あいつ否定しなかったぜ。その気あるんじゃ？」
「確かにちょっとだけつきあったの。でもやめちゃった。
　いい人だから黙って合わせてくれたんだ。」
合わせてくれた？　ほんとなのか？　まだ若いのに。
伊倉の気持ちはグラグラ。ホッとしたのとあせるのとでごちゃ混ぜ。
「なんだよ。いい男つかまえたと思って安心したのに。
　おまえのこと頼めると思ったのにさ。」
その強がりにさくらが振り返る。
「あのね。」
伊倉も立ち止まる。


「前にも言ったよね。『何が幸せかはあたしが決めるの。』」
甦るあの時。
そう、さくらはそう言った。はっきりと。
「一人でも、あたしはちゃんと幸せになるから。心配しないで。」
上ってきた月がさくらの後ろに見える。
「だから、あなたもちゃんと、幸せになってね。」
伊倉は言葉を失う。俺の幸福？
「あなたの幸せはあなたが決めるんだから。」
そう言ってニコッと笑うと、背を向けて歩き出す。ゆっくり遠くなる後ろ姿。
なにか、なにかが遠ざかる。焦りが伊倉を押す。
「さくら！」
さくらはチラッと振り返って、手を振った。
「またね。」
それだけ言うと、今度は走っていってしまった。


何で俺は動けないんだ？　俺はどうしたいんだ？
俺の幸福？
そんなの考えたことなかったから。
あると思ってなかった箱が、突然目の前に現れて。
伊倉はうろたえてオロオロしていた。
何を詰めればいいのか。何を選べばいいのか。
「幸福」という名の箱。器だけではただの飾り物。
決められるのは自分だけなのに。



家に戻りながら。
さくらはセーターの下、首にかけていたチェーンを引っぱり出す。
そこにぶらさがっているのは、夏祭りで伊倉に買ってもらったガラスの指輪。
街灯に青く光を弾く。
「返せなかったなぁ。さよならも言えなかった。」
そう、言えなかった。泣かずにすんだけど。これで最後なのに。
結局最後も　「またね」。そう言ってしまった自分。
でも。あたしの幸せ。ちゃんと見つけてみせるから。
もう一度握りしめる、青いガラスの指輪。
今のさくらの幸福の箱の中身。
さくらだけの。



その夜遅く。あたるは自分の部屋で、天羽の携帯にかけていた。
出るかな。駄目かな。
発信音と同じ速度で鼓動が聞こえる。
「もしもし。あたる？」
出た。ホッとする。
「うん、あたし。今どこ？」
「戻ったところ。」
「今日は帰れたんだ。」
「ああ。３日ぶりかな。」
「・・・凄い状態だね。寝てるの？」
「ん。会社に詰めてる方が仮眠はとれてるよ。移動の時間だけ。」
「そう。」
「どうかしたか？」
「え？　う・・ん。あのね。」
こんなに忙しいのに、こんなこと言ったら怒られるかな。
躊躇する。
「何だよ。ちゃんと言えよな。」
そうだ。言わなくちゃ。やっと気力をふりしぼる。


「・・クリスマス、一緒に過ごせる？」
ためらいためらい口に乗せた言葉に、天羽がちょっと黙る。沈黙が重くてあせる。
「あ・・の・・・やっぱり無理？　かな？」
「んー・・。ここ１ヶ月がヤマだからな。」
「でも。お正月はもっとでしょ。」
「ああ、多分。」
「・・・駄目？」
あたるの声音に、フッと思い出した天羽。
そうだ。去年のあたるのクリスマスは最悪だったっけ。
イブの記念日に同棲相手の健が逃げてしまって。
結構今でも尾を引いているおいてきぼりの傷。
それでクリスマスか。



とにかく忙しくて。なにも考えられなくて。
あたるがいることにすっかり安心していて、頼ってる。
逆に思いやること忘れてるな、最近の俺は。
こないだの試験の時だって。
それでも結局許してくれるから、ついつい。
あたるだって強い訳じゃない。わかってるはずなのに。
「あの、無理ならいい。ごめん。忙しいのわかってるのに我が儘言って。」
黙り込んだ天羽にあわてて、あたるが言いかける。
「あたる。」
「はい。」ビクッとする。
「言いたいことは言えって言ってるだろ。」
「だから・・・言っちゃったけど・・ごめん。」無理だよね。
「謝るなって。」
ホッとため息になる。ホントこいつは。


「ごめんな。俺忙しくて余裕無くてさ。
　そうだな、正月はもっとどうにもならないだろうから。
　イブの夜くらい、なんとかするか。」
「・・え？」
「他の奴らも少しはゆっくりしたいだろうし。
　休みってわけにはいかないだろうけど、夜ならなんとかなるか。」
「・・・いいの？」
「ちょっと待っててくれ。相談してみないとはっきり言えないけど。
　息抜きもいるからさ。最後のスパート前に。」
「ほんと？」
嬉しさ半分、不安半分のあたるの声が切なく聞こえる。
「ちゃんと調整できたら、連絡するから。でもなー。
　ヒマ無いから何もしてやれないぞ、きっと。」
「ううん、逢えればいい。それで十分。」
フッと笑う天羽。


「おまえね、そんな修行僧みたいにストイックでどうするの。」
「へ？　修行僧って？」
「俺はせっかくなのに、逢うだけなんてごめんだぜ。」
「は？」
「薬切れるからな〜。」
「バ、バカ。」
焦る。あたし今、薬にはなれないのにな。
「よっしゃ。楽しみ出来たから、踏ん張るかな。あとちょっとか。」
「ん。」
「そうだな、週末にはちゃんと連絡入れるよ。それでいいか？」
「待ってる。」
「あたる？」
「ん？」
「ごめんな。この頃ろくに話もできなくて。」
「ううん。体・・気をつけてね。」
「おう。じゃまたな。」



切れた携帯を握りしめてホッとする。
かけてよかった。クリスマス一緒にいられる。
話さなきゃならないことがあるから、怖くもあった。
ひょっとしたら、クリスマスの雰囲気なんて吹っ飛んじゃうかもしれない。
でも逢いたい。逢わなくちゃ。
なんて話そう。
あ、遙さんのこと、聞き損ねちゃったな。聞けないかな。


あたるもまだ、箱の中身を決められなかった。
選ぶのは自分だけど。
幸福の箱。

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