姉妹を持つことの利点はいろいろある。
中でも恋愛話を打ち明け合えるのは大きいと乙女は思っている。

人生は一度きり。恋に生きる人もいるだろうが、恋だけ追いかけて生きるわけにもいかない。もちろん妙齢の女性として恋の優先順位はかなり高いが、やりたいことは他にもたくさんある。

だからこそ人の話は貴重だ。相手が姉なら恋を美化したり、自分を卑下したりせず修辞粉飾ははぎとって、本音の話ができる。望めばあらゆる部分まで詳細に聞ける。そこまで情報を分かちあえるのは女同士ならでは。

姉妹がいるって素敵。

幼い頃からずっとそう思ってきた乙女だが、一番年が近くて頼りにしている姉からの結婚話は、想像より衝撃だった。姉の相手が、自分がつきあっている彼氏の兄であることが少なからず、かなり、関係あると思う。


「ぷっろぽーっんぐぐぐ」

思わず大声を出したら、初音に息も止めよとばかりに口を押さえられた。
鼻の穴まで塞ごうとするのはどういうわけ。

「静かにして！　小町さんに聞こえちゃう」
「ふんぐぐ？」
「大声出さないで、いい？　わかった？」

うなずかなかったら窒息死だ。全力で首を縦に振ったらようやく解放された。ぜいぜいぜい。空気がおいしいったらない。それにしても。

「なんで小町さんに内緒なの？」
「銀さんが、自分が行くまで言うなって。不意打ちの方が勝率が高いなんて馬券じゃあるまいし。バカよね」

「へえ。それにしても早くない？　光の話がようやくまとまったっていうのに」
「私だって驚いてるわよ」
「前触れもなく突然？　銀さんやるう」
口笛を吹こうとしてやめた。また息を止められちゃかなわない。

「もちろんイエスでしょ？」
「う、ん」
「指輪は？」
「まーだ」
「へえ？　用意周到な銀さんらしくない」
姉の笑みが妙に歪んだ気がする。

「用意周到が聞いてあきれるわよ、ほんとバカ」
「……初ねえ？」
「頭がいいのも考えものよね、ろくなことないわ。気をつけないと」

プロポーズされて承諾したにしては、不穏な雰囲気だ。文句としか聞こえない独り言が続く。

「初ねえってば。どうしたの」

おそるおそる遮ると我に返ったようだ。
コホンと咳払いした初音が乙女に向き直った。

「あのね乙女、聞くのが早すぎるのはわかってるんだけど。あんたはまだ学生だし先のことはわからないし。先回りしすぎると夢やロマンが消えそうだし。けどきっとあんたたちにも関係あるから」
「……初ねえ、何が言いたいのかちっともわからないんだけど」

やっぱりプロポーズって大事件なんだと乙女は実感した。姉妹で一番冷静で現実的な初音が、こんなに脈絡のない話し方をするなんて、初めてだ。
「ああごめん。えーっとどこから言えば」

ほんとにらしくないと思いながら、自宅の自室をうろつく姉を見守る。そのうち、乙女は不安になった。

ずっと同じ部屋で二人一緒に暮らしてきたのに、結婚したら初音はいなくなる。当然よね、結婚するんだから。でも。一人の部屋なんて考えたこともなかった。どれだけ広いんだろう。広すぎて……どうしよう。

「乙女は、鉄くんとつきあってるわけでしょ」
自分の考えにふけって何か聞き逃したようだ。初音の話をしてたはずなのに、どうしていきなり。

「え、え、あたし？　あたしと、鉄ちゃん？」
「そう」
「つきあってるかって？　うん、まあ、そう、だね」
否定はしない、ていうか、知ってるくせに。

「結婚とか考えてる？」

自分がそんなこと聞かれるとは思わなかった。目を丸くした乙女を見て、初音があわてて言葉を探す。
「なんでそんなこと聞くかっていうとね、銀さんが日高の実家のリフォームを考えてて……ううん私が、リフォームを提案したの」
「は、あ？」

初音の思考の線路から自分は完璧に脱線していると思った。ついていけない。話が見えない。そんな思いが伝わったようで、初音は最初から説明し直した。


プロポーズの直後、銀に、店と事務所を作ろうと提案されたこと。
望むなら二人で別居してもいいと言われたこと。
それに対して初音は、実家のリフォームを勧めたこと。
銀はそれから鋼や鉄と相談して、どうやらリフォームが行われそうなこと。

話を呑みこむのにかなりの時間がかかった。プロポーズは壮大な始まり、だったことになる。びっくりだ。

「初ねえはそうしたかったの？」
まずそれが聞きたかった。光と葵の縁がらみで、日高の実家とは何度も行き来している。下町の騒々しさは一見にしかずというやつで、初音はどちらかというと恐れをなしているように思えたからだ。しかし、姉の返事はきっぱり肯定だった。

「そりゃあ誘惑はあったわ。二人きりの方が絶対楽だもん。かなり、誘惑された」
「なのに？」
「銀さんが提案した場所って実家の目と鼻の先なの」
乙女を振り返って初音が浮かべたのは苦笑いだろうか。

「なんだかんだ言っても、銀さんは骨の髄まで長男なのよ。家族と仲が悪いわけじゃなし」
「だよね。なのにどうしてそんな提案したんだろ」
「いろいろね。男の浪漫ていうか頭が固いっていうか。要点は銀さんと鉄くん、両方が結婚してみんなで住むには、実家が狭いってこと。だったら家を直せばって言ったわけ」
「それで良かったの？」
もう一度聞いたのは確認だ。

「家族は多い方がいいでしょ、やっぱり」
「うん、そうよね」
乙女もそう思う。大変なこともあるけど、いいこともたくさんある。まだ長いといえない人生だが、兄弟姉妹がいなかったらなんて考えたくもない。

「だからね」
また話が飛んだ気がする。この「だから」は、どこからどこへ続いているんだろうと、いぶかしみながら姉を見る。

「そのうち、鉄くんから話があるかもよ」
「何の」
何気ない反問だったが、意味ありげな姉の表情に思い当たった。
叫んだ。

「ぷっ？　ぷろぽーっんぐぐぐっ」
「だからっ、大声出すなって言ったでしょうが！」

口と鼻の塞ぎ方がさっきよりも完璧で、ほんとに息の根を止められそうだ。必死で初音の手をひきはがしながら、驚きと酸素不足で、乙女の脳裏はがちゃがちゃのぐちゃぐちゃにひっくり返っていた。



いくらなんでもそれはまだないだろうと思った。

そりゃあもし乙女が、鉄と、け、けけけ……あぁ初音を笑えないと、彼女から聞いた話を思い出す。結婚って身近になったとたん、こんなにも人を動転させるものなのね。

そう、結婚だ。

もし鉄と、けけけーっこん、ふう、するとしたら、リフォームはかなり重要なファクターだ。三世代、じゃなくて三世帯同居。つまり、銀と初音とも同居になる。

嬉しいと素直に思った。初音ともまた、ひとつ屋根の下で暮らせるなんて、笑顔になってしまう。自分がブラコン、ひいてはファザコンなのは自覚していたが、おまけにシスコンだったんだろうか、実は。

もし、そうなるとしたら。

「リフォームの設計段階からいろいろ、言いたいことも出てきそうだなって思ったのよ。特に水廻り」
初音の言いたいのはそこだったらしい。
「だからって意見を言うために結婚ってのは本末転倒だけど」

気遣わしそうな初音に一応神妙な顔はしていたが、乙女にすれば当然至極。そりゃ言いたい。言うわよ。言わせてもらわなきゃ。

意見を言う気は満々だ。
ついでに、嫁にいく気も満々。
初音が銀と結婚するとなれば、その気は満ちあふれちゃぷちゃぷするほど。だがしかし。
「それもこれも鉄ちゃん次第、よねぇ」
ひとりになって腕組みした乙女はうーんと唸った。


誰もまだ想像していないのはしょうがない。なんていっても乙女はまだ二十一だから。でも成人している。ちゃんと自分の気持ちもわかる。

あたしは鉄ちゃんが好き。
鉄ちゃんと一緒になるわ、必ず。

そりゃあ鉄に出逢ってまだ一年経たないし若いし、こっちは学生だし。すぐ結婚ってわけにはいかないだろう。それでも見える。鉄とつながっている赤い糸が。

だからなんとしても、リフォームの設計には参加したい。参加しなきゃ。初音と共同戦線で日高家の台所を預かることになるとしたら、なおさらだ。思案のしどころ、ここが勝負かも。


それから数日は寝ても起きても、授業を受けてもレポートを書いてても、頭の隅でそのことを考えていた。神経も勘も研ぎすまされていたから、鉄からメールを貰った時、自分の直感を疑ったりしなかった。

『会えるかな』

会える『かな』？
鉄がこんな誘い文句を使ったことはない。
こんな遠回しで曖昧な疑問系を鉄が持ち出す理由は、ひとつだけ。

来る、と思った。

今夜に違いない。そうであって欲しい。
もしそうでなかったら？

『もちろん』

返信しながら、乙女はにんまりした。
男なら本能的に恐れをなすような、魔女の笑いだった。





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