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ＶＯＬ．６ 「新しい季節」 天羽は臨時だったプロジェクトを終えて、配属先が新しくなることになった。 彼にからんだあの先輩はその後会うこともないまま、３月末で会社を辞めてしまった。 天羽の知らない話であり、どうしようもないことだった。 釈然としないものは残った。 だが怒りにはしなかった。哀しみだけだった。 あたるがいたから、その哀しみも透明なものになった。 ４月。天羽の会社も新入社員を迎えた。 改めて配属された部署で、天羽は新人研修を受け持つことになった。 中途入社だが、すでに中堅とみなされたというわけだ。 天羽の部に配属になるのは男４名女２名。大学出たてのヒヨッコばかり。 にぎやかになりそうだ。 他の部とも併せて１週間の全体研修のあと、各部へ配属。 ３週間の実務研修を、天羽ともうひとりが直接受け持った。。 初日に部の大まかな説明と指導を行う。新人達は結構素直についてきてくれた。 実務研修に入って１週間過ぎたある日。 昼になったので、新人を連れて社員食堂で食事を取った。 新人達の話を何となく聞いていたら、突然女の子の一人から話しかけられた。 「あの・・」 「何？」 「気になってたんですけど、ひょっとして・・。柚木あたるさんの・・？」 こんなところであたるの名前が出てくるなんて予想もしていない。 ギョッとする天羽。 竹井リカという名のその子は、目鼻立ちのはっきりした新人の中でも美人だった。 受け答えもはっきりしていて、研修でもテキパキしている。 「・・何で？」 「やっぱりそうなんですね。こないだ港で見かけたんですけど、遠目だったし、 会社と印象が全然違うから、いまいち自信なくて。」 「港？」 「私、小笠原であたるさんと一緒だったんです。」 「ああ、そうなんだ。」 そういえば、女の子ふたりと一緒に行動したって話だ。 「いろいろ噂はお聞きしたんですよ。まさかここでお会いするなんて。」 「世間は狭いってとこだね。」 すっかり面食らってしまった天羽。 他の子がおもしろそうに聞いてくる。 「えー、何々？」 「ううん。前にね、天羽さんを見たことがあるって話。」ごまかしたリカ。 「ほんと？ どこで？」 あたるのことは黙っててくれるようなので、ほっとする。 こんなところで餌食にされてはたまらない。 まあ、新人同士のコミュニケーションがスムースにとれているのはいいことだが。 つくづく世の中は狭いものだ。 だがリカがごまかしたのは、天羽のためではなかった。 港では遠目に見ただけだ。 一直線に走っていったあたるの先に立っていた影。背の高い細身のシルエット。 印象的だったが、それだけだった。 だから入社式の翌日。 全体研修で紹介された天羽を見たときも、わからなかった。 ちょっとかっこいいなと思っただけで。 ただ、その背格好がなんだか記憶にあるように思った。 思い出したのは３日目。女子社員と話していた彼。 その女子社員と天羽の背のバランスが、あたるとの２ショットを思い出させた。 「あたるさんの彼氏ー。」 確かにそうだ。 興味が湧いた。リカの悪いクセだ。 でもなかなか確かめる機会はないままだった。 全体研修を終えて各部配属となり、天羽らに実務研修を受けて４日目。 リカと、もう一人の新人女子ナツミが失敗をやらかした。 たまたま出払っていた部にかかってきた、得意先からの電話を受けたのだが、 その応対がえらく雑だったようで、おまけに頼まれた連絡を伝え忘れたのだ。 烈火のごとく怒る部長。今にも泣き出しそうな新人二人。 そこへ天羽が割って入った。 「申し訳ありません。研修が行き届かなくて。僕が先方へお詫びに行って来ます。」 「天羽くん、いやしかし。」 「彼らはまだ研修中です。 むろん社外にそれは通用しませんが、これで肝に銘じるでしょうから。 これからですので、勘弁してやって下さい。」 この部長は天羽のことを評価してくれており、再就職にも尽力してくれた人だった。 「君は新人の研修役だったな。仕方ない。 いいか、君たち。社にかかってきた電話を受けたら、 たとえ新人でも社の代表とみなされるんだ。それを自覚したまえ。」 「はい。」 「すみません。」 ふたりはもう一度深く頭を下げた。 ようやく免れた二人を、天羽は休憩室へ連れていった。 コーヒーを渡してやる。 緊張しきったリカと、半べそのナツミ。二人をみつめていた天羽。 「ま、いろいろあるさ。気にすんな。」 そういったその顔が優しくて、それまで固まっていたリカまで泣き出しそうだった。 「こら、泣いてるヒマないぞ。研修の続き、行って来い。」 「天羽さんは？」 「俺はほら、お詫びに行って来る。じゃな。」 二人の頭をクシャっとなぜて、天羽は立ち去った。 見送ったリカは、あたるの言葉を思い出した。 『肝心なときに支えてくれるの。凄く優しいー。』 あたるさんの彼だ。まちがいない。 リカは確信したと同時に思った。この人、優しいー。 その時から、リカは天羽を強く意識し始めた。 だから、あたるのことはみんなには言わなかった。 言いたくなかったのだ。それは自分のためだった。 ４月末。実務研修最終日が無事終了した。 仕事の後、各部で研修の打ち上げが行われた。 それなりに厳しかった実務研修だけに、今日だけだが皆に開放感があった。 新人はもちろん、他の皆ものりのりだ。 ひとり飲めない新人男子がいた。先輩社員が無理に飲ませている。 よくある光景だ。 少し離れて、天羽が心配そうに見ていた。 リカはみんなとはしゃぎながら、その天羽を眼の端にとらえていた。 このごろいつもさりげなく天羽を捜している。 彼は決して皆から浮き上がりはしないが、輪から一歩離れているように見えた。 と、急に立ち上がった天羽。 どうしたんだろうと目で追うと、盛り上がっている男性社員のまっただ中へ入っていく。 見れば、飲めないくせに飲まされていた新人がダウン寸前だった。 他の新人仲間も心配しているが、口が出せない。 上の連中は皆、酔った勢いでやめようとしない。 そこへ天羽が声をかけた。 「もうやめといたほうがいい。」 「なんだよ、天羽。新人研修だぞ。」 「危ないですよ、こいつ。」 「大丈夫だよ、俺達だってなあ。」 「やめときましょうよ。飲みたい人が飲めばいい。 無理して体こわさせてもいいことないですよ。」 言葉は柔らかいが、きっぱりした口調。 一瞬白けかけたその場をフォローするように笑う。 「俺もね、昔つぶれて、翌週まで響いたんですよ。恨み残るんですよ、これ。」 つられるように皆が笑った。 仕方ないなという雰囲気を逃さず、その新人・立木を連れだしていく天羽。 他の新人もホッとしていた。 外で介抱してやっているところへ、リカが水を持って行った。 「天羽さん。」 「お、サンキュ。助かるよ。」にっこり笑った天羽。 見ると立木は顔が青白い。苦しそうだ。 「立木くん、大丈夫ですか？」新人同士、結構リカとも仲がいい。 「ん、ギリギリかな。救急車までいかずにすんだろ。」 「・・だい・・じょうぶ・・す。」 水を飲んだ立木は、かろうじて意識を保っているようだ。 「バカね。飲めないんだからそう言えばいいのに。」 はっきりしたきつい言い方。確かにリカならそう言うだろう。 ぐったりしてもうしゃべれない立木。 「正論だけど、正論ほど言えないよな。」 立木をかばうような天羽の言葉。 「でも天羽さんは、ちゃんと言ったじゃないですか。」 「新人で正論吐くのは、俺の倍勇気いるよ。 新人の内から嫌われるんじゃ辛いだろ。言わなくて正解。」 よいしょと立木に肩をかしてやる。 「送ってくから、後の連中にも飲み過ぎるなって言っといて。」 「はい。」 「君は強そうだけど、気をつけろよ。」 いたずらっぽく笑うと、天羽はそのまま彼を連れてタクシーをつかまえた。 リカが中へ戻ると、ぼやき声がきこえた。 「あーあ、盛り上がってたんだけどな。」 「でも、あれはホント危なかったよ。わかってたくせに。」 「いや、勢いでさ。」頭をかく連中。 「天羽ってさ、いいにくいこともサラッというよな。そのくせうまくフォローするし。」 「なかなか言えないけどな。中途入社したばっかのくせに、いい度胸だよ。」 「面倒見がいいんだな。新人もなついてるじゃん。」 「独特のキャラだよなー。」 中途入社なのか。 なのにこないだといい、いざって時にはっきりものを言えるんだ。 あんな風に言ったけど、決して嫌われてもいない。 研修中もミスを犯す新人達を何かとかばってくれた天羽。 お守り役だからとはいえ、新人達には絶大な信頼を得ていた。 中でも目立ちやすいリカは、フォローしてもらったことも数え切れない。 そのたびにリカの心は、どんどん天羽に傾いていった。 表にあまりださないそういう優しさは、リカには初めてだったから。 今まで逢ったことがなかったタイプだ。 『いざってときに支えてくれるの』 あたるの言葉がまた聞こえる。 そう、あたるさんの彼氏なんだけどー。ううん、だから。 こっちを向かせられるだろうか。向かせてみたい。 向いたらーー。向かなかったらーー。 それはまた、リカの悪いクセでもあった。 自分で自分に加速度をつけて、リカは転がり始めた。 まわりのことなど考えもせず、自分だけの方程式を作って。 答えに無理矢理天羽を代入して−。 あたるは、臨時店長の仕事に少しずつ慣れた。 ４月も終わりになると、忙しさも落ち着いてきたので余裕もできた。 顔なじみにお客さんもできた。 いろいろな人に会えるのも楽しみになる。 インテリアとか品物を見る機会が増えたので、そうしたものへの興味も出てきた。 失敗はもちろんした。 お客さんに謝るのも２度や３度ではなかった。 「また失敗しちゃったよ。」早めに帰ってきた天羽にこぼすあたる。 「今日は何やったんだ？」 「もらっていく品物、間違えるところだったの。」 「おまえ・・やばいじゃん。」呆れかける天羽。 「やばかったー。遙さんいたからよかったけど。」 「まだまだだな。」天羽は笑っている。 「しょうがないでしょ。似た品物があったんだもん。」あたるはふくれた。 「遙も大変。」からかいながら、天羽は缶ビールをほおってくれる。 それでも、「習うより慣れろ」とはよく言ったもので、 失敗にもなんとか対処できるようになってきた。 天羽の忙しさもほどほどの様子なので、安心している。 ひとりできりまわすのは、大変だけどやりがいもあって楽しかった。 さくらは突然コンビニのバイトをやめて、繁華街のブティックの店員に変わった。 元々客として行っていた気に入りの店で誘われたのだ。 あるブランドの男物、女物、両方置いてある店で、雰囲気もいい。 時々、雑誌にも載っているくらいだ。 ちょうどそこの店員がやめたところで、たまたま買い物に寄ったさくらに、 顔なじみになっていた女性店長が声をかけたのだ。 「ね、やってみない？」 「あたしにできますか？」口では言うものの、嬉しいさくら。 「だいじょうぶよ。あなた、うちの服似合うし。前からそう思ってたの。」 「えー、 ほんとに？ じゃやってみようかな。」 モデル並に背が高く、スタイルも悪くないさくらはマネキンというわけだ。 本人もいたく気に入っている。 伊倉はその話を聞いても、特に何も言わなかったが、思わぬ展開が待っていた。 さくらがまわりの男性にやたらとモテ始めたのだ。 田舎にいたときからずっと、伊倉しか目に入らなかったさくらだが、 モテて嬉しくない女はいない。誘われて毎晩のみに出かける。 「ごめーん。先約あるんだ。」 「なに、また出かけるの？ 誘おうと思ったのに。」 「だって約束しちゃったし。今日はお店のみんなも一緒。じゃね。」 「あ、おい。さくら？」 いままでなかったパターンに、伊倉はちょっとあせったようだ。 前よりは連絡をまめにくれるようになった。 ちょっといい気分のさくら。 でもやっぱり浮気をやめない伊倉に、いらついたりもしている。 カヲルは総務での２年目を迎えた。 洋子のつわりは思ったより軽いようだが、それなりにあった。 「あんまり体重増えないみたいだけど、いいのかな。」 つい心配するカヲルにあたるが笑う。 「今は増えすぎると怒られるって聞いたよ。定期検診行ってるんでしょ？」 「うん。あっちはホームドクターをきちんと決めるのがあたりまえらしいよ。」 時折くれるメールを読んではあれこれ心配している。 それがまたカヲルらしい。 結局、出発の時以来、ニューヨークへは行ってなかった。 ４月は会社も忙しく、なかなか休みは取りづらかった。 ただ、こないだのあたるの一言に触発されたのか、英会話を習い始めた。 デザインも少しずつ描きためているし、あれこれ調べたり考えたりすることが多くなった。 それぞれがそれぞれの新しい季節に馴染んでいった。 そうしていつのまにか５月が来た。 |