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ＶＯＬ．１４　「小さな波紋」




８月。夏が熟していく。
じりじりと照りつける日射し。落ちる影が黒々と濃い。
日はまだ長く、そのあとの夜へと暑さが途切れない。
一日の区切りがわからなくなる頃だ。始まりも。終わりも。



さくらはすっかり吉良にはまっているように見えた。
伊倉とつきあいだして１年以上。他の男には決して目もくれなかったのに、
どうして今更と不思議なくらいだが。
追いかけられること、待ち受けられること。
それが快感だった。伊倉とでは味わえなかったことだ。
今ひとつ本音は見えない吉良。頻繁に携帯でメールをくれる。さくらも送る。
泡のようなコトバが何度も飛び交った。
泡だとはきづかず。いや、気づきたくなくて。
追いかけられているつもりで、実は追いかけている。そして逃げているさくら。


「海行こうよ。」
今日も誘われた。
「海？　どこ？」
「湘南当たり。仲間も一緒にさ。」
「湘南か。いいかも。」
「じゃ決まりね。泊まりでいいだろ。」
「え？　あ。」
実はまだ吉良とそうなってない。
なんでとどまっているのか、自分でもわからなかった。
飛び込みきれない自分をもてあましているさくら。
「大丈夫だよ。みんな、女の子も連れてくるから。」
「・・・うん。」
伊倉の顔がよぎる。あたし、ほんとはどうしたいんだろう。
「じゃ土曜日。朝迎えに行くから。」
迷っているさくらを押し切った吉良。
落とせそうで落としきれないさくらが、そろそろいまいましくもあった。



彼にとって恋愛はゲームだ。プーから街角でスカウトされてモデルへ。
見た目は抜群なので、あっという間に名が売れた。
ただ、真剣さが足りないので、トップにはなりきれない。
この世界もトップになるには野心と努力が必要だ。
彼にはどちらも欠けていた。
ほどほどに有名で、ほどほどに金もまわる。女の子には事欠かない。
それで満足だった。
さくらにちょっかい出したのは、思いつきの気まぐれだったが、
彼氏がいるらしく、なかなか落ちないのが新鮮だった。
気が強くて、ポンポン言いたいことを返してくる。おもしろい。美人だ。
でもそれだけだった。
もっと早く落ちていたら、今頃終わっていたかも知れない。
切れるときは怖いくらい残酷になる吉良。
それは別れた女しか知らない彼の顔だ。
次の土曜。絶対落としてやる。




さくらが家に戻ると、カヲルとあたるが晩ご飯中。
「なに、二人ともずいぶん遅いじゃん。」
「仕事忙しかったの。」
「おまえくらいだよ、のんきなの。俺も休み前だからさ。」
カヲルは今週末から夏休みを取って、ニューヨークへ行く。
そのため、前後は仕事に追われていた。
英会話もある。デザインもやっている。ミシンも踏んでいる。
このところ、おもいっきりハードだ。
「いいじゃん。たっぷり休んで、洋子虫と一緒なら。やる気満々でしょ。」
「やる気って・・。」呆れ顔のカヲル。
「やだ、何考えてんの！」バシッと叩くさくら。


「洋子さんとはね、そんなにゆっくりできないかも。」
「なんで？」
「今回はちょっと動く予定なんだ。あちこち。自分のことで。」
「カヲルー。本気であっちでデザインやる気？」驚くあたる。
「まだわかんないけどさ、いろいろ調べてみないと。」
着々と夢へ向かっていくカヲル。さくらもあたるもちょっと眩しい。
「でもせっかく行くんだから、会うでしょ。」
「ん。体のことも気になるし。明日にはメールするつもり。」
「そうだよ。もうじき６ヶ月だっけ？　一番安定期だけどね。」
「洋子虫、いつまで仕事やるの？」
「ギリギリまでやるつもりみたいだ。」
「そのあとは？」
首をかしげるカヲル。
「それも聞きたいんだけどな。」
「太れないね、カヲルって。」茶化すさくら。



「そういえばさくら、今日ゲソとバッタリあったぞ。」
「え？」ギクッとする。
「本屋でさ。女の子連れてた。」
「はぁ？」
「おまえもあんまりほっとくと、切れるぞ。切るのか？」
そう言われても、何も言えない。
「あんた、あいつとまだつきあってるの？」あたるが聞く。
「あいつって？」
「吉良よ。わかってるくせに。」
「・・・土曜日、出かけるんだ。海。」
「ふたりで？」
「仲間も一緒っていってた。」
「でも、泊まりでしょ。」
「う・・ん。」
「ゲソとはホントに別れるつもり？」
「もういいじゃん。ほっといてよ。」
じぶんでもよくわからないのだ。
癇癪をおこして２階へ逃げる。
残ったあたるとカヲルは、顔を見合わせてため息をつく。




翌日、遙と引き取りに出かけたあたる。助手席で参考書を広げている。
この頃、時間があるとすぐ広げるクセがついた。
資格を取りたい。段々と強くなる思い。
「そういえば、こないだ大丈夫だった？　天羽君と。」
「あー・・・。怒られました。」
「怒られた？　怒ったんじゃなくて？」思わず遙は聞き直す。
「あたし、何も聞かずに帰っちゃったんですよね。」
「そしたら？」
「連れ戻されちゃって。ちゃんと全部聞けって怒られちゃった。」
「天羽君が？　信じられない。」つぶやく遙。
「あたしにはどのみち、知らんぷりなんて無理なんですけどね。
　バレバレで。すぐ顔に出るから。」
笑うあたるを見て、微笑む。
「天羽君、大事にしてるんだ。あなたのこと。」
「え？」
「ううん。いいことよ。良かったわね。」
そう言ってくれるけれど、淋しそうに見えた。
参考書に戻りながら、なんだかあたるは気になっていた。



引き取りを終えて、二人がが店に戻ったのは遅かった。
今日も外は暑い。アスファルトに陽炎がゆらめいている。
「そうそうあたるさん、ちょっと相談があるんだけど。」
「なんですか？」
「夏休みのことなの。」
カヲルと同じくあたるも明日から休みの予定だった。
１ヶ月前に打ち合わせた夏休み。天羽も明日から休むはずだ。
「急にね、アメリカへ行くことになったのよ。」
「え？」驚くあたる。
「彼のねー、ジムの実家へ。」
「ああ、そうなんですか。」
「うん。それでね、どうしようかと思って。
　あたるさんが休みの間、私がやるつもりだったんだけど。
　お盆は休みにしちゃおうか？」
「あ、でも、引き取りの予定とかは？」
「うん。入ってるんだけど。」
「じゃあ、私やります。特にどこに行くって決めてないし。」
「でも、そこで天羽くんも休み取ってるんでしょ？」
「・・たぶん。」
「じゃあ。」



「だから、俺がやろうか？」
突然声がして、ふたりはびっくりした。
戸口に立っている天羽。いつのまにか帰ってきたらしい。
「びっくりしたぁ。おかえり。」
「遙、いいよ。俺がやるよ。」
「でも、せっかく休みなのに。」
「だからさ、全部はやらない。引き取り、何日入ってるんだ？」
「明日と、月・火の３日・・かな。」
「じゃ、あとは休みって事で。受けちゃった日はやるから。
　バイト代弾んでくれるだろ？」いたずらっぽく目配せする天羽。
ためらいがちの遙。あたると天羽を見比べる。
「いいの？」
「ああ、いいよな？」あたるをふりかえる。
「うん。あたしは。」あたるは笑ってうなづく。
「一緒にいられればいいんだもんな。」
「バカ。」
あいかわらずあせるあたる。からかう天羽。
「ほんと、あなた達って仲いいわよね。うらやましいくらい。」
遙の言葉にあたると天羽が目をあわせる。
「何言ってんだよ。新婚のくせに。」
「そうよね。」遙が微笑む。


「ジムの実家ってどこ？」
「ボストン。土地でも旧家よ。格式高いのよね。」
「格式・・。なんか、凄いな。」
また遙にさす微妙な影。だがすぐに消える。
「良介がね、今からディズニーランドを楽しみにしてるの。」
「いくんですか？　本物。」
「せっかくアメリカまで夏休みにいくんだから。やっぱりね。」
「東京のディズニーランドもずいぶん行ってないですよ、あたしなんて。
　本物のミッキーマウスだ。いいなぁ。」


あいかわらず無邪気なあたるの台詞。
思わず笑みが漏れる天羽だが、遙の様子になにかひっかかっていた。
なんだろう。ジムと何か？　それとも、アメリカに何か？
いぶかしげな天羽の視線に気づいた遙は、心配ないという風に笑った。
気のせいかな。ならいいんだが。
「じゃあ、決まりな。明日から俺が店を手伝う。半分は休みって事で。」
「ごめんね、急な話で。助かるわ。」
「気をつけて行って来てくださいね。」
「ありがとう。おみやげ買ってくるから。



遙を見送ったあたると天羽。
「今日はずいぶん早かったのね。」
「休みの前くらいな。それにしてもアメリカか。」
「遙さん、なんだか変だった？」
気づいてたんだ。まるで脳天気に見えたのに。
「相手の田舎へ行くのって、やっぱり緊張するのかな。遙さんでも。」
「そりゃそうだろ。アメリカだし。」
首をかしげているあたる。天羽も同じ思いだったが。
「おまえ、飯は？」
「え？　あ、ううん。帰って食べるつもりだったの。」
「なんだ、帰るの？」
「あれ、食べてないの？」
「ああ。」
「しょうがないな。うち来る？」
「いいのか？」
「大丈夫でしょ。今日はカヲルが作ってるはずだから。今、片づけるね。」
店内へ入るあたる。
天羽も入りかけるが立ち止まる。遙の帰った方を見る。
ほんとに変だったな。気になってしょうがなかった。





「ただいまー。」
「こんばんわー。」二人してカヲルの家へ戻った。
「あれ、天羽さん。ひさしぶり。」さくらが出迎えた。
「ほんと、久しぶり。さくらちゃん元気？」
「天羽さん。どしたんですか？」カヲルがエプロン姿で現れる。
「カヲル、一人分追加してくれる？　天羽さん、食べてないって。」
「いいよ。干物と煮物でよけりゃ。」
「十分。相変わらずマメだね、カヲルくん。」



４人でテーブルを囲んだ。
「カヲルね、明日からニューヨークだよ。」
「そうなの？　やるじゃん。」
「いや、そうでもないっすよ。」頭をかくカヲル。
「デザインやるつもりなんだよね。」
「デザイン？」思いもかけぬ言葉に天羽が眼を丸くする。
「カヲルの夢なの。デザイナー。」
「へえ、すごい。売り込みに行くの？」
「そこまではまだ。でもちょっと企んでるけど。」
「洋子さんに会いに行くんじゃないんだ。」意外そうな天羽。
「それだってあるよね、もちろん。」
「まあ、いいじゃん。俺のことはそれくらいで。
　それよりさくら、おまえはどうすんの？」
「どうすんのって？」
「明日、行くのか？」
「行くわよ。水着買ったし。」
「海？　伊倉さんと？」
気まずそうな沈黙。


「・・違うんだ。へえ、さくらちゃんが浮気？」
「全く。ゲソにはりあってどうすんのよ。」あたるがブツブツ言う。
「はりあってるわけじゃないわよ。」
「じゃ本気なの？」つっこまれて黙るさくら。
「だって、泊まりなんでしょ。」
「ふたりっきりじゃないもん。」
「子どもじゃあるまいし。わかってるくせに。」
「うるさいな、ほっといてよ。」
さくらはあたるを睨むと、食事もそこそこに２階へあがってしまった。
顔を見合わせるカヲルとあたる。



「伊倉さんと何かあったの？」天羽が聞く。
「そうでもないみたいなんだけどな。」
「まあね。ここんとこずーっとゲソ一筋でさ。そのゲソがまた、
　ずーっとあの調子でしょ。よくもってるなとは思ってたんだけど。」
「どんな奴なの？　今度の相手。」
「こないだのあれよ。人喰い男。披露宴の夜の。」
「あ・・あいつか。」なるほど、と思う天羽。
「天羽さんも知ってるんだ？」
「いや、あんまり知らないけどな。」怒鳴りつけたとは言えない。
「モデルなんだって。だから格好はいいけど、なんかね。」
「人を小馬鹿にした態度だよな。」文句のつけ放題だ。
「ああ、最初の頃のあなたに似てる。」急にあたるが言う。
「そっか？　じゃいい奴じゃん。」
「えー？」
笑い出すカヲルとあたる。天羽も笑っている。



「さくらちゃん、二十歳だっけ？　
　まだ若いんだから、伊倉さん一筋に決めることもないだろうけど。」
「それはそうよ。でもなんか中途半端でさ。」
「明日、そいつと海へ泊まりで行くって言うんですよ。」
「ああ、それで。でもふたりきりじゃないって話じゃない。」
「うん。友達が一緒って。」
「あたる、子どもじゃないんだから。」カヲルが仕方なさそうに言う。
「んー。ゲソと別れるって決めたんならいいんだけど、どうも迷ってる感じでね。」
「そうだよなぁ。」
天羽がふたりを見て笑っている。
「何？」
「いや、まるで親みたいだから。」
「こないだ人喰い男にも言われたわよ。」
「俺達ってとうちゃん・かあちゃんに見えるのかぁ。」
ため息になるカヲルとあたるだ。
食事を終えると、天羽は引き上げることにした。
「ゆっくりしてけば。」とカヲルは言ったが、
「明日早いんだろ。悪いから。」天羽は遠慮した。
例によってバイクまで見送るあたる。



「リカさん。どうしてる？」さりげなく聞く。
「ん？　会社では変わんないな、前と。」
そう、変わらなかった。やっぱり接近してくるリカ。
会社ではこないだのことも聞けないし、聞くつもりもない天羽だったが。
でも、相も変わらぬリカのアタックには、正直困っていた。
そのことでちょっともめたし、思いもかけぬ人にも会っていた。
でもそれはあたるには言わない。気にするだけだろう。
明日から休みで、ホッとしていた。少なくともリカについては。
「それにしてもさ、ほんとおまえとカヲルくんて。」
「何？」
「さっき、『あれとって』ってカヲルくんに言われて、
　おまえすぐお盆とってきたじゃん。」
「うん。」
「あれってさ、長年連れ添った夫婦の感覚じゃねえの？」
「えー、そうかな。単につきあいが長いだけじゃない？
　同居してるとそういうのって、なんとなくわかるようになるでしょ。」
「そっかぁ？」


「それならあたしだって思ったことあるよ。」
「ん？」
「遙さんと初めて会った時。」
「ああ、おまえが俺をはめた朝ね。」注釈をつける天羽。
「遙さん、すごい慣れた手つきであなたの服かたづけて、
　あなたが靴下捜してたら、言わないうちに渡してたじゃない？」
思い出すあたる。
「あれだって、あなたの言う『長年連れ添った夫婦』って感じだったよ。」
口をとがらせて言われて、つい天羽は弁解する。
「しょうがないじゃん。つきあい長かったし。」
「そうでしょ？　つきあい長いと。」つっこまれて天羽が苦笑する。
「だな。」
さらにあたるが聞く。
「あなた前にあたしとカヲルのこと、散々言ってたよね。
　そうするとあなたと遙さんもそうだったってこと？」
「そうって？」
「『タイミングがずれた男と女』の関係。」
「あー、・・どっちかというと、タイミングずれすぎて修復不可能って奴だな。
　だから、幸せになって欲しいと思うし。」
天羽は昼間の遙を思い出した。
あの影。すぐ消えたけど、大丈夫だろうかー。



気がつくとあたるがじっと見ている。
「遙さん、気になってるんでしょ。」見透かされてる。
「きっとだいじょうぶよ。アメリカでも遙さんだもん、うまくやるわよ。」
安心させようとしてるのだが、気楽そうに聞こえてつい反論してしまう。
「あいつはさ、実はそんなに器用でもないし、結構気が小さかったりするんだ。
　強いから弱音なんて吐かないけど、その分背負っちゃうし。
　ずぶとい人間装ってがんばっちまうから。
　そこんとこわかってんのかな、ジムは。」


あたるは黙って聞いていたが、くるっと向きを変えて家に歩き出してしまう。
「あ、おい。あたる？」あわてて呼ぶ。
振り返ったあたるはそれでも小さく手をふった。
「また明日ね。」そのまま走っていく後ろ姿。
まずったという思いが残った。そんなつもりじゃなかったんだけど。
カヲルのことを持ち出したのも、自分が遙を気にしていたせいだ。
それもたぶん、あたるはお見通しだったのだろう。
もう一度呼びにいこうかとも思ったが、カヲルの手前もある。
仕方なくバイクのエンジンをかけた。
メットをかぶってもあたるの後ろ姿が目に残っていた。
それから遙の影と。



あたるはバイクの音が遠くなるのを玄関で聞いていた。
いつもなら最後まで見送るのに。
仕方ないよね、と吐息をつく。
彼が遙さんを気にするのは、あたしがカヲルを気にするようなもの。
頭ではわかっているのに。やっぱりどこかで淋しくなるのも仕方ないよね。
洗い物をかたづけているカヲルを手伝う。
「天羽さん、帰った？」
「ん。」ふきんをとってお皿を拭く。
「さくらさ、ホントにどうする気なんだ？」
「わかんないよ。あの子も自分でわからないんじゃないの？」
「迷ってるのか。」
「そう簡単にはいかないでしょ。ゲソとも長いし。」
「踏ん切りつけるつもりで、海行くのかな。」
「人の心配ばっかり。準備大丈夫？」
「ああ。万全。」
「いろいろさ、うまくいくといいね。」
「どうかなー。めげて帰って来るよ、きっと。」


「それでもやらないよりいいって。」
「おう。おまえもしっかり勉強しろよ。天羽さんに浸かりきってないで。」
「浸かりきれないもん。」
ちょっと口調が変わる。
「なに、どうかしたの？」敏感なカヲルにあわててごまかす。
「ううん。さて、お風呂はいろうっと。明日、５時だっけ？ 」
「見送りいらねえぞ。留守よろしくな。
　・・っておまえも休みだもんな。いないか。」
笑ったあたるは右手を掲げる。
「健闘を祈る。」
「サンキュ。」
バシッと手をたたき合ったふたり。ほんとにカヲル、うまくいくといいな。

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