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ＶＯＬ．９ 「強くなるために」 新宿の高層ホテル。煌めく光の群れを従えた部屋で。 ゆっくりした食事とお互いに身を委ねた時間のあと。 洋子とカヲルがベッドの中で話している。 メールのやりとりはしているものの、やっぱり直接話すことは山ほどある。 洋子の仕事の話。出産への準備の話。 それからニューヨークのファッション。はやりのデザイン。 「５番街よりは、グリニッチとかのほうが私は好きかな。」 「若い人はソーホーへ集まって、自分で作るチームが多いわ。」 「メトロポリタンとか行くとね、意外と参考になることが多いのよ。」 カヲルはそれを丸飲みするように聞いている。 ニューヨーク。デザインの本場。 萎えかけていた夢がどんどん大きくなってきていた。 もちろん今の自分では足りないことばかりだ。 最低限のやるべきことはなんなのか。それが知りたい。 経験なら洋子がはるかに上だ。 カヲルの顔つきが変わってきているのを洋子も感じている。 それが嬉しくたのもしくもあり、また不安でもある洋子。 カヲルの成長はもしかしたら、二人の別れにつながりかねない。 年上の洋子だからこそ感じる不安だった。 でもそれもまた、ふたりの出会いから生まれる道なのだから。 カヲルの行く手を遮るつもりは露ほどもなかった。 今この時があれば、この先の未来も歩いていける。 シングルマザーの道を選んだ、それが洋子の生き方だった。 だからこそ、カヲルも自分を磨くつもりだった。 洋子と生まれてくるこどもを守るためにも。二人をこれからも見つめていくためにも。 強くなりたい。 夜が深さを増してゆく。人が灯りを求める時間だ。目にも。心にも。 隣にいる人が灯りになる。 のどが渇いた。 あたるはふいに目が覚めた。 むっくり起きあがって気づく。天羽の店だ。 そうだ。飲んでたんだっけ。 誰と？ みまわすが誰もいない。何の音もしない。しんとしている。 「天羽さ・・ん？」 答えはない。いつもの場所にメットもない。 いやな夢が戻ってくる。 探しても探してもいなかった。待っても戻ってこなかった。 一人でおいてけぼりにされたクリスマスの夜。 また、いなくなっちゃったんだろうか。 探しに行かなきゃと思うのに足が動かない。 でも、ほんとにいなくなってたら？ 震える足をやっとおろして立ち上がる。 ２，３歩で机にぶつかった。ビールの空き缶が落ちる。 カラカラと床で回る音が響く。 誰もいない。 あたるの目に涙が溜まる。 誰もいない？ その時ドアが開く音がした。 足音が近づいて、部屋の入り口に天羽が現れた。 手にメットとコンビニの袋を下げている。 「あれ、起きたの？ おまえ。」 部屋に入るとメットと袋を机においた。あたるの様子に気づく。 「どした？」 天羽に抱きついたあたる。涙があふれしゃくりあげる。 わけがわからないまま、抱いてやる天羽。 「・・いないんだもん。どっか行っちゃったかと思った。」 了解する。 前もそんなこと言ってたっけ。 『またおいてけぼりにされたかと思って、すごい不安になっちゃった。』 去年同棲していた健に逃げられたことは、あたるのトラウマになっている。 目覚めたらひとりきり。誰もいない。 酔っていたから余計に不安に襲われたんだろう。 力をこめて抱きしめるとあたるを落ち着かせる。 「ちょっとコンビニに水を買いに行っただけだよ。おまえ寝ちゃってたからさ。」 「・・・水？」 「切らしてたから。お前ものどが乾くだろうと思って。」 「・・うん。それで目が覚めたの。」 フッと笑う天羽。 「じゃ、飲むか？」 買ってきたペットボトルを取ると、ソファに座らせたあたるに渡してやる。 開けようとするが、泣いていたせいか力が入らない。 「しょーがねえな。」 開けてもう一度渡してやる。だが、両手で握りしめたまま動かない。 まだ体がカチカチだ。見てるのが切ない。 天羽はあたるの前の床に座り込むと、水をとりあげその手を握る。 「まーだ、落ち着かないんだ。」 あたるは両手を預けたまま。何も言えない。 「言ったろ？」 天羽はあたるの顔をのぞきこみながら、はっきり言う。 「俺ならどこにも行かないよ。」 思わず天羽を見るあたる。 それは以前も言ってくれた言葉だった。 あの時すごく安心したっけ。ううん今も素直に嬉しい。でも。 違うかも知れない。あたるの心が動き始める。 天羽を見つめてゆっくり首をふった。 「行ってもいいの。」 「？」 自分の弱さがわかる。 「どこにも行かない」と言ってくれる天羽の優しさも嬉しい。 それは楽だった。でも、それは縛ることだ。 たとえ言葉でも、天羽を縛ることはしたくなかった。 自分のために。それから天羽のためにも。 もっと強くなりたい。だから。 「いつどこに行ってもいいから、行くときはちゃんと教えて。」 あたるが言った意味は天羽にもわかった。 本人は気づいてはいない。あたる自身の持っている強さも。 それがまた、天羽を惹きつけることも。 「わかったよ。行くときは必ず教える。それでいいのか？」 「うん。」 「でもさ。」天羽はあたるの手を握り直した。 「俺はどこかへ行っても、帰ってくるから。ちゃんと待ってろよ。」 あたるは目をみはる。 「それより、一緒に行く方がいいか。ほっとくとおまえ、迷子だもんな。」 「ひどい。」かすかに微笑む。 天羽は立ち上がると、もう一度ペットボトルを渡してやる。 あたるはようやくそれを飲んだ。 あたるの唇が水で潤って紅い。のどが白い。天羽の目が吸い寄せられる。 飲み終わって一息つくと、目があった。 「？」 「おまえさ、さっき寝ちゃう前、色っぽかったぜ。」 からかうように言いながら、あたるの後ろに寝っ転がる。 「うそぉ。」 からかわれていると思ってふり返るあたる。 すると天羽は右肘をついて寝ころんだまま、あたるをじっとみつめている。 視線にたじろいであたるは目をそらす。 いきなり天羽は手を伸ばすと、あたるの腕をひっぱった。 「きゃっ」 バランスを崩して倒れ込んだあたるを、後ろから抱きすくめる。 長い天羽の腕にあたるの細い体はすっぽり入ってしまう。 「夜這いに来たんだもんな。」 耳元で聞こえる天羽の声にドキッとする。 「せっかく来たんだから、目的は果たさないと。」 「なにそれ。へんな言い方しないでよ。」軽く受け流そうとするあたる。 「じゃ、真面目に。」 口調が変わった。 「披露宴の時さ、ほんと綺麗だったな、おまえ。」 マジにささやかれて、あたるのドキドキは頂点に達した。 何も言えない。動けない。 「こっち向けよ。」 ためらいながら、体を半分天羽に向けようとする。 目と目があって止まる。 また逃げるあたるの顎を天羽の指がつかまえる。 「駄目だって、逃げちゃ。」 そのまま唇を重ねた。 初めは優しく、それから深く長く。昼間のキスよりもっと長く。 今まで自制していた天羽の欲情。その激しさにあたるはしがみつくしかない。 髪に、頬に、のどに、触れられたところから感じはじめる。 知らなかった世界に誘われ入り込む。 初めてじゃないのに初めての顔。 天羽は自分よりずっと年上の男性だったと、今更わかる。 受け止めるだけで精一杯。 その時あたるの携帯が鳴った。 反射的に手を伸ばそうとして、天羽に押さえられてしまう。 「ただいま、取り込み中。」 また唇をふさがれる。 鳴っていた音も聞こえなくなる。 自分のことがわからなくなって、ただ天羽がいることだけがわかる。 そういう感覚は初めてで目が眩む思いだ。 知らず声が漏れる。それが天羽をさらに刺激した。 あたるの携帯を鳴らしたのは吉良だった。 あたるは出ない。 さくらの携帯を借りたときに、ちゃっかりあたるの番号を自分の携帯にも入れたのだ。 最初に控え室前ですれ違った時から、なんとなく興味が湧いている。 美人ていうんじゃないのに、どこか人を惹きつける表情と動き。 彼氏がいると思わなかったので、披露宴でさらわれた時は、 ちょっと悔しい気すらしてしまった。 妹のさくらもなかなか可愛い。勝ち気でストレート。おもしろそうだ。 あたるにかけてみたのは、彼氏とケンカしたからチャンスかと思ったのだが。 出ないって事ははずしたかな。それとももう休んでるのか。 今度、さくらにちょっかいをだしにいってみよう。店の場所も聞いたし。 楽しみをみつけた。吉良はそんな危ない性格の奴だった。 遠くで天羽の声が聞こえる。 「大丈夫か？」 嵐のあと砂浜に打ち上げられた感じだ。体がけだるい。 心配そうな天羽の声。 「おい、大丈夫か？」 うなづいてゆっくり目を開けると視線がぶつかった。 まだ天羽の腕の中だ。ちょっと微笑む。安心する天羽。 「ご感想は？」 「死んじゃうかと思った。」 「そんなに凄かった？」 「こんなの、初めてなんだもん。」 「そーんなにご好評ならもう一回・・・」からかう天羽。 「そうじゃなくて。」あせるあたる。 それからふと、気になったように聞く。 「でも、今まで我慢してたの？」 「ん？」 「ずっと。」 「あのさ、俺はやりたがりじゃないからね。言っとくけど。」 「そうなの？」 「そう。どっちかと言うと淡泊。」 「えー？」 天羽は苦笑する。 「おまえのせいだよ。」 「？」 「今日のおまえさ、やけに綺麗だったから。おまけに酔っぱらうと色っぽいし。 そそられたんだよ。」 「へぇ？」 わけわからない顔のあたる。 「わかってないんだな。ま、そこがいいんだけど。」 笑って、あたるの額にかかっている髪をはらってやる。 「寝るか？ 残念だけど、おまえもういっぱいいっぱいだろ？」 冗句に混ぜる天羽の気遣い。 「うん。・・いい？」 「ん。俺はさ、お前と一緒に眠るのが、夜這いに劣らず気に入ってるから。」 「なに、それ。」 「あったかくて気持ちいいじゃん。」 毛布の下であたるを抱きしめる。一瞬また緊張したあたるだが。 「きゃ、く、くすぐったい。」笑い転げて力がぬけた。 「おやすみ。」 寄り添って目を閉じたとたん、ねむりこんでしまった。 １日いろんなことが重なって、とどめに激しい抱擁。 糸が切れたようだ。 それを見届けた天羽。 あっという間に寝息をたてるあたるにちょっと反省する。 疲れてたのにまずかったかな。酔ってたわけでもないのに。 でも抑えられなかった。抑える気もなかった。 まるごとあたるが欲しかったのだ。 お互いの体が少しわかってきたところで、ついのめってしまった部分もある。 これからもっとのめりこみそうな気もした。 寝よう。 腕の中にあたるがいる。一番眠れるシチュエーションだ。 天羽もストンと眠りに落ちた。 長い長い一日の終わり。 お互いの温もりを感じて、二人の眠りは安らかだった。 |