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ＶＯＬ．４７ 「カヲルの闘い」 ニューヨークの秋から冬へは駆け足だ。 行き交う人もすっかり冬支度になっている。 その雑踏の人の波にカヲルが紛れている。 デザインを考えて朝となく夕となく、 いろんなストリートにカヲルの姿が見られた。 ニューヨークに身を置いて一ヶ月経つ。 ちょうど季節の変わり目でもあり、 ファッションが一気に冬へと変わっていくのが見えた。 そんな街の中をヒントを探して巡り歩く。 アパートに戻ると浮かぶデザインをとにかくスケッチしていく。 インスピレーションが勝負だ。 あとで取捨選択ももちろんかけるが、なにしろ目標数は１００点。 それを自分なりではあってもある水準にそろえることは 並大抵ではなかった。 洋子のフォローも大きかった。 １２月半ばの出産に備えて、ようやく産休をとった洋子。 用意周到な彼女だから出産準備はすでに万全。病院、手続き、諸々。 時間に余裕が出来たので、 カヲルのデザインにあれこれ批評、助言をしてくれる。 これまでそれほど長く時間を共にしていない二人にとっては、 まるでハネムーンのような毎日・・・と密かにカヲルは思っていた。 洋子に言えば笑い飛ばされそうだったが。 その日も約束していたので、 夕方になると洋子のアパートメントへ向かった。 「いらっしゃい。」 きちんと自己管理している彼女は、体重増加も５，６キロに抑えているが、 さすがに臨月直前のおなかは前にはっきり突き出ている。 巨大な風船のようで、見るたびに心配になるカヲル。 「何？」 「いや。破裂しないかなって。」 「バカね。」 「ごめん。」頭をかく。 バカだよな、やっぱり。 「男の子かな。」 「どうして？」 「前に突き出ると男の子だって言うじゃん。」 「そう？」 「どっちか聞いてないんだ？」 「ええ。教えないでって先生に。」 「どうして？」 「どっちでもいいから。どっちでも待ってるから。」 赤ん坊の事を話すときの洋子は、優しくて柔らかい表情になる。 それが見たくて、カヲルはつい赤ん坊の話にすることが多い。 「そりゃそうだね。どっちでもいい。」 夕飯を食べながら、また話を持っていく。 「名前、考えたの？」 「まだなの。決めとかなきゃいけないんだけど。」 「両方考えておけばいいじゃない。」 「そうよね。でも迷うのよ。」 ふとカヲルに言う。 「女の子は貴方が決めて。」 「え？」 「男の子は私が考えるから。」 「いいの？」 「もちろん。」 「えー。俺どうしよう。どんなのがいいんだろう。」 カヲルが嬉しそうに焦る。それを見て洋子も又嬉しくなる。 後かたづけをカヲルがやるのは習慣だ。 さすがに洋子も立ち居が大変になっている。 「ごめんなさい。いつも。」 「別に。日本でも当たり前だったし。」 「そうだったわね。あたるさんやさくらさん、元気かしら。」 「元気だろ。」 それで思い出した。 二人にもらった洋子宛のお守り。じつはまだ渡していない。 あまりそういうものに頼るのが好きそうに見えなくて、ためらっていたのだ。 ポケットに入っている。 「あいつらさ、俺にお守りくれたんだよ。」 「お守り？」 「ああ。近くの神社の奴。念を送ってくれるって。」 「あの二人らしいわね。」クスクス笑う。 「効くといいけど。」 「でもさ、神頼みしたくなるときあるじゃん。」 「駄目よ。その前に自分で出来ることをやらなくちゃ。」 いかにも洋子らしいけど、これじゃお守りのことは言い出せない。 片づけ終えると、カヲルは時計を見る。 「じゃ、俺帰るわ。」 「もう？」 「ん。今日の分戻って描かなきゃ。時間がなくなる。」 送ろうと洋子が立ち上がる。 「よっこいしょ。」 その言葉にカヲルは驚いた。 目を丸くして見つめられて、今度は洋子が聞く。 「何？」 「今さ、かけ声かけた？」 「え？」自覚してなかったらしい。 「よっこいしょって。」 「嘘。」 からかわれてると思ったらしいが、マジな顔のカヲルにびっくりする。 「ホント？」 「うん。」 「・・・やだ。ちょっと太りすぎたのかしら。」 「そんなことないだろ。もうすぐに臨月なんだから。あたりまえだよ。」 「でも。」 変に気にする洋子に笑ってしまう。 「笑わないでよ。」今度はすねる。 こういう洋子は滅多に見られないので、ほんとに可愛い。 そっと抱きしめる。 難しい顔をしていた洋子が、そっともたれかかる。 「おかしいわよね。もうじき母親になるっていうのに。」 「いいじゃん。明るいお母さんで。喜ぶよ。」 「そう？」 「ああ。」 抱きしめていたいけど今はその時間もない。そっとキスだけ。 「じゃ又。」 「ええ。頑張ってね。」 ドアを閉めたあと、ホッとため息を付く洋子。 このところ自分が不安定だなと思う。近づく出産に緊張している。 怖い。認めたくないけどだんだん怖くなってくる。 つい強がってそれを見せまいとするけど、なぜかカヲルには見抜かれる。 何故だろう。 抱きしめてもらうと子どもみたいに安心する。 それじゃいけない。母親になるのに。一人で育てるのに。 そう。これは自分が決めたこと。なのについ頼ってしまいそうな自分。 自信がない。怖い。もし。何かあったら？ ううん。そんなこと考えちゃいけない。 このところの洋子は、平常心を保つのに必死になっていた。 洋子のアパートから２０分。 もう慣れた道をたどりながら、ポケットから渡しそびれているお守りを取り出す。 「あーあ。渡せないなぁ。」 タイミングがつかめないのに参る。 「ま、お産までに渡せればいいか。」 あたるとさくらを思う。自分のもらったお守りを出して念じる。 １日１回。これをやるのが癖になった。 二人のために念じると、自分も落ち着くのだ。 （あたるが合格しますように。さくらが幸せになれますように。 ついでに俺もうまくやれますように。） 「よっしゃ、早いとこ帰ろう。」 走り出す。 ニューヨークの摩天楼の彼方に、星がまたたいている。 翌日カヲルは、ニューヨーク支社の楢崎の処に向かった。 週に一度、進行状況の報告に行く約束になっている。 ついでにいろいろなアドバイス、注意もしてくれる。 楢崎の目は厳しい。 渡米して一ヶ月。カヲルはすでに７，８０点のデザインを提出しているが、 楢崎のＯＫが出たのはその３分の１のみ。 目標の１００点は遠い。間に合うだろうか。 並行してコンペの準備も進めなくてはならない。 予想はしていたが、かなりのきつさだ。 楢崎は妥協しないし、どれだけ経験が浅くてもカヲルにだってこだわりはある。 二人のやりとりは丁々発止。火花を散らすものになりつつあった。 カヲルがこの１週間描いてきたデザインを、楢崎が見る。 その間にコンペに向けて作っている作品を他のスタッフと打ち合わせる。 「この布地だとこのラインは難しいんじゃ？」 「そうですか？ でもこういう肌触りと光沢は。」 「ならこっちにちょっとタックを入れるなりしないと。あ、こっちの生地だと。」 こっちもこっちでバトルのようだ。 コンペのためデザイナーには、 それぞれ課からひとりずつ担当者がついてくれた。 めいめいのために、親身に動いてくれるからお互い情も移る。 担当のデザイナーを勝たせたい。そう願うから相手の要求も厳しくなるわけだ。 楢崎はまた、それを狙っているのかも知れなかった。 デザインの詳細についてカンカンガクガク意見を戦わせた後、 今度は楢崎が待ちかまえている。 「使えるのはこの１０点だな。」 提出したのは３０点。やはり３分の１ペースだ。 選び出されたものに目を通すカヲル。 自分が気に入っていたのに、落とされたデザインをとりあげる。 「これは？」 「あまりにも既成デザイナーの影響が見えすぎる。 デザイン自体は美しいが、オリジナリティをもっと出さないと。」 「じゃこっちは。」 「逆に機能性に欠ける。 君のターゲットはあくまでも３０代キャリアだということを忘れないでくれ。」 楢崎の意見にはもちろん、納得できない部分も出てくる。 そこで激論になるわけだが、どちらも冷静にやるので、 あとにあまりしこりは残らない。 若い割に老成していると、楢崎はカヲルのその辺も評価していた。 だが、カヲルは楢崎に対して、最初から微妙なこだわりがあった。 表には出さないようにしているが、常に意識している。 なぜならそれはいつも、楢崎自身の口から出てくるから。 打ち合わせが一段落した時。 「彼女は元気かい？」 彼女とはもちろん、洋子のことだ。 まだ産休に入って２週間かそこら。 病気じゃないのだから、そんなに気にすることもないだろうに、 会うたびに洋子のことを聞かれる。 表向き、洋子とカヲルは遠縁と言うことになっていたから、 そのためかとも思うが、それにしても。 その聞き方は社交辞令ではなく、 さりげなさを装いつつ真面目に気にしているのがわかる。 彼女をニューヨークまで引き抜いたのは楢崎らしいから、 気にするのは当たり前かも知れないが。 この土壇場で産休を取ってしまったのは計算外のはずだ。 そんな部下に対する上司以上のものを感じてしまうカヲル。 「ええ。特に変わりは。」 とりあえずそうこたえる。実際変わりない。 だがこの１ヶ月、だんだん洋子に関しては口が重くなっていく。 「気をつけてやってくれ。彼女は些細なことで、結構神経質になりがちだ。 お産前だし。それでなくても、女性はブルーになりやすい。」 これは上司の台詞だろうか？ なにかを誇示しているようにも思える。 以前から少しずつ感じていた疑問が、カヲルの中で形を取り始めている。 楢崎と洋子の間には何かあったのだろうか？ まさかとも思う。 楢崎には妻子がいる。子どもはもう高校生と聞いた。 なら洋子とはどう計算しても不倫になる。 そういう部下をわざわざ、ニューヨークまで呼び寄せるだろうか。 寄りを戻そうにも、ニューヨークへきた彼女はすでに妊娠していたわけだし。 うち消しながらも、楢崎が示す洋子への親密さに、 カヲルはとまどいと違和感を感じないわけにはいかなかった。 だがそれは二人の間だけの事だ。 今の楢崎はカヲルにとって、チャンスをもたらしてくれた人であり、 心強い味方であり、スポンサーでもあるのだ。 なるべく不快感を押し込めて、 カヲルは目の前のやるべきことに没頭しようとしていた。 「少し遅れ気味だ。ペースアップしてくれ。」 「わかりました。」 時間とプレッシャーと闘うカヲルの毎日だった。 |