＜Home＜二次創作メニュー＜本編メニュー back＜ ＞next
|
ＶＯＬ．１５ 「遠い二人」 翌朝。まずカヲルが旅立った。 ボストンバッグにあれこれ詰め込んで、スケッチブックをかついで。 「行ってらっしゃい。」 あたるが見送った。 送らなくてもいいと言われたものの、夕べはあまり眠れなくて、目が覚めたから。 時計は５時過ぎ。もう眠る気もしなくて、コーヒーを入れる。 するとさくらが起きてきた。 「カヲル、行ったの？」 「うん。早いじゃない。何時に行くの？」 「８時頃迎えに来るはず。」 「まだ６時前だよ。」 「いいの。」さくらの目も赤い。 「あんた、眠れなかったの？」 返事はない。 「さくら、迷ってるならやめたら？」 「迷ってなんかいないわよ。」 「そお？ じゃゲソとは別れるの？」 「あいつ、女と切れることないでしょ。いくら気持ちはあたしって言われたって・・。」 「まあーね。」 その気持ちはあたるにだってわかる。 天羽が遙を気にしている。それだけでめげている自分なのだから。 「でもさ、だからってあの男はね。」 「あたる、しらないでしょ。吉良くんのこと。」 「そうだけど。でも」 「モデルだから派手だけど、優しいし、マメに連絡くれるし。」 「まあ、あんたが良ければいいわよ。」 「え、それだけ？」 「なに？ 反対して欲しいの？」 「そうじゃないわよ。・・・もういい。シャワー借りるわよ。」 しょうがないなという感じで頭をふると、朝食の支度をするあたる。 カヲルがいないから、トーストにしてしまおう。 サラダとスクランブルエッグ。ウインナー。コーヒー。 さくらは長風呂だ。それをみこしてゆっくり整える。 カヲルに習い始めて５ヶ月。ずいぶん様になってきている。 ボツボツさくらが出てくるかなと思う頃、玄関の開く音がした。 誰？ 天羽の・・わけないし。 声が聞こえた。 「さくらちゃん？」 吉良だ。あわてて玄関へ向かう。 玄関の戸を開けたまま、空を見上げている吉良がいた。 黒いＴシャツに白いチノパン。グラサンが派手だ。 「いらっしゃい。」 ふりむいた吉良は何故かとまどった顔。 「あ・・あ、お姉さん。」 「ずいぶん早いんですね。さくらは８時頃って言ってて、まだ支度が。」 「いや、混みそうだから早く行こうかなって。」 そういいながら、あたるを見る視線がなんだか変だ。 「・・・なんですか？ あたしの顔になにかついてます？」 「いや、雰囲気変わるなあって。」 今朝は起き抜けだからあまりまともじゃない格好なのだが。 茶のＴシャツにストンとした長目のフレアースカートは白。 クリーム色のエプロンがアクセントになている。 肩まで伸びかけたボブが、微妙な長さだ。 「今朝は年上にみえる。」 この台詞はこないだの台詞に対応している。あたるが睨むと肩をすくめる。 「じゃ俺、少し時間をつぶしてきます。朝飯まだだし。」 行きかけた吉良をあたるはつい呼び止めてしまう。 「あ、あの。」 「え？」 あたしって人がいいよなぁ。そう思いつつ言ってしまう。 「良かったら一緒にどうぞ。うちも今から朝ご飯だから。」 「・・いいの？」 「あら、まともな台詞もいえるんだ。」 嫌みのつもりなのに、笑い出す吉良。ずいぶん幼く見える。 「あなたも十分、年下に見えるわよ。」 「え、そう？」 「どうぞ。」 そこへさくらが、シャワーをやっと終えて出てきた。 「え、ウソ。なんで？ あたし、時間間違えた？」 「いや、俺が早く来すぎたの。」 「朝ご飯まだだって言うから、ついでに食べてってもらおうかなって。いい？」 「ああ、もちろん。」 おかしなな取り合わせになってしまった。 「俺、コーヒー入れるよ。」 吉良は手慣れた様子でコーヒーメーカーをセットする。 あたるはトーストを焼きながら、スクランブルエッグを作ってお皿に盛る。 ベーコンを添えてさくらに渡してやる。吉良はおもしろそうに見ていた。 人数分の皿がそろう頃、コーヒーも落ちた。 「いただきまーす。」 なんとなく無言で始まった食事だが、吉良が即座に沈黙を破った。 「あ、うまいわ、これ。」 スクランブルエッグをバクバク食べている。 「へえ、まともなんだね、お姉さんの料理。胃薬いるのかと思った。」 「・・・トースト、もう１枚いります？」 相手をしていられない。そんな感じでシカトするあたる。 「あ、欲しい。スクランブルエッグもおかわりしていい？」 「遠慮って文字は辞書にないの？」 さくらが茫然としている。 「あたると親しかったっけ？」 「俺はお姉さん、結構好きだけど？」 「あたしは好きじゃありません。親しいわけないでしょ！」 フライパンに卵を流し込みながら、わめくあたる。 「はい、どーぞ。」どん！とお皿を置くとまたバクバク食べる吉良。 あたるはさくらと顔を見合わせて肩をすくめる。よくわかんない奴。 結局３人前の量を平らげた吉良。その食欲に呆れる二人。 「さくら、早く仕度しといでよ。」 さっさと吉良に消えて欲しいあたるは、さくらを促した。 でもさくらが２階へ行ったあと。 皿を洗う手を止めて、縁側で煙草を吸っている吉良に声をかけた。 「あの・・ね。」 「え？」 「さくらとどうなってるの？」 「どうなってるって？」 「ちゃんとつきあってるのかな？」 「どうかなー。さくらちゃんなかなか落ちてくれなくて。」 「落ちるって何よ。あなたやっぱりー。」 「お姉さんは？ 彼氏とうまくいってるの、その後も。」 「関係ないでしょ、あなたには。」 「俺とつきあう？ 年、タメだし。」 だめだ。どうもこいつは信用できない。 「いいかげんなつもりなら、さくらかまわないでよ。どこがまめで優しいんだか・・。 あ、落ちるまででしょ、それって。」 図星だがはぐらかす吉良。 「勝ち気な美人って好きなんだ。さくらちゃん、可愛いしね。」 「好きって、その『好き』は誰でもいい『好き』じゃない。そんなの、気安く言わないでよ。」 「いいじゃん。さくらちゃんだって、他にいるみたいだし。」 そう言われると返す言葉はない。そこへさくらが下りてきてしまった。 「おまたせ。・・・どうしたの、あたる。」 「さくらー。やっぱりこの人、やめた方がいいと思う。」思わず本音が出たあたる。 とたん吉良が吹き出した。大笑いしている。 「お姉さん、おもしろすぎ。面と向かって言われたの、初めてだよ。」 さくらは怒っている。 「ほっといてよ！ 行こう、吉良くん。」 笑い転げている吉良をひっぱって行く。 玄関まで追いかけたあたるに、吉良がふり返った。 「ごちそうさま。うまかった。さくらちゃん、もらっていきまーす。 でも、お姉さんもいい味っぽいなぁ。」 「あのねー。」 なんとも不安なあたるだったが、そのまま見送るしかない。 吉良とさくらは出かけていった。 車の中。吉良は運転しながら、まだクスクス笑っている。 「お姉さんおもしろいよな。」 「ずいぶん仲良くなったみたいね。」皮肉っぽくさくらが言う。 「いやあ、ああいうタイプいないから。年下かと思うと年上にもみえて、実はタメだし。」 「あたしじゃなくて、あたるを連れてくればよかったじゃん。」 すっかりへそを曲げたさくらを見て、ニヤッとする吉良。 「あれ、焼いてる？」 「バカいってんじゃないわよ！」 いきなり肩を抱き寄せる。 「じゃあ少しはその気があるってことかな。」 どうなんだろう。焼いてるのかな、あたし。自分がよくわからなくて迷うさくら。 片づけものをすませて、ざっと家の中を掃除したあと、仕事へでかけることにしたあたる。 さくらは気になるがどうしようもないし。 あの吉良はどう考えてもあてにはならないのだが、昨日の天羽も気になっている。 「カヲルの飛行機、出た頃だなぁ。」 カギをかけると、店へ向かった。 さくらの携帯が鳴った。伊倉だ。ちょっとためらってから出る。吉良がちらっと見る。 「さくらか？ 休みだろ。久々に会わないか？」 「あたし、出かけるところ。」 「お、その気だったの？」 「残念でした。遊びに行くんだもん。今、車の中。」 「・・・誰の？」 「もういいじゃん。あたしはあたしでやるよ。好きにして。じゃあね。」 電源も切ってしまった。 「やっと俺にする気になった？」 「・・・まだわかんない。」 迷いながらも、伊倉が後ろに遠くなるのを感じていた。 コポコポコポ・・・。コーヒーの香りだ。 天羽が目をあける。寝不足の目に光が眩しい。 音のする方をみると、あたるの横顔。伸びかけたボブが少しかぶさって影を作る。 一心に何かを読んでいる様子。右手がピンクのラインマーカーをクルクル回している。 時折マーカーの頭をかじっている。その口唇。 夕べ帰ってきても、遙のこと、あたるのこと、あれこれ考えて寝付けなかった。 明け方にやっとまどろんだ気がする。 今、あたるはそこにいる。遙はーどうしているのだろう。 あたるが気づいた。 こっちを向いて視線が合うと、首をかしげる。天羽の目が赤かったから。 「眠れなかったの？」 ニコッと笑う。なんのためらいも思惑もない笑顔。 天羽の中で何かー苛立ちと理不尽な思いが頭をもたげた。それから欲情と。 あたるに手を伸ばす。 「ん？」 「ちょっと。」 読んでいた本を置いて、ソファベッドに歩み寄るあたる。 「何？」 いきなり腕をつかまれてひっぱられたと思うと、くるっと押し倒された。 「え？」 驚くあたる。ふさがれる唇。両腕も体も押さえつけられてしまう。 何？ 何？ どうして？ 嫌だ。 嫌！ でも凄い力。男の人の力。 「ん！・・・ん！」 抵抗するがまるで駄目だ。そのうち力が抜けてきてしまう。 言葉が吐息になる、あの感覚が戻ってくる。 眼を閉じてしまう。世界がマーブル模様に流れ出す。そこにいるのは天羽だけだ。 自分が自分でなくなっていく。 天羽の口唇と指先を感じる。喉に。肩に。胸に。 熱い。 そこから別の生き物に変わっていく気がする。 声が聞こえる。この声は誰の声だろうー。この体はー？ マーブル模様のこの世界では、確かな物がなにもなくて。 自分自身まで溶けて消えてしまいそうだ。 天羽にしがみつこうとして伸ばす指先。でも汗ですべる。声と一緒に落ちる。 そのまま色の渦の中に吸い込まれていく。 「・・・る」 気を失っていたのかもしれない。声がひどく遠くて、こだまのようだ。 「・・たる？」 ふいに耳元で聞こえて、ビクッと目を開けた。 天羽の顔がある。頭の中が真っ白で何がなんだかわからない。 「大丈夫か？」 その言葉で甦ったさっきの出来事。 心配そうな天羽だが、急に恥ずかしくなる。憎らしくなる。 腕の中にいたあたるだが、背を向けると毛布をかぶってしまった。 「どした？」 「・・・・いの。」 聞き取れない声でなにかつぶやく。 「なんだって？」 「悔しいの。」 聞こえたが、今度は意味がわからない。 「何言ってんだ？」 「そっちこそいきなりなんなのよ？」 あたるの背中が怒っていた。たじろぐ天羽。 「何って・・。ちょっと、したくなったっていうか・・。」 「したくなったらするわけ？」 「いいじゃん。休みだし。おまえだって。」 「そういう言い方、しないでよっ！」 ふりかえって起きあがったあたるの目がきつい。 天羽は驚いて、黙ったままだ。 あたるはズルズル毛布をひきずってベッドを下りると、服を着てしまう。 「帰る。」 リュックをつかむと、唖然としている天羽に目もくれず、 店をとびだしていってしまった。 「待てよ！」 叫ぶが、こっちはまだ裸なのだから、そのまま追いかけられない。 何がなんだかわからないまま、ひとり残されてしまった。 「なんなんだよ、一体・・？。」 しばらくぼーっとする天羽。 だがこのまま放ってもおけない。第一気持ちがおさまらない。 急いで着替えると、メットをもってバイクに飛び乗った。 とりあえずカヲルの家へとばす。 玄関をあけようとするが、カギがかかったままだ。 「あたる？」叩くが返事はない。 居留守もありえるが、そこまでしないだろう。 とって返すと、あたるの部屋へ行ってみる。だがこっちもいない。 どこへ行ったんだ？ あたるは防波堤にいた。帰るつもりで飛び出して、気がついたらここにいたのだ。 考え事があるとここに来るクセがついている。 何があんなに頭にきたんだろう。 ＳＥＸ、それ自体がイヤだったわけじゃない。そう、体は応えていたのだ。 自分の体と自分の気持ちが別の所にあるなんて、初めてだった。 でも嫌だったのはそれだけじゃない。 いつもの天羽じゃなかった。見知らぬ人のようだった。 目を上げると空が青い。太陽があんなに高い。夏の空の高さ。 カヲルはまだ、空の上かな。ーアメリカ。遙さんも。 そうだ。 遙さんだ。昨日から、ずっとー。 背中にバイクの爆音が聞こえた。近づいてくる。 天羽だとわかっていた。もう逃げる気はなかった。 なんとなく防波堤かなとあたりをつけた天羽。 遠くからでも座り込んでいるのが見えた。 音でわかったのだろう。バイクを止めると、あたるも立ち上がって振り返った。 細い体にだぼっとした白いサマーニット。 ストレッチ素材のブルーのロングタイトスカート。 ハイカットのスニーカーはショッキング・イエロー。 だんだん綺麗になるようで、あせりすら感じることがある。 バイクを降りながら、そんなことが頭をかすめる。 ひょいとあたるのいるところまで上っていった。 ちょっと体を引くようにして、天羽と向かい合うあたる。 「どうしたんだよ。わけわかんないだろ。」 「・・なんでいきなりなの？」 「なんでって・・」 「昨日からずっと、遙さんのこと気にしてるでしょ。」 ドキッとする。 「遙さんのこと考えてて、眠れなかったんだ。」 「それとこれと・・。」 「気にするななんて言ってない。」 さえぎるあたる。うつむき加減で海を見る。 「気になるでしょ。あたりまえだよ。 あたしだって、カヲルが結婚しても、うまくいってなかったら気にするもん。」 「なら。」 「そうじゃないでしょ。」 顔を上げて天羽を見据える。 「そういうモヤモヤを解消するために、しないでって言ってるのよ！」 あたるの言葉に天羽は瞳を大きく見開いた。その顔。 「したかったからって、あなたがしたかったから？ じゃああたしの気持ちは？ あたしの体があればよかった？」 言葉の激しさとは裏腹に、淡々としたあたるの声。 「あのときあそこにいたから？ 他の誰でも同じ？」 「そんなわけないだろ！」 「でもそうでしょ。あたしの気持ちなんて、頭になかったでしょ。」 「それは・・・。」 「わかってるよ。体はちゃんと反応してた。そんなのあたしが一番知ってる。 だから嫌なの。心がどっかいってる、そんな風に抱きしめて欲しくなんかない！」 あたるの目に涙が滲んだ。 「そんな、・・・物みたいに抱きしめて欲しくなんかないよ。」 思いもしなかった言葉に天羽は立ちつくしていた。 あの時ー、目が覚めてあたるを見た瞬間。 眠れなかったイライラと遙への心配。 なのに無邪気なあたるの笑顔。それにホッとする自分がー。 なんだか腹立たしくなって、抱きたくなって、つかまえてー。 そういえばいつもと違って、ずいぶん抵抗していた。 でも気にしなかった。ーそうだ、気にしなかった。 今まであたるを抱きしめているときは、あたるのことを考えていた。 でもさっきは？ さっき俺は何を考えていたんだろう。わからない。 何も考えてなかった。ただ抱きたかった。闇雲に。マスターベーションのように？ 『物みたいに抱きしめて欲しくなんかないよ。』 あたるの気持ちがようやく、腑に落ちた。 目の前にいるお互いの心が、なんだかものすごく遠かった。 |