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ＶＯＬ．２３ 「海と夕陽」 まだ深い闇の中、あたるは揺り起こされた。 「こたつ虫、起きろ。」 「んー・・・？」ねむい。目が開かない。 「おいてくぞ、海。」 その言葉にパッと目が開いた。ガバッと起きあがる。 焦って部屋の中がよくわからない。 「おいてっちゃやだからね。」 思わず自分でも情けない台詞が出た。 すると、横から腕が伸びてあたるを抱きしめた。 「そこにいたの？」その腕につかまってホッとする。 「おまえを置いてきぼりにするほど、度胸良くないよ。俺は。」 「どういう意味よ？」 「執念深いの、見てるからなー。」 「そうよ、怖いんだから。」 憎まれ口を叩きつつ、抱きしめてくれる腕は温かい。 耳元の声が落ち着く。 「今、何時？」 「４時前。」 「暗いわけよね。」 「弁当、作るんだろ。俺、車見てくるから。」 「うん。」 天羽が外へ出ると、あわてて仕度を始めた。 唐揚げは昨日の内に作ってきてある。卵焼き。ウインナーとサラダ。果物。 炊飯器にかけて置いたご飯が炊きあがっている。 実はこの炊飯器、店のリサイクル品だ。 お弁当をつくれと言われてから、ここには炊飯器もお米もないことに気付いて。 「ねえやっぱり朝、家でつくってから来ようか？」 それで何の問題もないのだが、こだわったのは天羽。 「おかまならあるじゃん。」 持ってきたのがリサイクル品の炊飯器。まあ確かにこれで炊ける。 「じゃお米持ってくる？」 「ん。・・・なんとなくさ、その方がお休みっぽいだろ？」 そこであたるは笑ってしまった。 「うまく炊けなかったらどうするの？」 「そんときゃそんとき。」 でもちゃんと炊けている。良かった。 おにぎりはおかかとしゃけ。それから内緒で梅干し。 作ったものはタッパーに詰め込み、うちわでせっせと仰いで冷ます。 夏場だから気をつけないと。 車の整備を終えた天羽が戻って来た。 「お、うまそう。」 「つまみぐいしないでよ。」 「毒見。」 卵焼きを一切れつまむ。 「毒見？」 「塩と砂糖、間違えて・・・ないじゃん。」ニヤッと笑う。 プーとふくらむあたるの頬。 「ほんとに仕込もうかな。」ブツブツつぶやく。 「お、心中するか？」 「あのねー。そうだ、ペットボトル買っておいてくれた？」 「あ、忘れた。」 「これだよ。」 「買ってくるよ。他になんかいる？」 「おやつ。車で食べるよね？」 「朝飯にパンでも買ってくるか？」 「ああ。朝ご飯忘れてた。」舌を出すあたる。 「これだよ。」 笑いながら天羽が買い物に出ていく。 その間にあたるは着替えをした。 なす紺色のタンクトップに黄色いサブリナパンツ。フリンジが可愛い。 上からＧジャンを羽織る。足元は素足に空色のミュール。 同じく空色の帽子を、草色のトートバックに突っ込む。 携帯を見てちょっと考える。さくら、大丈夫かな。 でもこんな朝っぱらからかけられないし。 たぶん吉良が一緒だろうし。 天羽が戻ってきた。 パンとコーヒーで簡単に腹をふさげる。 朝早すぎるので、どっちもさほど空いてない。 後かたづけを住ませた頃、お弁当も冷めたようだ。 これもトートバックへ詰め込んだ。買ってきたものも一緒に。 「仕度はいいか？」 「うん。」 荷物を抱えてニッコリ笑うあたる。その絵に満足する天羽。 「じゃ行こうぜ。」 店を戸締まりすると、車の後ろに荷物をのせる。 さあ、発進だ。 「ねえ、ほんとにどこ行くの？」 「海だろ？」 「だから、どこの海？」 「いいから寝てろよ。」 「えー？」 「起こしてやるから。着いてからのお楽しみ。」 前をみてハンドルを握ったままの天羽の横顔。口元がいたずらっぽくゆがむ。 「ふーん。じゃ、寝ていい？」 「おう。」 やっぱりまだ眠い。 あっさり眠ってしまったあたるを横目で見ながら、天羽は高速へ入っていった。 さすがにまだ車は少ない。車のスピードを上げた。 さくらが目を覚ますと吉良がいなかった。 都心の有名ホテル。贅沢な室内。でもひとりっきり。 ベッドサイドにメモがのっている。 『急に仕事が入った。よく寝てるから、起こさないで行く。また連絡するよ。』 メモをみつめながら、さくらの気持ちがどんどん落ちていく。 深い井戸に投げ込まれる小石のように。 吉良の気持ちはつかみきれない。 窓の外は夏の夜明け。さくらの気持ちと反対の明るさ。 当の吉良は何故か天羽の店の前にいた。 店は閉まっている。ゆうべはあった車がない。 「出かけた・・・か。」 自分をにらんだあたるの目つきが、ひっかかっていた。 投げつけられた言葉も。 『あなたが好きなのは、自分だけなんだ。』 キッ！ 車が止まったのを感じた。バンとドアが開いて、閉まった音。 目を開けたら、そこに海があった。 夢を見ている感じで目をしばたたかせる。 「海だ。」 自分の声に気付く。向こうに立っている天羽が見えた。 あたるも車を降りると駆けだした。 天羽がふりかえる。その笑顔が嬉しくてとびついた。 びっくりしながら受け止めてくれる。 「なんだよ、朝っぱらから大胆じゃん？」 「ちがうよ。・・・なんか、嬉しかったんだもん。」 「俺が？」 「海が！」 笑いながら抱きしめている天羽に聞く。 「ここ、どこ？」 「三浦だよ。結構きれいだろ？」 「うん。」 夏の朝はもう陽が高い。きれいに晴れ渡っている空。 海が８月の色をしていた。 遠浅の浜辺にはもう、人が集まりだしている。 遠く岩場にはテントも見える。 皆、残り少ない夏の海を楽しもうとしているのだ。 「泳ぐ？」 「それより岩場の方で潜ろうぜ。」 「あたしあんまり潜れない。」 「浮き輪持ってけばだいじょうぶだろ？」 「忘れて来ちゃった。」 「なんだよ。ああ、あそこで貸してくれる。大きいボードみたいなの。」 「ホント？」 海の家で大きなボードを借りた。あたるは日焼け止めも買ってきた。 先に着替えた天羽。 バスタオルとペットボトルを、ビニールバックへ放り込んでいる。 水着は黒とみまがう深い紺色のハーフタイプ。 あたるが出てくる。ボードをかつぎかけた天羽が止まる。 照れくさいらしく、あらぬ方を向いている。 街着にもなるセパレート。上がビキニ。下がミニスカート風。 茶と黄色のチェック。上から赤いパーカーを引っかけている。 黄色い花の着いた茶色のビーサン。 赤いサングラスが大きすぎて笑ってしまった。 「何よ。」 「おまえ、そのグラサン、変じゃねえの？」 「いいじゃん。まぶしくないんだもん。」 天羽のもっていたビニールバックを取って、肩に掛ける。 「岩場の方へ行くんでしょ？」 「ん。」 ボードを担ぎ直して歩き始めた天羽の後ろから、あたるも歩き出した。 岩場は外海に近い。海の色はきれいだが、深くなる。 水平線に沿って光の帯が走っている。 遊歩道からはずれて、崖沿いをたどってきた二人。 ちょっとなだらかな斜面に荷物をおいた。 「おまえ、泳げるんだろうな？」 「泳げるよ。・・・２５Ｍくらい。」 「大丈夫かぁ？」危ぶむ天羽。 「別に遠泳するつもりじゃないでしょ。」 「そりゃそうだ。」 あたるは日焼け止めを取り出した。 「日射し強いから、塗っておいたほうがいいよ。」 「サンキュ。」 天羽の背中に向かうが、なにしろ背が高い。 「ねえ、座ってよ。」 「届かないか？」笑いながらしゃがむ。 「どうせチビですよ。」 ブツブツ言いながら塗りおわると、思いっきり背中を叩いた。 「いってぇー！」 顔をしかめた天羽に笑い出すあたる。 「ったく。貸せよ。」 あたるから日焼け止めを奪い取ると、あたるの背中にまわった。 「やだ、叩かないでよ。」 あたるがびびる。 「叩かねえよ。」 知らん顔でそういいつつ、日焼け止めで背中に文字を書いている。 「え？ く、くすぐったいよ。何？ ば・・・か？」 ふりむくと笑っている天羽。 「ちゃんと塗ってよ。」 「わーったよ。前向く。」 今度はちゃんと塗り終えると、さっさと立ち上がった。 ゴーグルを水着に挟むと、ボードをかつぐ。 「いくぞ。」 「あ、まって。」 あたるもゴーグルをつかんで追いかけた。 岩場の端に来ると、天羽はボードを投げ込んで自分もとびこんだ。 泳ぐのは好きだ。結構距離も泳げる。 「早くこいよー。」 浮かんだボードをひっぱりながら、あたるを呼ぶ。 あたるはちょっとためらっている。 水も波打ち際よりは冷たいし、やっぱり深さがある。 すると天羽がボードを寄せてくれた。 「乗れよ。」 「わーい。」 大きいからあたるが寝そべっても平気だ。 あたるごとボードをひっぱって、岩場を離れていく。 「あんまり沖にいかないでよ。」 「大丈夫だって。」 おかまいなしにひっぱっていく天羽。 あきらめて仰向けに寝そべってみる。空が青い。太陽がまぶしい。 なーんか、幸せ。ねむってしまいそう。 「こら、寝るなよ。」 天羽の声で目を開ける。 「俺、ちょっと潜ってくるわ。」そう言って水に消える。ポチャンと波紋。 「あ。」 天羽が潜ってしまうと、まわりには人がいない。 なんだか不安になる。でもすぐポカッと浮かんできた。 「ぷわぁ。この辺きれいだわ。おまえも潜る？」 「あたし、深く潜れないよ。」 「首だけでも突っ込んでみろよ。」 ゴーグルをかけると言われたとおりのぞき込む。 熱帯の海みたいではないけれど、澄んだ水の中、 深いところを横切っていく魚影が見える。息が切れそうで、頭を上げる。 「きれいだろ。」 「ん。」 「捨てたもんじゃないよな、この辺も。」 潜っては上がってくる天羽。 ボードからのぞき込むあたる。 上がってくる天羽と目があって手を振ったり。 何度かのぞき込んですっかり息が切れたあたるは、またボードにねっころがった。 気持ちがいい。 ボーっとしていたら、突然ボードがひっくり返った。 投げ出される。 「キャーッ！」 当然、水に沈む。あわてているので、うまく浮かべない。 水を飲む。久しぶりの塩水。 （溺れる〜！） ふっと体が浮き上がった。ボードが手に触った。 つかまってゲホゲホいいつつ、ぜいぜいしている。 みれば天羽が笑っていた。 「なにするのよぉ」 「溺れるかと思った？」 「もうー。」 水を飲んで苦しくて、文句も言えない。 やっとボードにのって一息つくと、目の前にきれいな貝殻が現れた。 巻き貝だが、丸くふくらんで淡いピンク色。つやつやしている。 「きれーい。」 「おみやげ。」 「いいの？」手に乗せてもらってニコニコするあたる。 その顔に天羽も微笑む。 「戻るか？ もう昼過ぎだろ。」 「そうなの？ 道理でおなか空いた。」 二人は岩場へ戻っていった。 ゆっくり岩場から戻ると、待望のお弁当になった。 「おー、うまそう。」 「遙さんには負けるけどね。」 「そっか？ あんまり変わらないんじゃねえの？ 少なくとも見かけは。」 天羽がニヤッと笑う。あたるはふくれながら紙皿を渡す。 「黙って食べる。」 腹が減っていればなんでもおいしいものだが、それを差し引いても、おいしかった。 「あ、このおにぎり梅じゃん。すっぱい〜。」天羽が顔をしかめる。 「夏はね、梅干しがいいんだよ。食中毒よけ。」 「そっか。なにしろつくったのが『あたる』だもんな。」 「薬、いる？」あたるがニマッと笑う。 「え？ マジで？ おいおまえ。」 「冗句に決まってるじゃん。」 「ったくなー。」あもうはあたるのおでこをこづいた。 昼をたいらげたあと、もう一度外海へ行って来たふたり。 あたるはボードにねっころがってばかりで、時々潜っている天羽をのぞいていた。 天羽は潜っては浮かんでくる。 何かおもしろいものがあると、あたるに渡してくれる。 ビニール袋にそれを集めるあたる。 貝殻やきれいな石や丸くなったガラスのかけら。 さすがに疲れて引き上げる頃には、袋の中にあれこれ詰まっていた。 海の家でシャワーを借りて着替えをすませた。 「これからどうする？」 「そうだなー。」 「ちょっとねむいね。」 「寝るか。」 朝っぱらからバタバタして、思いっきり海で遊んだらやっぱり眠い。 車で少し仮眠をとった。 天羽が眼を覚ましたのはちょうど陽が落ちる頃。 空が一面のオレンジ色だ。海も燃えるグラデーション。 刻一刻と変わっていく空と海の色。 しばらくボーッとみていた天羽は、気づいてあたるを揺り起こす。 「おい、おきろよ。あたる。」 「んー・・ん？」 眠そうに目をこする。 「日の入りだぞ。見たいんだろ。」 「・・・あ、ほんとだ。」 あたるもしばし、ボーっと眺めるが、ハッとして車からおりて駆け出す。 天羽もゆっくり後を追った。 間近で見る夕陽は見とれるほど綺麗だ。 海に一歩はいれば、全身がオレンジ色に染まりそうな錯覚に陥る。 水平線にかかると、まばたきするたびに沈んでいく紅い球体。 どこか厳かな気分にすらなる。 空の果てから黒が忍び寄ってくる。 わずかにたなびく雲の色は、桃・赤紫・青紫・紺・黒と変わっていく。 波打ち際まで走ってきたあたるは、そこで夕陽をみつめていたが、 後ろから歩いてきた天羽に気づくと、その腕につかまった。 「どした？」 「ううん。夕陽っていつもだけど、綺麗すぎて怖くなる。」 そのまま黙る。 赤々と燃える球体は、やがて陽炎を残して海に沈んでいった。 空と海が静かに眠りにつき始める。 息を詰めて見ていたあたるが、ほっとため息。 つかまっている腕を思い出して、見上げる。 「きれいだったね。」 「ああー。」天羽も海を見つめたままだったが、視線を戻す。 「行くか？」 「うん。」 手を握り直すと、あたるが照れ笑いする。 後ろを時々振り返りながら、二人は車へゆっくり歩いていった。 伊倉は時間を持て余していた。 それを認めたくないから、手当たり次第に女をひっかけている。 今まで知り合った全員に総動員を駆ける始末。だが、今までと違う。 頭の隅からさくらが離れない。 浮気をしているときは目の前の女が一番。 それがモットーで、自慢でもあったのに。 今や浮気ですらなく、誰も文句を言わないのに。 休みが長い。 隣に誰がいても同じだ。 昔、さくらに言われた台詞が聞こえてくる。 『そんなこと言ってる内に、年をとって、一人寂しく死んで行くんだよ。』 あの時もきついと思ったが。 「あいつ、予言者だったのかな。」 一人で自分の部屋のソファにひっくり返って酒をくらう。 結局そんなことになっている伊倉だった。 |