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ＶＯＬ．４０　「悩みと苛立ち」




次の日まず、あたるが病院に行った。
せっかく帰ってきたんだから、少しは父のそばにいてやりたい。


「なんだ、あたるか。」
「なんだはないでしょ。」
「母さんは？」
「ちょっとは休ませて上げないとね。具合どう？」
「大丈夫だって言ってるのによ、なかなか退院させてくれねえんだよ。」
「あのね。いつ入院したと思ってるの。おとといよ。」
「発作がおさまりゃどこだって同じだよ。」
「だから良くならないんじゃないのよ！」


例のごとくのかけ合い漫才に、同室の患者さんが笑い出す。
二人して気まずく目を合わせる。
回診のあと、担当の医師に聞いてみた。
「あの。父はどうなんでしょう。」
「そうですね。弱ってきている心臓に、この夏の暑さが
　随分負担だったのは確かです。お父さん、無理もしがちでしょ。
　仕事でもなんでも夢中になって突っ走るようで。」
「あー、はい。」
そのとおりだ。頭をかくあたる。
「もちろん、いますぐ危険とか、すぐ手術なんて事態ではありませんが。
　家に帰るとどうも無理をするようなので、もうちょっと落ち着いたら。」
父にじっとしてろというのは、息をするなというようなものだ。
病院ならじっとしてるしかないから、その方がいいってことらしい。
部屋に戻ると、幸造は手持ちぶさたそうに横になっている。


「父さん。」あたるが話しかける。
「んー？」
「７月にも倒れたんだって？」
チラッとあたるを見る。
「こないだ来たとき、なんで言わなかったの？　家にもどれって。」
天井をむいたまま黙っている幸造。
「ねえ。」
「うるせぇな。・・・言えるかよ。
　おまえはなんとかカラーとか、受けるために頑張ってるって言うし。
「天羽さんに聞いたの？」
振り返ると舌を出す。子どもがいたずらを見つかったみたいだ。
「さくらもよ、ゲソと別れてふんぎりつけようって一生懸命だったしよ。」
また背中を向けてしまう。
「そんな時戻ってくれなんて、親が頼めるもんかい。」
つっぱるところが父らしいけど。


「あたし、戻った方がいい？」
ぽつりとあたるが聞く。
「いいって。無理しなくて。」
「無理ってわけじゃ。」
「おめえ、資格試験受けたいんだろ？
　そんでもっとやりたい仕事あるんだろ？」
「それはそうだけど・・。」
「あとで後悔されても困るからな。俺のせいだなんてさ。」
「そんなこと言わないわよ。」
「第一あいつ、天羽？　どうすんだよ。」
そう言われると何も言えない。
「大丈夫だよ。医者なんて大げさなんだからさ。」
そういってまた向こうを向く。
その背中が、今まで見たことないほど小さかった。




昼過ぎにさくらが来たので、入れ替わった。
母には今日は家で休んでもらうつもりだ。
「じゃお願いね。」
「ん。」
バトンタッチして家に戻ってみると、母は店で商品を見ている。
「店開けてないから、傷んじゃうね。」
「干物だからしばらくは大丈夫とはいえ、日が経つと売り物にはならなくなるし。
　ご近所に食べてもらっちゃおうかね。」
２人で調べながら母に聞く。
「父さん、そんなに無理してたの？」
「あの気性だから、ゆっくりやれって言ってもね。
　お得意さんに頼まれるとつい頑張っちゃうし。
　この頃、手作りブームとやらで評判が良くなっちゃって。
　ありがたいことなんだけど、それで又ね。」


一段落してお茶を入れた時、あたるがためらいつつ口を開こうとする。
「母さん。あたしね・・・。」
「あわてなくていいよ。」　母は遮った。
「昨日はちょっとあたしも急ぎすぎだね。ごめんよ。」
「ううん。そうじゃないよ。」
「２人が戻ってきたからつい気がゆるんじゃってさ。年だねえ。」
滅多に弱気になんてならない気丈な母。
実は父よりずっとしっかりものの母。
その母がこんな弱気になるのだから、よほど心配が続いてたんだろう。
「あんたもさくらも、まだ始まったばっかりなんだよね。
　今帰れっていうのが酷なのはわかってるんだよ。
　父さんも今すぐ危ないわけじゃないから。ゆっくり考えていいよ。」
それで何も言えなくなった。
父も母も娘達のことを先に考えてくれるから、余計に辛かった。




吉良は仕事帰りに「ＨＡＴＣＨ」を通りがかってみた。
昨日の今日で戻っているはずもないが、なんとなく気になったのだ。
するとたまたま、遙が引き取り帰りで、荷物を下ろしているところだった。
重そうな小箪笥に四苦八苦している。
「手伝いますよ。」　幾度かあたるを手伝ったせいか、スッと手が出た。
「え？　あ、ありがとう。」　面食らいながら、それでも助かったという表情の遙。
結局店内へ運び込むまで手伝ってやった。
「ありがとう。助かりました。」
遙は手を差し出しかけて、吉良の顔にどこか見覚えを感じる。


「あなた・・・どこかで。」
「遙さんですよね？」
「あの？」
「僕、ジムの大学の後輩です。式にも呼んでいただきました。
　吉良と言います。」
「まあ、そうだったの？　ごめんなさい。覚えてなくて。」
「いえ。大勢いましたから。」
「今日はたまたま？」
「えーっと、まあそうです。」
「そう。何もないけど、コーヒーくらい飲んでいって。」
説明が面倒くさくて、偶然にしてしまった。ま、いっか。
この辺は相変わらず軽い。カウンターでコーヒーをご馳走になる。


「でもあなた、目立つ人ね。なんとなく記憶に残ってるもの。」
「そうですか？　モデルやってるんですよ。」
「モデル？　へえ、なるほどね。」
納得する遙。見られることに慣れた風情はそれだ。
「ジムは元気ですか？」
何気なく聞いたつもりだが、遙は急に言葉に詰まった。
「え・・え。」
「どうかしました？」
「ううん。今ね、実家の用でアメリカなの。」
「へえ。珍しいですね。」
「珍しい？」


「いや。ジムって日本にいずっぱりで、
　里帰りも滅多にしなかったって大学で聞いてたから。」
「そう？」
「ええ。年に一度、クリスマスくらいかな、帰るのは。
　よっぽど日本が性にあったんだろうって。」
「そうね。」微笑む遙。
「今は実家より、良介君や貴女のいる日本の方が里でしょうに。」
「だといいんだけど。」
ふともらした言葉をいぶかしむ吉良。遙は我に返る。
「何でもないの。」
なんかまずそうだなと、吉良は腰を上げた。
「ごちそうさまでした。僕はこれで。」
「ありがとう。助かったわ。」
店を出てから振り返る。まだまだ新婚なのに、なんであんな顔してるんだろう。
首をかしげながら駅へと向かった。




さくらが帰ってきて夕飯を終えると、母はすぐ休んでしまった。
娘達がいるので、気がゆるんでいるのは確かだった。
２人で後かたづけをすませてお茶を入れた。
どちらからともなくホッとため息になる。


「父さん、何か言ってた？」
「ううん。あいかわらず強がりばっかり。」
「そう。」
「でもさ、強気じゃなくて強がりだよね。」
「え？」
「父さんて元々、すっごい強気の人じゃん。
　無茶苦茶強引だけど、何でも自分の方へ結果を引っ張ってくるみたいなさ。」
「うん。わかる。」あたるが笑う。
「それがさ、強がりになってる。自信がないみたい。
　はったりなのがわかっちゃうの。」
あたるにというより、独り言みたいにさくらはつぶやく。
「母さんが心配するわけよね。」
「そうだね。」
２人ともその先は言わない。


「あんた、帰るのどうする？」あたるが聞く。
「うーん。あたしもうちょっといるわ。
　おばさん、多分もう大丈夫だし。あと２，３日。」
「あたしは戻らなきゃ。」
「それはそうよ。仮にも店長なんだから。」
「あしたの夕方一旦帰るね。頼めばなんとかなるとは思うんだけど。」
「いいよ。あたしいれば、母さんは休めるし。
　あの調子だと週末には退院しちゃうよ、きっと。聞かないんだから。」
「多分ね。病院にいる方が体落ち着くだろうに。」
「無理よ。気が急いちゃってさ。」
さくらは立ち上がった。
「お風呂。先にもらうね。」


さくらの後で風呂から上がってみると、１２時をまわってしまった。
２人とも長風呂なのだ。あちゃーと思う。
天羽に電話したかったんだけど。もう遅すぎるかな。
声が聞きたくてしょうがなかった。
明日は帰るつもりだが、だから逢えるって保障もない。
でももう寝てたら起こしてしまう。ちゃんと寝ろって言ったのは自分なのに。
仕方なくじっとこらえることにした。
つい考えてしまって、寝付きが悪いあたるだった。




天羽が帰ってきたのは、あたるがどうにか寝付く頃。
今日は進行上のトラブルに振り回された。
傍目には順調に見えるが小さなトラブルは数え切れない。
それを１つずつ潰していく。
そういうものだ。今日もなんとかなったが、神経はすり減る。
水を飲み干してからソファに身を投げ出した。
疲れたー。
新人達の手前、会社で決して愚痴を言わない天羽だが、
さすがに隠せなくなってきた。


ふと思い出して携帯を取り出す。
あたるからの着信はない。どうしてるんだろう。
昨日の言葉が気になっていた。でも１時過ぎ。いくらなんでもかけられない。
机の上のくじらと目があった。
起きあがると手にとって文句を言ってみる。
「連絡入れるって言ったろ。」
くじらは目をクリッとさせたまま。答えるわけもない。
「いつ戻るんだよ。」
つぶやくとくじらを持ったまま、もう一度ソファに転がる。
そのまま目を閉じる。この頃いつも眠りが浅い。
なのに夜明けが近すぎた。




翌日の朝ご飯の時、あたるは母に、夕方東京へ戻ると告げた。
「とりあえずは戻らなくちゃならないから。」
「そうだよ。店長さんなんだろ。」
「臨時だけどね。」さくらが突っ込む。
「さくらは？　バイトだってあんまり休むとまずいんじゃないかい？」
心配する母にさくらは答える。
「バイトの切れ目だから。もうちょっといるわ。」
「そうかい？」
「ごめんね。あたし先にいなくなっちゃって。」
「仕事だろ。心配しなくていいよ。」


午前中は昨日同様、あたるが病院へ行った。
少し顔色が良くなった気がする。本人もわかるらしい。回診の先生にねだる。


「先生よう。もう家に戻っていいだろ？
　あんまり休むと仕事がなくなっちまうんだよ。」
「まあ、あわてないで。」
「こっちは生活かかってっからさ。」
「父さん。」　あたるがたしなめる。
「このまま調子が良ければ、週末には考えようね。」
「週末ぅ？」
不満そうな父にもう慣れているのか、先生は笑って行ってしまった。
深くお辞儀をしてから、父を睨む。
「ったく。病人がお医者さまに噛みつかないでよ。」
「しょうがねえだろ。こっちも死活問題なんだし。」　父の表情が厳しくなる。
「あんまり休んでると、仕入れも卸もなくなっちまう。」
仕事のことを心配するなというのも無理だろう。
自分一人で切り回してきた小さな干物屋なのだ。


「父さん、あたし今日の夜戻らなきゃならないけど。」
「おう。帰れ帰れ。仕事しろ。」
「そういう言い方ないでしょ。心配して来たのに。」
「人間、仕事があるありがたさはなかなかわかんねえもんだ。
　せっかく店長やらしてもらってるんだろ。ちゃんとやれよ。」
「うん。わかってるけど。」
「俺は大丈夫だよ。おまえ、早まって田舎へ戻るなんて考えんじゃねーぞ。
　やるだけのこと、やってねえだろ。」
いつもの父。強気で頭ごなしの父。
さくらの言うとおり、それが強がりに見えてしまうのは、
やっぱり病気のせいだろうか。それとも親が年を取ったせいなのか。
父の思いやりを感じるだけに、あたるの心は重かった。




「違うだろ。」
天羽が声を荒げた。
「それじゃこの部分がつながらなくなる。さっきも言ったよな。」
フロアの連中が皆振り返る。
まず滅多に怒らない天羽だから、何事かと思ったのだろう。
叱られているのは天羽のチームの新人達。
同じミスをすること、すでに３回。怒るのも無理はないのだが。
それでも天羽らしくない。皆そう感じている。
苛立ちが体のあちこちを刺すようだ。


リーダーの一人がなだめに入った。
「天羽、どうした？　落ち着けよ。おまえらもわかってるのか？
　天羽一人におんぶに抱っこなんて、いつまでもしてられないんだから。
　しっかりしろよ。でないとこいつが潰れちまうぞ。」
我に返った。
叱っていた連中がうつむいている。
「よし、今日は早めに切り上げて飲みに行くか。気分転換だ。」
なだめてくれたリーダーがフォローしてくれる。
声を荒げた自分が恥ずかしくて、やりきれなかった。




お昼過ぎに来たさくらと入れ替わって家に戻ると、あたるは荷物をした。
「忘れ物ない？」母がのぞく。
「何もないもん。」
「これ、持って行きなさいよ。」干物を差し出す母。
「ありがと。」
「ほんとにさ、急がなくていいよ。いろんなことゆっくり考えて。無理しないで。」
「うん。」
うなづくしかない、今は。
自分でも、どうすればいいのかわからないのだから。
「父さん、週末には戻るつもりだよ、多分。」
「だろうね。もう我慢の限界だから、あれは。」２人で笑う。
「母さん、大変なときは言ってね。何しても帰るから。」
「ありがと。わかってるよ。」


東京へ直行する特急の最終に乗った。
すでに暗くて、窓には車内と自分の顔が映るだけ。物思いにふける。
父や母は大事だ。それはあたりまえなのに。
電車に乗ると心は先へ走っていく。天羽へ向かってしまう。
そんな自分が嫌だなとも思う。でもそれが正直な気持ちだ。
逢いたかった。電車の音に心がはやる。
駅に下りたときは、店へ寄ることに決めていた。
どうしても顔が見たい。声が聞きたい。
とうとう走った。店まで１０分。


息を切らして辿り着いたのに、店は暗い。
ドアには鍵。
「やっぱりまた遅いんだ。」
がっかりしてつぶやく。どうしよう。
携帯を取り出してかけてみるけど、つながらない。
いつ帰ってくるのかもわからない。下手したら泊まりってこともある。
でもー。


街灯に照らされるあたるの影は、路上にぽつんと淋しげに落ちていた。

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