工務店での打ち合わせで帰りが遅くなった平日。

腹を減らした鉄が、鋼と家に戻ると、銀が夕食を終えるところだった。葵はまだ帰っていないらしい。家の外にまで焼いたさんまの匂いが充満していて、腹が鳴る。

「おまえと親父の分も焼いてある。葵は会合で遅くなるって言ってたろ」
「助かった。もう死にそうで」
「銀、ビールよこせビール」

「親父、風呂は」
「空きっ腹すぎらぁ」
「せめて手ぐらい洗ってこいって」

言われたとおり手を洗った鉄は、荷物を置きに二階へ上がった。兄がやけに面倒見がいい、というか甲斐甲斐しい気がする。葵がいないときはいつもマメか、考えてみれば。

「鉄ーっ、先に食うぞーっ」
「待て待て、今おりっからー」

考えるより飯だ、でないと倒れっちまう。
荷物を自室に放り込んで鉄はまた階段を駆け降りた。


ちゃぶ台にはすでに皿が並んでいた。メインはさんまの塩焼きだ。手を合わせるのもそこそこに箸をつかむ。肌寒くなってきたので味噌汁の熱さがうれしい。具はなめことシメジとネギだ。

ほうれん草としらすの和え物にかぼちゃと人参とこんにゃくの煮物、ごぼうともやしのきんぴら、白菜の漬け物もある。

スプーンで山盛りにして鉄がご飯にのせたのは牛肉の肉味噌だ。鉄の好物で葵はいつも切らさないようにしてくれる。これさえあればおかずがなくたってご飯が何杯でもいける。


乙女も作れるだろうかと突然思った。作り方を教えてくれるよう葵に頼んでみるか。紙に書いてもらおう。

洗い物はともかく、台所仕事はどうも鉄には向かない。金づちやカンナは扱えても、細かい包丁技や味付けは無理だ。炊飯器で飯を炊くとか、野菜をぶつ切りにして味噌汁に放り込むぐらいが、関の山。

でも乙女も料理はうまいし。

ご飯をかきこむ手が止まって、にまっと笑みが浮かぶ。モデルをやってる今風の女の子が料理もできるとは正直思ってなかった。何度か彼女の料理を食べる機会があったから付け焼き刃でないのはわかっている。それどころか、かなりの上級者だ。


「しょうがないの、我が家じゃ死活問題だったんだから」

ちょっと見では信じられないが乙女の話だと、あの美人の母親は天才的というか天災的殺人的な料理音痴らしい。

「紅茶は最高。味覚も嗅覚もいいのに、包丁持たせたらバイオテロよ」
言い過ぎだろうと思ったが。

「小町さんの料理は父さんしか食べなかったの。でもって父さんは食べたら必ず下痢とか熱とか寝込んだりとか」
それはすごい。

「だから、小学校に上がったら台所に立つのは、我が家の暗黙の了解だったの。自衛手段よ。自分の身は自分で守れってこと」
「はあ」
「光なんてプロ級よ。調理人になったらって何度もすすめたくらい」
「へえ」
「葵さんがうちに入ってくれることになって、実はホッとしてるの。店に雀ちゃんもいるけど、あたしも初音もいなくなったら小町さん、どうするんだろうって思ってたから。自分で作ったもの食べて死んじゃったら、それって自殺じゃない？」

想像してコメントもできなくなった。これといった毒物も使わないのに食べたら死ぬ？　推理ドラマかよ。まさしくバイオテロ。葵と光が同居することになって幸いと言えそうだ。

でも。こっちはどうする。
さんまの身をほぼ食べ尽くし、味噌汁をかきこんだところで、これまで深く考えなかったことに思い至り、鉄の眉が寄った。

料理上手の姉のおかげで、母がいなくても食事に不満をもったことはなかった。何かとうるさい父と、牛のような胃袋の弟たち、さらに仕事まで抱えながら、姉は毎日充実した食事を用意してくれた。

なのに来春、姉がいなくなったら、毎日のご飯は？
どうする。
どうなる。

「鉄」
こっちこそ死活問題じゃなかろうか。
「おい、鉄」
兄も父も葵の幸せを願うので忙しくて、考えてないに違いない。

「て、つ」
「え？　あ、は？」
「は、じゃねえよ。何遍呼んだと思ってんだ」
ビールを飲む兄の顔を見て、鉄は解決策を思いついた。

「そうだ」
「なんだよ」
「銀が嫁さんもらえばいいじゃん！」

タイミングが悪かった。驚いた銀がビールを吹く。
結果、正面の鉄に思い切りかかる。

「きっ、たねーー！」
「なにをっ、げほっ、おまえのせいだろうが」
「何やってんだおめえらは」
「くそ、タオルもってこい鉄、台ふきんもだ」

男三人で畳に四つん這いになって、右往左往するのは情けない。だからこそ、さっきのはグッドアイデアだ。実際、彼女はいるんだし。兄にビールを注ぎ直して、鉄はしつこく言った。

「でさ、さっきの話だけど」
「なんでぇ、さっきのって」
「嫁さんだよ親父。兄貴の」
「なんだなんだ？　銀、聞いてねえぞ」

鉄をにらんでぐいっとビールを飲み干した銀が、たんとグラスをおいた。もしかしてと期待する。

「親父、相談がある」
「なんだ？」
「この家だけどさ、リフォームしないか」
「……なんだと？」
「リフォームって、あのビフォーアフター？　なんとかの匠に頼むやつ……っ、痛えよ銀」

明後日の方角の話に、某テレビ番組を思い浮かべ叫んだ鉄は、兄に頭をはたかれてしまった。

「おまえの仕事はなんだよ」
「へ？　大工」
「匠ってのは大工だろ。うちには正真正銘の匠がいる」
父を指さされて、あぁそうだと気づく。
「なんで人に頼むんだ」
「や、だからその、……でもなんでリフォーム？」

話の元が鉄にはさっぱりわからない。

「三世帯で住めるようにって思ってさ」
「三世代？」
聞き間違いと熟語間違いは鉄の得意技だ。
「だい、じゃなくて、たい。三世帯だ。親父と、俺と初音と」
「はつね？　初音つった？　兄貴、ひょっとして」

鉄の耳は聞き逃さなかった。観念したように銀が上を仰ぐ。
まじ？　もしかして？
期待と驚き半々で身構えた。まさかのまさかだ。

「そうだよ、俺も結婚する」
「……なんだとお？」
「兄貴、やったあ！」

自分の勘の良さを誉めたたえたい。
ついでに実行力のある兄も誉めたたえてやろう、などと考える鉄をよそに、鋼が銀に確かめている。

「そりゃあれか、こないだ会った電球野郎の妹か」
「ああ。三女の初音」
「ちゃんとあれか、申し込んだのか」

そこで微妙な間が空いた。あれ？
間を埋めるように銀が急いでうなずく。
「した。一応、承諾ももらった」

一応、ってのがひっかかった。
なんだよ一応って。

「ちゃんとプロポーズしたのか？　なんかやらかしたんだろ」
「うるせえよ鉄」
「でもそっかー。だから三世帯……あれ？」
改めて鉄が指を折ると、親父に兄夫婦。ひとつ足りない。

「だから聞けって。親父と俺達と、おまえとおまえの嫁さん、みんな一緒に住めるように、リフォームしねえか」

俺の。
嫁さん？

「な、んだとー？」
「なんでええーーーっ？」

乙女のことか？　いやでもだけど乙女は彼女で、嫁さんじゃない。
まだ。
そんなの銀だってわかってるだろうに、なんで？　ええ？


めでたい話から思いもしなかった展開。
まるで、ひょうたんから跳び蹴りだ。
大声で、狼狽えまくるしか鉄にはできなかった。





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