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ＶＯＬ．３３ 「夏の終わり」 翌朝。さくらが台所で朝ご飯を作っていた。 今日は仕事だ。 二日続けて無理を言って休んでしまったし、気分的にも仕事がしたかった。 誰もいないのだから、いつもならいい加減にすませるのだが。 変わろうと決めていた。自分の生活も。自分自身も。 変えるんだ。 ごはんにおみそ汁、干物と漬け物の朝ご飯。 昼過ぎにはカヲルが戻る予定だった。 カヲルもニューヨークで頑張ってきたはずだ。 あたるも１２月には試験を受ける。 あたしも、何か欲しいな。とりあえず仕事をやろう。 目に気合いが入った。 「いただきまーす。」 目を開けたあたる。もう横に天羽はいない。 起きあがると外はすっかり明るかった。 体を覆っているのは浴衣。夕べの記憶が甦る。顔がほてってきて困る。 そこへ足音と共に天羽が入ってきた。 「起きたか？ 食べる物がなんにもないからさ、ちょっとコンビニ行って来たわ。」 机に買い物をおいてから、あたるの顔を見てあれ、と眉をしかめる。 つかつかとソファに近寄る。 「顔が赤いぞ。おまえ、又熱？」 あたるの額に手をやろうとする。 「あ、大丈夫。違うの。」 焦って首をふるあたるに、構わず確かめる。 「熱はないみたいだな。」 ホッとした声。 「じゃなんでそんなに顔赤いんだ？」 「え？ あ、あの。」 つい浴衣に目を落とす。視線を追った天羽は、なんとなく察知する。 「はーん。思い出してたんだ？」 「・・・何を？」 しらばっくれるあたる。 「激しかったもんな、ゆうべ。」 ストレートな言葉に目のやり場がなくて、浴衣にもう一度潜ってしまう。 クスクス笑ってる天羽。 「起きろよ。ひっぺがしちまうぞ。」 「やだ。」 「起きろって。」 じゃれるように浴衣をひっぱりあうふたり。 ようやく顔を出したあたるを、浴衣もろとも抱きしめる。 浴衣一枚をはさんでわかる、お互いの体温。 それが記憶を呼び起こす。 腕。背中。胸。指。でも朝の明るい日射しの中ではためらわれる。 「いいかげん、起きなきゃな。」 おでこをつけて、笑いかける天羽。 「・・・ん。」まだ赤い顔のあたる。 「着替えろよ。これ、こないだ忘れてった奴。」 Ｔシャツとスカートを渡してくれる。 「着替えあったんだ。よかった。」 あたるが微笑む。 ２人で遅いブランチになった。 あまり話さないけれど、時折目があって笑いあった。 それで十分。そんな満ち足りた思い。 幸せな朝だった。 窓から光が落ちてきて、コーヒーカップに淡い影を作って。 立ち上る湯気が又、さらに淡い陽炎に見えた。 陽炎を通して見えるクジラ。 その、ほんとうに淡い影の揺らめきは、なぜかいつまでも記憶に残った。 「今日で休み最後か。どうする？」 「うーん。でもあなたも明日から仕事なんだから。ゆっくりしたいでしょ。」 「ああ。カヲル君帰ってくるんだろ。おまえ、家に戻らなくていいの？」 「夜は帰るね。カヲルの話も聞きたいから。 今から待ちかまえてるのも変だしさ。」 「ま、そっか。」 窓の外を見上げる。今日もいい天気だ。 「ちょっとバイクで流すか？ 天気いいし。暑そうだけどな。」 「近くなら行きたいな。」 「おう。休みになってから乗ってないもんな。」 後かたづけをすませると、出かけることにした。 あたるが先に外へでる。 バイクの前で伸びをすると、声がした。 「あたるさん。」 振り返ると、笑顔の遙が手をふった。 「遙さん。」 「お姉ちゃーん。」うしろから良介も走り出す。 とまどいながらも笑顔をみせる。 「おかえりなさい。いつ？」 「今朝よ。」 「時差、大丈夫ですか？」 「うん。まだちょっとね。でも動いてる方がいいから。」 「あもんくん、いる？」 問われて一瞬口ごもりかける。 「あ、うん。いるよ。奥に行ってごらん。」 「うん。」 良介が飛び込んでいく。」 「遙さんもどうぞ。」 「うん。ごめんね。まだお休みなのに。」 「いえ。心配してたから。」 「天羽くん？」 「ええ。あっち、大丈夫でしたか？」 「ありがとう。心配しないで。おみやげ買ってきたから。」 いつもの笑顔で答えると、遙も店に入っていった。 もう出かけられないな。 見上げる空に、相変わらず夏の太陽。 でも心なしか、休み前より日射しが弱くなった気がする。 遙の笑顔を見たときに、あたるは何故か、 夏休みの終わりを感じたのだった。 「あもんくーん。」 声に驚いた天羽。 「良介？ あれ、帰ったんだ。」 とびつく良介を抱き上げる。 「どうだった？ アメリカは。」 「うん。楽しかったよ。ディズニーランド、行ったんだ。」 遙も入ってきた。 「こんにちわ。ごめんね、色々。」 「おかえり。どうだったんだ？」 遙が微笑む。 「大丈夫よ。心配してくれたんだって？」 「え？」 「あたるさんが言ってた。ごめんね。ほんとに大丈夫。」 「ならいいけど。いつ帰ったんだ？」 「今朝。良介が天羽くんに逢いたいって言うから。」 「ジムは？」 「仕事でね。もうちょっとアメリカなの。」 「なんだ。じゃ一緒にいればよかったじゃん。」 「仕事だから。私も明日、予定が入ってたしね。」 何かひっかかる天羽だが、あくまで笑顔の遙にはそれ以上聞けない。 「あもんくん。あのね・・・。」 一生懸命話しかける良介。ディズニーランドの興奮が冷めやらないようだ。 微笑んで聞いてやる天羽。 そこへあたるが入ってきた。目があって一瞬止まる。そこで思い出した。 バイクで流しに行こうとしてたんだっけ。 あたるはニッコリ笑う。 「良介君、ジュースは？」 いつのまに買ってきたのか、ペットボトルを差し出した。 「ありがとう。」 「暑いもんね。遙さん、麦茶入れますね。」 「あたる。」 「あなたもいる？」 「あ、ああ。」 なんだか煙に巻かれてしまう。 考えてみれば遙達の前では何も言えなかった。 カヲルはようやく帰ってきた。 鍵を開けて入る。きちんと片づいている家。 ２人ともちゃんとやってくれてたんだなと微笑む。 あたるも今日まで休みだったっけ。 さくらは仕事に行ってるのか、遊びに行ってるのか。 自分も明日、会社に行かねばならない。 時差ボケが来ないうちに片づけよう。 結局夕方まで遙と良介はいた。途中あたるは良介を誘った。 「良介君、アイス買いに行く？」 「うん、行きたい。」 「行こう。」 良介の手を取るあたる。 「ちょっと行って来るね。良介君、帽子かぶって。」 「あたる？」 あたるは天羽にウィンクすると、ふたりで飛び出していった。 「ほんと、いいコンビね。」笑う遙。 天羽は笑うフリをしたが、笑えなかった。 あたるはたぶん、２人で話す時間をつくってくれるために良介を連れだしたんだ。 ウィンクする一瞬、なんだか淋しく見えた顔。 「どうだったんだ、ほんとに。」 「だから、大丈夫だって。」 「初めてだろ。結婚してから実家に行くの。披露とかあったのか？」 「土地の名士なのよ。ジムのお父様。 だから土地の人集めて、披露パーティーっていうのかな。」 「へえ。」 「お城みたいな家よ。庭なんてすごく広くて。 その庭がいっぱいになるの、町の人で。」 遙の口調は感心したような、自慢のような、辛いような。 何か別のものも感じてしまう。 「紹介されたのか、その人達に。」 「ジムの幼なじみとか、逢ったわ。子どもの頃の話とか。おもしろかった。」 答えのような、そうでないような。いつものテキパキした遙ではない。 自分でもそう思ったのか、急に話を変える。 「３人でね、ディズニーランドに行ったのよ。本場はやっぱり大きいわね。」 「そっか？」 「うん。ディズニー直営のホテルでね、キャラクターと朝食とかして。 良介が喜んじゃって。ジムが又、好きでね。」 「ふーん。」 ジムと問題があるわけではなさそうだった。やっぱりジムの実家だろうか。 でも母親は良介を可愛がってくれると言っていた。 じゃ、父親？ 「ジムのお父さんてどんな人なんだ？」 ふいをつかれたように、口ごもる遙。 「どんなって・・・そうね。気位が高くて、しっかりしてて。ワンマンなタイプ。」 いかにもかな。 突っ込もうとしたとき、２人が戻ってきてしまった。 「ママー、アイス。」 良介が遙に差し出した。 「あたるさん、ありがとう。」 「いいえ。」 「良介、お姉ちゃんにおみやげあったでしょ。」 「え？」 良介がディズニー柄の小さいビニールバックを持ってきた。 「いいんですか？」 「もちろん。」 「ありがとうございます。良介君もありがと。」 「天羽くんのも入ってるから。」 「へえ？」 開けてみるとペアの時計だった。 チタンのベーシックな色。一見ディズニーとはわからない。 「ロゴはね、文字盤のここ。」 文字盤下にミッキーのマークが入っている。 「ここだけなの。あとはバンドに一カ所。シンプルでしょ。」 「素敵ですね。」 「これなら天羽くんでもできるかなって。」 いたずらっぽく笑う遙。 「そだな。サンキュ。」 「ありがとうございます。うれしい。」 ほんとに嬉しそうなあたる。微笑む遙。 「あなたたちは？ どうだったの、お休み？」 「そりゃあもう、スペシャルだったよなー。」 天羽の意味深な台詞に赤くなるあたる。 「どこか行ったの？」 「あの、海に。」 「海。いいわね。」 「ディズニーランドも行ったんだぜ、浦安だけどな。」 口をはさんだ天羽に、遙が目を丸くした。 「行ったの？ 天羽くんが？」 その驚き方が、あまりに意外そうで、首をかしげたあたる。 「あの・・？」 「あ、ごめんね。だって天羽くん、遊園地とかあんまり好きじゃなくて。 昔仲間で行った時も、連れていくの大変だったのよ。」 初めて聞く話で天羽を振り返る。知らん顔している。 「そうなんですか？ すごく混んでたんだけど。」 「余計に珍しいわ。あたるさん、どうやって口説いたの？」 「え？ いえあの・・。」 「そりゃあもう、思いっきり口説いてくれたよなー。」天羽が茶化す。 「な、何言ってんのよ。」 あわてて天羽を叩くと、良介と時計を一緒に眺める。 天羽は笑っている。 その様子に遙は微笑むが、影があった。 天羽と視線があって、あわててごまかす遙。 「仲がよくて何よりよね。」 その台詞からして、遙らしくなかった。 帰り際、店で揺れていたクジラを良介が欲しがった。 「これ、いいなぁ。」天羽を見上げる。 「これはさ、お姉ちゃんのだから。」 天羽が困るのを見て、あたるはつい言ってしまう。 「いいよ。持っていけば？」 「ほんと？」良介が嬉しそうに聞く。そのうしろで天羽の顔が曇る。 「あたるさん、いいのよ、いるんじゃないの？」 天羽の様子に遙が気にする。 「いいですよ。おみやげのお礼に。」 「お姉ちゃん、ありがと。」 無邪気な良介があたるも好きだったから。 天羽の視線にしょうがないよという顔。天羽は黙ったままだ。 嬉しそうにクジラを握って遙と手をつないで、良介は帰っていった。 見送ったあたると天羽。 「おまえ、無理するなよ。」天羽がボソッとつぶやく。 「無理してないよ。良介君、よろこんでたもん。」 「だってさ。」 「今度。２匹一緒にね。」 笑顔で見上げる。天羽はそれ以上何も言えなくなった。 「それより遙さん、やっぱり変だったね。」 あたるにもわかったのだろう。 「何か言ってた？」 「いや。言わないんだ。」 「そうなの。」 なんとなく黙るふたり。 「バイク流しにも行けなかったな。」 「仕方ないよ。」 空を見上げるあたる。陽が傾いていく。 「お休み終わりだね。」 「ああ。」 「楽しかったね。」 名残惜しそうな、淋しそうな声が気になる。 「そうだな。」 店に入りかけると携帯の音がした。 「あたしだ。」 走っていく後ろ姿。足元の影はまだ長いのに。 何かつかみ損ねている。そんな訳の分からない焦燥感が天羽を襲う。 天羽が入ると、あたるの話し声が聞こえた。 「カヲル？ お帰り。うん。うん。 今日？ 帰るよ。作ってくれる？ いいの？ うん。じゃね。」 切ったあたるに聞く。 「カヲル君、帰ったんだ。」 「うん。晩ご飯作るって。時差ボケだろうにまめだよね。あ、一緒にどうぞって。」 あたるはキョロキョロする。 「何か袋ある？ 浴衣持って帰らなきゃ。」 「ああ。」 紙袋を出してくると、あたるが浴衣をたたみ直していた。 赤白の縞地をソファに広げる。 広がったその色に記憶が騒いで、後ろからあたるをつかまえた。 「どうしたの？」 あたるが驚く。 「浴衣にそそられた。」 「えー？」 「もう帰るんだ？」 「・・・夕飯、来ないの？」 「んー。いろいろ話あるだろ、３人で。俺はいない方が話しやすいよ。」 「でも。」 「遙や良介に気使ってくれたし。俺もちょっとは気つかわないとな。」 黙ってしまうあたる。 「ま、それは半分。半分はさ、俺も休みボケだから。」 「？」 「頭整理しないと。明日から仕事だし。」 「ああ、そうだね。」 「休み明けから新しいプロジェクトなんだ。また忙しくなる。」 「新しいプロジェクト？」 「ああ。まあ、初めはそうでもないだろうけど。だんだんな。」 「・・・いつまで？」 「１２月。おまえも１２月まで忙しいよな。」 「うん。」 「ずい分遊んだからな。こんなに遊んだの、何年ぶりだろ。」 「えー？ バイクでずーっとあちこちしてたんでしょ？」 「そりゃそうだけど、それはどっちかというと生活だったからさ。」 「ふーん。」 「こんなふうに、遊ぶために遊んだのって、いつ以来なんだか。」 「そうなの？」 「そうなの。」 ギューッと抱きしめる天羽。 「じゃ、あなたのご感想は？」 「んー。やりすぎ？」 「バカ！」あたるはひじ鉄砲をくらわせかける。 「冗談だよ。」 手を離して笑い出す。 「いうかな、普通。」 ブツブツ言いながら浴衣をたたみ直して、帯と一緒に袋に入れる。 目が合うとプイッと視線をはずすその顔が赤い。ほんと、いつになっても。 このまま帰したくなかった。さっきの焦燥感も消したかった。 もう一度つかまえる。 ちょっとためらってから、あたるも腕を回してくる。 「又忙しくなるんだね。」 「まぁな。１２月はかなりだろうけど。」 「その頃はあたしも切羽詰まってるね、きっと。」 「がんばるんだろ。」 「うん。」 抱き合って揺れるクセ。突然、天羽が耳元で聞く。 「どうする？」 「へ？」 「やる？ やめとく？」 「・・・聞くかな、ふつう。」 眉をしかめるあたる。 「聞かなきゃ怒るだろ。」 クスクス笑う天羽。 「そういうんじゃ・・。」 口ごもってしまう。 「だから、俺はやりたいの。Yes？ No？」 顔を真っ赤にして天羽の胸に隠れてしまう。 「返事は？」 「・・・」 「聞こえねーよ。」わざときく天羽。 「・・・es」 「んー？」 「もう！ 絶対聞こえてるでしょ？」 顔を上げて抗議すると、天羽の顔はちょっとマジ。 「ちゃんと返事が聞きたいんだ。」 困った顔で視線を左右に泳がせてから、もう一度顔を上げたあたる。 天羽の強い瞳に怯みつつ、かすかにつぶやく。 「Yes」 天羽が微笑む。 あたるはやっぱり困った顔をしていたが、そのうちやっと笑顔になる。 抱きしめられる。瞳を閉じると、キスが落ちてくる。 唇に。額に。頬に。それから。 あたるは夕立に全身を濡らす自分を見ていた。何故か激流の中で一人。 叩きつけられ押し流されそうになりながら、必死で立っている。 でもよろめく。ゆらめく。自分の姿が沈みそうだ。 ふと目を開けると、天羽の広い肩。汗が光って流れる。 手を伸ばして、その雫を受ける。 天羽が気づく。 手をつかまれる。もう一度降ってくるキスの雨。 目を閉じると流れの中、浮き沈みながら漂う自分が見える。 夏が終わるー。 |