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ＶＯＬ．２２ 「大切なのは」 店に飛び込んだら、天羽が誰かとキスしていた。 見覚えのある後ろ姿。 「リカ・・・さん？」 あたるに気付いた天羽が、あわててリカを押しやった。 だがリカは無理に天羽に寄り添おうとする。 天羽があたるとリカを見て、困った顔になる。 「あたる、あのな・・。」 そこに吉良がむせながら入ってきた。 「いってぇ〜。今時中学生だって、キスくらいでそんな反応しないだろ。」 天羽が突然現れた吉良に驚いている。 リカがつい尻馬に乗る。 「なんだ、あたるさんもキスしてたんだ。そうよね、キスくらい。」 ”キスくらい” 「そうだよ。ちょっとボランティアしてもらったと思えば。」 ”ボランティア” 簡単な言葉。 簡単なものなんだろうか。 みんな簡単にキスしてるの？ 天羽さんも？ リカと吉良の言葉にあたるは耐えきれなくなる。 吉良に向かってもう一度バッグを振りかぶる。 「誰がボランティアしてくれなんて言ったのよ！？ このおたんちん！」 投げつけると、外へ飛び出して行く。 「あたる！」 天羽の声も聞かない。 天羽は吉良に近づくと、いきなり腹に思いっきり拳を入れた。 「人の彼女で遊ぶんじゃねーよ。」 目つきが豹変している。サングラス越しの凄み。 リカは息をのんだ。天羽が人を殴るなんてー。 床に転がった吉良は腹を抱えて動けない。 「顔でなかったのをありがたく思えよ。 さくらちゃんまで泣かしたら、ただじゃおかねえぞ！」 捨てぜりふを残して、天羽も外へ飛び出していく。 あわてて後を追うリカ。 吉良は一人残された。 思いっきり殴られて腹が痛い。あたるのバッグも結構きつかった。 「参ったな。てんで予定外。しゃあない。さくらんとこ行くか。」 よろめきながら起きあがる。足どりはやっぱり重い。 ただ走りに走っていたあたる。 逃げたい。何から？ 気付くと駅前に来ていた。夕方で人が多い。 なんであたし、吉良にキスされてるんだろう。 なんで天羽がリカとキスしてるんだろう。 胸が痛くて悲しかった。 人混みの中フラフラと歩く。あたりは暗くなり始める。 点滅するネオンがモールス信号のように浮かび上がる。 Ｓ．Ｏ．Ｓ． 同じ頃、立木が通りに下りてきた。 休みのはずのリカにいきなり呼び出されて、仕事帰りにやってきたのだ。 駅前としか聞かなかったけど、どこにいるんだろう。 天羽さんと一緒というセリフが気になった。 背広姿のままキョロキョロする。 ふと、前から横断歩道を歩いてくる女性に目が止まった。 あれ？ 天羽さんの彼女ー？ そうだ。６月に見たきりだけど間違いない。 何故か泣きそうな顔で足早に渡って、通り過ぎようとする。 天羽さんも来るはず。立木は声をかけてみた。 「あのー。」 ろくに前も見ていなかったあたるは、不意に声をかけられて驚く。 「あたし・・ですか？」 「はい。すいません、突然。もしかして、天羽さんの？」 見ず知らずの青年から天羽の名前が出て、さらに驚く。 「どうして？」 「あの、俺、天羽さんの会社の後輩で立木と言います。 以前、６月祭りで。覚えてらっしゃらないでしょうけど。」 「あ・・あ。」 祭りの時、リカと一緒に何人かいた。あの中の一人。 だが今は、リカの名前を聞くだけで痛い。 「それで、あたしに何か？」早く逃げたい。ここから。 「いや、天羽さんもここに来るって聞いたから、ひょっとしてと思って。」 「天羽さんが？ ここに？」 「ええ。飲みに行くって。竹井って奴から連絡が。」 リカさんと？ だって明日早いから、今日は早く休もうって。 でもさっきはリカさんとキスしてた。 もう何がなんだかわからなくなってきたあたる。 そんなあたるの様子にびびる立木。 まずいこと言ったのかな、俺。竹井のこと知ってるんだっけ。 天羽さん、どうなってるんだろう？ その天羽も、あたるを探して駅前までたどり着いていた。 リカが後を追っているが、振り返りもしない。 駅前の人混みに、苛立ちながらあたるを捜す。人が多くて思うように進めない。 ようやくリカが天羽の腕をつかまえた。 「天羽さん！」 「離せよ。」リカの顔も見ない天羽。 「無理です。こんなに人が多いんだから。」 「離せ。」 「天羽さん、あたしは。」 「いいかげんにしろよ。君に構ってるヒマはないんだ！」 こんなに苛立って焦っている天羽を見たことがなかった。 リカ達新人がどんなに困らせても、仕事がどれだけ立て込んでいても、 どこか余裕で冷静だった天羽。そういう人なんだと思っていた。 にらみつけられて悲しくなって、目を転じる。そこで見つける。 「立木くん。」 リカの言葉に天羽も目をやる。 広い通りの向こう側、信号機のすぐ脇に立木の後ろ姿。 誰かと話しているようだが、立木の影でよく見えない。 「・・あたる。」天羽がつぶやく。 「え？」 見れば天羽はもう走り出していた。あたるさん？ どこに？ とりあえず天羽を追いかけながら、立木の方をもう一度見る。 交差点まで来ると、立木の影になっていたあたるがはっきり見える。 あの一瞬でわかったんだー。 ちょうど青に変わった横断歩道。突っ走っていく天羽。追いかけるリカ。 あたるは立木のそばから逃げようとしていた。 「ごめんなさい。あたし、急ぐから。」 つい聞いてしまう立木。 「天羽さんと待ち合わせじゃ？」 思わず立木を見てから首を振る。その時後ろから声がした。 「当たりだ、立木。待ち合わせ。」 天羽だった。息を切らしている。固まるあたる。 立木は、うしろからリカも走ってくるのを確認していた。 「人の話、聞けよ。」 あたるの腕をつかもうとする天羽。 「嫌！」 あたるはそれを振り払った。 「待ち合わせって何？ 今から飲みに行くって？ あたしそんなの聞いてない。」 立木と目を合わせて眉をしかめる天羽。 またややこしくなってる。 「何なの？ もうわけわかんない。好きにしたらいいじゃん。 キスでも何でも。どうせあたしだって、初めボランティアだったでしょ！」 自分の言葉に傷つきながら、それでも言ってしまう。 天羽の眉がさらに寄る。 「そうよ！ ボランティアなんだもん！ 勝手にすれば？ みんなそうなんでしょ。もう知らないよ！」 ここから逃げたい。あたるは半べそになりながら叫ぶと駆け出した。 今天羽が渡ってきた横断歩道を、逆に渡り始める。 信号はすでに点滅している。 「待てってば！」 あわてて追いかける天羽。動けないリカと立木。 広い横断歩道の分離帯で、天羽はあたるをつかまえた。信号が赤に変わる。 「離してよ！」 「バカ！ 赤だ！ 危ないだろ！」 「知らないよ！ 好きにすれば！ 誰とでも勝手にキスしてよ！！」 涙をポロポロこぼしながらとにかく逃げようとする。 手を離したら車道に飛び出しかねない。 天羽も必死だ。 なんとか両肩をつかまえると、強引にキスをした。 数秒のキス。暴れていたあたるが驚いて動かなくなる。 その瞳を天羽がのぞき込む。 「俺がキスしたいのは、おまえだけだよ。」 ぐちゃぐちゃだったあたるの中に、天羽の声が道をつくる。 やっと心に届く言葉。 「おまえは違うのか？」 返事なんてできない。ただみつめるだけで、やっぱり涙はこぼれる。 言えない言葉を拾うように。 頬をつたう涙を拭ってくれる指が優しい。 リカと立木はただそこにいた。 車が一斉に流れ始める。ふたりのいる場所がスクリーンのようで、 両側で信号を待つ人たちが観客のようだ。 左右に流れるヘッドライトの帯に挟まれながら。 天羽があたるにもう一度かがみこむ。 重なる口唇。 目をそらしたくて、でも反らせずに、リカがそれをみつめていた。 さっき店であたるが入ってきた瞬間、天羽にキスしたのはリカの方だった。 そう、したのはあたしで、天羽さんは驚いていただけ。 今あそこでふたりがしているキスとは違うんだ。 それを見せつけられていた。 入れない。 天羽さんの気持ちはあたしにはこれっぽっちもない。 何度言葉でいわれるよりも、あのキスがそれを物語っている。 リカの目に涙が溜まる。 そんなリカを立木は見ていた。 何の説明もされないままだが、おおかたのことはわかった。 天羽さんはあの人がとても大事なんだ。 自分にだってわかるんだから、リカにもわからないはずはない。 ついに耐えきれなくなって、リカは二人に背を向けると駅へ歩き出した。 もうーおしまい。 立木は横断歩道の二人をもう一度振り返ってから、リカの後を追った。 天羽はようやくあたるを店まで連れて帰ってきた。 ソファに座らせると、あたるがさっき放り投げたバッグを取ってきてやる。 冷蔵庫から缶ビールを取り出して、あたるに１本渡すと自分も開けた。 走って走って、のどがカラカラだった。やっと一息つく。 もらった缶ビールを手に持ったまま、天羽を見つめていたあたる。 「飲まないのか？」 「・・・飲む。」 あたるもビールを開けた。プシュっと泡がこぼれてスカートがぬれた。 「あーあ。」 「振ったでしょ。」あたるが文句を言う。 「振ってねえよ。」 苦笑しながらタオルを取ってくれる。 「ほら。」 あたるは何故か、それで床をふこうとする。 「バカ。自分が先だろ。」 「いいの。大したことないし。」 「床はモップ。」 身軽にモップで床を拭いてしまう。 あたるもスカートをふくと、カバンを机の上にあげた。 「お弁当の材料入ってるのに、振り回しちゃったの。・・・大丈夫そう、よかった。」 ホッとした顔でまたソファに座り込む。 まだ無理してる感じだ。 「あいつー。吉良？ なんだったんだ？」 「知らないよ。来る途中で逢ったんだけど。 ずーっとついてきて、飲みに行こうって。さくら、うちで待ってるのに。 頭にきて文句言ってやったらー。」 「キスか？」 「・・・うん。ボランティアだって。バッグ、思いっきり腹に入れちゃった。」 笑うけど、どこかゆがんで見えるあたるの顔。 「さくらもやめとけばいいのに。あんな奴。」 つぶやいてから天羽を見る。 「あなたこそ、なんでああなったの？」 「うーん。おまえが帰った後現れて、 なんかぐちゃぐちゃ言ってたと思ったら、いきなり。」 「キス？」 「＆告白。」 「へ？」もう驚く気力もない。 「今時は好きってのも簡単だよなー。」 頭の後ろで腕を組むと、あたるの横にひっくり返る。 「でもさ、キスだってー。」 天井をみあげながら言う。 「キスだって、エッチだって、気持ちが動かなきゃ意味ないって。」 「気持ち？」 「気持ちが動けば、触れただけでドキドキするじゃん。」 ふいに手を伸ばしてあたるの手をつかむ。 あわててひっこめるから、笑い出す天羽。 「ほらな、ドキドキしただろー。」 「もう！ 遊んでる〜。」口をとがらすあたる。 「だから、気にすんなって。」 あたるにもわかる。 天羽の言葉の意味と、そう言ってくれた優しさ。 「大切なのはお互いの気持ちだろ。」 さっきからの堅かったあたるの表情がゆるんだ。 やっと微笑むあたるを、うしろから抱きしめる。 「これだけでもすごくドキドキするだろ。」 「あなたもドキドキするの？」信じられないなーという顔。 「おまえならね。」その言葉も優しい。。 「気持ちがなくちゃな。吉良って奴も竹井もわかんないかな。」 あたるを大事に抱きかかえて天羽がつぶやく。 「・・・わかってるよ、たぶん。」 体をもたせかける。 ドキドキと安心がない交ぜになるこんな幸せな感じ。 それはお互いの気持ちが同じ所にあるからだ。 でもあたしだって、気持ちが届かない辛さも知っている。 幸せだけれど、リカの顔がかすめてやっぱり小さく胸が痛んだ。 駅前にある居酒屋。リカはチューハイをどんどん開けていた。すでに３杯目。 立木は黙ってリカの横にいた。手にはウーロン茶。 さっきから無言。リカがポツンと言う。 「何も聞かないんだ？」 「言いたくないんだろ。」 「振られたのよ。思いっきり。」またグラスをあおる。 「初めてか？ 振られるの。」 「え？・・・うん。」そう、初めてだ。 「失恋記念日だな。」ウーロン茶を掲げる立木。 「おめでと。」 リカに微笑む。その笑顔に何故かドキッとした。 「めでたくなんかないわよ。」思わず邪険にそっぽを向く。 「なんでさ？ ようやくおまえも一人前じゃん。」 「一人前？」 「人のものばっかり平気で取ってきたおまえがさ、 初めて取れないものがあること、かなわないことの痛みがわかったんだ。 進歩したんだろ。だからめでたい。」 「かなわない・・痛み。」 「みんなそれぞれ抱えてるのさ、誰だって。」 その言葉が実感を伴っていた。 「あなたも知ってるの？」 「俺はおまえなんかよりベテランだから。」いたずらっぽく答える立木。 「いっぱいふられたってこと？」ちょっと笑うリカ。 「そうも言えるか。」頭をかく。 「でもだから、おまえの辛さもわかる。」 そういってもう一度笑うと、リカのグラスにカチンと鳴らした。 この痛みもわかってくれるんだ。 みんな知っているのかな、これを。 痛くて辛くて泣きたい。でも耐えているんだ、自分で。 あたしは今まで、こういう痛みを人に押しつけてきたんだ。 ちょっと前なら駄々をこねてやつあたりして、 天羽をとことん追いかけただろう。 『自分で立たないと手をつなげない。』父の言葉が沁みていった。 横にいてくれる立木の優しさも。 カヲルの家の前まで来た吉良は、ためらった。 あたるが何か言っただろうか。だとしたら面倒なんだが。 とりあえず携帯をかけてみる。 「さくら？」 「あたし。今どこ？」その返事に大丈夫かなと思う。 「おまえんちの前。」 「ほんと？」 すぐバタバタと足音。戸をカラッと開けてさくらが走ってきた。 吉良の首にかじりつく。 「よかった。早かったね。」その率直さにホッとする。 こういうさくらは可愛いと思う。決して嫌いじゃない。 「夕飯は？」 「まだ。食べに行こうと思ったの。」 「よし。行こう。」さくらの唇に軽いキス。ニコッと笑うさくら。 でもその時吉良は、さっきのあたるの反応を思い浮かべていた。 （・・おもしろいよなー） 目の前にいるさくらをすぐ忘れる。それがまだ、さくらにはわからない。 あたると天羽は近くのコンビニで軽食を買ってくると、 それで晩ご飯の代わりにした。 予想外の出来事に、なんだか二人とも疲れてしまっていた。 リカを置いてきたのを天羽は心配していなかった。 立木が送ってくれるだろう。 「明日、起きられるかな。早いんでしょ？」 「起きられるか、じゃなくて起きるの。」 「あたし自信ないよ。」 「起きないと置いてくぞ。」天羽がからかう。 「えー？」 「だからもう寝ようぜ。明日に備えて。」 「うん。」 「お楽しみは明日からってことで。」天羽がいたずらっぽく笑う。 意味深な目にやっぱり赤くなるあたる。 「どうかしたか？」 「どうもしない。おやすみ。」 あっちをむいて毛布をかぶるあたる。 笑って電気を消すと、そのあたるをうしろから抱えるようにする。 あたるもそっと向き直ると、胸に寄り添った。 ゆっくりと夜が降りてくる。 ニューヨーク。 カヲルは洋子のマンションの部屋にこもりっきりだった。 洋子にマネキンしてもらったマタニティ・スーツ。 それが洋子の仲間に好評で、２日で２着の依頼をうけ、 徹夜でそれぞれをこなしていたのだ。 こういうときは人間、眠りが足りなくても平気なものだ。 目の色を変えて取り組む。 洋子はそんなカヲルを見たことがなかったので、驚きと発見の思いだった。 ろくに食べもせず洋子の顔も見ず、ひたすら作業を続ける。 ２日目の朝に仕上げて洋子に渡した。 「大丈夫？」 「全然平気。これからちょっと寝るよ。是非感想を聞いてくれる？」 「ええ。必ず。」 洋子を見送って、ベッドに倒れ込んだ。心地よい疲れだ。 自分がデザインして作った服を欲しいと言ってくれる人がいる。 もしかしたらー。 その先を夢見る前に、ほんとの夢に落ちていたカヲルだった。 |