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ＶＯＬ．１３ 「痛みと不安」 雨の降る日曜。 リカは大きなマンションの前に立っている。 見上げると１４階建て。このあたりにしてはすごく大きい。 住所をたよりに辿り着いてすでに３０分。 入るでなく去るでなく、そこから動かない。 いつもなら鮮やかな赤の傘を持つのに、今日は兄の古い黒傘を借りてきた。 もう骨が駄目になりそうな傘の下、自分の心を持て余す。 入るなら入りなさい！ 何度自分をけしかけたろう。でも動けない。 ここに、父がいるはずなのだ。 こないだ立木に言われたことは、リカにとっては衝撃だった。 ふりかえれば彼女のいる人ばかり好きになってきた自分。 それを突き詰めて考えたことはなかった。 彼女がいると聞くと興味が湧くのは確かだったが、単なる自分の悪いクセだと。 そんな風にしか考えていなかった。 こっちを向かせてー向かせたら大抵興味を失ってしまう。 それも単にそれだけだと思っていた。 向かせてみたら大した人じゃなかったんだと。 そのせいで何度かトラブルも起こした。 相手の男にもその彼女からも、ひどい女だと言われたし、遊び人と噂も立った。 でも本人に至って罪の意識がなく、あっけらかんとしているのと気の強さで、 こういう奴なんだと認識されてきた。 それがー、父と関係あるなんて夢にも思っていなかった自分。 初めて母に問うた。 「どうしてお父さんと別居したの？」 娘から父のことを聞かれたことのなかった母は、うろたえたようだった。 「何？ 急に。」 「急ってことないでしょ。もう何年経ってると思ってるの？」 「何年？ そうね、何年経つのかしら。」 「私が小学校に上がってすぐよ。１６年たつわ。」 即答するリカにさらに驚く母。 「なんで別居したの？」 「あの人はね、家のことにも私にも興味がなくなったのよ。」 「どういう意味？」 「仕事は忙しいでしょうよ。 でも、小さい子どもを二人抱えた私に、あの人は何の興味も持たなかった。 結婚したら全て終わったみたいに、家のことは私任せ。 休みの日だって接待とゴルフばっかり！」 機関銃のようにしゃべりだした母に、半ば唖然とするリカ。 ためにためていたものを吐き出すような母の言葉。 「あげくに女よ。そんなの許せると思う？ まだあなたが小学校に入る前だったわ。 でも小学校にはいるまでは試験もあったし、入学式だって。 だからそれまでは我慢してたのよ。」 別居前からすでに父に女性がいた。それはリカには新たな衝撃だった。 「あの人は一度だって謝ることも弁解もしていないわ。ただ私の言うことを聞くだけ。 聞いてーでていってーそれだけ。生活費だけ送ってくるのよ。」 「なんで離婚しないの？」 「それはーあなたたちのためにー。」 「ウソよ。」鋭く遮るリカ。たじろぐ母。 「１６年よ。その間一度だって戻ってこない人よ。子どものためだなんて言えるの？ もう私だって、兄さんだって父親のいる年はとっくに超えてるわ。」 「そんなーそんなこと。」 「母さんが離婚したくないんでしょ。したくないからー怖くてー離れられなくて。 そのまま、１６年も。」 「やめなさい！」 母の声がヒステリックに高くなる。 これ以上言うと危ない。それは経験でわかっている。 「住所。」 「え？」 「父さんの今の住所、教えて。」 「どうするの？」 「いいから。」 「あの人は今、別の・・。」 「いいから教えて！ 早く！」 リカの迫力に気圧されて、母は自分の部屋からメモの写しを持ってきた。 それを奪い取ったのがおとといだった。 昨日珍しく兄が来た。 就職と同時に一人暮らしを始めた兄。昔から兄とリカの関係も微妙なものだった。 父はどちらかというと、リカを溺愛していた。 女の子であり、また利発で美人の娘が自慢だったようだ。 だから父がいたころ、兄は短気で怒りっぽかった。 自分をないがしろにされるのが嫌だとでも言うように。 それが父がいなくなると立場は逆転した。母は兄を溺愛したから。 だがそれも兄にとって望ましい環境ではなかったのだ。 両親がともに兄妹それぞれを偏愛した故に、微妙だった兄妹関係。 それが兄が自立したことによって、初めて対等になった。 この頃のリカは、母よりも兄を頼りにしている。 「兄さんは知ってたの？ 父さんが別の人と暮らしてるって。」 「ああ。もうずいぶん前からな。」 「どう思ってるの？」 「別に。あの二人、何年も形だけだろ。どう思うも何もないよ。」 「ふーん。それなら離婚をすすめたら？」 「リカ、母さんが離婚して生きていけると思うか？ 俺は別居の理由は母さんからしか聞いたことないから、 ホントの所は今もわからない。 でもここまで別居をひっぱったのは親父の態度のせいもあるだろ。 親父もわかってるんだよ。母さんが離婚なんてできやしないって。 親父にしてみれば、この状態を続けることが償いのつもりなんじゃないか？」 そんな風に考えたことのなかったリカは、黙って聞いていた。 でも納得は行かなかった。 母は幸せではない。こないだ見た父は笑顔だった。 母の味方をするつもりはないけれど、不公平に思えた。 それが昨日。 そして今日、ここまできてしまったのだった。 クルクルと傘をまわす。いつまでもこうしていたって仕方ないのに。 でもあたし、どうするつもりなんだろう。 父に会いたいのか、あの女性に会いたいのか。 もし会ったら、何をいえばいいんだろう。 「帰ろっと。」 やっぱり帰ろう。くるっと踵を返して歩き出そうとしたら人にぶつかった。 リカの傘がとんだ。 「ご、ごめんなさい。」 「いや、こちらこそ。」 その傘を拾ってくれた人が「どうぞ。」と言った時、目があった。 「父さん。」 「・・・リカ？」 父の後ろに、先日見かけた女性が目を見開いていた。 その傘が鮮やかな赤い色を放った。 父はリカを、マンションから少し離れた喫茶店へ連れていった。 女性には「ちょっと行って来る」と伝えただけだ。女性もリカに何も言わなかった。 表通りに面したガラス窓のそばの席。 向かい合ったリカと父。雨がゆっくりとガラスを伝い落ちてくる。 「どうしたんだ？ いきなりー。」 「あの人とずっと、暮らしてるの？」 「ずっと？ ーそうだな、暮らし初めて１０年になるかな。」 「１０年？ だって別居したのは。」 「母さんがどういっているのかわからんが、 別居したときには私に女性関係はなかったよ。」 「だって。」 「もう１６年だ。今更ウソを言ってもはじまらんさ。」 取り繕っているようには見えなかった。ゆっくりと煙草を吸う父。 その煙草の匂いが父の匂いと重なる。 「じゃどうして別居したの？」 「何を言っても信じあえない夫婦が、共に暮らしても仕方ないだろう？」 「ちゃんと説明すればー。」 「したさ。何度もね。でも母さんは信じなかった。 何が積み重なってそうなったのか。多分私にも原因はあるのだろう。 だが、家に帰っても身に覚えのないことを言い立てられる毎日が、 半年も続いたらどうなる？」 もうしそうなら、それは壊れるだろうと思った。でも。 「私や兄さんのことは考えてくれなかったんだ。」 その言葉に煙草を止める父。 目を上げるとみつめているリカ。父の視線が弱る。 「おまえ達には申し訳ないことをしたよ。仕方なかったんだ。 母さんからおまえ達をとりあげるわけにはいかなかったし。」 理屈はわかる。でも。私のこの喪失感は。 「こないだ、父さんを見たわ。この町で。」 父は意外そうな顔をする。 「楽しそうな顔であの人と笑ってた。この１６年、母さんのそんな顔見たことない。 私だってー心から笑った覚えなんかない。」 父の顔がゆがんだ。 「なのに父さんは笑ってたわ。そんなのって公平だと思えない。 結局父さんは逃げただけ。楽してるだけ。 自分だけ安全地帯に逃げて、私達を置き去りにしたのよ！」 激しく言葉を投げつけると、リカは立ち上がって店を飛び出した。傘も持たず。 雨の中闇雲に走っていたリカは足をすべらせた。 濡れた歩道に膝をつく。まわりの人は知らん顔で通り過ぎる。 立ち上がる気力もなく泣き出しかけた時、声がした。 「竹井・・・？ どした？」 降りかかっていた雨を感じなくなった。 見上げると天羽が傘をさしかけてのぞき込んでいる。 「天羽・・・さん。」 「なんでこんなとこにいるんだ？ ほら、立って。」 リカの腕をつかんで立ち上がらせようとする。 思いもかけなかった天羽の出現に何も言えない。なされるがまま立とうとした時。 「リカ！」 別の声がした。振り返ると父が濡れながら走ってくる。 リカは反射的に天羽の腕に抱きついた。天羽が驚く。 「もういい！ 父さんなんていらない！ いらないよ、帰って！」 「誰だ、君は？」 「え？ 俺ー？」わけのわからない天羽。 「この人は私の好きな人なの！ 父さんには関係ないの！」 「好きな人？」 「竹井、おまえー」 「天羽さん、行こう！ お願い！」 リカは天羽を無理矢理ひっぱってその場を走り去った。 残された父はそこに立ち尽くす。 『父さーん』 そう呼んで小さな両手をさしのべていた小さな娘。 置き去りにしたのは確かに自分なのだった。 思いっきり走って天羽をひっぱってきたリカ。 「竹井。 待てってば。 竹井！？」 夢中で走ってきて急に我に返る。立ち止まった二人。 息が切れる。 「一体何なんだ？」ちょっと腹立たしそうな天羽の声。 それはそうだろう。わけもわからずひっぱられたのだから。 天羽を見てー急にリカは泣き出した。 「ちょ、ちょっと、おい。竹井？」 肩をゆすぶるが、ただ泣き続けるリカ。 そのまま天羽の胸で泣きじゃくる。天羽はお手上げだ。 だが、さっきのがリカの父らしいことは察していた。 こないだ立木の話も聞いている。「何年も別居状態」 リカにはリカの痛みがあるのだろう。 人の痛みをどうにも見過ごせない天羽。 仕方なく、そのまま抱えてやるしかなかった。 その横を車が通り過ぎた。 「あれ、天羽さん？」あたるが気づく。 「え？」 引き取りに出ていたあたると遙だった。天羽は留守番のはずなのに。 キッと急停車する。 振り返る二人の目に、濡れたままリカを抱きしめている天羽が映った。 「あれ・・・誰？」遙が目を丸くして聞く。 「・・・リカさん。」問われるままにつぶやくあたる。 「知ってるの？」 「あ、ええ。多分。」遙にどういえばいいのか。 「どうする？」 「どうするって・・。」 聞かれても困る。 いや、聞きたいのはあたるの方だった。 さっき店で別れたのに。なんでこんなところでリカをー？ 驚きで痛む胸。 もう一度窓から後ろを覗く。 すると気配でも感じたのか、天羽もこっちを見る。 二人の視線がぶつかった。天羽の眉が寄る。 それを見たあたるは前に向き直る。 「行きましょう、遙さん。」 「いいの？」 「いいです。」 遙はあたるの顔を見て、「うん」と車を発進させた。 遠くなる車。動けない天羽。視線だけがあたるを追いかけていた。 店に着いたあたると遙は、とりあえず品物を濡れないように運び込んだ。 「雨、あんまりひどくならなくて良かったですね。」 「そうね。」 あたるは一生懸命、平静を装っているように見える。 「今日、急ぐんでしょう？ もういいですよ。」 「あたるさん、天羽君のこと。」 遙の顔を見るあたる。 「あんまり気にしない方がいいわよ。彼、誰にだって優しいから。 多分そのせいよ。」 「遙さんもそうしてたんですか？」ふと聞いてみる。 「え？」 「天羽さんとつきあってた頃。」 聞き返されて言葉に詰まる遙。 確かにそうだったかな。誰にでも優しすぎる彼にいらいらしたこともあった。 でも知らんぷりしてた。大人の顔で。 思い直す遙。それがいけなかったんだっけ。 「あたるさん、やっぱり・・。」 「心配しないで下さい。」あたるが微笑む。 「・・・そう？」 生憎、今日は確かに急ぎの用があった。 あたるを気にしつつ、遙は帰っていった。 天羽の胸でひとしきり泣いたリカ。やっと抱きしめられていることに気付く。 とっても気持ちがいい。父さんと同じ煙草の匂い。 「落ち着いたか？」なのに手をほどいてしまう天羽。 「参るよな、いきなり何なんだ？」 「・・・ごめんなさい。」 落ちていた傘をさしかけてくれると、「ちょっと待ってろ。」 そう言って近くのコンビニに駆け込んだ。 首を傾げているとすぐ戻ってくる。みればタオルを５，６枚買ってきていた。 頭と身体にかけてくれる。 「風邪ひくから早く帰れ。」 そのまま通りにひっぱっていくと、タクシーをつかまえた。 いやいやするように首を振るリカ。 「帰りたくない。」 「いいかげんにしろよ。」天羽の声が少し苛立つ。 「俺もこれ以上面倒は見きれないぞ。 明日会社もあるし、帰って風呂に入って。いいな。」 さすがのリカもそれ以上わがままは言えない。 「じゃな。」天羽はちょっと笑って、ドアを閉めてしまった。 仕方なく行き先を告げる。バックミラーに小さくなる天羽に唇を噛む。 抱きしめてくれたのに、それだけなんだ。 煙草の匂いが懐かしかった。そうだ、父さんー。 リカの胸の中はごちゃごちゃだった。 リカを見送ってようやくホッとした天羽。 次の瞬間、あたるの顔を思い出した。まさかあんなところを見られるなんて。 別にやましいところはないのだが。でも、なんだか−。 自分もすっかり濡れてしまっている。ともかく店にもどるしかなかった。 帰るとすでに店の前には車がなかった。 もう遙は帰ったのか。 引き取りに出かけた二人の留守番をしていたのだが、 ちょっと買い物に出た先で、リカに会ってしまったのだった。 今日は厄日だったかな？ 顔をしかめて店へ入っていく。 「おかえりぃ。」 なんだかいつもと変わらないあたるの言葉。 「あーあ、びしょぬれ。そこ、タオル出しといたよ。早く着替えないと。」 拍子抜けする天羽。あれ？ 「どうしたの？ 早く。」 「あ、あぁ。」ともかく奥で着替える。 「ランドリー、行って来ようか？」店からあたるが聞く。 「あ、いや。あとで風呂行くときにやるから。」 「そうだ、銭湯行って来ちゃえば？ もうあいてるよ、あったまるし。」 時計を見れば確かにもうあいている時間だ。 「そっか。行って来るか。おまえは？」 「あたしはまだ仕事だもん。行っておいでよ。」 その気軽さが妙にひっかかる。 「行かないの？」 「いや。・・・行く。」 「うん。行ってらっしゃい。」 天羽が出かけると、あたるがため息を吐く。 何をどういえばいいのかわからなかった。聞きたいことはいっぱいあるのに。 どうしてリカといたのか。なんで抱きしめてたのか。 ６月祭り以来、リカの話は何もしてなかったのに。 「誰にでも優しいから。」遙の声が聞こえる。 遙の言ったとおり気にしない方がいいんだろうか？ 知らんぷり？ でもー。 胸にわだかまる思い。 時計を見上げる。帰ってきたら、どうしよう。 顔を合わせたくないなー。そう思ってしまうことが苦い。 銭湯へ行って、ついでにコインランドリーで洗濯をすませた天羽。 なんとなく気がせいて、生乾きのまま洗濯物をつっこんだ。 何も言わないあたるが返って気になった。 傘をさして急ぐ。まだ降っている雨にあたりはもう暗い。 店の灯りが見えた。入ろうとするとカギ。あれ？ 「帰ったぞー。」入っても答えはない。 「あたる？」 店にも奥にも姿はない。見れば机に手紙。 『今日は帰るね。』 それだけ。 「あの・・馬鹿！」 天羽は風呂桶を放り投げると、ヘルメットとキーをひっつかんで飛び出した。 あたるは坂を上っていく。紺地に黄色い水玉の傘が揺れる。 どうしたらいいのかわからなくて。でも知らんぷりなんてできそうもなくて。 結局、仕事を終えると帰ってきてしまった。 まずかったかな。でも天羽もとまどっていたし。 見上げる空は雲に覆われて暗い。そんなに激しくないけど降り続く雨。 カヲルの家が見えた。そういえばあそこでさくらを抱きしめてたっけ。 今日リカを抱きしめていた天羽の姿が重なった。 ふいにわかった。そうだ。同じだ。 でもー。 家の門に着こうとした時。 爆音が聞こえた。バイクの音。まさか？ 振り返ったあたるの目の前を遮るようにして、天羽のバイクが急ブレーキで止まった。 「乗れよ。」 ぶっきらぼうな声。メットの下の顔が凄く怒っているのがわかる。 「・・・なんで？」 「いいから乗れ！」 こんな剣幕は初めてみる。ヘルメットを押しつけられる。 わけもわからず仕方なく後ろに乗るあたる。 傘はカヲルの家の門のうしろにかけた。 ものも言わずに発進させた天羽。 あわててしがみついたけど、なんだかとても怖い。 店までのわずかな距離を、天羽は、フルスピードで吹っ飛ばした。 店に着いた。先に入ったあたる。あとから天羽が、足音を鳴らして入ってくる。 ヘルメットを置くと、キーを放り投げてソファにドスンと座った。 やっぱりすごく怒っている。一体なんだろう。 「あの・・」 「なんで逃げるんだ？」天羽がにらむ。 「え？」 「なんでちゃんと聞かずに、勝手に帰るんだ？」 にらみつけられてあたるが怯む。 「言いたいことはちゃんと言えっていったよな？ なのに何で、何も言わないで。黙って逃げるんだ？」 天羽の怒っているわけがおぼろげにわかってきたあたる。 「だってー。」 「わけもきかずに、勝手に納得して帰られたんじゃたまんねーだろ？」 「納得なんてしてない！」 今度はあたるが遮った。 「してないけど。・・・さっき思い出したよ。 前にあなた、さくらを抱きしめてあげたよね。カヲルの家の前で。」 言われて思い出す天羽。そんなこともあったっけ。見られてたんだ。 「おんなじだったよ、さっきのあなた。」 あたるが横を向く。 「なんでリカさんといたのかわからないけど、理由は知らないけど。 あなたの気持ちはたぶんわかるよ。ほっとけなかったんでしょ？」 確かに当たっている。 「それでー何を聞くの？ リカさんのわけ？ それをあたしが聞いても仕方ないよ。 聞けないよ。だからー」 「だから逃げたのか？」天羽はやっぱり怒っている。 「逃げるって・・」 「逃げてるだろ？ たとえおまえが言ったとおりにしろ、それでもちゃんと聞けよ。 言いたいことだってあるだろ？ 何もないのか？ 平気なのか？ 言わなきゃわかんないだろ！？」 「だって。だって。なんて言ったらいいのかわかんないんだもん！！」 あたるが思いっきり叫んだ。 「何を？ 何て？ そうよ、何か言いたいわよ。 あなたが誰かを抱きしめているのを見て、平気なわけないじゃん！ 嫌だよ、嫌！ でも何をどう聞くの？ 怖いんだもん。そんなのどうすればいいの！？」 半分泣き出しそうなあたる。 そう、嫌だった。胸が痛くて重くて。でも聞くのも怖くて。 天羽の言うとおり逃げたのだった。 すると。 怒っていた天羽の表情が、魔法のように消えた。 ツカツカとあたるに近寄ると抱きしめた。 びっくりするあたる。 「だから、そう言えばいいじゃん？ そのまま言えばいい。」 声がもう優しかった。 「こんな、わけのわかんないこと言っていいの？」 あたるがくちごもる。 「わかんなくても、口に出せばちょっとはわかるだろ？」 「・・・うん。」 チクチク刺していた胸の痛みが薄れていく。素直に文句が言える。 「あなたって、やたら優しいよね。昔っからそうなの？」 「昔？」 「遙さんも言ってたよ。誰にでも優しいって。さくらの時もそうだったし。」 「そっかな。」 「そうだよ。なんかーわけわかんないよ。あたしもさくらもリカさんもみんな同じ？」 「バーカ。んなわけないだろ。」 「だって。」 「気持ちが違うの。だから怒ってんじゃん。」 「聞かないから？」 「そ。ちゃんと言えよ。」 「でも、遙さんは言わなかったんでしょ？」 「遙がそう言ったのか？」 「ううん。ただ、気にしない方がいいって。」 「気にしないでいられるか？」 「・・・無理だから逃げちゃったんだよ。」つぶやくあたる。 「無理なんてするな。黙ってないで全部聞けよ。その方がいい。」 あたるが顔を見上げる。 「それでいいの？」 「ん。」 うなづく天羽に安心して胸にもたれる。耳元で聞こえる声。 「さっきの竹井は、俺にもよくわかんないんだよ。 買い物に出たらいきなり会ってさ。なんか、複雑そうだったけど。聞く気もしなくて。」 「複雑？」 「家庭の事情っぽかったな。聞いてないからわかんないけど。」 「家庭の事情・・。」 「それぞれいろいろあるだろ、きっと。」 天羽の言葉は信じられた。ちゃんと聞けば答えてくれるのはわかってる。 「でもー。」 「ん？」 「ううん、何でもない。」 抱きしめられていても、やっぱり言えないことはある。 多分リカは、天羽が好きなんだろうとか。それは確かに思えた。 それから天羽の優しさ。 これからもきっと、こうして人を気遣うんだろう。そうせずにはいられない人なんだ。 あたしはそれを受け止めていけるんだろうか？ 自分自身への不安。 「どした？」あたるの顔をのぞきこむ。 「え？ ううん。でも怖かったよ、あなた。びっくりした。」 「仕方ねえじゃん？ カヲル君ちに入る前につかまえなきゃならなかったし。 ギリギリセーフ？ だったな。」 天羽が笑った。でもあたるの表情に何か感じたのか、急に口調が変わる。 「今日、泊まってけよ。」 「へ？」 「昨日は俺仕事だったし。今日は遙もいたしなー。二人になれなかったろ。」 「だって明日月曜日だよ。仕事でしょ。」 「だからさ。俺が欲求不満にならない内に。」 「えー？」 「嫌か？」 「・・・その聞き方、ずるいよ。」 そう言ってくれた天羽の気持ちが嬉しくて、ギュッと抱きしめる。 耳まで真っ赤になる。 そうだ、気持ちが違う。 抱きしめているのに、こんな風に切なくさせられるのはあたるだけだった。 昔、遙は何も言わなかった。 いつも笑ってたっけ。気にくわないこともあったんだろうに。 お互いが元気なときはそれで良かったけれど、 余裕がなくなってくると、それは重荷だった。 聞いてくれれば話せることも、聞かれないとそのままになる。 それは天羽の性格でもあったけど。 小さなことが積み重なって、壊れた二人。 「ちゃんと伝えなくちゃ駄目よ。」 ３月に遙自身にそう言われた。そのとおりだと思った。 だから全部そのままぶつけて欲しい。 気にしないふりなんてあたるにはできないだろうし、して欲しくない。 何も言わないのを怒ってしまうのは、自分が不安だからだ。 あたるが聞くのを怖がるように、天羽は聞いてくれないのが怖い。 失いたくないから。 リカは自分の部屋でベッドに入っていた。 ずぶぬれで帰ったリカに、心配していた母は質問を浴びせたが、 ろくに答えず風呂に入って、部屋に引っ込んでしまった。 満たされない父への思い。その大きさを自覚した今日。 天羽ならそれを埋めてくれると思った。 あの温かい胸。今までの誰より安心できる。父の分も。 気持ちは強くなる一方だった。 |