＜Home＜二次創作メニュー＜本編メニュー back＜ ＞next
|
ＶＯＬ．４１ 「逢いたかった」 天羽は酔っていた。 珍しかった。 いつもひとり静かに飲んでいて、誰かが酔っぱらうと介抱してやる。 送ってやったりケンカを止めたり。でなければいつの間にかいなくなる。 そんな天羽が酔っていた。 だが天羽が酔っていることに気づく人はいない。 酔ってもあまり変わらない。騒ぎもからみもしない。 ただいつもより少し饒舌。いつもより人の中にいる。 立木は気づいた。 昼間の天羽も気になっていたのだ。どうしたんだろう。 さりげなく隣へ移った。手には例によってウーロン茶。 「天羽さん。」 「よう、立木。どうだ、調子は。」 立木は同じプロジェクトだが、チームは違っている。 「ええ。初めてですから、やっぱり難しいですよ。いろいろ。」 「頑張れよ。おまえは力あるんだからさ。」 そういう口調はいつも変わらない。励ましてくれる。 「そういえばさ、竹井、どうしてる？」 ９月から新人は皆、新しい仕事に散っていた。 立木が天羽のプロジェクトに呼ばれたように、 リカは他の進行中プロジェクトに配された。 出向なので、天羽とはまるで顔を合わさなくなっている。 でもどうやら、立木とつき合い始めたと聞いていた。 「元気ですよ。大分慣れたみたいです。 やっぱり愚痴は言ってますけど。」 立木が笑う。 それを見て安心したように天羽が微笑む。目がからかいになる。 「へえ。うまくいってるみたいじゃん。」 「え？ あー、その。」 「なんだよ。」 「いや。あいつ、『彼女のいない人とつきあうのなんて初めて。』って。 俺、馬鹿にされてます？」 笑い出した天羽。 「いや。頼りにされてんだろ。可愛いじゃん。」 「ええ。まあ。そうなんですけど。」立木が赤くなる。 「大事にしてやれよ。」 「はい。天羽さんのおかげですよ。」 「なんで？」 「あいつをきっぱりふってくれたから。」 「最初からその気ないぜ。知ってたろ。」 「ええ。あたるさん、元気ですか？」 あたるの名前が出たとたん、天羽の瞳が険しくなった。 あれ、まずかったかな。 「今さ、実家へ戻ってるんだ。親父さんの具合が悪くて。」 「そうなんですか。心配ですね。」 それきり黙ってしまった天羽。でも飲むピッチが上がる。 立木はそれを危ぶみながら見ているしかなかった。 １１時前に解散になった。まだ続ける連中もいるが、大方は帰っていく。 疲れがたまっているし明日もある。 天羽が行くならついていこうと思っていた立木だが、 天羽も帰るようでホッとする。 「天羽さん、大丈夫ですか？」 「ん？ 何が？」 見た目より随分酔っている。でもまあ近いし、大丈夫だろう。 「じゃ俺はここで。」 「ああ。又明日。」 ちょっとふらつく天羽の後ろ姿を気にしつつ、立木も家路についた。 歩きながら天羽は滅入っていた。 自分の気持ちを人にさらすのは苦手だ。 いつも淡々として見られるのは、 そういう風に気持ちを保つ方が楽だったからだが。 こういう自分を皆信頼してくれているのに。 今日の自分は。 疲れてはいた。だがそれは皆同じだ。 もっとタフなつもりでいたのに。なんでこんなに苛ついてるのか。 考えまいとしていた酒の席で、立木に当てられてしまった。 あたるだー。 あたるの留守とあの言葉に、イライラが限界まで募っている。 『あたし、戻って来なきゃならないかもしんない。』 自分が情けなかった。こんなにヤワだったんだろうか。 たかだか彼女一人に会えないことで、 こうも苛ついて仕事に影響するなんて。 そう、たかだかー。 フラフラと店にたどり着いた。酔っていて鍵がなかなか合わない。 ようやくドアが開いた。 奥へはいると、冷蔵庫からペットボトルを取り出す。 半分しかない。 一気に飲み干すが、酒のせいで口の渇きが収まらない。 ソファにドサッと座り込んだ。電気もつけず。 疲れた。体が重い。 全身がずぶずぶと沈んでいきそうだ。やっぱりのどが渇く。 もう一本ペットボトルを取り出そうと立ち上がる。 ふとよぎった視線が、部屋の中の違和感をとらえた。 違和感ー何？ 机の上のくじらの横に干物。 干物？ 今朝はなかったのに。 白い紙がはさんである。 あわててつかむと、フットライトに透かして読む。 『戻ってきました。自分の部屋にいます。 帰ったら電話下さい。 あたる』 考える前に飛び出した。 背広のまま。カギもかけずに。 あたるの部屋の手前の橋まで走り通した。 さすがに息が切れて、橋の上でよりかかる。 空は真っ暗。月もない。 あたるの部屋を見上げると、もう灯りがついてない。 今、何時だろう？ 携帯を取り出してみると１２時前。９時頃着信が入っていた。 飲みに行く時、面倒で電源を切ってしまったのだ。 なんで店で待ってなかったんだろう。いつものなら待ってるだろうに。 あいつやっぱり、田舎へ戻るつもりじゃ。 弱気になって、部屋まで駆け込む気力が萎えてしまった。 見上げたまま、携帯をかけてみる。 鳴らしたとたんにつながった。 「天羽さん？」 いつものあたるの元気な声。力が抜ける。 「ああ。」 「今日も遅かったね。」 「飲み会だったんだ。」 「そうなの？」 「おまえが帰るなんて思わなかったし。連絡入れろよな。」 「ごめんね。昨日も遅くなっちゃってかけられなかったの。 今日帰るつもりだったし。」 「親父さん、大丈夫なのか？」 「う・・・ん。」 答えに歯切れがない。 「でも今すぐどうこうじゃないから。仕事もあるし。」 「田舎に帰るのか？」 「え？」 ストレートに聞かれて言葉に詰まる。 「おととい、そんなこと言ってたじゃん。」 「まだわかんないよ。ちょっと聞かれただけだから。」 ごまかそうとするが、天羽はさらに聞く。 「帰りたいんじゃねーの、おまえ？」 「・・・なんで？」 「なんとなくさ。試験どうするんだ？」 「そりゃ試験はどこにいても、受けに来られるけど。」 「やっぱり帰るつもりなんだ。」 「違うよ。」 「いつもだったら店で待ってるのにな。」 「それは・・。」 「帰りたいんだろ、田舎。もっといたかったんじゃねえの？」 あたるは黙り込んだ。 まるで責めるようなすねるような自分の口調に気づいて、天羽も黙った。 沈黙にぽつりとあたるが言う。 「逢いたかったの。」 「え？」天羽が聞き返す。 「頼めば遙さん、もうちょっとお休みくれるよね。わかってたけど。 貴方に逢いたかったの。」 小さな声。 「なのに、店で待ってたら、父さんのこと考えちゃって。 なんだか自分がすごくー自分勝手に思えて。なんだかー。」 あたるの声がどんどん細くなる。 「一人で待っていられなくなって部屋に戻ったの。 蒲団かぶって勉強して。でも逢いたくて。やっぱり電話待ってたの。」 あたるの言葉が天羽の胸を噛むようだ。 「あたし、自分のことしか考えてないかな。 父さん病気なのに。ひどいよね。でもー。」 声が聞こえなくなる。 「もしもし？」 プツっと切れた。たまらなくなって走り出した。 階段を駆け上がって部屋の前に立つ。静かに叩くドア。 「あたる？」 しばらくすると、ゆっくりドアが開いた。 涙目のあたるが、信じられない顔で見上げる。 「なんで？」 店にいると思ってたなら驚くだろう。でも説明なんかどうでもいい。 理由は１つだけだ。 「逢いたかったから。」 あたるの目がまた潤む。そのまま抱きついてくる。 天羽も抱きしめた。しゃくりあげるあたるにつぶやく。 「ごめんな。」 部屋に入って座る。少し落ち着いたあたる。でも言葉が出てこない。 天羽がもう一度言う。 「ごめんな。」 「・・・なにが？」小首をかしげて見上げる。 「すぐくればよかったな。」 「どこにいたの？」 「橋。」 「なんで止まっちゃったの？」 「部屋の電気、消えてたから。」 まだいぶかしげなあたるに言葉を継ぐ。 「おととい、おまえが言ったことがずっとひっかかってたんだ。」 あたるは天羽をみつめる。 「おまえ、帰る気なのかなって。」 言ってから、あたるの視線に苦笑する。 「違うな。」 まっすぐにあたるを見る。 「逢いたかったんだ。逢えないから苛ついてたんだ、ずっと。」 あたるはまた泣かないようにキュッと唇を噛む。 そっともたれると、抱きしめる腕。 イライラや、胸の痛みを埋めるように。 「あたし、どうしたらいいんだろ。」 腕の中で聞くともなしにつぶやく声。迷いと辛さ。 言うのは簡単だ。でも簡単じゃない現実。 天羽は考えながら口を開く。 「決められるのはおまえだけだ。話したよな。俺は後悔したから。 おまえはよく考えろよ。」 あたるが見上げると、思い出したのか目が辛そうな色。 「戻った方がいいのかな。」 わからない。でも。 「親父さんは何か言ったのか？」 「早まって決めるなって。無理するなって。強がりだろうけど。」 「でもそれも本音じゃねえか？」 「本音？」 「こないだ夏に来ただろ、親父さん。 あの時俺が、おまえが資格試験受けるつもりで勉強してるって話したから。 だから親父さん、病気のこと言わなかったんだろ。」 「うん。たぶん。」 遠くを見る天羽。 「親って子どもの望みを叶えてやりたいもんなんだろうな。 自分のことは置いといてもさ。」 「でも。」 「だから。子どもが自分のために無理するのを見るのは、 返って辛いかもしれないだろ。」 父の言葉を思い出す。 『後で後悔されても困るからな。』 考え込んでしまうあたる。 「今日明日に決めなくてもいいんだろ？ 考えろよ。頭冷やして。」 「・・・うん。」 「親父さん、おまえとさくらちゃんのこと、大事に思ってるから。 ほんとにこうしたい、ってはっきり決めれば、どっちでも反対しないさ。きっと。」 その言葉にあたるは天羽を見上げる。 「親ってみんなそうかな？」 「多分な。」 「じゃあー貴方のお父さんもそうだったんじゃないの？」 「え？」 いきなり言われてとまどう天羽。 「後悔してるのかもしれないけど、先のことはわからないんだし。 その時の貴方は、バスケが捨てられなかった。 でもお父さんが大事じゃなかったわけじゃないでしょ。」 あたるの言葉に黙っている。 「なら、お父さんもわかってくれてたんじゃないかな、貴方の気持ち。 貴方だって悩みもしないで決めたわけじゃないでしょ。 一生懸命考えて決めたんだったら、わかってくれてたよ。」 「親父は・・」言いよどむ天羽。 「きっとそうだよ。親だもの。亡くなっちゃったから辛いんだと思うけど。 亡くなっちゃった人だから、わかってくれてるよ。」 いつのまにか自分の話はそっちのけだ。 天羽の昔を一生懸命拾い上げようとするのが、なんだかおかしくなる。 だから笑ったつもりなのに。何故か、頬が冷たかった。 あれ？ 勝手に流れている。これは・・・涙？ 親父が死んだときも泣けなかったのに。何で今頃。 驚きながら止めることができない。思いは記憶にとらわれる。 驚いていたあたるは、そっと手を伸ばした。 何かを思いだしているのか、深くて重い眼はどこか遠い。 拭っても拭っても、止まらない涙が切ない。 どうにかしたくて、どうしたらいいのかわからなくて。 思わず唇を重ねていた。 一瞬。 恥ずかしがりで、すぐ逃げてばかり。自分からキスした事なんてないから。 すぐ離れた唇だけど、びっくりして我に返った天羽。 涙が止まった。 ホッとする。でも目があって、今さら自分の大胆さに気づく。 あわててうつむこうとしたその顔を、天羽の手がとらえた。 「ほんと、びっくり箱だな、おまえ。」 「だって・・・大丈夫？」赤い顔はまだ心配そう。 「ああ。」 「あたし、余計なこと言っちゃった？」 「いや。」 首をふる天羽の穏やかな顔。 「なんか・・・親父思い出した。」 「ごめんね。」 「そうじゃなくて。 親父、そう思ってくれるかな。」 「きっと思ってるよ。貴方のお父さんだもん。」 確信に満ちた眼であたるがそう言うから。今は信じよう。 あたるがまだ知らないこともある。 ずっとのしかかっている後悔は、時に重すぎて溺れそうな気がするほどだ。 決してなくなりはしない。 でも気づけばあたるが、ここにいて。いつも浮き輪を投げてくれる。そういつも。 「・・・おまえがいてくれてよかったよ。」 引き寄せる顔。あたるは目を閉じた。 唇に唇が触れた。優しく。静かに。深く。激しく。 それからー。 天羽のたががはずれた。 ただ、お互いだけを求める夜になった。 逢えなかった時間と。その間の出来事と。お互いへの思いと。 降り積もった全てが溶けて流れ込むように。 声を殺そうとして唇を噛む。それでも漏れる吐息。 のけぞる体。 闇に浮かび上がる白い首筋。髪がパラッとこぼれる。 長い腕が細い体を巻き取る。抑えきれずに声があがる。 指が何かを求めて泳ぐ。触れる汗に濡れる。 つかまえた腕の内側を噛む。重いまぶたを開いて囁く声。 「また・・。ダ・・メ。」 答えはない。唇は胸に伝う。 「は・・。」 言葉が続かない。息が浅い。 あたるも又、逢えなかった反動があった。 ２人とも明日のことを考えてなかった。今は今だけ。お互いだけ。 何一つ歯止めのない夜だった。 あたるが眠り込んだ後も、天羽はしばらく目を覚ましていた。 つい１時間前までのどうしようもない焦りと、 全身を刺すような苛立ちがどこかに消えている。 寄り添って眠るあたる。 すっぽり腕の中に入る華奢な体を、いつのまにかこんなに支えにしている。 それが不思議だった。 出会ってからまだ１年にならない。 あれからあたるはずいぶん、変わったと思う。自分は変わったのだろうか。 寝顔に、少し疲れが見えた。 支えてやらなきゃな、俺も。もっと強く。 そんなことを思いながら、眠りがやってきて吸い込まれた。 |