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ＶＯＬ．３４　「成果と記憶」




カヲルの家。
仕事から帰ってきたさくらが、カヲルを手伝って晩ご飯の仕度。
「え？　おまえ別れたの？　あいつと。」
「うん。」
「なんで？」
「・・・いいじゃん。やめとけって言ったの、カヲルじゃん。」
「まあそうだけどさ。」
「安心したでしょ。」
「あ、わかった！　ゲソとよりが戻ったんだろ。」
「ブー！　大はずれ！」
「ほんとに２人ともやめたのか？」
「うん。きれいさっぱり。」
そのあまりにもさっぱりした風情に、意外そうなカヲル。
さくらは話題を変えてしまう。


「あたる、遅いね。」
「ん？　そうだな。」
「天羽さんも連れておいでって言ったんでしょ？」
「ああ。」
「今日で休み終わりだから、惜しんでるのかな、名残りを。」
「名残り？」
「わかんないの？」呆れ顔のさくら。
「どういう・・・」いきなり思い当たるカヲル。あわてて目をそらす。
「カヲルだって惜しんできたでしょ？　洋子虫と。」
つっこむさくらにたじたじ。
「そりゃまぁ・・。あ、まずい。火！　火！」
煙を上げるフライパンにあわてて駆け寄る。




カヲルの家の玄関の前で、あたるは立ち止まった。
なんとなく入るのがためらわれるのは、
まだ体にさっきの時間がはっきり残っているせい。
目を閉じるとキスが降ってくるようだ。
頭を振って深呼吸して、気分を切り替える。
「よしっ。」
自分にかけ声をかけて、玄関を開けた。
「ただいまぁ。」
「おかえり。あれ、天羽さんは？」
「うん。今日は遠慮するって。カヲル、おかえりぃ。」
「おお。なんだ、来なかったんだ？」
「うん。休みボケ直すって。待たせてごめんね。
おなか空いちゃった。食べよう。」



３人で囲む久しぶりの夕食。とりあえずはカヲルの話に集中する。
「ね、ね。どうだったの？」
「どうだったって？」
「ほら、何かやってみるって言ってたじゃん。」
「うんー。」
「うまくいかなかった？」
「そりゃそうよ。そんな簡単にいくわけないよ。」さくらが突っ込む。
「まあ、そりゃそうだけど。」
「いや、それがさ。」
カヲルが口を開く。
「いっちゃったんだよね。うまく。」
「はあ？」
あたるとさくらがハモった。



カヲルはニューヨークでの事の次第を説明した。
口をぽかんと開けて聞いていた２人。さくらがどもる。
「・・・ってことは、な、何？　自分のブランドがもてるってこと？」
「すっごいじゃん！　えー、ほんと？」あたるが叫ぶ。
「まだわかんないんだよ。コンペがあるっていったろ。」
「あ、ああ。他の候補と競うんだっけ。」
「にしたって、すごいじゃん。ものすごいチャンスだよ。」
ちょっと興奮状態の２人。淡々としているカヲル。
「・・・カヲル、なんかすごく冷静だね。どうしたの？」
「事の重大さ、わかってる？　
　ニューヨークでブランドもてるかも知れないんだよ？」
「まだ、かも、だからな。
　だからって中途半端でチャレンジできないだろ。
　会社はやめることになるだろうし。」
その言葉に２人が黙った。


『会社を辞める』
事の重大さをやっとわかったのは、あたるとさくらの方だった。


「そ・・っか。」
「えー、やめずにできない？　
　決まったわけじゃないのに。休職とかさ。」
決心したはずがさくらの言葉に、やっぱり弱気の虫がでてくるカヲル。
「そうだよな。同じ会社なんだし。
　まだプロジェクトは極秘みたいだけどさ、上の方から話を回してもらえるかも。」
「そうだよ。そうしてもらえば。」
「できるよな。」
「カヲル。」
あたるが口を挟む。
「やりたくないの？」
「え・・。」


「やりたくないわけないよね？　それでニューヨークまで行ったんだもん。」
「そりゃあ。」
「だったらやってみるっきゃないじゃん。」
「あたる・・。」
あたるのきっぱりした言葉に詰まるカヲル。
「あたる、そんな無責任なこと。」
「だってこんなチャンス、その辺にころがってないよ？
　さくらだってそう思うでしょ？」
「・・・そうだけど。」
「そりゃリスクはあるわよ。でも、これにチャレンジしたら、
　駄目でもカヲルの夢に絶対近づけると思う。デザイナーになりたいんでしょ？」
あたるの言葉はカヲルの弱気を払っていく。
「カヲルだって、わかってるんだよね。」
あたるを見てカヲルが微笑む。
「ほんと、おまえって俺のエネルギーだよな。」
ホッとしたようにあたるも笑う。


「やるよね？」
「おお、やる。」
「会社やめるの？」心配そうなさくら。
「駄目もとさ。俺まだ、２４だぜ。失敗したってこれからだ。」
「そうだよ。カヲルならやれるって。」
「やるよ。結果はともあれ、チャレンジしてみなきゃな。」
「うん。そうこなくっちゃ。」
「おう。」
２人を見ていたさくら。カヲルとあたるはいつもこうやって、
お互いを励ましながらどんどん進んで行くんだ。
うらやましくもあり、妬ましくもあった。



「そういえば、おまえの夏休みはどうだったの？」
カヲルがあたるに聞く。
「え？　・・・うん。楽しかったー。」
その一瞬さくらとカヲルを忘れたように、思い出す目になった。
表情が見たこともないくらい大人びる。
突っ込むのも忘れて見てるふたり。静けさに我に返るあたる。
「あ・・あ、ごめん。なんか・・？」
「やーね。のろけまくり？」
「だからごめんて。」
「幸せそうだねー。よっぽど楽しかったんだな。ふーん。」
からかうようなカヲルの口調に照れる。
「何よ。カヲルだって洋子虫と一緒にいたんでしょ。」
「俺は今回、忙しかったんだよ。」
「でも一緒だったくせに。」
「だからそれどころじゃ。」
「はいはい。どっちももういいわよ。」
そうだ。さくらはそれどころじゃなかたっけ。顔を見合わせて二人は黙った。




「さくら、あんた、ゲソはどうした？」
「どうしたって、別れたの知ってるじゃん。」
「祭りの後よ。」
「別に。ちゃんとお別れできたよ、おかげで。」
「・・・そう。」　ひょっとしたらと思ったんだけど。
「祭りって？」カヲルが聞く。
「ああ、昨日ね。神社でお祭りあってさ、４人で行ったの。」
「４人？」
「ゲソと、天羽さんと。」
「ゲソと行ったんだ。」
「あたる、言わないんだもん。ゲソが一緒だなんて。」
「だってさくら一人おいてけないし、ちょうど天羽さんのところに、ゲソが来てたから。」
「まあね。せっかくの浴衣だったしね。」
「浴衣？」わけのわからないカヲル。


「あ、ごめん。順番がひっくり返ってるね。昨日の朝、父さんが来てたの。」
「えー、おじさんが？」
「いきなり来るんだもんね。ったくあの親父。」
さくらがブツブツ言っている。
「何しに？」
「盆に帰らなかったから、浴衣持ってきたって。カヲルのもあるよ。」
「わざわざ持ってきたんだ？」
「様子見に来たんだと思うけどね。」
「おじさん、心配性だもんなぁ。あ、俺のことばれた？」
「ううん。旅行に行ってるって言っといた。」とさくら。
ホッとするカヲル。それから聞く。


「で、ゲソとちゃんと話したんだ？」
「ちゃんとっていうか・・。でも、ちゃんと別れられた。」
「そっか。」
「人喰い男はなんでやめちゃったの？」あたるが突っ込む。
「やめろってあたるも言ってたじゃん。」
「そうだけどさ、いくら言っても駄目だったのに。」
「わかったの。」
「何が？」
「あたしは伊倉と別れるために、吉良君に惚れたんだよね。」
ストレートな言葉。
「そうしたら、吉良君にすがらなきゃならなくなって。どんどん自分がなくなって。」
思い返すさくら。
「嫌になったのよ、そういう情けない自分。だからって伊倉に戻ってもきっと同じ。
　繰り返すだろうから。なら、一人になろうって思ったの。」
「さくら・・。」
「あたるだって、カヲルだって、自分の夢みつけてがんばってるじゃん。
　あたしも見つけたいって思ったの。そしたら、別の恋もできるかなって。」
あたるもカヲルも驚いていた。
さくらがそこまで考えていたなんて、思わなかったから。


「そっか。そんなこと思ってたんだ。」　つぶやくあたる。
カヲルがいきなりさくらの頭をなでた。びっくりするさくら。
「よく思い切ったな。えらいえらい。つらかったろ。」
さくらの瞳が見開いたまま潤んでくる。顔がくしゃくしゃになる。
しゃくり上げたかと思うと、泣き出してしまった。
「さくら・・。」
平気なふりしてたのに。やっぱり辛かったんだ。当たり前だよね。
頭をなで続けるカヲル。肩をだいてやるあたる。
この夏、さくらは１つ階段を登ったんだ。カヲルも大きなチャンスをつかんだ。
あたしの夏も素敵だったけど、大変なのはこれから。
２人に負けないように。


夏休みは終わったんだ。
楽しかった記憶と共に、
緊張と、理由のわからない不安に襲われたあたるだった。




あたるが帰った後。天羽はひとり、銭湯へ行って来た。
広い湯舟につかりながら、目を閉じて体を伸ばす。
あたるにも言ったけど、こんなに一生懸命遊んだのは久しぶりだった。
遊ぶというのは、自分が安定していて、相手がいて、初めてできるのだ。
とても心地よい疲れだった。
銭湯を出るとちょうど、仲良く帰る夫婦連れが先を歩いていた。
新婚かな。みているだけでほほえましい。
無意識に振り返ろうとしている自分に気づいた。
今は一人だったっけ。


この４，５日、ずっとあたるが一緒だったから。
クセがついている自分がおかしかった。
店についても誰もいないのが不思議な気分。不思議ー物足りない？
ちょっと一緒にいすぎたかな。
気分を切り替えるつもりで、夕飯はやめといたんだけど。本音はー。
「寝るかな。明日っから仕事だ。」
その時、携帯が鳴った。フッと微笑む。
「もしもし。」
「あたし。」
「よ。」
「ごはん、食べたの？」
「んー。適当。」
「ビールでしょ。」
「まーね。」
「しょうがないなー。」


「カヲル君、どう？」
「うん。元気。すごい話があるんだけど。」
「どんな？」
「んー、長くなるから次にあった時ね。」
「なんだ。洋子さんも元気って？」
「うん。」
「そっか。」
「さくら、やっぱりどっちとも別れたって。」
「ふ・・・ん。しょうがないな。」
「うん。さくらなりに随分考えた末みたい。」


「・・・あたる？」
「ん？」
「今から来いよ。」
「へ？」
「夜這い。」
「な、何言ってんの？」泡食った声。笑い出す天羽。
「びっくりしただろ。」
「何よ、またからかってる？」
「いや、半分本気だけど。」　天羽の声がちょっとマジになる。
「明日、仕事でしょ？」
「そうなんだよな。おまえさ、実は麻薬？」
「は？」
「はまりそうで危ないわ。」
「またー。からかってばっかり。」
「ま、さっきやったばっかだもんなー。」
「だからー。切るよ？」
クスクス笑っている天羽。


「楽しかったな。」
「うん。ありがと。嬉しかった。」　小さな声だが、あたるの思いが伝わる。
「また行こうな。」
「うん。」
ちょっとの無言が２人をつなげる。
「じゃな。」
「おやすみなさい。・・・あのね。」
「ん？」
「ほんとは今、行きたいの。」
それで切れた。ツーという音を聞きながら、微笑む天羽。
さっきのあたるが目に浮かぶ。


数日間の記憶は鮮やかだった。

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