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ＶＯＬ．１７　「夜の底で」




「柴原さんて知ってるよな。」
「ああ、あの上品なおばあさん？」
あたるは天羽の隣。二人で毛布をかぶっている。
相手の体温を感じながら、話すのは楽しい。


「今日さ、つかまっちゃったよ。」
「ごめん。あたしがいつもおしゃべりしてるから。」
「俺の話、してるって？」
「・・・何か言ってた？」
「いろいろ。」
「えー、やばい。」
「何がやばいの？」楽しそうな天羽。
「いや、その。ーどんな話？」
「さーてね。」
「あ、あのね、あのおばあさん、いい人だけど。
　おもしろがって話作ったりするから。全部信じないでね。」
かなりあせっている。
「そっかぁ？」
「・・・たぶん。」
天羽はクスクス笑う。


「あと、仁木さんていうＯＬの人？　コーディネートの相談したいって。」
「ホント？　連絡する。」
「結構頼りにされてるのな、あちこちで。」
「そうでもないけど。この頃、常連さんが増えたかも。」
「頑張ってんじゃん。」
「えへ。そう？」
照れくさそうなあたるが可愛い。また抱きしめる。
「わぁ、ち、ちょっと。」
「なんだよ。あ、何？　まだ足りない？」
「ち、ちがうよ。」
「なに、もっと？」
「ちがうってばー。」


あせるあたるを羽交い締めにして遊んでから、起きあがる。
「悪いけどさ、俺腹へっちゃったから。」
「また遊んでる〜。」
あたるが脱力する。
「だって期待してるみたいだったぜ。」
「だからちがうって。」
「食べに行くか？　それとも買ってくるか？」
「あたし、着る物が。」
「まだ濡れてるか。よし、買ってきてやるよ。」
手早く服を着ると、財布だけ持って出る。
「傘は？」
「大丈夫だろ。待ってな。」


天羽を見送って毛布にくるまり直す。
「んー、あったかーい。」
ごろごろソファで転がる。今日一日の不安と哀しみが遠くなる。
そんなに簡単に消える問題じゃないけれど。
でも、ちゃんと向き合っていれば。きっとー。



コンビニでカップ麺やらパンやら適当に買って、天羽は戻ってきた。
「すっかり晴れて星が見えるぞー。」
話しかけながら奥へはいると、あたるが眠っている。
「なんだ、寝たのか。」
袋を机に置いてのぞき込む。
夢でも見ているのか、幸せそうな顔をしている。
フッと笑って椅子にかける天羽。


自分がそうだったように、
あたるも一日ウロウロして過ごしたのだろうと思った。
でなきゃ、土砂降りの中、待ってたりしない。
腹へったな。昼食べてないし。こいつも食べてないんじゃないかな。
やかんに水を入れて火にかける。
シュンシュンとやかんが鳴り始めてから、カップ麺を２つ開けてお湯をそそぐ。
ふたをしてソファに近寄った。
「こたつ虫、おい、腹へってないのか？」
「んー。ん・・眠い。」
「昼、食べたのか？」
「お・・ひる？　食べてない・・けど。」
「起きろ。食べるぞ。ラーメン。」
目をこすりながら起きあがるあたる。気が付いてＴシャツをかぶる。
「ほら、こっち。」


ひっぱられて机に座る。天羽がカップ麺を前に置いてくれる。
湯気と香りにだんだん目が覚めてくる。
「ーいい匂い。」
ようやく箸をもって食べ始める。天羽もだ。
ふたりのラーメンをすする音だけになった。




食べ終わってソファで一服しながら、天羽が聞いた。
「おまえさ、どっか行きたい？」
「え？」あたるがふり向く。
「水曜から休みじゃん。どっか行くか？」
「ほんと？　いいの？」
嬉しそうなあたるの声が、天羽の耳に心地いい。
「どこ行きたい？」
「んーとね、海！」
「海？」


「今年まだ一遍も行ってないんだもん。行きたいの。駄目？」
「海かぁ。バイクより車かな。レンタカー借りるか。」
「ホント？　やったぁ！」
嬉しくて箸を放り投げると天羽に抱きついた。
「お、おい。煙草。危ない。」
目を白黒させて煙草を落としそうになるが、笑ってあたるを抱きかかえる。
「一緒に遠出するの初めてだね。」
天羽の首にかじりついたまま、あたるが言う。
「おまえ、弁当作れよ。」
「はーい。毒入りね。」クスクス笑う。


「あのな、・・どこがいい？　湘南とか。房総の方がきれいか。」
「あ、房総方向じゃない方がいいな。」
「なんで？」
「田舎が千葉だもん。」
「ああ、そうか。そうだ、干物屋だっけ。田舎帰れば海じゃん。」
「だから、他の海がみたいの。」
「おまえ、ホームシックか？」天羽がのぞきこむ。
「そうじゃないよ。知ってる？
　海の色ってみんな違うんだよ。川の色も違うんだから。」
「どんな風に？」
「海に遠いほど藍色になるの。上流へ行くほど、緑が深くなって。」
「へえ。」


「あなた、バイクであっちこっちしたんでしょ。海も見たんじゃない？」
「そりゃあ見たけど、んなこと気づかないって。」
「興味なければそっかー。」
この辺が色に敏感なあたるのルーツかなとも思う天羽。
「海の色がみたいのか？」
「それもあるし、日の出とか日没が見たいの。」
「？」
「小さい頃から見てるから、たまにすごく見たくなるの。
　ちょっとがんばろうとか思うとき。」
「こたつみたいなもんか？」
「あ、そうかも。」
「何がんばるんだ？」
「仕事とか、試験とか・・・あ！」
「ん？」
「今日全然勉強できなかったよ。時間はたっぷりあったのに〜。」
「仕事さぼったんだもんな。」
「うう。」うめくあたる。
「ほら。」



天羽は立ち上がると、あたるが忘れていった参考書を渡してやる。
「忘れてったのも忘れてただろ。」
「あれ。」
あたるは舌を出す。
「でも結構まじめにやってるな。ラインマーカーだらけ。」
「頭に入らないんだよね。あたし頭悪いから。１２月の試験にまにあうかな。」
パラパラとめくりながらため息をつくあたる。
その頭をクシャッとなでてやる天羽。
「まだ４ヶ月あるだろ。成せば為るって。」
励ましが嬉しい。
「うん。」と思ったら。
「落ちたらまた受ければいいんだしぃ。」悪魔が出た。
「すぐそういうこと言うんだから。」
あたるはふくれっつらになる。
天羽は笑いながら、空のカップを片づけている。


「やることやらなきゃ、運もついてこないよねー。」
椅子に座ってクジラをクルクル回しながら、あたるがつぶやく。
「帰って勉強しようかなぁ。」
「だーめ。」ゴミを捨てながら天羽がさえぎる。
「なんで？」
「今日は俺が眠りたいから。」
「へ？　・・・あたし、睡眠薬？」
「そ。また眠れないんじゃたまんないからな。」
「えー？」
「いつも言ってんだろ。おまえがいるとよく眠れる。」
「それって・・。」妙な目つきで見上げるあたる。
「あれ？　なにおまえ、また襲って欲しいの？」
「ち、ちがうよ。」
「おまえもけっこう、好き者だなー。」
「ちがうってばー！」
うろたえるあたるを逃がさないように、後ろからつかまえる。
「今日は一緒に眠ろうぜ。」
その声がなんだか、おねだりする子どもみたいに聞こえた。



クスッとわらうあたる。
「なんだよ？」
「あなたって、実は甘えん坊？」
「は？」
「聞いたことなかったね。一人っ子？」
「・・・いや、姉貴がいる。」
「お姉さん。ふーん。」
「そのふーんて、何？」
「ううん。意外なような、わかるような。」
「いいだろ。ったく、何聞くんだか。」
照れて横を向くが、あたるを抱きしめている腕は離そうとしない。
その顔を見上げて思う。やっぱり目が赤いかな。
「寝よっか。」
「？」　振り向く天羽に、屈託のない笑顔。
「あたしもゆうべ、あんまり寝られなかったの。」
腕をほどいて立ち上がると、さっさとソファへ転がった。
「いっちばーん。」
「おまえなー。」
「早い者勝ちでしょ。」


毛布をかぶると、顔だけ出した。クリッとした目。
苦笑した天羽は電気を消す。
部屋のライトと外の光に浮かび上がる部屋の中。
あたるの横に、もう一枚毛布をもって転がった。
「東京ってさ。」
「ん？」
「部屋の灯り消しても、真っ暗にならないでしょ。」
「ああ。」
「実家のほうだと、夜はほんとに真っ暗になるんだよ。」
「ふーん。」
「出てきたばかりの頃は不思議だったの。
　なんで夜にこんなに明るいんだろうって。」
「そっか。」　天羽の答えに、急に毛布ごと寄り添ってくる。
「あなたの『そっか』っていうの、好きだな。」
「なんで？」
「優しいんだもん。」


笑って手を伸ばすとあたるの体を抱える。
長い天羽の腕はいつも、あたるを包み込んでしまう。
「ねむれそう？」
「ぐっすりね。」
「睡眠薬だもんね。」クスクス笑うあたる。
「じゃ服用しないと。」
「へ？」
軽く唇を重ねてくる天羽。ごく軽く。小鳥がついばむように。
動かないあたる。一瞬だけのキス。そこで目があって微笑む。
「寝る前に一回。それで効き目はバッチリ、な？」
笑い出したあたる。
「おやすみ。」
「ん、おやすみ。」
夜の底で。隣の体温を感じて。お互いがお互いの睡眠薬。




同じ頃。
吉良はベッドから起きあがった。
海岸近くのラブホテル。窓の外に見える海は真っ暗だ。
彼方に半月。
ベッドにはさくらが眠っている。
ついに落とした。
吉良にあるのは幸せな充足感ではなくて、獲物を狩った狩人の満足感。


でも狩人は、すぐ次の獲物を探そうとする。それが習性なのだ。
狩ってしまった獲物は、足元に置いておくだけだ。
夜の底で、遠く半月を眺めながら。
吉良の心はもう、さくらを置き去りにし始めている。




やっぱり同じ頃。
リカは自分のベッドで決意を固めていた。告白への。


父に逢った日以降も、リカの天羽への思いはつのるだけだった。
あの温かくてどこか懐かしい胸。あれを自分のものにしたかった。
父の代わり？　わからない。でもどうしても。
だからといって今までと出来ることはあまり変わらない。
リカにも仕事はあるし 、天羽はまた出先が増えてきている。
新人だからと大目に見てもらえた時期もそろそろ過ぎようとしていた。


あの日から２週間くらい後。
飲み会で、例によって一人でいる天羽の横に座れた。滅多にないことだった。
「天羽さん。」
「よう。」　あいかわらず淡々としている天羽。
「あの。こないだはすみませんでした。」
天羽は知らん顔になる。「なんだっけ？」
確かに父が絡むので、あの日の話はしづらかったが。
それがありがたいというよりも、淋しくなってしまうリカ。
自分に興味を持って欲しいのにー。いきなり話を始めてしまった。



「あれ、父なんです。もうずっと母と別居してるんですけど。」
天羽は返事をしない。
「１６年も戻ってこないんです。どうかしてるでしょ。
　私のことも兄のこともーどうでもいいんだわ。」
話すうちにだんだん気持ちが高ぶってきてしまう。
「そんな人父親じゃない。そう思いませんか？
　天羽さんが父親だったら、そういうことしませんよね、絶対。」
その言葉は天羽には傷だった。思わず顔をそむける。
良介を思い出した。
知らなかったとはいえ自分もずっと、良介をー遙をー放って置いたのだ。


「そうですよね？」
尚も同意を求めるリカに、つい声を荒げた。
「人には。」
リカがビクッとする。
「人にはいろんな事情や場合がある。
　俺は君の家庭の事情は知らないし、知るつもりもないけど。
　竹井には、竹井の思いがあるのもわかるけど。
　それだけで人の気持ちを推し量るのは、あんまり自分本位じゃないのか？」
まさか天羽にこんな風に反論されるなんて。
リカは黙り込んだ。
「竹井に言い分があるように、竹井のお父さんにも言い分はあるだろう。
　どっちにしろそれは、竹井がお父さん本人に言うべき事だ。
　俺には関係ないよ。」
そのまま立ち上がると、天羽は店を出ていってしまった。
天羽にしては声が大きかったので、まわりの注視を浴びるリカ。
どうみても拒絶されたようにしか見えなかった。
すっかりしょげてしまう。
少し離れて二人を気にしていた立木は、天羽に驚きリカを心配していた。


そのあと１時間ほどで解散になった。
一人帰りかけるリカに立木が声をかける。
「送ろうか。」
いつもならはねつけるリカなのに何も言わない。
立木は黙って横に並んだ。
「こないだ、父に逢ったの。」
「え？」
「あなたの言ったとおりかもね。
　私、淋しくて父の影を追いかけていたのかも知れない。」
答えない立木。
「父に聞きたかったけど結局ちゃんと言えなくて。
　そこでたまたま、天羽さんに会ったの。」
「天羽さんに？」
「泣いてたら抱きしめてくれたんだよ。凄く優しかった。なのにー。」
「同情だろ。」


グサリと刺さる言葉にリカが立ち止まる。
「天羽さんは大人だから、そう言う時突き放したりしないよ。
　でもだからってそれは、愛情じゃないんだ。
　おまえ、そんなこともわかんないのか？」
立木はきつい言葉を投げてくる。
「そんなことーわかんないじゃない。」
「わかってるんだよ、おまえだって。わかりたくないだけ、認めたくないだけさ。
　おまえの親父さんのことだってー。
　おまえいくつだ？　もう２３だろ？　親が必要な年じゃないのに。
　いつまで父親をひきずるつもりなんだ？
　いい加減大人になれば？　おまえはおまえなんだから。」


立木の言葉はリカにはひどく痛かった。
こんな風に本当のことを言われたことがなかった。
そう、本当のことだ。でも今のリカは受け入れられない。
「わかったようなこと言わないでよ！
　あなたに私の気持ちがわかるの？」
「わかんねえよ！
　おまえだって人の気持ちわかってないだろ？　同じだよ！」
そう言うと、立木は背を向けて立ち去ってしまった。
残されたリカはうつむく。誰もわかってくれない。誰の気持ちもわからない。
あたしはひとりだ。どうしてこんなに。
ネオンの後ろに黒々と広がる闇がただ重くて辛かった。



そのあと話す機会はないままに、天羽は夏休みをとった。
天羽が来なくなると、リカは気が抜けてしまった。
さすがに上司に注意されてしまう。
「おまえは天羽に会うために会社に来てるのか？」
でも何も手につかない。
とうとう強引に予定を早めて、自分も休みをとってしまった。


明日から天羽を捜そう。会いに行こう。
ちゃんと告白するんだ。そうすればきっとうまくいく。わかってくれる。
夜の底で。呪文のように。
リカは自分に言い聞かせていた。

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