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ＶＯＬ．５６　「打ち寄せる波」




あたるが店から戻ると、さくらが虎になっていた。
「あったる〜。おっかえりぃ〜。」
もうベロベロ。
「ほらぁ、今日は奮発したの。ピザにぃ、お寿司にぃ、焼き鳥にぃ。」
全部つまみに見える。
「ねえ、これが夕飯？」
「んー？　なんか言ったぁ？」
「・・・夕飯なのね。」
見ればすでにビールの缶が５，６本転がっているけど。
そんなに弱い方じゃない。こんなんでできあがるわけないのに。
・・・何かあったな。
「ねー、ほらあ。あたるも飲もう。」
空いてない缶ビールを押しつけられてしまう。
あたしは飲めなくなっちゃったんだけどな。とりあえず受け取って開ける。


「あんたどうしたの？」
「ねえねえ、このピザおいしいよ〜。」
「何かあった？」
「焼き鳥がね、またタレが好みでさ〜。」
「あったのね？」
「焼鳥屋さんにさ、バイトのいい男がいてね。あたしにおまけしてくれてね〜。」
「ゲソと何かあった？」
いきなり黙った。マジな顔になる。あれ。やっぱり酔ってない？
しまったと思ったけどもう遅い。さくらは又ビールを煽る。
「ちょ、ちょっと。やめなって。そんな飲み方したって。」
「うるさいわね！　飲みたいのよ〜。」
「だからって・・ほんとどうしたの。」
内股に座り込んで、缶ビールを握りしめるさくら。


「・・・伊倉の見合い相手に会ったの。」
「見合い？　ゲソが？」
素っ頓狂な声をあげるあたる。初耳だ。
「ゲソがねえ。どんな人？」
さくらのことだから、ぼろくそにけなすかな。そう思ったのだが。
「素敵な人だった。」
思わずその顔を見直す。
「美人じゃないの。美人じゃないんだけど、落ち着いた大人の雰囲気で。
　小柄で優しそうなの。」
うーん。イメージがさくらと正反対だ。
「あたし、いきなり声かけて。伊倉の悪口並べたんだけど、
　全然動じなくて。ニッコリされちゃった。」
誰かと似てる。
「あ、遙さんに似てる？」
「ちょっと違う。もっとね、引いてる。でも遙さんより強いかも。」
ふーん。
「でもなんであんた、知ってるの？　ゲソが見合いしたって。」
あたるの問いはもっともだ。


「こないだ来たのよ。リサイクルショップに。」
「その人が？」
「まさか。伊倉がよ。」
「ゲソが？」
「うん。天羽さんに会いたかったみたいなんだけど。」
時々来てたな、確かに。ここ２，３ヶ月見なかった。
さくらとのことがあったからだと思ってた。
「吉良君もいたのよ。」
「げ。」
あたるは顔をしかめる。それはあんまり。
「大丈夫だったの？」
「なにが？」
「だって。もろトライアングルじゃん。」
「元って言ってよね。あたしはどっちとも終わってるんだよ。」
「嘘ばっか。」
「何よ。」
「終わってないじゃん。
　少なくともゲソのことは。終わってないから荒れてるんでしょ。」
そのとおりだ。唇を噛むさくらをあたるは横目で見る。


「で？　ゲソと話したの？」
「・・・あいつ、あたしと吉良君がつきあってると思ったみたい。」
ほんと、そういう勘はいいよね、ゲソって。
まあいいっていうか悪いって言うか。
そのくせさくらの本心は読めないんだから困る。
「違うって言わなかったの？」
「その前に女連れのあいつ、見かけたの。カマかけたらお見合いしたって。」
あちゃー。その後の展開が目に浮かぶ。
「わかった。意地張り合った訳ね。」
「だって！」　さくらの声が大きくなる。


「だってあいつ、その相手のことかばうんだよ。あたしがけなしたら。」
「それはけなす方が悪いんじゃない？」
「違うの。今まで誰とつき合っても、一緒に言いたい放題言ってたのよ。
　それでなだめてくれたの。なのに。」
さくらのショックが少しわかった。ほんとにまだゲソのこと、忘れてなかったんだ。
平気な顔して名前も出さなかったのに。
「結局でもそこでは、ケンカ別れしたんでしょ。」
「なんでわかるの？」
「いつものパターンじゃん。」
ならゲソもまださくらのこと？　首を傾げるあたる。
「え？　それでどうして、あんたがその見合い相手に会ったの？」
さくらが黙り込んだ。
あたるは急かすこともなく待った。ピザと焼き鳥をつまみながら。


「吉良君に言われたの。」
「ん？」
「ちゃんと・・・当たってみろって。もっぺん。」
「そっか。」
吉良君もなー。勘いいもんな。バレバレだよね。でもそう言ってくれるなんて。
「いい奴じゃん。」
「う・・・ん。」
うなづくさくら。ほんとにいい奴。
「じゃ会いに行ったんだ、ゲソの所に。」
「そのつもりだったの。」
「行かなかったの？」
「入り口で。逢っちゃったの。」
「あ。その人に？」お箸でつまみかけた寿司が宙に浮く。
「あんたよくわかった・・・そっか。見かけてたから。」
「うん。」
「話しかけちゃったの？」
「うん。」
さくらのこの気の強さが時々無性にうらやましい。


「伊倉ね、ロンドンに行く話があるんだって。」
「ロンドン？」
あたるが目を丸くする。
「栄転。あいつ元々、仕事はすっごくできるもん。」
遊んでいるゲソからは想像もつかないのに。ほんとなんだ。
「だからお見合いしたのよ。」
「え？　どういう意味？」
「海外赴任は妻帯者が条件なの。昔そう言ってたもん。
　離婚する前にも話あったらしいんだけど、
　その頃は面倒くさがってて、あんまりその気なかったみたいだった。
　この頃仕事頑張ってるんだよ。あの人のためなのかな。」
「え？　え？　じゃあ、結婚と栄転がドッキングしてセットなの？」
「上司の肝いりの見合いだって言ってたもん。」


さくらがどんどんうつむく。あたるの眉が寄る。
それじゃあ断るのも大変だろう。断る気もないのかも。
伊倉はさくらをあきらめて、結婚と栄転に賭けたのだろうか。
お祭りから３ヶ月。
新しい恋が始まっていても不思議はないのだ。
でもその３ヶ月ずっと。さくらはみつめていたんだ。
やっぱり伊倉に戻ってしまう自分の心を。
なのに。



「だからやめた。」
「は？」
「その人に伊倉のこと頼んじゃった。」
「え・・えええー？」
「だって。他にどうしようもないじゃん。」
あたるは言葉が出ない。
「伊倉が決めたんだから。あたしが入る余地ないじゃん。
　あたしが・・・役に立つ場所もないよ。第一、栄転の邪魔なんてしたくないし。
　あいつ仕事が好きだもん。仕事してる時の目つき違うの。知ってるから。」
「それでいいの？」
「いいの。」
「ホントに？　だってあんたまだ、ゲソが好きなんでしょ。」
あたるのはっきりした問いにさくらの声が震える。
「あたしがさよならしたんだもん。」
つぶやくと噛みしめる唇。きつくきつく。立てていた片膝を抱え込む。
「伊倉は向こう側になっちゃったよ。・・・諦める。」
絞り出した言葉は自分への戒め。やがて肩が震え出す。


「さくら？」
「えっ・・・えっ・・・んっ・・。」
噛みしめるように泣く。そんな泣き方は似合わない。
「バカね。我慢しなくていいじゃん。二人しかいないんだから。」
その肩を抱いてやりながらあたるが言うと、抱きついて泣き始める。
「あーっ・・んっ・んっ・・・んっ」
夏も泣いていた。あの時はカヲルがいた。
さくらなりにやりたいこと見つけて頑張ってきたのに。
どうしてこう、思い通りに行かないんだろう。
いつの間にかあたるの膝で泣きじゃくるさくらの、
きれいなストレートの髪をなでてやる。
泣いて。
忘れられるといいのにね。


そのまま眠ってしまったさくら。
そっと膝をはずして、布団をもってきてかけてから、後かたづけをすませる。
人は思うようにいかないことがたくさんある。
さくらもあたるも。誰も彼も。
もう一度さくらの様子をのぞいてから、自分の部屋に戻った。
両手で包み込むお腹。それから思う天羽。
「仕事してるときの目つき。違うの、知ってるから。」
うん、知ってる。
仕事の顔つき。別の人。あたしの知らない顔。
携帯を取り出すと１２時前。いるかな。
かけてみるけど出ない。留守電メッセージに切り替わる。
ホッとため息をついて切る。


遙と何の話をしたんだろう。
こないだは遙のことは何も言ってなかった。寝言以外は。
そう寝言だけ。
それがあたるを不安にさせる。遙の様子と共に。
徹夜明けでも来てくれた天羽。嘘はないと思う。でも。
こちら側と向こう側。さくらはそう言って思い切った。
同じ岸で隣に立っていて欲しいのに。
ひたひたとうち寄せる波音がするようで、あたるはふと身震いした。




「あたる！　起きて！」
「んー・・？」
さくらの声に起こされた。寝ぼけ眼で見上げると呆れた顔。
「今日も仕事じゃないの？」
「え？　あ。何時？」
「８時半。朝ご飯作ったから。」
それだけ言ってトントンおりてってしまった。
着替えもせずにベッドに転がったままだったようだ。
やだなぁ。これじゃ逆じゃない。顔を両手ではたくと下へおりる。



いつもどおり。ごはんと味噌汁と干物と漬け物。
ホントいつも通りだ。
さくらを見ると、ちょっと目は腫れぼったいけど、そんなにひどい顔じゃない。
「何よ？」
「ううん。ちゃんと起きたんだ。」
「酔っぱらいより寝坊しちゃだめでしょ。」
「うっ。」突っ込まれてへこむ。
「でもありがと。」
「ん？」
「泣いたら随分スッキリしたよ。あたし、泣きたかったんだね。」
照れたようなでも、哀しげな微笑がさくらを大人びてみせる。
「・・そう。よかった。」
それしか言えない。
よかったことなんて何もないのに。
よかったことにしなくちゃしょうがない。



「でね。あたし、帰ることにしたから。」
ごはんを食べながら言うさくらに、味噌汁をのみながらあたるが聞き返す。
「どこへ？」
「帰るったら田舎しかないでしょ。」
「え？　又行ってくるの？」
「行くんじゃないってば。帰るの。父さんの干物屋、手伝うことにした。」
「ゲホッゲホッ！！」
あたるは思いっきりむせた。
「ああ、何やってんのよ。」
あわてて布巾とティッシュを差し出すさくら。
テーブルと床にこぼれた味噌汁をふき取ってから、座り直すあたるの目はまん丸。
「干物屋、継ぐの？」
「まだそこまで言ってないわよ。でもとりあえず家に戻る。
　戻って父さん手伝うつもり。」
あたるにとってはあまりにも突然のさくらの宣言。
二の句が継げないでポカンとしている。


「ゲソのことでやけになってない？」
「ちがうわよ。」
「なにもさ、いきなり田舎へ引っ込まなくたって。それは極端でしょ。」
「違うの。ずっと考えてたのよ。父さん倒れてから。」
あたるを黙らせてから、さくらはポツポツと話し出す。
「ほら、父さん倒れる前からあたし、魚屋でバイト始めてたじゃない？
　それが性にあってて、楽しいって思って。」
「うん。それは。」わかってるけど。
「そしたら父さん、倒れちゃったでしょ。
　元々ね、手が足りなかったらしいの。この数ヶ月。」
「ええ？」
「なんかさ。手作りブームで人気が出てきて。
　まあ二人でやってるから数増やすわけにもなかなかいかないんだけど、
　これまでの卸とかにもなんとかもうちょっとって頼まれてたらしいの。」
そういえば母さんがそんなこと言ってたような。


「頼まれると結局駄目って言えないじゃん。それで無理したらしいのね。
　そこへあの夏の暑さでさ。７月に倒れたのはそれだったらしいよ。」
「そうなの。」
「ん。で、２度目でしょ。まあつきあい長いし、もともと数そんなに増やしてないけど。
　それでも待っててくれる卸とかあったり、相沢食堂もあるでしょ。
　それで気が急いちゃったのね、病院でも。」
「知らなかったよ。」
「言わないから。あたしはあたるより長くいたでしょ。
　たまたま母さんに聞いたんだけど。やっぱりあたるには言うなって。」
なんでみんなあたしにそう、気を使うかな。勝手なことやってるのに。
あたるの表情を読んだように、さくらが続ける。


「あたるがさ、思いっきりやりたいことに向かってるのって、初めてじゃない？」
言われて顔をあげるあたる。
「そう言うときはやらせてあげたいわよ。父さんも母さんも。
　あたしだってそう思うくらいだもん。」
「さくら・・。」
「この冬なんてこたつ虫するヒマもないじゃない。」
『こたつ虫』
忘れてた。
そうだ。あたし、毎年冬には潜ってたっけ。ううん。夏だって。


「あたるはやりたいことがこっちにあるからいいの。
　でもさ、あたしのやりたいことは田舎でも出来る、っていうか、
　むしろ家に戻った方ができそうじゃん。」
「けどあんた、にぎやかな方がいいって。」
「だから、干物屋継ぐとはまだ言ってないわよ。
　しばらく手伝って。大丈夫そうなら、家から通える別のとこも当たってみるつもり。
　卸にも興味あるから、競りも行ってみたいし。」
さくらの言葉は無理してるという感じではなく、本気に聞こえた。
「そのつもりでここ２ヶ月、魚屋のおじさんに修業させてもらったし。」
「修業？」
「ん。魚屋の基本みたいなの？
　干物屋と親戚みたいなものだから。絶対役に立つと思って。
　おかげで魚のこと随分覚えたの。一通りのさばきかたも習ったし。」
「あんた、そんなことまで？　いつのまに。」
その用意周到さに驚く。ほんとにずっと考えてたんだ。
「なんか、あんたの方がよっぽどしっかりしてるわね、この頃。」
悔しい気さえする。
「元々でしょ。」
涼しい顔でお茶を入れるとあたるに差し出した。



「でもさ、あんた田舎が嫌でこっちに来たんでしょ。ホントにいいの？」
「違うわよ。」
言下に否定するさくら。
「あたしは、伊倉のそばにいたかったのよ。」
思い出すようなその声は、まだ生々しい辛さが滲む。
「でも今は、逆にこっちにいる方が辛いし。」
「さくら。」
「いずれはロンドンに行っちゃうんだろうけど。
　それまではこの街だと逢いかねないし。
　急に姿が見えなくなればなったで、それも嫌だし。」
湯飲みから立ち上る湯気にかすむ瞳。
「それより自分でここを見切る方が潔いでしょ。
　あたしが伊倉を卒業するの。その方があたしらしいよ。」
そう言ってあたるを見るから、もう何も言えない。
さくらにとっては今、あらゆる矢印が田舎を指し示しているのだ。


「・・・あんたがそうしたいなら。」
「もちろん。」
あたるは改まって座り直すと、さくらに頭を下げた。
「父さんと母さん、お願いね。」
今度はさくらが目を丸くした。
こっちにいると決めたあたるの痛み。それが今さらわかる。
「まかしといて。無理したら首根っこ抑えて、布団に縛りつけとくから。」


「いつ帰るの？」
「んー。来週の日曜にするかな。荷物して。せっかくだからちょっと遊んで。」
「そっか。クリスマスにはいないんだ。淋しいな。」
「何いってんのよ。クリスマスは天羽さんと過ごすでしょ。」
「今年は無理っぽいもん。」
「えー？　駄目じゃない。またほっとかれてる？
　クリスマスくらいそれこそ無理させなさいよ。」
「そんなこと言ったって。」
「ほんと、そういうとこ消極的よね。
　健ちゃんに逆プロポーズする気だった根性はどこいったのよ？」
苦い思い出を突かれる。
「あれは又、別だもん。」
「去年だったよね。」
「うん。」
「もう１年かぁ。」
去年の今頃、さくらはまだ田舎にいた。店番していた。
あたるは健と暮らしていた。
この家にはカヲルがいた。
１年の間に、なんていろんなことがあったんだろう。


「あんた、クリスマスまでいれば？」
「嫌だって。クリスマスは家に戻ってやるの。父さん達だって淋しいじゃん。」
「・・・そっか。」
「いい？　あたるはちゃんと天羽さんつかまえるのよ。
　あたしがいる間に段取りつけなさい。わかった？」
「えー。そんなの無理だよ。」
「なんならあたしがつけたげようか？」
「い、いいってば。わかったから。」
そうよね。クリスマスくらい一緒にいたい。初めてだし。去年淋しかったから。
話さなきゃいけないこともある。指に触れるお腹。
決めた。クリスマス、聞いてみよう。



「ほら。仕事遅れるよ。片づけはあたしがやるから。」
「ん。お願いね。」
「あとでのぞきにいくよ。」
そう言って洗い物にとりかかる後ろ姿。
さくらもここからいなくなる。
あたるの胸はふいに、寂しさで締め付けられた。

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