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ＶＯＬ．４ 「わかってくれる人」 あたるが走り去った後。 天羽は重い足どりでやっと帰り着いた。 店は明かりがついて、ドアも開いたままだ。 奥へ入ろうとしてそこで立ち止まった。 鍋から湯気があがっている。机にお皿とお箸。野菜とつみれ。 コップのそばにあたるのクジラ。 天羽が抱えてきた怒りがどこかへ行ってしまった。 『自分本位だよな、結局。うっとおしいんだよ。』 自分の放った言葉が痛い。 やり場のないものをあたるにぶつけてしまった。 なのにあたるは返してこなかった。 大事な−。 あわてて携帯を出してかける。 とたんに部屋の中で、あたるの携帯が鳴り出した。 忘れていったのだ。ため息をついて切る。 会いに行けばいいのに、あまりにも疲れていた。 鍋の火を止めた。 おなかはすいているのに、食べる気にはなれない。 「風呂行って来るか。」 ひとりごちる。 あたるは自分の部屋へ戻った。その場に座り込む。 やっと会えたのに、何があったんだろう。 言われた言葉より、言っている天羽を見ているのが辛かった。 寝不足の疲れた顔。沈んだ眼。 天羽の言葉も当たっているかもしれない。 自分のためにやっていることだ。 相手のために、何もできない自分が腹立たしくなる。 ボーっとしていたが、仕方なく銭湯へ行くことにした。 カヲルの家には戻れない。 早すぎて心配させるだろう。 銭湯へ向かった天羽は、先に入ろうとしているあたるを見つけた。 浮かない顔でのれんをくぐっていく。 声をかけようとしてやめる。出てくるのを待とう。 大急ぎで入ると、ザッと洗って出てきた。それからあたるを待った。 考え事をしていたあたるは、いつもよりとろかった。 もう帰ったのかと思う頃やっと出てきて、やっぱり浮かない顔で歩きだす。 その前に天羽が立ちふさがった。あたるは怯む。 「あの・・さ。」 言いよどむ天羽。 「携帯、忘れただろ。」 「あ・・うん。」忘れたことに気がつかなかった。 「取りに来いよ。」 「え？」 「鍋だって−、俺ひとりじゃ食べ切れねーぞ、あれ。」 「でも。」 「食べてないんだろ、おまえも。」 小さく頷くあたる。 「帰るぞ。」 あたるの手をつかんで引っ張っていく。 あたるは引っ張られながら天羽を見上げる。 「行ってもいいの？」 その言葉に立ち止まると、前を向いたまま。 「・・悪かったな。八つ当たりして。」 あたるは天羽の気持ちがわかった。 腕につかまる。天羽の心がホッと緩む。 ふたりは並んで一緒に歩き出した。 あたるの作った鍋はおいしかった。 「つみれもおまえが作ったの？」 「へへ。つみれはね、おとうさん直伝だよ。」 「指のかけらでも入ってんじゃねえの？」 「なにそれ。」 すっかりいつもの二人だ。 「あー、腹一杯。久々に食べたって感じ。」 「うん、良かった。」 あたるは嬉しそうにニコニコする。 片づけていて思い出した。 「そうだ、これ。」 遙から預かった招待状を渡す。 「なに？ ああ、式決まったんだ。」 「うん。遙さん、あたしにもくれたんだけど、 あたしが出るのってなんか変じゃない？」 「どして？」 「だって、知り合ってまだ短いし。」 「遙が直接持ってきたんだろう？ なら出てやれよ。」 「・・いいのかな。」 「いいだろ。」 あたるはようやく納得する。 「うん。じゃあ、なに着ていこうかな。」 「教会だろ。ふつうでいいじゃん。」興味なさそうなそぶり。 「そんなこと言って。あ、ちょっと淋しいんでしょ。」 「なんで俺が？」 いたずらっぽく笑うあたる。 「あたしだったら、カヲルの結婚はやっぱりちょっと淋しいって思うだろうから。 違う？」 「どうかな。どっちかって言うと、安心って方が強いよ。 これで二人が幸せになってくれるならね。」 あたるは天羽の横に座った。 「あたしね、ちょっと不安だったの。遙さんのこと。」 「？」 「再婚するってほんとかなって。」 首をかしげる天羽。 「遙さん、あたしの気持ち知ってたから。 嘘じゃないかもしれないけど、無理してないかなって。 でも、式に誘ってくれるんだから大丈夫なんだよね。」 「ああ。良介もなついてるって言ってたし。」 「あなたは相手の人に会ったことないの？」 「いやまだ。遙より年上だって言ってたけど。」 「この招待状、遙さんの名前と日付と場所しか書いてないね。」 「教会だから仲人もいないだろうし。遙、再婚だから簡素にしてるんだろ。」 「遙さん、ウエディングドレスだよね。きれいだろうなぁ。」 夢見るように言うあたる。そんなあたるを見てぽつりと天羽が言った。 「淋しかったかもな。」 「え？」 「おまえがいなかったら、遙の結婚は淋しかったかもな、やっぱり。」 天羽の弱気は珍しい。 「へへ。感謝して。」 「お、いばってるじゃん。」 「えへん。」 あたるのクルクル変わる表情が可愛い。 「おまえさ。」 「ん？」 「なんでさっき、怒らなかったんだ？」 「さっき？」 「俺が八つ当たりしたとき。」 「なんでってー。」 「てっきりいつもみたいに、言い返すと思ってたから。」 「言い返してほしかったの？」 「そうじゃないけどさ。」 考えながらあたるが言う。 「だってあなたも、怒ってなかったじゃない。」 「え？」 「ただ、哀しそうだったから。なにかあったのかなって。」 あたるの洞察にたじろぐ天羽。 「だから言い返す気なんてしなかったの。あたしも哀しくなっただけ。」 そう言って口をつぐんだ。 しばらくしてもう一度天羽が聞く。 「なんで、わかるんだ？」 問われて逆に困るあたる。 「わかってるわけじゃないよ、たぶん。わかりたいとは思ってるけど。」 以前あたるが言った言葉がふいに甦る。 『ほんとに大事に思ってたら、わかりたいって思うんじゃないかな。』 あたるの横顔をみつめる天羽。 わかろうとしてくれているんだ。 昔の身勝手な自分も、今の自分も。 会社に戻ったのは、自分のためだ。 きっと間違っていない。 あたるがここにいるんだから。 そう思える自分を信じよう。 肩を抱き寄せる。 「おまえさ、結構すごいのかもな。」 「なにが？」 見上げるあたるに素直に言う。 「サンキュ。」 ちょっとびっくりしたあたるだが、照れくさそうに笑った。 そのままギューッと抱きしめる。 「うわぉ、どしたの？」あせるあたる。 「たまにはね。」 ひさしぶりの二人の夜は、どれだけくっついても足りない。 天羽が目を覚ますと、もうすっかり明るかった。 時計の針は１０時。よく寝た。ぐっすり眠れた。 しばらく続いた寝不足も解消だ。 見回すとあたるの姿はない。 そうか、今日も店は開けてるんだっけ。 起きあがると、クジラの下にメモがあった。 「遙さんと引き取りに行って来ます。 鍋にスープがあるよ。おなか空いたら食べてみて。」 コンロの片手鍋にコンソメスープが作ってあった。 急におなかが空いてきた。おそるおそる食べてみることにする。 「・・・うまいじゃん。こたつ虫が作ったのかな。」 鍋をカラにした頃、表に車が止まった。 あたるの声がしたと思ったらドアが開いた。バタバタと足音。 「ねえー、起きてる？」 あたるがのぞいた。 「やっと起きたんだ。もう昼だよ。」 「ん−、よく寝た。気持ちよかった。な？」意味深な天羽の台詞。 「へ？ あ・・の。」 あせってしどろもどろになる。クスクス笑う天羽。 「おまえってホント、慣れないよな、俺に。」 「だって。あ−違うよ、手伝って。タンスが重くてふたりでも下ろせないの。」 「了解。」 素早く着替えると、あたるの後を追って表に出た。 遙とあたるが苦労している。 「よ。」 「天羽君、頼むわ。ちょっと重くて。」 「どれ？ 今日のはずいぶんアンティークじゃん。」 ３人がかりで店へ入れたタンスはどうやら年代物だ。 「これ、本店の方がいいんじゃないか？」 「うーん。ちょっと置いといてくれる？ 父と相談するわ。」 「はい。こっちの文机は？」 「そうよね、どうしよう。」 品物の振り分けと搬入が終わって一段落。 「遙さん、コーヒー入れますから・・って、ないじゃない。」 あわててコンビニに走るあたる。 「すぐ帰りますから。」 遙と会うのは久しぶりだ。 「ずいぶん忙しかったんだね、このところ。」 「ああ。参ったよ。サラリーマンはつらい。」 「のんびりしてたから。」 「仕方ないよな。」 笑う二人。 「招待状サンキュ。おめでとう。決まったんだな。」 「ありがとう。まだ忙しいの？」 「いや、一段落したから。」 「あたるさんが、体を心配してたわよ。」 「ん。」 「忙しくてもちゃんと話はしなくちゃ駄目よ。」 「？」 「あたるさんて結構強いから。 何も言わなくても天羽君のこと、一生懸命わかろうとしてる。 だからって甘えないで、大事なことはちゃんと伝えなきゃ駄目よ。」 遙の言葉は今日の天羽には響いた。 「話さなくちゃ夫婦だって伝わらないことが多いのよ、実は。」 ふと今まで聞かなかったことを、聞いてみる気になった。 「遙はさ、良介のことがわかった時、なんで俺に言わなかったの？」 しまったという顔になった遙。ためらっている。 「俺があのころ、バスケットで荒れてて会社までやめちまったせいかな。 確かにあの状態じゃ、子どもができたなんて言えやしないだろうけど。」 「・・・天羽君と別れたときは、知らなかったの、まだ。」 初めて聞いた話。 「そうなんだ？」 「うん。あのころ、天羽君はバスケットやお父さんのことでぐちゃぐちゃだったし。 あたしも仕事のこととかいろいろあっていっぱいで。 そのくせどっちも肝心なこと言えないタチで。 最後はどっちも疲れちゃって。」 「ああ。」思い出す天羽。 「あなたは優しすぎて、言いたいことも言わなくて。 あたしは年上のせいもあって、いい女をついやりすぎて。 結局お互い傷つくのが怖くて、踏み込めなかったんだよね。」 遙の言うとおりだった。 「天羽君とぐちゃぐちゃになったころ、お見合いしてね。 いい人だったからそっちへ踏み切って。 良介のことは最初わからなかったのよ。どっちの子どもか。」 遙は自嘲気味に笑う。 「ひどい話よね。でもね、天羽君とは長かったから、私も重くて辛くて。 忘れるために前の主人頼っちゃって。 二股かけてはいなかったけどすぐだったし。」 辛そうな遙。 「確信したのはね、産まれた後なんだ。覚悟はしてたけど。 前の主人は知らないままなの。悪い女よね。」 「遙−。」 「天羽君に話す気にはならなかったの。 あの後すぐ東京離れちゃったし。 次に会ったのは、良介が産まれて離婚したあとだったでしょ。」 「再会したときはさすがにちょっと迷ったけど、 でも、お互いにもう過去のことだったじゃない？ 子どものために翻すって嫌だった。 それじゃ私、離婚しても成長しなかったことになる。 良介が大事だったから、良介のためにも、自分を大事にしたかったの。」 「でも・・・そうね。ちょっと甘えてたのかな。だから臨時店長頼んじゃったのかも。 良介のそばに居てもらいたかったのかな、少しでも。 あなたには悪いことしたよね。知らないのをいいことに。」 辛そうな遙に天羽が言う。 「でもさ、おかげで俺は−あいつに会えたよ。」 遙が顔を上げる。 「遙が誘ってくれなきゃ、この冬もきっとどこか別の場所へ行ってる。 そうしたら、今ここにはいないぜ、きっと。」 「そうか。そうだよね。私もあなたの役に立ったんだ。良かった。」 笑顔になる。 「この冬ね、だんだんあなたがおしゃべりになったでしょ。 あたるさんの話がどんどん増えていって。どんな人かと思ったの。 会ってびっくりしたけど。ずいぶん若いし。 どっちかっていうと、妹みたいなのかなとも思ったの。」 首をかしげる遙。 「最初心配したのよ。天羽君に太刀打ちできるかなって。 でも、良介のことを聞かれたときわかったの。ああ、強いんだって。 自分の弱さを認める強さっていうのかな。傷つくことを怖がらない強さ。 ちょうど、あなたと私に一番欠けてるものを彼女は持ってる。」 「ああ、そうだな。」 天羽を遙が振り返る。 「わかってるのね。じゃあ大事にして。 確かに強いけど、もろいところもあるわよ、彼女だって。 わからないって尻込みしないで、ちゃんと向き合ってね。」 念を押す遙にうなづく天羽。 「よかった。式の前にこれだけ言いたかったの。安心した。」 ホッとしたように微笑む遙に、聞く。 「遙は？」 「え？」 「ちゃんと向き合ってるのか？ 今度の人とは。」 「でなきゃ再婚しません。１度ー、ううん２度懲りたのよ。」 「良介の父親のこと、話したのか？」 「おおまかにはね。式の時紹介するから。必ず来てね。」 「ああ、必ず。」 遙は手を差し出した。二人は戦友のように握手を交わした。 「幸せになろうね、お互い。」 そこへあたるが駆け込んできた。 「すみませーん、遅くなっちゃった。」 「ほんと、遅いよ、おまえ。」 「へへ。」 「あたしもう行かなきゃ。」 「え？ コーヒー。」 「ごめんね。又今度。」 「じゃあじゃあ、これ。」あたるが差し出したのは、ケーキの箱。 「いいの？」 「おまえ、これ買ってて遅くなったな。」にらむ天羽。 舌を出すあたる。 「良介君に。あと良かったら遙さんのお父さんにも。 ケーキ、召し上がります？」 「甘いもの、大好きなんだ。ありがと。」 微笑むと天羽をふり返る。 「じゃあね、天羽君。また。」 「おう。」 ふたりは表で遙を見送った。 |