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ＶＯＬ．１６ 「心の在処（ありか）」 あたるは涙を滲ませた目で天羽をみつめていたが、そのまま防波堤を下りた。 「あたる。」 「今日、仕事さぼるから。」 そう言い捨てて走っていってしまった。 背中のリュックが揺れるのがいつまでも見えた。 どうしようもなかった。 仕事を休むわけにはいかない。引き取りが入っている。 店へ戻ると、あたるが入れてくれたコーヒーが煮詰まっていた。 カップに注ぐと、苦い。 天羽の気持ち、そのままに。 あたるは自分の部屋に戻った。 こういうとき、カヲルの家は広すぎた。 全部天羽にぶつけてきてしまったけれど、あたしはどうして欲しいんだろう。 遙を気にするなといっても無理なのはわかっている。 遙だけじゃない、良介のこともあるのだから。 そうじゃなくて。 向かい合っているときは、ちゃんと自分を見て欲しかった。 上の空で話をしたくなんかない。 ましてやー。 『物みたいに抱きしめて欲しくなんかないよ。』 そうぶつけた時の天羽の顔が。 思ってもいなかったことを言われて傷ついた。 そんな顔だった。 あたしはひどいことを言ったんだろうか？ そんなつもりじゃなかったのかも知れない。 でも言わなくちゃ、自分の気持ちはわかってもらえない。 狭い部屋の中、あたるの心はどこまでもさまよっていく。 世間は盆休み。のんきなものだと天羽は思う。 久しぶりで一人でやる仕事だが、 半年前までやっていたのだから困ることもなかった。 午後に引き取りが２件。どうやら常連らしかった。 １件目は３０代のＯＬ。新しめのキーボードだ。 「あれ、あたるさんは？」 「すいません。夏休みで。」 「そう。あたるさんにアドバイスして欲しかったんだけど。」ひどく残念そうだ。 「部屋のコーディネイトですか？」 「うん。」 「連絡入れるように伝えましょうか？」 「そうしてもらえる？ そんなに急がないから。」明らかにホッとした様子。 あたるの仕事ぶりが見える気がした。 ２件目は古い洋館。都内でも珍しい。 品の良さそうなおばあさんが意外だった。 「あら、あたるちゃんじゃないのね。」 「いつもありがとうございます。彼女、夏休みとってて。」 依頼されたのはランプとラタンの椅子。 「そうなの。残念だわ。」 「何か？」 「ううん。いつもね、お話してってくれるのよ。あの子、楽しくてね。 ・・・あなたひょっとしたら、天羽さん？」 驚いた。 「そうですけど、どうして？」 「お噂は聞いてるわよ。どうぞ。コーヒーがいいわね。」 そのまま庭先でお茶会になってしまった。 ロックケーキまで出してくれる。 「いつもね、あなたの話がでるのよ。」 「あいつ、何言ってます？」 警戒する天羽。 「ふふ。『悪魔の羽の天使』かな。」 「え？」 「出会ったときはホント、最悪の２乗か３乗だと思ったんですって。 でも、いつも助けてくれて。手をひっぱったり、後ろから押してくれたり。 悪魔みたいに口が悪いけど、天使だったって。」 「そんなことを。」天羽の胸が痛む。 「あなたの話するときは、とっても嬉しそうでね。 あたしも楽しいからつい聞いちゃって。 いい子よね。もう３ヶ月くらいたつけど、あなたのことばかりよ。 噂の天羽さんに会えて嬉しいわ。ほら、食べて。」 「ええ。ありがとうございます。」 どこか懐かしい味をかみしめる。 おばあさんの話を聞きながら、でも天羽の耳には、 今朝のあたるの言葉がこだましていた。 ーー物みたいに抱きしめて欲しくなんかないよーー ゆっくりしすぎて、戻ったら日が暮れてしまった。 無意識にとびだしてくるあたるを期待していた。 でもそんなわけもない。 のろのろと品物を下ろして店内に運び込む。 一段落させてカウンターで一服する。 「悪魔の羽の天使・・・か。」 天羽の指で、煙草がゆっくりと灰になっていく。 このままあいつがー離れていったら？ 『ちょっと抱きしめてみてくれる？』 『なんかさ、すっごい不安になっちゃった。』 『あなたを好きなこと止められなくて。』 『ずっとずっとそばにいて欲しいよ』 奥の机の上にぽつんとあたるのクジラ。 ふと揺れた指先から、灰になった煙草がボロッと落ちた。 そのとたん、心をわしづかみにするほどの恐怖が襲ってきた。 このままあいつがーいなくなったら？ いてもたってもいられなくなる。バイクのキーとメットをつかんでとびだした。 いつのまにか空には大きな真っ黒い雲。 遠くで雷が鳴り出している。 あたるも落ち着かない一日だった。 臨時店長の身で仕事をさぼったのももちろんだが、 天羽のあの顔が頭から離れなかったのだ。 逢いたくて。逢いに行けなくて。立ったり座ったり。ウロウロするばかり。 昼ご飯もろくに食べられなかった。 このままだったら、どうしよう。 ずっと、このままだったら？ 天羽は怒っているのかも知れない。 でも自分の気持ちをどうすればいいんだろう。 日が暮れると限界だった。 もう一度逢って話さなきゃ。 決心すると部屋を飛び出した。 黒雲が空を全て覆い尽くそうとしている。 カヲルの家にむかった天羽だが、カギが掛かったままだ。 あたるの部屋の前に、バイクをつけたとき、雨粒が落ち始めた。 階段を駆け上がる。 「あたる？」 ドアが開いているのに気づく。入るがいない。 カギもかけずに。 「どこいったんだ？」 もう暗い。防波堤には行かないだろう。天羽は途方に暮れる。 外は叩きつけるような夕立になっていた。メットをかぶってバイクに走る。 またがると部屋を見上げてから発進した。 土砂降りで先が見えない。 危ないので、スピードを落としてライトをつけ、ゆっくり走るしかなかった。 はやる気持ち。 あたるをつかまえなきゃならないのに。 店まで戻ってきたとき、ライトに何か反射した。 なんだ？ 黄色いスニーカー？ ヘッドライトに白いサマーセーターと青いスカートが浮かび上がった。 「あたる？」 濡れながら、店の前に立ち尽くしている。 急ブレーキで止まった天羽は、バイクを飛び降りた。 足元は川のように雨が流れていく。 走る天羽の足元でも水しぶきがはねる。 ヘッドライトで目が眩んだあたるは、動けずにいた。 部屋をとびだして店まで来たが、天羽はいない。 空は真っ暗になり雨が降り出した。稲光が走る。 バイクがない。 こんな天気にどこへ行ったんだろう。 帰れない。店の中にじっとしてもいられない。 どうしても、天羽に会わなくちゃ。早く。早く帰ってきて欲しい。 雨の中どのくらいいたのか、いきなりヘッドライトに指されたのだった。 びしょぬれの二人は、雨の中ようやく向き合った。 「ーいないから、どこいったのかと思った。」 あたるがつぶやく。髪から滴がしたたり落ちる。 「おまえ、捜してたんだよ。」 「雷鳴ってるのに？」 「自分だってびしょぬれじゃん。」 雨足は強くなる一方だ。 「入ろう。」 「バイク、大丈夫？」 「ああ。」 あたるの肩を抱くようにして、店へ入った。 雷の音が少し遠くなった。 店に入った二人。 タオルを取ってきた天羽は、自分のＴシャツも一緒にあたるに放ってやる。 「風邪ひくから、ちゃんとふけよ。」 それからぬれた服を着替えて、店でコーヒーを入れた。 奥へ持っていくと、あたるも着替えたところだった。足は素足だ。 天羽のＴシャツをガボっと着た姿は幼く見えるが、 濡れた髪と表情だけが大人びて、今朝のあたるの顔と重なる。 うずく心。 「ほら。」カップを渡してやる。 「ありがと。」 あたるは受け取ると、ソファに座ってホッとため息をついた。 手の中のカップに温まる。 天羽は椅子をひきずってくると、その前に座った。 どう話せばいいのか迷う。 「悪かったな。今朝。」 コーヒーを飲みかけたあたるの手が止まる。 「おまえの言うとおりだよ。昨日から遙が気になって。 ゆうべもあんまり眠れなかったから。 今朝おまえの顔見た時、ホッとしたんだ。 なのに、無性に自分に腹が立って。」 黙ったまま天羽をみつめるあたる。 「そういうのを全部ごっちゃにしたんだ。気持ち、どっかに置いたままだった。 おまえの気持ちもまるで考えてなかったんだ。そりゃ嫌だよな。」 天羽があたるをまっすぐ見る。 「だけどさ、物だなんて思ってない。 他の誰でもいいなんて、そんな風に考えたことないからな、絶対。 おまえは一人だろ。一人だけだよ。」 なんて言ったらいいのかわからなくなって言いよどむ。 「だからさ・・。」 「すっかり冷えちゃったね。」ふいに立ち上がったあたる。 「夏の雨ってけっこう冷たいね。」 カップを机におくと、天羽のそばに立ってのぞきこんだ。 「・・・抱きしめてみてくれる？」 いつかどこかで聞いた言葉。天羽の顔に笑みが浮かぶ。 立ち上がると腕の中にすっぽりあたるを包み込んだ。 肌に伝わる温もり。 「こうか？」 「もっとギュッと。」 「注文多い奴だな。」 それには答えず、あたるも腕を回す。胸に顔をこすりつけるいつもの癖。 「・・・心、ここにあるよね？」小さな声。 「ああ。」天羽が腕に力をこめる。 「ちゃんと見ててね。」 「ん。」 「どっか行くときは、教えてね。」 「一緒に行くんだろ？」 お互いにお互いを抱きしめて揺れる。 顔を見合わせて微笑むと、おでこをくっつけて、唇を重ねて。 嵐のようだった朝とは違う、凪のような夜が訪れた。 お互いの心の在処（ありか）を確認した優しい夜。 同じ夜。さくらは何故か海辺にいた。夜の海は闇だ。 迷っているさくらには、ぴったりかも知れない。 そう、迷っていた。 吉良と出かけたさくら。 途中Ｓ．Ａ．で他のメンツと合流した。 吉良のモデル仲間とその彼女たち。いかにもという人種だった。 悪い人間ではないが、深くもない。 モデルだっていろいろいるだろうに、判で押したように同じだった。 でも遊ぶには特に文句はない連中。 夏らしい上天気の日。 海に着いた面々は水着に着替える。 さくらはパープルのセパレート。シンプルだが可愛い。 日焼け止めを塗っていたら、吉良が声をかけてきた。 「背中、ぬってやろうか？」 「う・・ん。」 なりゆきで頼んださくら。吉良は意外なほどあっさり塗ってくれた。 「吉良くーん、こっちも。」 他の女の子たちのリクエストにも気軽に返事する。 「Ｏ．Ｋ．」 やぱりこいつ、よくわかんない。吉良をおいて海へ飛び込むさくら。 仰向けに浮かぶと太陽が高い。 急に伊倉を思い出してしまう。 この空っぽな気分は、伊倉のせいだろうか。切ってしまった電話。 振り切るようにして、近づいてきた他の男の子達とビーチボール遊び始める。 端から見ればただはしゃいでいるとしか見えない。 好き勝手に飛ばされるビーチボールが、まるでさくらの心のようだった。 夕方、ホテルに着いた一行。 夕飯はディナー風。可もなく不可もなく。 部屋はカップルごとかと思いきや、男性陣・女性陣の２部屋だった。 お盆休みで混んでいるせいらしい。 男性陣は文句を言っていたが、取れないものは仕方ない。 全員で食事をしたあと、部屋に戻ってしゃべっていたのだが、 ほかの女性陣は携帯が鳴ると次々と「ごめん、ちょっとね。」と消えてしまった。 そりゃそうだわねとさくらも思う。 自分も呼び出されるのが怖くて、海へ来てしまったのだ。 さっき夕立が通り過ぎた。砂浜は湿っていて歩きづらい。 電源を切っていた携帯を取り出す。着信はない。 意を決して伊倉の番号にかける。 出たと思った瞬間。 「もしもし、誰？」 女の声がした。知らない女だ。 「誰なの？」傲慢そうな声。 さくらの中で、ぷっつり切れるものがあった。 「伊倉いるでしょ。代わって。」 「誰よ、あなた。」 「伊倉の携帯にかけてるのよ。伊倉に代わって！」 気圧されて女は黙った。ドアの音と伊倉の声。 「あれ？ 俺の携帯に出るなよ。」 「はい。」 「・・誰。 もしもし？」 「・・・心もいらない。」 「さくら？」 「体も心もいらないよ。心がどこにあるのかわかんない。 あたしには、あなたの面倒はみきれない。 もっと大人の余裕のある女、たくさんいるんでしょ。 もうかけないよ。元気でね。バイバイ。」 「さく・・。」 そのまま電源も切ってしまった。 「携帯、変えよっかなー。」 唇をかんで、空をみあげる。東京よりは星が多い。 「こーんなとこにいたのか。」 突然声がしてビクッとする。吉良が現れた。 「夜の一人歩きは危ねえぞ。」 「ひとりじゃないじゃん。」 そっぽむくと、手の中の携帯に目を落とす。 いきなりそれを海に向かって投げてしまった。 「あ！」 さすがに驚く吉良。 高く放物線を描いた携帯は、黒い海へチャポンと消えた。 「・・・どうしたの？」 「別に。ちょっと昔を捨てただけ。」 「彼氏？」 「ーやめたの。」 「じゃ俺にしたんだ。」 「あれにあなたの番号も入ってたわよ。」 「えー？ ま、いいや。いこ。」 さくらの肩を抱く。 「どこへ？」 「新しい携帯買いに。」 「夜中だよ。」 「じゃ、新しい男に乗り換えに。」 さくらが吉良を見ると、優しい横顔。 「こんな時にも優しいんだ。」 「こんな時だから、優しいんだろ。」 「あたし、うるさいよ。」 「うるさい奴、好き。」 目があった。クスッと笑うさくら。 吉良に抱きしめられて、ホッと気を緩めた。 でも、吉良の視線が踊っているのは見えない。 伊倉はホテルにいた。 さくらにふられた後、いつもの通り女をひっかけて遊んでいたのだが さくらの電話ですっかり気分は冷めた。 相手も興ざめしたらしく、先に帰ってしまった。 さくらにかけるが、つながらない。 いつもの調子ではなかった。朝といい、声がマジだった。 『心がどこにあるのかわかんない。』 それがさくらの本音だろう。 「逃げられたかなぁ。」 つぶやいてベッドにひっくり返る。やたらムーディーな天井が空しかった。 |