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ＶＯＬ．１０ 「６月の祭り」 ６月になった。 入社して３ヶ月め。 天羽の部内の新人達もようやく仕事の内容とやり方のこつを覚えてきた。 結構明るい連中で、まわりにもとけ込んでいる。 中でもリカは、良くも悪くも新人の中心だ。 美人で勝ち気、人をひっぱっていく性格。 そのリカが天羽に好意を持っていることは、今や部内中に知れ渡っていた。 新人研修を終えた後、天羽は通常業務にもどり、又忙しい毎日になっていた。 出先へ行ってしまうことも多く、まだ内勤がほとんどのリカとは会わなくなる。 接点は４月から見れば極端に減っていた。 なのに、いやだからこそか、リカは猛然とアタックを始めた。 さすがに仕事をほっぽってというわけにはいかないが、機会をのがさず接近する。 休み時間はもちろん、帰りも天羽を見逃さない。 端から見ているとこれほどあからさまなこともないが、 仕事はきちんとやっているし、まわりとあわせるのもうまい。 新人だが人をひっぱる力もあるし、新人だから可愛がられる面もある。 何より、こうもはっきりやられると、返ってあっけらかんとしていて文句も出にくい。 リカが天羽を好きなことは、公然の事実となろうとしていた。 だが肝心の天羽はと言うと。 わかっているのかいないのか、適当にそれをかわしている。 誘われてもつきあうのは３，４度に１度。必ず大人数。 行ってもリカの思うような展開になったためしはない。 １次会でさっさと帰ってしまう。 今まで何事につけても、自分の我を通してこられたところがあったリカ。 あたるの存在は百も承知で、それでもさして悪気もない。 リカの悪いクセなのだが。 とはいえ、さすがのリカも、ぼつぼつ限界を感じてきてはいた。 そんなある休日の土曜日。港近くでテラスで６月祭りをやっていた。 毎年６月にやるイベントとして、この辺では有名だ。 リカは、ナツミや立木ら新人仲間と遊びにやってきた。 暇つぶしが名目。でも実は、天羽に会えないかと密かに期待していた。 天羽の住所はこの辺のはずだ。 結構な人出。テラスもボーっとしていると人にぶつかる。 出店もたくさん出ていて、お祭りの雰囲気をぶらぶらと楽しむ一団。 リカの目は人混みの中に天羽を捜していた。 立木に聞いてみる。 「ねえ、そういえば天羽さんてこの近くに住んでるんじゃないの？」 「ああ、そんなこと言ってたな。バッタリ会ったりして。」 ナツミが聞く。 「リカ、天羽さんて彼女がいるんじゃないの？」 ドキッとするリカ。あたるのことは会社の誰にも話していないのに。 「どうして？」 「いつもさっさと帰っちゃうし、飲みに行っても長居しないし。 リカがあれだけ誘っても、まるでその気なさそうじゃん。 第一かっこいいもん。彼女いそうでしょ。」 「そうだよな。結婚してたっておかしくない年だし。」 「そりゃそうだけど。」 ちょっと不機嫌になって横を向くリカ。 その目がとらえた。 「天羽さん。」 「えー、どこ？」 見れば天羽は人波の中、ゆっくり歩いている。 黒のランニングに濃いグリーン柄のシャツをはおっている。 時々あたりを見回すのは、誰かを捜しているようだ。 リカにこづかれて、立木が声をかける。 「天羽さーん。」 ２，３度呼ばれてやっと、こっちに気づく天羽。 驚いて立ち止まると、向きを変えて近づいてきた。 「なんでこんなとこにいるんだ？ それもそろって。」 「いや、ちょっと遊びに来て。」 「天羽さん、一人でしょ。ご一緒しましょうよ。」 リカがここぞとばかり、笑顔で押す。 「いや、俺は人と待ち合わせ。」 リカの笑顔がしぼむ。ナツミが突っ込む。 「彼女でしょ。やっぱり天羽さん、彼女いるんだ。」 天羽はチラとリカをみてからうなづく。 「どんな人ですか？ 会ってみたいなー、天羽さんの彼女。」 ナツミがだめ押しする。 立木がリカを気にしている。リカは唇を噛むと素知らぬ風に甘える。 「まだいらしてないんでしょ。じゃしばらくでも、ね。」 そういうと、強引に天羽の腕につかまった。 苦笑する天羽。こういうとき怒らないのはいつものことだ。 仕方なく皆と歩き始めた。 １０分くらい歩くと、噴水広場へ着いた。 この季節は雨でなければ結構暑い。初夏の日射し。 人々は水のまわりで三々五々楽しんでいる。 すり鉢状の広場は中央に噴水があり、 そこへ向けて四方の階段から流れが注いでいる。 まわりはぐるっと露店。 その一つのヨーヨー釣りで一行が興じていると、ふいに子どもの泣き声が響いた。 一斉に皆振り返る。 広場の中央、噴水のそばにそそぎ込む流れの中で、男の子が泣いている。 全身びしょぬれ。しかも砂遊びでもしていたのか、手足が砂まみれ。 大声で母親を求めるが、何故か近くにいないらしく応えはない。 「迷子かな。」 「可哀想。」 「でも汚いね。」 「やだよね。」 リカもナツミもクスクス笑う。若い女の子の反応はこんなものだろう。 まだ小さいな。ちょうど良介くらいだ。 そう思うと、反射的に天羽は走り出していた。 「天羽さん？」 リカもナツミも、立木も、驚いて見送る。 一直線に階段を駆け下りる。 手をさしのべようとしたとき、別の手がその子を包んだ。 「僕、大丈夫？」 少し日焼けした細い手の主は、水の中に座り込んでいたその子を立たせようとしている。 白いサマーセーターにクリーム色のロングスカート。 その手に何故か、２匹のクジラの風船。 「あたる・・。」 あたるだった。天羽に気づいて驚く。 「天羽さん、ここにいたの？」 待ち合わせはしたものの場所を指定しなかったのは、人出をみこしていなかったからだ。 まあ、会えるだろうと思っていたのだが。 あたるはミニタオルを取り出して、その子の顔をふいてやる。 「あーあ、全部びしょぬれ。こまったねぇ。」 天羽も手を貸しながら聞く。 「坊主、おかあさんは？」 「・・・わかんない。」しゃくり上げる男の子。 どうやら迷子だ。顔を見合わせるあたると天羽。 その子はまた泣き始める。 「ああ、泣かない泣かない。一緒に捜そう。名前、教えて。」 「たくみ。」 「たくみくんね。えーと,、暑いから大丈夫だよね。ちょっと砂落としちゃおう。」 あたるは噴水にたくみをひっぱっていくと、水で手足の砂を落としてやる。 やわらかなスカートが濡れるのもおかまいなしだ。 クジラもしぶきを浴びている。 「あたる、俺がやるよ。」 「大丈夫だよ。ほら、もうきれい。」 そのあと、もういっぺん手足を拭いてやってから、天羽に言う。 「肩ぐるま。」 「へ？」 「肩ぐるまよ。お母さん捜すんだから、目立った方がいいでしょ。」 「ああ、なるほど。」 「たくみくん。お兄さんが肩ぐるましてくれるから、たくみくんもお母さん呼ぼう。」 不安なのか、さっきからたくみは泣きやまない。困った。 あたるは手に持っていたクジラにちょっとためらい、それから１つをたくみに持たせた。 「ほら、これあげるから。お母さん捜そう、ね。」 見ていた天羽は微笑んで、ようやく泣きやんだたくみを肩にのせてやる。 「よし、じゃあお母さんを呼べよ。」 「おかあさーん！」 広場にたくみの声が響く。周りの人が皆立ち止まる。 背の高い天羽に肩ぐるまされ、クジラの風船を握ったたくみはすこぶる目立った。 その呼び声は広場の外へも聞こえただろう。 あたるも天羽も、視線をまわりに走らせていた。 ３，４度呼んだとき、広場の外からかけてくる足音がした。 若い女性が現れ、もっと小さな女の子を抱えて駆け下りて来る。 「たくみ！」 噴水まで走り下りてきた女性にたくみは飛びついた。 「お母さん！」 ホッとしたあたると天羽。女性は二人に頭を下げる。 「すみません。下の子を見ていたスキに、いなくなってしまって。」 「いいえ。見つかってよかったです。」 すると、たくみが握っているクジラを見て、女の子が欲しがり始めた。 離さないたくみ。泣き始める女の子。母親がオロオロしている。 あたるは仕方ないという顔で、女の子にもうひとつのクジラを渡してやった。 「はい、こっちがあなたのよ。」 「そんな、それじゃあ。」あわてる母親。 「いいんです。ねえ、あなたのもいるわよね。」 そう言って笑うあたるを天羽がみつめる。 「すみません。たくみがお世話になった上に。」 「噴水でびしょぬれだから、かぜひかないように気をつけて下さいね。」 「はい。ありがとうございました。」 女の子を抱き、たくみの手を引いて、母親は頭を下げ下げ去っていった。 たくみが振り返って手を振る。 「お姉ちゃん、お兄ちゃん、ありがとう。」 天羽とあたるも手をふって見送った。 それから顔を見合わせる。あたるが冗談めかして言う。 「クジラ、今日こそ一緒に飛ばそうと思ったのに。そういう運命かなぁ。」 ちょっと淋しそうで、天羽は気になる。 「買いに行こう。どこにあったんだ？」 首をふるあたる。 「あれで最後だったの。」 「・・・そうか。」 「お母さんがみつかったんだからいいよね。」 笑顔のあたるにうなづくしかない。 「でもさ、おまえがいるからびっくりしたよ。」 「あたしだって。あの子のところに行くまで、気づかなかったもん。」 「すごい格好になっちゃったな。」 手足もスカートも水で濡れ、砂で汚れてしまっている。 「あの子、良介くんと同じ位だよね。泣き声、聞いていられなかったんでしょ？」 天羽をのぞきこむあたる。 「え？ あぁ。」口ごもる天羽。 「あたしもおんなじ。」いたずらっぽく笑う。 それで走ってきたんだ。天羽の胸に温かな思いが広がった。 肩を抱こうとすると、「汚れるよ」と気にする。 強引に抱き寄せたら、見上げて微笑んだ。 リカたちはその一部始終を見ていた。 ナツミがつぶやいた。 「あれが天羽さんの彼女ー。」 否定したくて否定できない。意識から除外していたあたるの姿。 天羽が走り出したとき、驚いた。 すると反対側から、ほとんど同時にもうひとり走り出したのに気づく。 クジラの風船を持って走る彼女はやたらと目立つ。 あたるだ。リカは直感した。 泥だらけの子どもをなだめ、 自分が濡れるのもおかまいなしに、その子を洗って拭いてやる。 天羽に肩ぐるまさせて、母親を捜す。 無事に母親が見つかって見送った後、何を話したのだろう。 天羽が彼女の肩を抱くまで、一同はただボーっと見ていた。 天羽とあたるが反対側へ歩き始めた。我に返ったリカは思わず声をかける。 「天羽さーん。」あたるは呼べない。 天羽が振り返った。皆がいたのを今思い出したらしい。 「悪い、俺はここで。またな。」と手をふった。 その横で、あたるが軽く頭を下げるのが見えた。 リカには気づいてないのだろう。立木が手をふりかえした。 「じゃまた、会社で。」 そのままふたりはならんで行ってしまった。 ホッとため息をつく立木。 「なんかー、映画みたいだったな。不思議な感じの彼女。 若いし。俺達とそんなに変わらないんじゃないか？ 似合ってたけど。」 皆が思っていたことだろう。 認めはしないが、リカもそう思った。 ３月に会ったときより、ずっと柔らかい雰囲気になったあたる。 天羽の飄々とした温かさとよく似ていた。 「めしにしよっかぁ。」 立木らが気分を変える中、悔しさと妙な敗北感を覚えるリカ。 泣く子どもに駆け寄ったふたりと、無関心だった自分。 その差がそのまま、天羽への距離に思えた。 天羽はとりあえず、濡れたあたるを部屋へ連れて行くことにした。 バイクに乗せようとするとあたるが尻込みする。 「汚れるからいいよ。歩いていく。近いし。」 「バーカ。気にする柄かよ。」 強引にのせてやる。スカートだから横乗りだ。遠慮気味につかまるあたる。 「ちゃんとつかまらないと落ちるぞー。」 わざと急発進すると、あわててしがみつく。 部屋に着くと、着替えに駆け上がっていった。 「ごめんね、すぐくる。」 「見ててやろっか？」 「なにいってんのよ。」 いつになっても赤くなるあたる。いつになってもからかう天羽。 橋の上で待っていると、カンカンと下りてくる音がした。 さっきの白と黄色とはまた違う。コバルトブルーのワンピース。 ストンとしたＡラインは細身のあたるによく似合った。 初夏の日射しにコバルトブルーは涼しそうだ。 「おまたせ。」まっすぐかけてきて、天羽の正面に立つ。 「ん？」 「いや。」微笑む天羽。 「ご飯食べるか？」 「うん。おなか空いたね。」 「何がいい？」 「あたし、スパゲッティがいいな。」 メットを渡すと、エンジンをかけた。 リカ達は近くのファミレスで食事を済ませた。 立木やナツミはもう天羽のことは気にしていなかったが、 リカ一人気分は浮かないままだ。 外へ出た一行がもう一度広場へ向かおうと、そぞろ歩きしている時、 通りの向こうを歩く人にふとリカが目を留めた。 どこかでー。気づいて驚く。 父だった。 もう何年も母と別居状態で、滅多に家には帰らない父。 誕生日とクリスマスには、リカと兄にプレゼントを山と贈ってくる。 でもそれだけ。 この前逢ったのは去年の夏。 リカの就職が決まったとき、祝いだといって二人で食事をした。それ以来だ。 その時もろくに話せなかった。 年に１度か２度しか逢わない人に、何を話せばいいのかわからなかった。 父も同じように見えた。 その父が笑顔で歩いている。 連れ立っているのは女性。母より若く見えるがそう変わらないかも知れない。 でもはつらつとした明るい感じだ。 別居している父がどこに住んでいるのか、誰と暮らしているのか、今まで知らなかった。 知りたくもなかったから。 まさか、この街にいるなんてー。 何を話しているのか、彼女の言葉にこたえて父が何度も微笑んでいる。 それを見ているリカの中に、わき上がってくる混濁した思い。 焦燥と憎しみと、追憶と哀しみ。胸を噛みつくすように広がる。 あの笑顔はーあたしのものだったのに。 あまりの胸の痛みに、むりやり視線を反らせると、今度は別の顔が目に入った。 バイクから降りた天羽とあたるだった。 天羽はすぐわかったが、あたるは着替えたらしく一瞬違う人かと思った。 ブルーのワンピースがさっきより似合うかも知れない。 天羽にメットを渡しながら笑っている。笑顔が素敵だ。 みつめる天羽の表情が、会社では見せない優しい顔だった。 「リカー？」 ナツミが立ち止まっているリカを呼びに来た。 「どしたの？・・あ。」 ナツミもふたりに気づく。天羽とあたるはイタリアンレストランへ消えていった。 「仲いいんだね、あの二人。」 ストレートなナツミの言葉に、さっきの感情がまたわきあがる。 誰もーあたしを見てくれない。 「行こう。」 耐えきれなくなって、リカはその場から逃げた。 約一時間後、天羽とあたるは店から出た。 「おいしかったね。」満足そうなあたる。 「おまえ、よく食べるよな。どこにはいるの？」からかう天羽。 「どうする？ お天気いいし、広場へ戻る？」あたるが聞く。 「いや、広場はやめようぜ。」 「どして？」 「んー、また会いそうだし。」 「え？ ああ、さっきの。会社の人たち？」 「ああ。今年の新人なんだけどさ、うるさそうだから。」 「うるさい？」 「冷やかされそうだし。」視線をあたるに走らせる。 「あたし？」ビックリ顔のあたる。 「なんで？」 「おまえが来る前にも、彼女の話聞かれてるから。」 「へえ。あなた、人気者なんだ？」 「んなわけないよ。研修中面倒みてたから、甘くみられてんじゃねえの？ そういえばさ、おまえと小笠原で一緒だった子がいる。」 「へ？」 「竹井リカって。知ってるんだろ？」 「・・・リカさんがあなたの会社に？」 「しかも同じ部署。」 「うそぉー。４月から社会人って言ってたけど、まさかあなたのとこなんて。」 驚くしかないあたる。 「美人でしょ、彼女。」 「そうか？ どっちかっていうと、強気の固まり。」 「あ、それはそうね。」 「おかげでさ、ヒヤヒヤしたよ。」 「？」 「おまえのこと、しゃべりまくられるかなって。」 「ああ、困るよね。」 「困んないけど、面倒くさいじゃん。でも言ってない。おまえに遠慮してるんだろ。」 「ふーん。」 逆に引っかかりを感じるあたる。 あのリカが遠慮なんてするだろうか。 さっき広場からの帰りがけに声をかけてきた子。 今思い出せば、あれがリカだ。 あたるを見る視線がきつかったのを覚えている。 天羽はそのリカに、やたらとモーションかけられていることは言わない。 言う必要もないと思っていた。二人には関係ないことだ。 「店にもどろっか？」 「いいけどー、仕事しちゃうよ。」 「それもいいじゃん。」 不満そうなあたる。 「まあでも、天気いいからちょっと飛ばすか？」 「うん！」あたるはすぐ機嫌を直す。 「ほんと単純だよな。」笑い出した天羽は、あたるの頭をクシャっとなぜた。 ふたりは広場を避け、湾岸へバイクをとばした。 皆と広場へ戻ったリカ。天羽たちが現れるのをどこかで待っていたが、３時を過ぎた。 イベントも終わる時間だ。もう来ないだろう。 「リカー、ボチボチいこうよ。駅あたりで飲もうって。」 ひきあげる一行。 時折出る天羽とあたるの噂。それはリカにとって二重に屈辱的だった。 今日あたしは、ふられたってこと？ 浮かんでくる天羽とあたる。それに重なる父と女性。 なぜ？ どうして？ 確かな笑顔が欲しいだけなのにー。 リカの胸の痛みは、さらにリカを走らせていく。 |