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ＶＯＬ．３ 「あいつの哀しみ」 翌朝あたるが出勤すると、すでに天羽の姿はなかった。 ちょっと寂しいが、仕方ない。店を開ける。 バイトとして働くのと店長として働くのは、当然だけど天地ほど違う。 あたるは免許を持っていないので、引き取りは遙に頼むことになった。 時々あたるも一緒に行く。 引き取った品物の整理は、これまでもやっていたので大丈夫だが、 ふたりでやっていたのをひとりでやるのは、やはり忙しかった。 今日は引き取りはなかったのに、夕方にはかなりぐったりした。 ひとりなので緊張しているせいもあるのだろう。 天羽の帰りは遅かった。 仕事の残りに没頭していたあたるが、気がつくと９時。 「あれ？ もうこんな時間。」 うーんと伸びをする。 ひとりだと大変なんだと実感する。 「あいつも遅いなー。」 帰ろうかどうしようか迷った。ホントは顔が見たかった。 でもこんなに遅いんじゃ、帰ってきたらそのまま寝てしまうだろう。 「邪魔かな。あー、おなか空いた。」 とりあえず近くのコンビニまで行って、お弁当を２つ買ってきた。 天羽用に冷蔵庫へ１つしまっておく。 なにしろビールと水しかはいっていない冷蔵庫なのだ。 それから帰ることにする。ちょっと考えてメモだけ置いた。 外へ出ると半月が明るかった。 あたるが帰って３０分ほどしてから、天羽が戻ってきた。 さすがに疲れた顔をしている。 バサッと背広を放ると、水を飲もうと冷蔵庫を開けた。 弁当をみつけて首をかしげる。 バタンと閉めて水を飲みながら気づいた。 クジラがメモを押さえている。 「おかえりなさい。 夕飯食べた？ ちゃんと食べた方がいいよ。 いらなかったら、明日あたしが食べるからおいといて。 おやすみ。 あたる」 天羽の顔が優しくなる。 携帯が１０時半を表示している。 あたるは自分の部屋で弁当を食べ終わっていた。 携帯が鳴った。天羽だ。 「もしもし。」 「弁当、サンキュ。」 声にホッとするあたる。 「今、帰ったの？」 「ん。」 「そっか。もうちょっといれば会えたんだ。」 「なにおまえ、そんなに遅かったの？」 「うん。片づかなくて、ずいぶんかかっちゃった。」 「あんまり初めっから無理すんなよ。」 「そっちもね。ずっとこんなに遅いの？」 「うーん。納品直前のプロジェクトに、助っ人で入っちゃったから。」 「へえ。大変？」 「あと２週間なんだ。ちょっと遅くなること多いかもな。」 「ふーん、そっか。」 週末まで会えないかなという寂しさがよぎる。 「どした？」 「ううん。お弁当、いらなかったら置いといてね。明日食べるから。」 「腹へってんだ。食べるよ。」 「なんだ。」 「なんだってなんだよ。」天羽が笑う。 「へへ。じゃあね。」 「ああ、おやすみ。」 「おやすみ。」 それからしばらくすれ違いが続いた。 朝はもちろん、夜も会えない。土日も出勤している。 あたるも仕事でいつも９時頃までは店に残っているのだが、 天羽の帰りは１１時近いようだ。 なるべく冷蔵庫の中に、軽くつまめる夜食を買って入れておくようにした。 翌日にはなくなっているから食べているらしい。 夜、帰ってくると電話をくれた。 だがそれも毎日とはいかなかった。 顔も見られないのはちょっと辛い。でも大変なのは天羽だから文句は言えない。 体の心配をするだけだった。 つい遙に愚痴る。 「前もこんなに忙しかったんですか？」 「そうでもないけど。どこも納品前は忙しいわよ。 天羽くんて、バスケに熱を上げてた時も結構仕事もやった方だったし。 でなきゃ復帰できないわよね、このご時世に。 期待されてるんじゃない？」 「そうなんだ。」 確かにリストラの嵐が吹き荒れる今、すんなり再就職できたのだから、 当時からそれなりに評価されていたのだろう。 「淋しいんでしょ？」 「へへ。」笑ってごまかすあたる。 「そりゃそうよね。でもちょっと我慢してあげて。」 「わかってるんですけど。」 「うん。」 あたるが天羽には愚痴っていないことも知っている。 遙はあたるの気持ちをわかってくれていた。 あたるはあたるなりの努力も始めた。 このごろは毎朝カヲルと同じ時間に起きて、朝ご飯を作っている。 初めは三日坊主と決め込んだカヲル・さくらだが、どうやら本気だ。 「結局、問題はやる気なんだね。」 今朝も、みそ汁の出汁をとりながらあたるが言う。 「今までどうやっても駄目だったのに、今度は頭に入るもん。」 言いながら、カヲルに味見してもらう。 「どう？」 「ん、ＯＫ。」 まずまずだ。 「あたるがねー。天羽さん効果？」 やっと起きてきたさくらがおちょくる 「なんか変じゃない？その言い方。」 さくらはコンビニのバイトを続けていた。 すっかりヨリは戻ったが何しろ伊倉だ。 「働いてたほうがいいと思うんだ。」 さくらにしては冷静な判断。 カヲルのところには、洋子からメールが時々届いている。 「そろそろつわりらしいんだ。大丈夫かな。」 カヲルの部屋にはその類の本がいつの間にか増えていた。 『丈夫な赤ちゃんを産むために』だの、 『新米パパとママが読む本』だの。 さくらがからかう。でもいかにもカヲルらしい。 「つわりって個人差が激しいってよ。」あたるが味噌をときながら言う。 「うちのお母さんなんて、全然平気だったっていってたもん。」 「店忙しくてそれどころじゃなかったってだけじゃないの？」 ごはんをよそいながら茶々をいれるさくら。 「カヲルんちは？」 「どうだろ。聞いたことないな。」 「おばさんにはまだ言ってないんでしょ。」 「・・無理だよ。」 「そうだよね。」 「初孫だっていうのにね。」 「あはは。」 親のことを言われると、カヲルも弱いが今はどうしようもない。 「生まれたら話すの？」 「うーん・・・、洋子さん次第かな。とりあえず産まれないとさ。」 カヲルの心配事も尽きない。 「食べよう。遅れる。」 もう２週間天羽に逢っていない。 ２週間目の土曜日。 店へ行ってみるとやっぱりいない。ため息をつくあたる。 「今日も仕事なんだ。体壊すのにな。」 冷蔵庫を開けると、夕べ入れて置いたおにぎりと漬け物がなくなっている。 「帰っては来たんだ。ゆうべも電話くれなかったし。」 気分を切り替えて店を開けるあたる。 今日は遙と引き取りに行く予定だ。 天羽が臨時に配属されたプロジェクトは納期日を迎えていた。 再就職早々助っ人に呼ばれて以来、とにかく没頭するしかなかった。 多少の理不尽は飲み込むしかない。 ある意味懐かしくもあったが、久しぶりなのできつい。 夕飯も食べるヒマがないほどで、あたるが入れてくれる夜食は助かった。 必ずメモが置いてあり、それが天羽を和ませた。 だがさすがに、２週間続くと疲れもたまる。 ここ２，３日は帰ると食べて眠るだけ。電話する気力もなくなっている。 上司も気遣ってくれたが、皆同じだから仕方ない。 今日で一段落だ。それが頼りだった。 昼頃カヲルが店へ顔を出した。ひとりの休みをもてあましたらしい。 さくらはゲソと出かけている。 「なに、天羽さん今日も仕事？」 「そうみたい。このところ透明人間だよ。」 愚痴っぽくなるあたる。 「しゃーないよ。こっちもここんとこ３月決算で大変だったもん。 納期はもっと大変だし。そばにいるんだからいいだろ。」 カヲルに言われてはうなづくしかない。 そこへ遙がやってきた。 「あたるさん、出かけるけど。」 「あ、はい。カヲル、ちょっと店番いい？」 「オッケー。」 ４件の引き取りをすませた。車でホッと一息つくふたり。 「あ、そうだ。これ。」 遙が白い封筒を差し出した。 「？」 それは遙の結婚式の招待状だった。５月中旬の土曜日。大安。 思わず遙を見る。 「決まったんですね。おめでとうございます。」 「ありがとう。」 ちょっと照れくさそうな遙がきれいだ。 「天羽さんに渡すんですね。」 「ううん、これはあたるさんの。天羽君のはこっち。」 「え？ 私？」 「うん。来て欲しいんだ、天羽君と。」 「でも、私は。」 「よかったら、さくらさんやカヲル君たちも一緒にどうぞ。教会だから大勢歓迎よ。 でも、天羽君とあたるさんには、必ず来て欲しいの。」 「遙さん。」 「お願いします。」 頭を下げられては否とは言えない。 「・・・はい。」 あたるは頷くしかなかった。遙の気遣いは嬉しかったが。 「約束ね。こっちは天羽君に。よろしく。」 天羽の分も預かった。 無事に納品が終わった。 部内をホッとした空気が包む。天羽もみんなと同じく力がぬけた。 「よーし、今日は飲みに行くか。」 上司の音頭で皆盛り上がる。新参者がぬけるわけにもいかない。 天羽は密かにため息をついた。また遅くなりそうだ。 あたるに逢いたかった。 店へ戻り、引き取り品をおろすと遙は帰っていった。 留守番のカヲルに手伝ってもらって、品物を店内へ運び込む。 座り込んだらカヲルがコーヒーを入れてくれた。 「ありがと。」 もはや勝手知ったるだ。 「それにしても天羽さん、体大丈夫か？」 「うん。ちゃんと食べてるといいけど。」 「２週間ていえば、今日あたり納期だろ。そしたら早く帰るかもよ。」 「そうかな。」 「夕飯、つくっておけば？」 「えー、あたしが？」 「修行してるじゃん。」からかうカヲル。 「まだ無理だよ。」 「鍋ならいいだろ。下ごしらえですむ。」 「あ、そうか。そうだね。そうしよっかな。」 急に元気になるあたる。 「でもここ、鍋あったかな・・・あ、これでいいや。」 「買い物行ってきてやるよ。ひまだし。」 「ほんと？」 「おまえもここんとこ、がまんしてるもんな。」 カヲルの優しさが嬉しい。 「ありがと、カヲル。」 皆で繰り出した居酒屋でトラブルは起きた。 解放感で騒いでいた中、静かに飲んでいた天羽に 思いもかけず、酔った勢いでからんできた男がいたのだ。 急に騒然となる店内。 その先輩は、リストラの危機を感じていたらしい。 そこへ突然中途入社してきた天羽。結構できる。 数年前にいったん退職したという噂も聞こえた。 面識などなかったし、それほど接触があったわけでもないのに、 たまたま彼の不安を煽ってしまったようだった。 「自分の都合でやめたくせに、あっさり戻ってくるのかよ！ コネか？ このやろう！！」 いきなり怒鳴って殴りかかって来たあげく、彼はまわりに押さえられた。 かなり飲んでいたようだ。 嫌われていたらしく、同情する人間もあまりいない。 皆、天羽に声をかけてくれる。 「ひがみだよな。」 「気にしないでいいですよ、天羽さん。」 「自分のできないの、人のせいにしたってさ。」 上司も肩を叩いて「気にするな」と言ってくれた。 天羽は気にしないそぶりで「そろそろ失礼します。」と帰途についたが、 胸の中はやりきれない思いが渦を巻いていた。。 自分が彼に悪意があったわけではない。だが彼を責める気もしない。 昔会社をやめたのは、自分の夢がつぶれた悔しさからだった。 独り身の気楽さと、ある種の自暴自棄。 あのころの自分。今また会社に戻った自分。 まわりにどう見えるかなど、考えたこともなかった。 疎ましく思われて、あたりまえなのかもしれない。 戻ってきたのは間違っていたんだろうか。 ４０代後半で平社員。 彼は彼なりに今の年まで仕事を頑張ってきたのだろう。芽が出なくても。 だがこの不況では年功序列などどこへやら、シビアに能力主義になっていく。 やめてまた戻ってきた奴に、自分の場所を脅かされる。 『自分の都合でやめたくせに、あっさり戻ってくるのかよ！！』 その怒鳴り声が胸に重く響いている。 店を早じまいしたあたるは、鍋の準備を始めた。 カヲルが買ってきてくれた材料の下ごしらえをすます。 「えーと、忘れ物は・・ポン酢がないじゃん。」 あわててコンビニへ走った。 ついでに七味も買って、ぶらぶらと帰り道。 向こうに天羽を見つけた。 笑顔になるあたる。知らず走り出した。 「おかえりー。」 天羽は最初あたるに気づかなかった。 ぶつけられた怒りを抱えて、ここまで帰って来てしまったのだった。 そこへふいにあたるが現れた。 コンビニの袋を下げている。 この２週間逢いたくてたまらなかったのに。 今自分の中には、さっき注がれた行き場のないものが詰まっている。 それはあたるへ向いてしまった。 「またコンビニか？」 その声にあたるが固まる。 「おまえさ、もうちょっと人の身になれば？ 毎日コンビニ物並べられても飽きるだろ。」 言葉が冷たくて返事ができないあたる。 なんでこんなこと言うんだろう。 ・・・でも違う。あたしに怒ってるんじゃない。 これはー何？ 「用意している自分に酔ってるのかもしれねえけど、自分本位だよな、結局。 うっとおしいんだよ。」 言葉には出ない別のものを感じる。 あたるは天羽の眼を見ていた。 赤く充血した寝不足の眼。その奥にあるのは。 哀しい−。哀しみ−。 「何か、あったんだ。」 「え？」 怒りが返ってくると思っていた天羽は、あたると視線があって黙った。 あたるの顔には怒りはみじんもない。 「帰る。ーはい。」 袋を押しつけて、あっさりと踵を返したあたるに驚く天羽。 途中立ち止まると振り返った。 「ちゃんと、食べてね。」 かすかに笑って走り去ったあたる。 天羽はその場に立ちつくした。 |