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ＶＯＬ．１２　「本気と浮気」




７月。


カヲルはミシンを買い込んでいた。プロ仕様で値段も高い製品。
本腰を入れる決意をしたらしい。
もともと器用で、習わなくてもミシンを使いこなしていたのだが、
今、自分のデザインを立体におこすことに夢中になっている。
時間はかなりきついが、それでも街を歩いて流行のチェックも忘れない。
英会話から帰ってさらにミシンを踏んでいたりする。
会社も忙しく大変そうだが、逆に生き生きしている。



「カヲル、本気だね。」あたるが夕飯の準備をしながらさくらに話しかける。
「ほんとだね。このごろ、洋子虫のことも言わなくなったし。」
「それは言わないだけだと思うけど。」
「そう？　『去る者は日々に疎し』って言うじゃん。」
「そういうあんたこそ、このごろゲソの話しないじゃない。」
つっこまれて黙るさくら。
「たとえ文句だって、ゲソの話しないことなかったのに。」
「いいでしょ、ちょっとお休み。」
「休み？」
「にしてもさ、夕飯作りがすっかりあたるの仕事になっちゃったねー。」
さくらは話を逸らしてしまう。
「やっとくもんだね。あんたももうちょっと手伝ってよね。」
カヲルは夜帰りが遅くなったので、このところの晩ご飯は、
さくらかあたるの仕事になってしまっている。



「あたるは？　そのカラー・・・なんだっけ？」
「カラーコーディネーター。」
「それ。うけるの？」
「こないだ、遙さんの紹介で会ったのよ。その資格を持ってる人に。
　その人はリフォームのカウンセリングとか、インテリアの手配とか、
　いろんなことをやってて、それに生かしてるんだって。」
「それを取ったからって、すぐ仕事になるってわけじゃないんでしょ？」
「うん。でも今の仕事にも生かせるし、そこから広げて行けるんじゃないかって。
　あたしもそう思ったんだよね。今の仕事も好きだし。
　もっとお客さんの要望に、幅広く答えていけるかもって。」
「大丈夫？」
「やってみないとわかんないでしょ。」
「へえ、やる気なんだ。」
「うん。試験ね、１２月なの。半年あるから、やるだけやってみようと思って。」
言葉とは裏腹に、あたるの目がやる気満々なのをさくらは見て取った。
あたるは前に進んでいるんだ。あたしは・・・？




洋子はもう、５ヶ月に入ったが仕事は続けている。
まだ目立たないので社内でも知る人は少ないらしい。
産休を取る予定だが、最終的にどうするかまだ迷っているようだ。



伊倉はこのごろはりあいがない。
さくらが構ってくれないからだ。
せっかく浮気に走っても、さくらのジェラシー抜きでは楽しみが半減するらしい。
「おかしいなー。あいつ、なにやってるんだろ。」



６月祭り以降、リカの天羽への接近はさらにエスカレートした。
天羽がいる限りは天羽のそばに近づこうと必死になる。
帰りも必ず待ち受けている。ちょっとした追っかけ、いやストーカーか。
さすがに目に余って上司に２，３度注意を受けた。
だが当の天羽は何も言わず、それでやっぱりやめられないリカだった。


天羽はと言うと、リカの態度がよくわからなかったのだ。
祭りで皆と会うまでは、社内であたるの存在を知っているのはリカだけだった。
そのリカがなんでやたらと接近してくるのか、謎だった。
つけまわされてるなとは思ったが、何故かリカの本気が伝わってこなかった。
だから軽くかわしてきたつもりだった。
なのに祭り以来、リカは明らかにエスカレートしている。それもよくわからない。
今の天羽はリカに困惑して、どういうべきか迷っていた。



天羽はある日、立木を誘った。
４月末の飲み過ぎ事件以来、立木は天羽になついている。
素直な性格で、リカとも仲がよかった。
飲めない立木は、ウーロンハイのごく薄を頼む。
「あのさ、竹井のことだけど。」
予想していたらしく、困った顔の立木。
「彼女、なんでオレに執着するのか、わかるか？」
「好きだからじゃないですか？」
「そう見えるか？　それにしたってあれはー。」
「・・ちょっと激しいですよね。」
「だろ。」
「天羽さんの彼女のことがわかって、意地になってるんでしょ。」
「いや、竹井は知ってたよ。」
「え？」驚く立木。
「偶然だけど、会社に入る前に会ってるんだ。オレと彼女に。」
「そうなんですか？　なのに？」
「だからわかんないんだ。」


黙る二人。立木がちょっとためらってから口を開く。
「だからかもしれない。」
「ん？」
「彼女がいたからかも。」
「どういう意味だ？」
「リカのー親父さんて、ずっと別居状態らしいんですよ。」
「別居？」
「ええ。リカが小学校の頃から。そのせいかあいつには、
　男性不信とファーザーコンプレックス。両方があるらしくて。
　自分で言ってたんですけどね。」
「へえ。」


「こないだ、リカの学生時代の仲間も一緒に飲んだんですよ。そこで聞いた話だけど、
　どうもあいつは彼女のいる人に惚れる傾向があるらしくて。」
立木の顔がゆがんでいる。
「結構それでトラブってたりもしたらしいです。
　さすがに不倫まではやってないらしいけど。」
天羽は水割りのグラスを手の中でまわす。
「多分ー、一番欲しいものが手に入らなかったトラウマかなぁ。」
立木を見ていた天羽が鋭く言う。
「おまえさ、竹井のこと好きなんだ？」
あわてる立木。
「え？　ち、ちがいますよ。」
「無理してんなー。ちゃんと告白すれば？」
「違いますって。それに、今のリカに何言ったって駄目ですよ。」
言い捨てる立木。
それはそうかもしれない。



「まあ、それはおまえの問題だけど、オレも困るんだよな。」
天井をみあげる天羽。立木がボソッと言う。
「僕、不思議に思ってたんですよ。
　リカにあれだけ迫られて、軽くかわせる天羽さんを。」
「そっか？」
「ええ。でも、こないだ天羽さんの彼女に会って、なんかー納得しました。」
「なんで？」
「なんかー、あったかそうな人だったから。」
「んー。普通だけどな。」
その表情が何より物語っているなと思う立木。
「僕からリカに少し言ってみますよ。」
「いいのか、頼んでも。」
「効き目ないかもしれませんけど。」
「助かるよ。いざとなったらはっきり言うけど、あんまりな。
　女の子に気まずい思いさせるのも可哀想だし。」
迷惑してるだろうにさらりと言う。そういう何気ない気遣いが天羽にはある。
立木にも、リカが天羽に執着する理由がわかる気がしていた。




さくらが突然、伊倉以外の男を連れてきた。
事件だった。


その夜、ひさしぶりに早く帰ったカヲルとあたるは、夕飯を食べ終えた。
さくらはこのごろ、飲んでくることも多い。
「あいつ、最近へんじゃねえの？」
「うん、なんかね。ゲソのことも言わないし。」
「他に男できたんじゃない？」
「えー、さくらに？」信じられないあたる。だがカヲルの予感が的中した。


１０時をまわった頃、玄関の開く音がした。
「さくらかな？」あたるが首を伸ばす。
「ただいま〜。」声がろれっている。
「酔ってるね。」
「またかよ。」
迎えに出ようと腰を浮かせたとき、話し声がした。
「いいからぁ、あがってぇ。」
ひとりじゃない？
顔を見合わせるあたるとカヲル。
ドタドタと現れたのは、さくらと・・・吉良！
あ然と立ち上がる二人。


「あ、この人ね、吉良さん。あたるは知ってるよね。吉良正宗さん。」
カヲルがあたるに目で聞く。うなづくあたる。
「夜分にどうも。」例によって涼しい顔の人喰い男。
「あたると、カヲルだよぉ。」言いながらぐらっと座り込むさくら。
「お、おい。さくら。」カヲルがあわてて手を出す。
「ねむーい。」
「しょうがねえな。寝るなら自分の部屋にしろよ。ほら。」
かついで２階へ連れていくカヲル。残されたふたり。
「・・あなた、さくらといつの間に。」
「いや、店に行くことがあってね。」
「さくらのブティックのお客さん？」
「ま、そんなとこ。」
「男物もおいてあったっけ。」
「あるよ。あそこ人気あるから。」
「・・詳しいんだ。」
「一応ね。職業柄。」
「職業？」
そこへカヲルが下りてきた。


「で、あんた何者？　あたるも知ってるんだ？」
「前に話したでしょ。遙さんの披露宴で。つぶれたさくらを送ってもらったって。」
「ああ、あれがあんたか。でもなんで、さくらと？」
「さくらの店によく行くんだって。」
「仕事でたまたま、さくらちゃんの店にいくことがあったんですよ。それ以来。」
「仕事？」
「俺、モデルやってるから。」
「モデルー？」なるほど。道理でビジュアル系だ。



「失礼だけど、さくらとはどの程度？」
「はあ？」
「さくらと寝たかって事。」なんともぶっきらぼうなカヲル。
「カ、カヲル。もうちょっとソフトに。」あたるがあせる。
「・・・そんなこと申告する義務はないなぁ。」吉良は平気でかわす。
「ま、本人に聞けばいいか。」
「そうだよ。」
うなづきあうカヲルとあたるに苦笑する吉良。
「あんたが幼なじみ。」カヲルに聞く。
「ああ。」
「なるほどねー。」
あたるとカヲルを見比べる。
「ちょっとした父親と母親って感じだね。」
嫌な顔をする二人。あたってるだけに。
「じゃ、俺はこれで。」吉良はさっさと帰っていく。
あたるはあわてて玄関まで出た。カヲルは知らんぷり。



「どうも送ってくれてありがとう。」
一応御礼を言う。
靴をはいてから振り返った吉良は、今気づいたようにあたるを見る。
あたるはガボッっとしたトリコロールＴシャツに、クリーム色のジャージを着ていた。
こういう格好だと、年よりもっと幼く見られる。
吉良の視線が、いつかと同じものになる。
「今日はお姉さんに見えないね。いくつだっけ？」
「・・・２４。」
「そうだ、同い年だった。」
「え？　そうなの？」あたるの方が驚く。
「可愛いよね。タメとは思えない。」
「さようなら。」
頭を下げるとひっこんでしまった。吉良は笑いながら玄関を後にした。



「なんなんだ、あいつは。」憮然としているカヲル。
「さくら、いつの間につきあってたんだろ。」首をひねるあたる。
「ゲソは？」
「さあ。あ、それでこの頃、ゲソのこと言わなかったんだ。」
「さくらが？　浮気か？」
「浮気か、それとも本気か。」
「あいつがねー。」
二人して２階を見上げる。どうなることやら。




翌朝、起きてきたさくらに質問の山。
「あいつ、なんだよ。」
「なんだって、モデル。」
「それは聞いたよ。おまえのなんだ？　つきあってるのか？」
「つきあってるっていうか。」
「寝たのか？」
「カヲル、その聞き方やめなよ。」
たしなめるあたる。さくらは口をとがらせる。
「まだ寝てはないけど・・。」
「まだってことは、その気があるってことか。」突っ込むカヲル。


「ゲソは？」今度はあたるだ。
「あいつ、ずっとああだから。疲れちゃってさ。吉良くん、優しいし。」
「そうかな。」異議をとなえるあたる。
「あの人、わかんないタイプだよ。」
「知りもしないくせに。」
「そりゃ知らないけど、優しそうじゃなかったよ。ねぇ？」
カヲルに水を向ける。
「信用できなさそうな感じだったよな。生意気そうで。」
「なんでよ。すごく優しいんだよ。話も聞いてくれるし。」
ムキになるさくら。
さくらが今、吉良に惹かれているのは確かのようだった。
カヲルとあたるは不安に思いつつも、見ているしかなさそうだ。



２，３日後のお昼頃。あたるが仕事をしていると、珍しく伊倉がやってきた。
「よ。」
「ああ、こんちわ。どうしたの？」
「いやさ、最近さくら、どうしてる？」
「どうして？」ドキッとするあたる。
「この頃遊んでくれないし。俺の他に、男できた？」
鋭い。だてに遊んではいない。でもさくらにしっかり口止めされている。
「いつも帰りは遅いけど、仕事も忙しいんじゃないかな。」
なるべく知らん顔で言う。こういうのは苦手だ。
「ふーん、そう。」
こういうとき伊倉は深追いしない。その辺が大人とも言える。
「で。天羽さんとはうまくいってる？」
「な、なによ。いきなり。」
「意外だったよね。お姉ちゃんと天羽さんがこうもまとまるなんて。」
「どうせ。」
「いや、でもさ。お姉ちゃん綺麗になったし。」
「何も出ませんから。」そっけないあたるだが、赤くなっている。
「あなたもさくらと、本気でと向かい合ってくれたらいいのに。」
「これは俺の性分だからさ。そうそうね。じゃあまた。」
伊倉の後ろ姿に、何となく寂しさを見るあたる。
さくらもなー。あの人喰い男はあんまり・・。
気になるあたるだが、言って聞くさくらでもなかった。




天羽と話した何日か後。
立木はリカをつかまえた。
「天羽さん、困ってたぞ。いい加減にあきらめたらどうなんだ？」
「天羽さんがそう言ったの？」
「ああ。」
「・・・ウソよ。あたしには何も言ってない。」
「天羽さん、優しいからな。なるべくおまえが、自分であきらめるのを待ってんだよ。
　女の子に恥かかすまいとしてるんだろ。わかれよ。」
「わからない。そんなことない。」
リカは断固として首を振る。
「絶対こっちを向かせる。向かせてみせる。向かない人なんていなかったもの。
　あたるさんに負けない。」
ちょっと呆れる立木。


「ほんとだったんだな。天羽さんの彼女のこと、前から知ってるって。」
まずいと顔をしかめるリカ。つい口に出してしまったあたるの名前。
「おまえの昔の友達が言ってたとおりだな。」
「どういう意味よ。」
「おまえは、彼女のいる男ばかり好きになるって。」
身に覚えがあるから黙ってしまう。
「なんでだ？」
「そんなこと。」
「いつかおまえ、自分で言ってたよな。親父さんのこと。そのせいか？」
その言葉は、リカには晴天の霹靂だった。
自分の行動と、父との関係を結びつけて考えたことはなかったのだ。
唖然として言葉がでない。



「自分が甘えられないから、人の彼氏を取ってるのか？」
「やめて。」
「まるで仕返しだな。誰のためだよ。自分のため？おふくろさんのためか？」
「やめてよ！　そんなこと考えてない！　考えたことないわ！！」
「だってさ。」
「あたしが好きになる人が、みんな彼女がいるだけよ！」
「・・・だからって取るのか？」
「え？」
「取ってー。こっち向かせたら、終わりなんだろ。」
反論できないリカ。今まで確かにそうだったのだ。
「簡単に振り向かないから執着してるのか？　
　おまえ、ほんとに天羽さんのこと好きなのか？」
「何が言いたいの？」



「おまえは、本気で人を好きになったことあるのか？」
「だからー何が。」
「相手のこと、考えてないだろ。相手の気持ち。自分のことしか考えてないだろう。
　それじゃあー、そんなんじゃ無理だよ。」
「あたるさんに勝てないって言いたいの？」
「ああ。」
あっさり肯定されて、憤るリカ。
「いいからほっといてよ！　あなたに関係ないでしょう？」
「ほっとけないから言ってるんだろ！？」
思わず出てしまった立木の本音。だが今のリカはそれに気づく余裕などなかった。
睨むように立木を見て、走り去っていった。
残された立木は深く深くため息をついた。

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