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ＶＯＬ．２８ 「知恵熱と決意」 車は１時間かからないで、店に着いた。 「着いたぞ。」 声をかけたが起きない。なんだかさっきよりぐったりしている。 額に手をやるとずいぶん熱い。 「まずいな。」 車を降りて助手席のドアを開けると、 あたるを抱きかかえて、奥のソファベッドまで運ぶ。 毛布を取ってきてくるんでやるが、こんこんと眠っている。 「氷買ってくるか。」 心配そうにつぶやく天羽。 眠りの中で誰かを捜していたあたる。でも誰も見つからない。 自分がどこにいるのかわからない。 あたしはどこにいるんだろう？ 寒いー熱い？ ふいに額が冷たくなった。目を開けると、天羽の顔。 「苦しいか？」 「・・・大丈夫。」 額に氷枕がのっかっている。 「起きられるなら、着替えた方がいいぞ。すごい汗だろ。」 確かにべっとりだ。ワンピースがからみついている。 起きあがろうとするが、力がはいらない。 天羽がフワッと抱き上げて、椅子に座らせてくれた。 Ｔシャツを渡してくれた後、、天羽はベッドにタオルケットを敷き始めた。 やっとのことで着替えたあたる。それだけで息が切れる。 でも少し楽になった。汗をかいたからだろう。 「ほら。」ペットボトルが差し出される。 思わず両手で抱えて、一気に飲んだ。 自分は気がついてなかったが、喉がカラカラだったらしい。 それを見届けて、また抱き上げるとベッドへ移してくれる。 「何か食べた方がよくないか？」 「欲しくない。もうちょっと寝てる。」 「そっか。」 「ごめんね。」 「何が？」 「お休みなのに。」 「バーカ。」 笑って頭まで毛布をかぶせてくれる。 あたるは安心して、また眠り込んだ。 そばで椅子に座った天羽は、まだ心配そうだ。 夏の陽がもう傾いている。 早めに仕事が終わった吉良はカヲルの家まで来てみた。 夕べ別れてから、さくらに連絡がとれない。 適当につきあってきたのだが、つかまらないと気になる。 今まであまり、手管を使わなかったさくら。 それが何度携帯にかけてもつながらなくなって、業を煮やしたのだ。 店に寄ったが、今日は休みを取ったと言われた。 昨日置いてきぼりにしたあと、何かあったんだろうか。 玄関に入ろうとするが、鍵が掛かっている。 「さくらー。いないのか？」 叩いたが、返事はない。 昨日、姉さんもまだ帰ってないって言ってたな。 そう、昨日はあたるの所在を確かめたかったのだ。 最初からさくらにつきあう気がなかった。 だからいともあっさり、置いて帰ってしまったのだ。 家に帰ってから、あまりにも冷たかったかなと思い直して連絡を入れた。 なのにつかまらなくなったさくら。 いないんじゃどうしようもない。 あきらめて帰ろうとした時、向こうから歩いてくるさくらを見つけた。 長い夕影を引き連れて来る。 白い袋をぶらぶらと振り回しながら、なんだか楽しそうだ。 吉良に気づいた。 驚いた顔になるが走り出しもしない。ゆっくり歩いてくる。 「どうしたの？」 拍子抜けする吉良。 「・・・おまえ、携帯は？」 「携帯？ 家に置いて来ちゃった。」 「夕べもかけたけど、つながらなかったぞ。」 「ああ。電源切ってあるの。」 なんともあっさりした口調。 「なんで？」 「え？」 「なんで電源切ってあるの？」 「・・・たまにはね。あなたこそどうしたの？ 人を置いてったくせに。」 口でいうほど、責めている様子でもない。 「悪かったよ、夕べは。」 「無理しなくていいよ。」 サラッとかわすさくら。何だろう。今までと何かが違った。 「ほんと悪かったよ。お詫びに夕飯、誘いに来たんだぜ。」 吉良には珍しく、ご機嫌をとってみる。 「えー、あたし晩ご飯の材料買って来ちゃったもん。」 なんともそっけない返事。 「お姉ちゃん、帰ってきたの？」 「ううん。」 「ひとりで？」 「うん。おいしそうなアジがあったんだもん。 塩焼きと冷や奴。それから枝豆。」 ほんとにおいしそうに言う。 「おまえが作るんだ？」 「他にいないでしょ。」 黙った吉良に、ふと顔を上げる。 「食べて行く？」 「いいのか？」 「うん。一応あたるの分も買ってきたから。食べちゃっていいよ。」 とっとと家に入っていく。 あの、何かとくっついてきたさくらはどうしたんだろう。 あっさりした態度と口調に、ただ面食らっている吉良。 「あがればー？」 玄関から顔をのぞかせたさくらに、とりあえず入ることにした。 結構手際はいいようだ。まあそんなに手の込んだ料理ではないのだが。 それでも、みそ汁は一応出汁を取って味噌を入れるし、 枝豆も枝付きのをもいで、慣れた様子でゆでている。 氷の張った容器に入れてあった冷や奴を皿に盛る。 青ジソの葉が涼しげだ。 感心して見ていた吉良に声をかける。 「あっちに持っていこうか？ ここ暑いし。エアコンかけよう。」 居間のテーブルにお皿を並べた。 ご飯とみそ汁を運んできて、それぞれの前に置く。 「ビールいる？」 「あ、うん。」 ボトル缶を渡してくれる。 「いただきまーす。」 さくらはパクパクと食べ始める。吉良はとりあえず箸をつけてみる。 「魚、焼けてるよね？」 「・・・うん。うまい。」 おせじじゃない。 活きのいいアジで、身がホロッとくずれて、ビールには最高だった。 こんな普通のご飯は久しぶりで、吉良は楽しくなった。 きんきんに冷えた冷や奴。 プシュッとでてくる枝豆。白菜の浅漬けまである。 気がつけばきれいに平らげていた。 「うまかった。ごちそうさま。」 珍しく素直。対してさくらはこれも素直。 「うん。ありがと、きれいに食べてくれて。」 そういってパタパタと片づけ始めた。 そのまま台所で洗い物をしているさくらに、うしろから声をかけた。 「おまえさ、どうしたの？」 「何が？」 「だから、なんか違う。」 ふりむくさくら。 「そう？」 「ああ。」 「どんな風に？」 「どんなってー。」 何て言えばいいんだ？ 「気のせいじゃない？」 さくらはまた洗い物を続ける。鼻歌まで歌って。 「あ、仕事は？」 急に聞いてくる。 「え？ 明日昼から一本入ってる。」 「そう。じゃあもう帰った方がいいね。」 その言葉に心底びっくりした。 さくらの口から「帰った方がいい」なんて台詞を聞くなんて。 それもマジだ。 後ろ姿に茫然とする吉良だった。 洗い物をすませると、さくらはこっちにふりむいた。 「ん？」 何を驚いてるのって顔をする。 「ちょっと出ないか？」 「もう飲んだくせに。明日に響くよ。」 「おまえ飲んでないじゃん。」 「あたし今日休んじゃったから、明日はちゃんと出ないとまずいんだよね。 だからやめとく。」 「追い返すんだ。」 すねたような吉良の台詞に、ふいにさくらは笑い出した。 腹の底から笑っている。こんな笑い方、見たことがなかった。 「そんなにおかしいか？」 むっとして聞く。 「ごめん。だって・・・。どうしたの、そっちこそ。 あたしがまとわりついてたら、払いのけて置いてきぼりにしたくせに。」 そのとおりなのだから、否定できない。 「まとわりつかなくなったら、追いかけてくれるの？ おもしろいよね。」 「さくら。」 「もうやめたの。」 「？」 「あたしはあたし。あたしが大事。惨めな自分はもう嫌なの。」 吉良に正面から宣言する。 「あなたを追いかけてすがる自分も、昔の男に未練な自分も、やめたの。 あたしはあたし。だからもう、あなたのあたしでもないよ。」 いつのまにか持っていた携帯を吉良に差し出した。 その表情が、これまで吉良の見たことのない、カラッとした明るい本来のさくら。 「これ。返すね。いらなかったら捨ててよ。」 黙って受け取る吉良。 「淋しいときにかまってくれてありがとう。それは嬉しかったの。」 吉良に軽くキスをした。 「あなたって、甘い毒薬みたいだった。 舌に心地いいけど、しびれるけど、ボロボロになるね。でも好きだった。 友達でも楽しいんじゃない、お互いに。また遊んでね。」 いまだかつて、ふったことはあっても振られたことなんてない。 吉良は携帯を持って立っているだけだ。 「もう帰って。あなたも明日に差し支えるし。」 玄関の外まで押し出されてしまう。 「じゃあね。バイバイ。」 手を振るとカラッと引き戸がしまった。カギをかける音もして灯りが消えた。 その音で我に返って手元を見る。 銀色の携帯が街灯に鈍く光る。 不意に怒りが湧いてきて投げつけようとしたが、そこで止まってしまった。 『淋しいときにかまってくれてありがとう。』 そう言ってキスしたときのさくらがやけに可愛かった。 今までで一番。 握ったままの携帯。消えてしまった玄関の灯り。 まさかさくらに振られるなんて。 この俺が。 何がなんだかわからないくらい、混乱していた。 あたるはポッカリ目を開けた。 気がつくと体中の火照りが抜けて、すっかり楽になっている。 一気に上がった熱は、一気に抜けていったようだ。 やっぱり遊びすぎかな。 そこで思い出した。左腕の付け根をそっと見る。 まだ残っている赤いアザ。恥ずかしいような、嬉しいような。 あれ？ 気づくと天羽が見あたらない。 見ればソファベッドの横の床に、毛布をまとって転がっている。 「やだ、こんなとこに。」 自分がベッドを占拠しているからだと思うと、申し訳なかった。 例によってランニングの下着のままだ。 手を伸ばして毛布をかけ直してやる。すると寝返りを打って目を開けた。 「・・どした？」 「ううん。もう平気。」 「ほんとか？」 起きあがると、あたるのおでこにおでこをくっつけた。あたるの心臓が跳ねる。 「ひいたな。よかった。」 ホッとしたようにニッコリ笑う。その顔にまたスキップする心臓。 これじゃまた熱が上がりそうだ。アザの後遺症かな。 自分で自分をを叱りつけたい気分だった。 そんなあたるの顔を天羽は気にする。 「ん？ やっぱまだ赤い？」 「う、ううん。ほんとにもう大丈夫。」 あわててごまかす。 「腹へってないか？」 「うーん、あんまり。水あるかな？」 「おう。」 水を飲んで、どうやら心臓も落ち着いた。 「今、何時頃？」 「１１時４０分。」 「夜中かぁ。知恵熱みたい。」 「知恵熱ね。ガキだねー。」天羽が笑う。 「みたいって言っただけでしょ。」 「そのままじゃん。歯が抜けてんじゃねーの？」 「もう。」 からかっていた天羽が、 起き上がっているあたるに向かいあうように座った。 「でもホント、大丈夫か？」 「うん。」 「・・・辛くない？」 天羽の心配していることがわかって、ちょっと口ごもる。 「うん。大丈夫・・だと思うよ。」 「ならいいけど。」 そっと腕を伸ばすと抱き寄せられる。 胸にもたれるあたる。ドキドキとホッとするのがまぜこぜ。 「びっくりしたんだぜ。ゆうべまずかったかなって。焦っちゃったよ。」 ささやく声。 「またぁ。多分、遊び疲れだよ。」 「加えてやりすぎ？」 「だからぁ。」 困って逃げようとするあたる。でも離さない腕。 「ちょっと自重しなきゃな。体壊しちゃしょうがない。」 「・・・壊すのもだけど、目立つのもね。」ついあたるがつぶやく。 「何だ、それ？」 天羽にのぞき込まれてためらったが、Ｔシャツの左袖をめくって見せた。 目を丸くする天羽。あたると目が合うとニヤッと笑う。 「ふーん。」 その声にまた赤くなってクルッと背を向ける。すると後ろから抱きしめられた。 「さすがに今日はやめとくけどなー。」 「またからかう。」 「でもせっかくだから、証拠は残したいよな。」 「え？」 袖をめくったままの左腕をつかむと、そのアザに唇を重ねる。 噛むように吸うように離さない。 それじゃまた。みつめて思いながら、あたるは動けない。 それどころか身体の芯が熱くなるのをどうしようもない。 やっと唇を離した天羽が、そんなあたるにキスをする。軽く。 いつもなら受け身のあたるだが、今夜は違った。 昨日の記憶が残っているのか、気がつくとキスを返していた。それも深く。 誘い込まれるように、天羽のキスも深くなる。 深いキスが喉から肩に移りかけて、自制した。 やっと唇を離して、もう一度抱きしめる。あたるも我に返った。 「・・・まずいだろ、おまえのキス。」 「あ・・たし？」 「そ。珍しく返してくれるとおもったら、マジなんだもんな。 たががはずれかけたぜ。」 そう言われても、本人が一番驚いている。 「危ない奴になってきたな。」 「何が？」 「危なくて目が離せなくなってきた。」 「だから、どういう意味よ。」 「他の奴にキスさせらんないなってこと。」 吉良にキスされたことを急に思い出した。なんだかあれがものすごく昔みたいだ。 「見張ってないと。」 「気持ちがないと出来ないよ、こんなの。」 あたるの小さな聞こえないくらいのつぶやき。 天羽が微笑む。 「寝るか。」 見上げてあたるも微笑んだ。 「うん。」 後の２着を渡した夜、帰ってきた洋子がカヲルに伝言を伝えた。 「こないだ会った楢崎さん。覚えてるでしょ、企画部長。」 「うん。」 忘れようのないインパクトだ。 「相沢くんに相談があるって言うのよ。」 「相談？」 何だろう。仮にもニューヨーク支社の企画部長が。 「洋子さん、内容聞いてない？」 「それがね。相沢くんのデザインが気に入ったのは確かなんだけど。 その先に何かあるみたい。」 「その先？」 「そこまでは私にもね。」 どうやらほんとに聞いてない様子。一体なんだろう。想像もつかなかった。 ともかく翌日、ニューヨーク支社へ行くことになったのだった。 |