待ち合わせしたビストロに遅れて行った光は、初音を見てすぐ悟った。
わざわざ外に自分が呼び出された理由を。

覚悟はしていたし、近々だとわかってもいたが、自分のことで浮かれていたのと、もう少し先だろうと高を括くく　っていたのだ。こんなに早いとは。母の絶叫が聞こえる気がする。

「光」

こっちに向けた顔が輝いているのを、本人はわかってないようだ。複雑な心境ですぐ下の妹を見下ろす。姉二人の時は物理的距離があったからわからなかった。兄妹の結婚でこんなにも動揺するなんて。

桐子も藤尾もいい相手に巡り会ったし、結婚して幸せだと知っている。それでも姉の変化を見なくてすんで良かった。きっと拗ねて、一度ならず文句をつけたに違いない。

しっかりしろ、今日は親父の代わりだぞ。
自分を叱って、光はウェイターにシャンパンを頼んだ。
「いいの？」
「ええて。おめでたいんやから乾杯せんと」

ぎょっとした初音が目を見張る。
「どうしてわかったの、指輪もしてないのに」
だめ押しってやつだなと苦笑する。

「ほんまや。指輪はまだなんか？」
「え、あの、うん。それどころじゃなくて」
苦笑いする妹に首を傾げると、盛大なため息をつかれた。

「なんだか、いきなり借金生活になりそう」
「……なんやて？」
とんでもない言葉を聞かされて、光の兄貴スイッチが入ってしまった。

「ちょうまち、あのむっつりすけべ、稼ぎ頭がしら　て思うとったらギャンブルでもやっとるんか？　借金生活てなんやねん。あかんあかんそないな阿呆と結婚なんかせんでええわ」

こう言うときの関西弁は勢いに勝る。立て板に水でだだだだと流しまくると、さほど大きな声でなくてもイントネーションだけで周りに耳をそばだたせてしまう。初音があわてふためいて光の口を塞いだ。

「やめてって、光。違うの違うってば」
「違うてなんやねん」
「話すからとにかく落ち着いて。また悪目立ちしちゃう」
「また？」
「いいから黙って、まず話を聞いて。いい？」

にらまれたし、ちょうどシャンパンが運ばれてきたので、光は一旦黙ることにした。乾杯の気分はすっかりそがれたが、だからといってしないのもおかしい。念のため確かめてみる。

「なあ、今更やけど。結婚の話やんなあ？」
「う、ん」
気まずそうに、けれどはにかんだ顔には喜びも見えて、こっちの気持ちもごちゃごちゃになる。

「プロポーズされたんか」
「うん」
「返事、したんか」
「うん」
「あいつと、結婚したいんか？」

聞きながら逃げ出したい衝動にかられる。うわあ。こないなこと妹に聞くやなんてもう、どないしよう。兄の葛藤を知ってか知らずか、初音はあっさりと答える。
「うん。結婚する」
潔い返答で本気がわかった。

「ほんならええんや。おめでとう」
「ありがとう、光」
グラスをあわせてやっと、初音の顔がほころんだ。そこで思い出して、光が当惑する。

「やったらさっきのは何やねん。借金生活？」
「あー、うんえっと」
「共働きするんやろ？」
「それなんだけど、会社、辞めることになりそう」
「はあ？」
「それで、向こうの実家の近くに店を作ろうって」
結婚からぴょんぴょんと話が離れていく。

「みせ？　何の。誰の？」
「私のパティスリーと、彼の建築事務所」
「なんや、あいつも独立するんか」
「あと日高の実家もね、リフォームすることになるかも」
「はああ？」

ようやく葵との結婚が収まったばかりなのに、どういうことだ。
待て待て待てとまた怒鳴りたいのを辛うじて、堪えた。

色即是空善男子善女人南無法連華経般若波羅密多。

内心で知ってる限りのお経を唱え、初音の話にじっと耳を傾ける。
聞き終わった光の口から出てきたのはうなり声だけだった。

「えらい、壮大な話になっとるな」
「リフォームの言い出しっぺは私なの。どうしよう」
「どうしようて言われても。けど、良かったんか」
「何が」
「せっかく二人だけの新婚生活がでけたかもしれんのに」
うーんと今度は初音がうなって、上目遣いで光を見た。

「葵さんだってそうできたのに、しなかったじゃない？」
「それはまた別の話やん」
「そうかな。楽な方に逃げなかったんだわ。それって偉いと思う」
そうだなと認める。確かにそうだ。

「憧れなかったわけじゃないけど。銀さんのこだわりと責任感、両方を大事にしたかったし、できたらみんな一緒に暮らしたかった」
「鉄くんと乙女のことはまだ先や。どないなるかわからへんで？」
「もちろんよ。結局、私も大家族で育ってるってこと。難しいことはたくさんあるだろうけど、家族が多い方が好きなんだわ。そりゃあ」

思い出したようにちょっとだけ、眉をひそめる。
「良いことばかりじゃないだろうけど。でもたぶん、良いことの方が多い。じゃない？」

タフやなぁと光は感嘆した。

葵にしても初音にしても、あれだけ色々なことがあって、家族のことで苦しい思いも悲しい思いもしているのに、それでも似たような状況から逃げない、それどころか積極的に選ぶ強さがある。

乙女かて、きっと同じやろな。
そう、光は確信した。

「そんで借金生活か」
「うう、思い出した。自分の店の資金くらいは自分で払わなきゃ。貯金はあるけど足りないだろうし」
「ほんまに店もやるんか」
「やる」
短い断言に決意がのぞく。

「いっそのこと実家を店にしたらどないやねん」
「うーん。でも、日高の家業は大工だし、勤め先は近くても切り離した方がいい気がする。それにあそこで五人、その先もっと増えるかもって考えたら、店まではちょっとね。」
「そおか」
それぞれに子どもができたら確かに……考えるのも怖い。

「いつ結婚するん」
「来春。光の後」
「一緒にやるか」
「やーよ、葵さんとじゃ霞んじゃう、ってのはともかく。長男の嫁ですから、ちゃんとやらないと、ね」
よう考えとるわと感心する。

「店か。やるんやったら本気出さんとな」
「うん」

小町と相談しようと思った。ワールズエンドの財政状況なら藤尾に聞く方が早いか。自分たちも家の改装と結婚式があるが、初音の夢のためにできるかぎり援助をしたいと、母も思うに決まっている。

「そんで？　銀はいつ小町さんに言うん？」
「家のリフォームがはっきりしたらって。足場を固めないと動けないのよ、頭良すぎて」
「あぁそないなとこあるなぁ、あいつ」
「たぶん、まとめて」
「まとめて？」
ふと黙った初音は光の顔を見て、話題を変えた。

「銀さんにね、ひとり決めして考えすぎって怒ったら、妙に嬉しそうな顔してたの」
「そらそやろ」
「どうして？　光、わかるの？」
「わかるけど言わん」
「えーずるい、教えてよ」

結局、銀もシスコンてことやなぁと光は笑った。葵の影響大や、って俺と同じタイプか？　まあええわ。

自分も結婚するくせに、妹の結婚でこない動揺するとは思わんかった。これで乙女まで言い出しよったらどないする。いやいやまさか。乙女はまだ学生やし、鉄はこういうのヘタレっぽいし。

まさか。
まさか、な。



新たなるショックを怖れ、可能性を強引に意識から押し出すものの、妹の結婚を祝う兄の心境、娘を嫁に出す父の心境などなど入り交じって、光の心は複雑だった。





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