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ＶＯＬ．１９　「失くせない物」




まず起きたのは天羽。


夏は朝から蒸し暑くて、パッと目をあける。
どこだっけ。
誰かが手を握っている。横を向くとあたるの顔があった。あれ？
起きあがって思い出す。
そうか。寝ちゃったんだっけと苦笑する。
あたるがいれば、どこでもぐっすり眠るようになっているみたいだ。
自分は蒲団で眠ればいいのにつきあったのか、
一緒に雑魚寝しているあたる。握りしめている手。
全部でなく、天羽の薬指と小指だけ握っているのがあたるらしい。


「こたつ虫」
「んー。」
「おい、こたつ虫。」
むにゃむにゃ言って寝返りを打とうとするが、握っている指を離さない。
寝返りもうちきれずに、そこで目を開ける。
「ん・・・？　おはよ。」
「おはよ。」
天羽の笑顔がちょっと眩しい。
「なんでおまえもここで寝てんの？　蒲団あるだろうに。」
「・・・さくらを待ってるつもりで寝ちゃった。」
「毛布かぶってるぞ。」
「え？　あ、ほんとだ。さくら、帰ったのかな。」


起きあがろうとするあたる。
「いい加減に、指離せば？」
「へ？」
ようやく天羽の指を握っている自分に気づく。
「あ、あ、ごめん。ーずっと？」
あわてて離す。笑って指をふる天羽。
「しびれた？」
「ちょっとな。」
「ごめーん。」
「ま、よく眠れたから。やっぱ睡眠薬だよな、おまえって。」
「あたしなんにもしてないじゃん。」
「いれば効くんだ。便利だよな。」
「道理で。よくねむってたもん。」
クスクス笑う二人。


「何時？」
「６時半。」
「朝ご飯作るね。あ、さくら帰ってるのかな。見てくる。」
とりあえず玄関をのぞく。さくらのサンダルがある。
「やっぱり帰ってる〜。」
バタバタと２階へ駆け上がっていく。
帰ってたのか。ふたりしてどんな顔して寝てたんだろう。
ちょっと気にする天羽。



「さくら。さくらってば。」
「・・・何？　まだ眠い。」
「あんた、帰ったんなら声かけなさいよ。」
「とにかく眠いの。・・・話はあとで。」
「仕事は？」
「有休とる。あとで電話するから・・。」
駄目だこりゃ。あきらめて下りる。


「帰ってるけど、起きない。」
「遅かったんなら無理だろ。」
「仕事も有休とるって。」
「しょうがないか。」
ほんとしょうがないなと思うあたるだった。



１０時前。
さくらが起きてきたら、もうあたるはいなかった。
台所に朝ご飯の用意がしてあって、メモがついている。
『帰ったら話聞かせて。』
「話・・・か。」
吉良の話？　伊倉の話？　ああ、店へ連絡しなきゃ。



午前中から二人はひきとりに向かった。
今日が一番多い。５件入っている。とりあえず２件すませる。
店へ戻らずそのまま午後も向かうことにして、近くの公園でお昼にした。
「あのチェスト、重かったね。あれ、紫檀って奴？」
「ああ、多分な。いい値だったろ。」
「あれは本店向きかもね。」
缶コーヒーを飲みながら、サンドイッチをパクつく。


「さくらちゃん、どうした？」
「まだ寝てるかも。今日帰ったら話聞くつもり。」
「そうだな。」
「あさって、何時頃出かけるの？」
「遅いと混みそうだからな。夜明け前に出ちまうか。」
「えー、そんなに早く？　お弁当は？」
「もちろん。つくるんだろ？」
「えー？」
「荷物と材料ごと、前の晩に持ってきとけよ。朝作ればいいじゃん。」
「簡単に言うよねー。どこへ行くの？」
「行ってからのお楽しみ。」
「ケチー。」
「お楽しみって言ってるのにケチはないだろ、ケチは。」
「はぁーい。」
あたるは口をとがらせた。天羽に頭を叩かれる。



「ほら、次行くぞ。」



残りの引き取りを終えると、もう４時近かった。
店へ戻って下ろすと店内へ運び込む。
「やれやれだな。」
「あとは明日の１件だけだよね。」
「ああ。」


コーヒーで一服する。
「さくらちゃんさ、ほんとに伊倉さんと別れるつもり？」
「うーん。わかんない。」
「伊倉さんはどうなんだろう。」
「ゲソって変なところ大人だから、さくらがそうしたいって言ったらね。
　前もそうだったでしょ。」
「なんだかんだ言っても、いい取り合わせだと思うんだけどな。」
「さくらね、ちょっと疲れてるみたい。ゲソって相変わらずでしょ。
　心はさくらって言われてもね。納得できないのよ。」
「まあ、それが伊倉さんなんだけどな。」
首をかしげる二人。


「今日はもういいぞ。さくらちゃんの話、聞いてやれよ。」
「いいの？　まだ早いよ。」
「たまにはな。ゆうべ邪魔したから。」
「別に邪魔はしてないんじゃない？　眠ってただけだし。」
「お、誘ってる？」からかう天羽。
「ち、ちがうよ。またー。」
「夕べの分、やってくかー？」あたるをうしろから抱え込む。
「バ、バーカ！　だから違うってば！」じたばたするあたる。
笑いながら手を離す天羽。
「ま、休みはこれからだしな。」
「もう〜。すぐ遊ぶんだから〜。」
ぶつぶつ言いながら、あたるは帰り支度をした。
「じゃ、お先に。」まだ赤い顔で走っていく。
「おう。」
見送って煙草に火をつける天羽も、微笑んだままだ。




あたるが家へ戻ると、さくらが居間でごろごろしていた。
「ちょっとさくら、洗濯くらいしたの？」
「・・・眠いんだもん。」
「あんた、１日中寝てたの？　ほら起きて。洗濯物出して。」
「えー？・・あたる、カヲルに似てきたよ。」
のろのろと旅行の荷物から洗濯物を出してくるさくら。
それを突っ込んで洗濯機をまわす。
「夏はすぐ乾くから。お昼食べたの？」
「朝ご飯は食べた。」
「何時に起きたんだか。」　居間をかたづけると、お茶を入れてやる。



「で？」
「でって？」
「決めたの？」
「何を？」
「わかってるでしょ。ゲソの事よ。」
「やめた。」
「やめた？」
「伊倉とは別れた。携帯で言っといた。」
「ーそれでいいの？」
「いいの。」
「あいつにしたの？」
「あいつって？」
「だからわかってるくせに。吉良よ。」
さくらは握っていた携帯を見せる。
「これ、彼が買ってくれたの。まだ彼の番号しか入ってない。」
「あんた、前のは？」
「・・・海に捨てた。」
驚くあたる。あの携帯にゲソの番号が入っているのを知ってたから。



「本気なんだ。」
「だからそう言ってるじゃん。」
「あんたがそれでいいならいいけど。ーあいつ、大丈夫？」
「大丈夫って？」
「なんか軽くて。」
「伊倉だって軽かったわよ。体が。」
「そりゃそうだけどー。心も体も軽くない？」
「そんなことないわよ！」　急にさくらはムキになった。
「すごく優しいんだから。伊倉とは違うの！」
プイッと２階へ上がってしまう。見送ったあたるはほーっとため息。
「本気でゲソと別れたんだー。」


さくらが決めたんだから仕方ない。
でもあたるの不安が消えるわけでもなかった。




その頃「ＨＡＴＣＨ」に伊倉が現れた。
「あれ？」　噂をすればと思う天羽。
「久しぶり。」
「ほんとに。元気でした？」
カウンターに座る伊倉。
「飲むでしょ？」
「早いけどいいの？」
「勿論。」
例のごとく酒盛りになる二人。


「あたるちゃんは？」
「今日はもう。お盆はヒマだし。」
「そうか。休みだもんね。」
「伊倉さんもお休み？」
「うん、まあ。」
伊倉にしてはなんとなく煮え切らない感じだ。
「あたるちゃんとうまくいってるんだ。」
「なんですか、急に。」
「いや。意外だったなーって。面倒なこと嫌いそうだったのに。」
「のに？」
「天羽さんも実は、面倒が好きな人だった？」
「・・・そうかも知れない。」
笑い出す二人。


「俺もってことは、伊倉さんも実は面倒が好きなんだ？」
「この頃そうかも知れないって思うようになった。」
「さくらちゃんもこたつ虫と通じるとこあるから。」
「さくらね。」
グイッと飲んでから、ぼそっと伊倉が言う。
「俺、ふられたわ。」
「え？」
「さくらに。」
「ホントに？」天羽が驚く。
「おとといの夜、携帯にかけてきて。面倒みきれないってさ。」
軽く言おうとしているが、ダメージを受けているのがありありとわかる。
「結構こたえてる？」
「・・・わかっちゃうか。」
空のグラスに酒をついでやる天羽。


「前は自分から切ってたくせに？」
「そうなんだけどさ。いつももめては元の鞘だったから。
　なんか、安心してたかな。」
「安心？」
「そこにいるって。」
それは天羽も察することができる。
「あぐらかいてたら、座布団ごとひっくり返されたって感じ。」
自嘲気味のセリフ。
「わかりますよ、それ。」
「わかる？　えー、そう？」
「俺もついこないだ、ひっくり返されたクチだから。」
「へえ。天羽さんでもそうなんだ。でも収まったんでしょ。」
「なんとかね。ー参ったけど。」
「参ったって？」
「ーあせって、オタオタして。自分でも驚いた。」
「そうー。」笑う伊倉。
「子どもが暗闇に放り出されたみたいな？」
「うまいこと言うね。ー俺が今、そんな気分。」
「参ってるんだ。」
「認めたくないけどね。」
いつも強気で余裕の伊倉が、弱り切っている。


「ーどうするの？」
「どうも。」
「いいの？」
「あいつがあれだけきっぱり言ったことないから。本気だろ。」
「本気かもしれないけど。伊倉さんの本気は？」
「さくらにも聞かれたよ。でも、俺はこういう奴だからさ。」
「本気見せるのが嫌なだけでしょ。」
「言うね。」
「男はね。」
「でも天羽さんは見せたわけだ。」
「え？」
「収まったんだから。」
天羽が照れた顔をする。グラスを持って横を向く。
「失くすわけにはいかなかったから。俺はね。」
あたるの顔が浮かんだ。
知らずに微笑む天羽。それを見て、伊倉の表情が止まる。
「まぁ、これは俺の場合だから。」
そう言ってグラスを傾ける。
伊倉は微笑んだが、自分の思いにまた沈んでいった。



あたるとさくらが夕飯を食べている。今夜はそうめんだ。
「どこの海行ったの？」
「湘南のはずれ。」
「人が多かったんじゃない？」
「そうでもなかったよ。」
「・・・あいつとできたの？」
答えないさくら。それが答え。
「できたんだ。そっか。」
「いいじゃん。関係ないでしょ。」
「いいけどね。」
あとはそうめんをすする音ばかり。




ニューヨーク。夕方、マンションに戻ってきた洋子は、
やっぱり戻ってきたカヲルと鉢合わせた。
「あら。」
「今帰り？」
「ええ。あなたも？」
「うん。あ、ご飯作るよ。」カヲルが買ってきた材料を見せる。
「たまには和風もいいでしょ。」
「おさしみ？」
「手巻き。」
台所に立ったカヲルは、慣れた手つきで魚をさばく。
着替えてきた洋子が声をかける。
「あのね。」
「ん？」
「これ、いいと思う。」　振り返ったカヲルに、例のツーピースを示す。
「ホントに？」
「ウソ行っても仕方ないでしょ。」
洋子のことだからそうだろう。


「会社でもね、４，５人に聞かれたの。どこのブランドだって。
　みんな女性よ。」
「それで？」
「マタニティだって言ったら、みんな驚いてたわ。
　一人、是非作って欲しいって人がいるのよ。急いで作れる？」
「作るよ。もちろん。」
カヲルは思わぬ話に半信半疑。でも目を輝かせる。
用意した食事もそこそこに早速とりかかることにする。
「サイズは？」
「聞いてきたわ。私より細身で背が低いの。」
部屋を一つ借りて、材料を広げる。ミシンは洋子のを借りた。
もう夢中だ。
食事を終えた洋子が、のぞいて微笑んでいる。



さくらは携帯を握っている。
夜には鳴るかと思ったのに、鳴らないうちにもう１０時。
撮影と言ってたから、まだやっているのかも知れない。
ただ電話をくれないだけかもしれない。
不安だった。
つかみどころのない吉良。でも今は吉良しかいない。
振り子のように戻ろうとする気持ち。
それを押さえるためには、吉良が必要なのだ。
思い切ってかけてみる。発信音が鼓動と一緒に聞こえる。
つながった。


「もしもし？」
「さくら？」その声にホッとする。
「電話くれないんだもん。」
「やっと終わったところなんだよ。」
「今までかかったの？」
「始まりが遅くてさ、１時が４時にずれこんで。」
「そう。忙しかったんだ。」
「まだ飯も食べてないんだ。今から。」
「そう。明日は？」
「まだつづき。そっちも仕事あるだろ。」
「うん、そうだけど。夜は？」
「うーん。この調子だと終わって見なきゃわかんないな。」
「明日からあたるもいないの。遅くなってもいいから電話ちょうだい。」
「いないの？」
「彼氏と出かけるから。」
「あ、そう。あの、天羽って奴。」
「うん。だからね。」
「わかった。うまく終わったらかける。」
「遅くなってもだよ。」
「ＯＫ。じゃ。風邪ひくなよ。」
「ん。」


ホッとする。よかった。明日は逢えるかも知れない。
仕事もあるから１日バタバタしていられる。
ポカッと時間があくのが怖かった。後悔しそうで。
浮かんでくる伊倉の顔をふりはらうため、吉良に傾こうと必死のさくら。




伊倉が帰ったあと。
店を片づけて眠ろうとしたとき、天羽の携帯が鳴った。
あたるだ。
「どした？」
「ううんー。さくらね、ゲソと別れたって。」
「だってな。さっき伊倉さんに聞いたよ。」
「え、ゲソ来たの？」
「ん。結構参ってた。」
「ゲソが？」
「ああ。」
「さくらもね、ちょっと無理してるっぽい。」
「でもさくらちゃんがふったんだろ？」
「うん。」
「じゃ、こないだのあいつにしたってことだろ。」
「そうなんだけどね。」
「こればっかりはな。」
「うん。わかってるけど。」
人の恋路なんてどうにもできない。自分だってままならないのに。


「ゲソはどうするって？」
「どうも。」
「やっぱり、そのまま？」
「ああ。伊倉さんはそういう人だから。」
「たまにはやればいいのに。エスカレーターの逆上りとかさ。」
「なんだそれ？」　笑い出す天羽。
「好きなようにしろって、そればかり言われてると、
　どうでもいいのかなって思うんだよ。たぶん。」
「伊倉さんはさ、自分が縛られるのが嫌いだから、人も縛りたくないんだろ。」
「縛る・・ね。」
「でもさくらちゃんのことは、安心しちゃってたみたいだな。」
「どういう意味？」
「言ってたよ。あぐらかいてたら座布団ごとひっくり返された気分だって。」
ゲソでもそういう気分になるのかー。
「そう。駄目かなぁ、あの二人。」
「さくらちゃん次第かな。」
「さくら・・・ね。」
駄目かなぁ。
決してゲソがいいというわけではないが、吉良よりましだと思うあたる。
「見てるしかないよね。」
「まあ、こどもじゃないんだし。」
「わかってるんだけどね。」
「母だもんな。」笑う天羽。
「ちがうよ〜。」


「さくらちゃんのことも気になるだろうけど、弁当も忘れんなよ。」
「わかってるよ。何がいい？」
「そうだなー。卵焼きと唐揚げ？」
「赤いウインナーとか言うんでしょ。」
「お、読まれてるな。」
「おにぎりは？　暑いから梅でいい？」
「梅よりおかか。」
「注文多いよ。」
「いーじゃん。」
「飲み物買っておいてよ。ペットボトル。お茶がいいな。」
「わかった。」
「仕事終わってから一辺帰って、荷物取ってくる。
　ともかく明日、仕事のあとね。」
「ん。じゃ明日。」




吉良はホテルにいた。しかも女と。クラブで誘った女。
一夜の相手は結構多い。
さくらからの電話を受けたとき、実は女と食事中だった。
撮影は実は、あさってからだ。
吉良にとってはゲームでしかない恋愛。罪悪感もない。
だからさくらにも優しい。あわてたりしない。
でもすぐ忘れる。その瞬間しか本気がなかった。
興味は後ろにはない。落とした女にはなにも残さない。
失くす物、失くせない物がない男。
吉良が次に興味をもっているのはー？

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