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ＶＯＬ．１８ 「成り行きな１日」 アメリカ。ニューヨーク。 着いた翌日。カヲルがマンハッタンの雑踏を歩いている。 五番街。グリニッジ。ブロードウェイ。 ただ歩くだけでも、デザイナー志望には刺激が溢れている。 ニューヨークは世界へのファッションの起点だ。 日本とはまた違う流行が見える。 摩天楼を背中に、カヲルはワクワクしながら街を闊歩していた。 洋子は、妊娠６ヶ月に入ろうとしていた。 仕事を続けているせいか、体重もそれほど増えない。 ほとんど体型も変わらないし、めだたない。 それでもさすがに、少しずつそれらしくなってきた。 ギリギリまで仕事は続けるつもりだ。 ニューヨーク、アパレル関係は女性が多い企業だ。 妊娠しても、子供を産んでも、仕事を続ける女性は多い。 シングルマザーも。 だからといって、まるで偏見がないわけではないが。 産休もとり、復帰もするつもりで。でも万一にそなえて。 できる限りの人脈を作り、自分の能力をアピールしなくてはならなかった。 出産後の自分と子どものために。 カヲルとは週に１，２度はメールをやりとりしていた。 淡々としているが切れることもないのは、 洋子自身カヲルへの思いが強いからだ。 カヲルが自分自身のために動き出しているのは、 洋子にとっても嬉しいことだった。 自分と子どものために縛られてしまうカヲルを見ることが、 今の洋子の一番の恐怖だ。それはカヲルも知らないことだが。 シングルマザーを通そうとすることが、 自分のエゴだと百も承知している洋子。 だからこそ、カヲルにも自分のための道を歩いて欲しかった。 そのための助力はできるだけするつもりだった。 夕方、洋子のすむアパートメントにカヲルがきた。 「いらっしゃい。」 「元気？」 ５月末以来、ほとんど３ヶ月ぶりだ。 洋子の目に映ったカヲルは、少したくましく見えた。 「昨日着いたんでしょ。今日はどうしてたの？」 「街を歩いてた。」 「ずっと？」 「うん。歩いてるだけでインスピレーションが湧く。刺激的な街だよね。」 テーブルには洋子が作った料理が並んでいる。 日本ではほとんど機会がなかったが、実は洋子は料理もこなす。 結構うまい。 カヲルが席に着くと、ワインをついでくれた。洋子はミネラルウォーター。 二人で乾杯。 「体の調子は？」 「順調よ。」 「ずいぶん大きくなったね。」 洋子のおなかあたりを見るカヲル。 「やっぱり？ おなかすくのよ。 増えすぎないように気をつけてるんだけど。」 ごくあたりまえに言う。それが魅力的だ。 「９日間だっけ？」 「うん。」 「予定は？」 「いろいろ。頼みもあるんだ。」 「何？」 「あとで。」 洋子の手料理に舌鼓を打つカヲル。 「あたるさんやさくらさん、元気？」 「うん。あたるはね、カラーコーディネーター。知ってる？」 「ええ。聞いたことはあるわ。」 「資格試験受けるんだって。今勉強してる。」 「へえー。そうなの。」驚く洋子。 「さくらはあいかわらずかな。」 「伊倉さんとは？」 「うーん。ちょっと危ない。」 「また、伊倉さんの浮気？」 「いや。今度はさくらがね。」 「あら意外。」 「わかんないけど。」 「天羽さんとあたるさんは？」 「そっちの方がうまくいってる。」 「それも意外よね。」洋子がクスクス笑った。 食事を終えた後、食器洗いはカヲルがやった。いつものことだ。 そのあと、かついできた荷物から取り出した物。 「何？」 首をかしげる洋子。 「見てよ。」 広げたのはツーピースだ。普通のツーピースとはちょっと違う。 ゆったりしたシルエットだが、上着はかちっとしている。そのバランス。 「あら、これってひょっとして？」 「うん。」 マタニティ・スーツなのだ。 「洋子さんのサイズで作ったつもり。」 洋子は手に取ると、鏡に映して視線でチェックしてみる。 縫製はまだまだ粗いが、それでもみられるものにはなっている。 ポイントはやはりデザインだろう。 ゆったりとかっちりの取り合わせ。ありそうでない。 「おもしろいわ。喜ばれるかも知れない。」 「だといいんだけどな。」 色は柔らかいモスグリーン。光沢があって薄手だが上品な素材。 「これさ、一日着てみて感想を聞かせて欲しいんだ。」 「マネキンてわけ？」 「うん。っていうか、洋子さんのイメージで創ってるから。 オートクチュールもどき？」 笑い出す洋子。 「いいわよ。でも、文句ばかりになるかもしれないわ。」 「もちろん。」 よくよくチェックを入れ始める洋子。楽しそうだ。 「これなら、秋頃まで着られそうよね。ブラウスを合わせたら。」 「うん。白じゃ無難すぎだよね。グレーとか。」 「クリーム色。」 「赤ー、えんじ？」 会話を楽しむ二人。ふいに洋子がおなかを押さえた。 「どうしたの？」 あわてるカヲル。 「ううん、動いたの。この頃動くようになったから。」 目を丸くするカヲル。 「動くんだ。・・どんな感じ？」 「そうねー、説明は難しいわね。」 洋子は手をのばすと、カヲルの手をつかんでおなかにあててやる。 「待ってて。たぶん・・。」 しばらく息を潜めたふたり。その時、カヲルは感じた。 「あ、あ、これ？ うわ、すごいな。」 初めて感じる胎児の動き。赤ん坊が動いてる。 ここに命があるんだ。自分と洋子のー。 「生きてるんだなぁ。不思議な感じだ。」 目を輝かせて洋子を見る。 洋子が微笑む。昔はなかった優しい顔だ。そっと洋子にキスをする。 それから抱きしめる。壊れ物を抱きしめるように、優しく。 ３ヶ月ぶりの二人の時間だ。 日・月・火と店を開けることにしたあたると天羽。 引き取りが入っていたのは月曜と火曜だったので、日曜はひまだった。 午後。あたるは一旦カヲルの家に戻った。 留守番もあるしさくらも気になったのだ。 戻ってみるが、さくらの姿はない。連絡も入ってこない。 「どうしてるのかな、さくら。」 首をかしげながら、洗濯を始めるあたる。 部屋の中にザッと掃除機をかける。 日頃まめなカヲルの家だから、怠けるとなんとなく目に付いてしまうのだ。 そのうち夕方になってしまった。 携帯が鳴った。天羽だ。 「もしもし。」 「夕飯、どうする？」 「うーん、さくらまだなんだけど。」 「今日戻るって言ったのか？」 「ううん。はっきりとは。」 「何かあったら、連絡はいるだろ。」 「そう・・だよね。」 「気になるなら、今日はやめとくか？」 「あたし作るから食べにおいでよ。あと、１時間くらいしたら。」 「えー？ 大丈夫か？」 「毒入れるから。」 「おまえな。」 「あははっ。じゃあとでね。」 言葉とは裏腹に、あたるは気合いを入れた。 「ようし、がんばろっと。」 夕方、店を閉めた天羽はバイクにまたがる。 遠くうしろからその姿をリカが見つけた。 「天羽さん。」 声をかけたが気づかずに、バイクを発進させて行ってしまった。 店の前まで駆け寄ったリカは、「ＨＡＴＣＨ」と描かれた看板を見る。 「ここが天羽さんち？」 街を散々探し回ってやっと見つけた。帰ってきたらつかまえよう。 店の前に座り込んだリカだった。 カヲルの家に着いた。あいかわらずでかい家だなと思う。 「来たぞー。」 カラッと引き戸を開けて入ると、声をかけた。 「上がってー。」 奥からあたるの声。やっぱりさくらはまだのようだ。 勝手知ったるでとっとと台所へ。 「毒入りできたかー？」 のぞくとコンロの前のあたるが振り返った。 「もうできるよ。冷蔵庫にビールあるから持ってって。 あ、バイク？ 飲まない？」 「んー。押して帰るわ。もらう。」 ビールとグラスを居間へ運ぶ。メットを放る。 夏はふとんなしのこたつ机。その上に所狭しと皿が並んでいる。 ちょっとびっくりの天羽。 「・・・こたつ虫が作ったのか？ 信じらんねぇな。」 大根と挽肉の煮物。ほうれん草のおひたし。 ごぼうと人参とピーマンのきんぴら。おろしをのせた冷や奴。 浅漬けまである。ちょっとした定食だ。 眺めていると、うしろからあたるが入ってきた。 「揚げ物できたよ。あと、みそ汁とごはん。ビールだからあとでいいかな。」 お盆にのっているのはいわしのつみれあげだ。 思わずあたるの顔と見比べる。 「何？」お盆を持ったまま聞くあたる。 「いや、おまえが作ったんだよな？ 実はカヲルくんがその辺に隠れてるとか。」 「どういう意味よ。」横目で睨みながら、机につみれを並べる。 「いっぱいだね。みそ汁置けないかな。」 「もういいってば。食べようぜ。」 「ん。欲しくなったら言ってね。」 ビールで乾杯する。 「おいしーい。」ごくっと飲んだあたるが嬉しそう。 「夏に揚げ物って、食べるのはいいけど、作るのは地獄だよ。」 「ビールがおいしくなっていいじゃん。」 天羽はまずそのつみれに箸をのばす。 「おろしかけるとさっぱりしてるよ。」 「ん。・・・へぇ。」 「どう？」 のぞきこむあたるに、首をかしげる。 「やっぱどっかに、カヲルくんいるだろ。」 「いないってば。」 「うまいわ。信じらんない。」 「どうして素直にほめないかな。」 ほっぺたをふくらませながら自分も確かめる。 「ん、オッケーだね。」 並んでいる料理を順番に味見している天羽。 「食べられない物ってあったっけ？」 「あんまりないな。お、これ好き。」 きんぴらが気に入った様子。 「辛いの好きでしょ。」 「おまえ、ずいぶん修行したって感じだな。」 「カヲルが先生だもん。 そんじょそこらの料理教室行くより、ずっと細かいんだよ。」 「わかる。」 笑いながら煮物を口に含む。あたるが目をクリッとさせて見ている。 「うん。」 天羽がうなづくと、 「あれ？」 「ん？」 「おかしいな。・・・なんともない？」 「なんだよ。」 「あれー？」 「おまえなー、何入れたんだ？」あわてる天羽。 「・・・味の素。」笑い出すあたる。 「っとになー。」天井を仰ぐ天羽に、ビールをついでやる。 「まあまあ、解毒剤もってきたんでしょ？」 「ほんとにいったかもな。」 言いながら浅漬けをかじった天羽が咳き込んだ。 「ゲホッ。お、おいっ！」 冗談だと思って叩く。 「またまたー。ひっかけようとしてるでしょ。」 「バカ、食べて見ろよ。」 あたるの口にキュウリを放り込んだ。とたんにむせる。 「えほっ！ えー、なんで？」 きゅうりと大根、人参の浅漬け。失敗しそうもない品だが・・・甘い。 甘酢ならまだわかるが、甘いだけ。 「・・・塩と砂糖、間違えたみたい。」 舌を出しながら上目遣いに天羽を見る。天羽が吹き出す。 「安心した。確かにおまえが作ったんだな。」 「うー。」 「いいじゃん、うまいよ。ほんと。」 「そう？」 「浅漬けはともかく。」つっこみは忘れない。 あたるがしょぼくれ顔になる。 「さくらちゃん、まだなんだな。」 「そうなの。携帯もつながらないんだよ。」 あたるはちょっと心配していた。 電源を切ったままなのか、何度かけてもつながらないのだ。 「無茶してなけりゃいいんだけど。」 あたるの眉がよる。 出かけるときもまだどこか、迷っていたさくら。 やけになると衝動的で、 なにをやらかすかわからないところがあるから、心配になる。 「大丈夫だろ。あれでもしっかりしてるよ。」 天羽が慰める。 「そうだよね。」 こういうときは姉の顔になる。天羽のことも自分のことも忘れている。 人はいくつもの顔を持っているのだと改めて思う。 ふたりはゆっくりと料理を平らげた。 「あー、腹いっぱいー。」 仰向けに寝転がった天羽。 「動けねー。」 「食べ過ぎだよ。」 あたるは片づけ始める。 「眠いー。」 台所であたるが片づけている音を聞きながら、 天羽は心地よい眠りに襲われる。 カシャカシャという食器の音。水音。足音。 それらはいわゆる家庭の音であり、懐かしい音だ。 聞きながら眠り込んでしまった。 あたるが洗い物をすませると、天羽はすっかり寝入っている。 「あーあ。どうせなら蒲団敷くのに。」 いまさら起こすのも可哀想かな。飲んでるからどうせバイクにも乗れないし。 こたつ机をそっと持ち上げて横へ移すと、毛布をかけてやる。 「女なら抱き上げてベッドまでってとこなんだろうけど。」 さて、自分はどうしよう。 帰ってこないさくら。もう１０時。 今日も戻らないのだろうか。もうちょっと待ってみよう。 参考書を取ってきて広げる。 天羽の寝顔を見ながら勉強するのも楽しい。 見ているだけでも幸せ。そういう人は一人だけ。 さくらだってそのはずなのに。だんだん望みは大きくなっていくのかな。 あたしはこの先、この人にもっともっと望むようになるんだろうか。 天羽が寝返りをうつ。毛布を蹴飛ばす。 かけてやるとまたもぐり込む。 机に頬杖をついてみつめるあたる。時間はゆっくり流れていく。 「ＨＡＴＣＨ」の前で待っていたリカ。天羽は帰ってこない。 ずっと待っていたのに。今日はもう帰ってこないかもしれない。 時計を何度見ただろう。 仕方なく腰を上げると、看板を見上げてトボトボとそこを立ち去った。 夜中。カヲルの家の前に、車が止まった。 下りてきたさくらに吉良が窓からのぞく。 「もうちょっと遊びたかったな。あたし有休あるのに。」 「俺が撮影入ってるんだよ。少し寝ないと顔に出るから。」 「・・そっか。」 「また連絡するよ。」 「ほんとに？」 「携帯に番号入れたろ？」 「うん。」 さくらの手には、吉良が買ってくれた新しい携帯が銀色に光る。 家の方を見る吉良。灯りがついている。 「お姉さん、まだ起きてるみたいじゃん。」 「どうかな。」 「心配してるんじゃねーの？」 「電気つけたまま寝てるんだよ、きっと。」 「早く帰れよ。またな。」 すねたようなさくらに、軽くキスをして吉良は車を出した。 手をふって見送った後、急にパタパタと走って家に向かう。 灯りが気になったのだ。 そーっと玄関を開ける。 男物の靴がたたきにある。 天羽さん？ 「あたるー？ 天羽さんいるの？」 まさかエッチしてるんじゃないよね、と恐る恐る居間をのぞく。 居間の真ん中に天羽が寝転がっていた。 細身の体を丸くして毛布をかぶっているのが可愛い。 その顔に顔を寄せるようにして、あたるも寝ている。 体はちょうど天羽に対してＴの字を書くように。 机に座っていてつい横になってしまったのだろう。 ふたりの寝姿はなんとも自然で。 あたるはいつのまにか、天羽の指を握っていて。 ほほえましいような、うらやましいような。 しばらくさくらはその光景をみつめていた。 それから毛布を取ってきて、あたるにもかけてやる。 あたるがこんな風にして寝たのは、自分を待っていたのだろうとわかったから。 「のんきでいいよね。」 つぶやくと２階へあがる。 吉良にもらった携帯を取り出してみる。 海に投げた携帯はもう見つからない。伊倉の番号も。 吉良は優しかった。これでよかったんだ。 胸にひっかかるトゲを見ないフリをして、自分を納得させるさくらだった。 |