突然、口にしたプロポーズに、銀自身も驚いていた。

「聞こえた？　俺と、結婚しよう」
「け？　けけーっけっこーっ？」

喜ぶどころかニワトリになってしまった初音が、奇怪な叫び声を挙げたので、店中の注目を浴びた。プロポーズで？　彼女と一緒に周囲へ頭を下げまくってから、椅子にへたりこんだ。テーブルの下で足を蹴飛ばされて、むっとする。

「なんだよ」
「それはこっちの台詞でしょ、人をからかって」
「笑い話にしてるのはそっちだろ。そりゃ突然だけど」

語尾が弱くなったせいか、初音に顔をのぞきこまれた。ひょっとして赤くなってるんだろうか、ろくに飲んでないからビールのせいにもできない。

緊張してあたりまえだ。プロポーズなんて一生一度、……のはずが、すでに二回も繰り返しちまってる。なのに返事が、ない。不安を押し殺して説明を試みる。

「ずっと考えてたんだ。葵の結婚も決まったし」
「二人のことと関係あるの？」
「順番としちゃ俺だろ」
「お姉さんの代わりの家事……とか」

冗句のつもりかもしれないが、皮肉にしか聞こえない。
睨んだら向こうは決まり悪そうに口ごもった。

「家政婦の代わりなら家政婦頼むさ」
「だったらどうして」
「なんだよ。俺と結婚する気、ない？」
「な、いわけじゃない、けど」

いまいち逃げ腰の彼女が苛立たしい。気持ちを読み間違っただろうか。ご近所の勢いやにぎやかさに気圧されてたのは知ってるから、「そりゃ」と自嘲が出る。

「おすすめ物件じゃねえよな。けたたましい下町だし長男だし、木造家屋に親父と弟まで付いてるし」
「そんなこと言ってない」
「でもさ、俺はおまえに会って初めて、先のこと考えたんだ。難しいこともたくさんあるだろうけど、おまえとならやっていけるかもって」

本心だ。
初音に会うまで、一緒の未来を思い描いた相手はいない。
だから。

「みなもと　はつねさん」

三度目の正直だ、頼むよと祈る。
祈るくらい、本気だ。

よく策士と言われる。先を読み、用意周到に場を作ってから勝負に出る奴だと。確かにそういうところはあるが、一番大事なものもわかってる。

気持ちだ。

独立心があって仕事に本気で、家族を大事にする。気が強くて人に弱みを見せたがらないが、子どもみたいなところもある、彼女が欲しい。


「俺と、一緒に人生を歩いてください」

初音の目が涙で滲むのがわかった。
いざという時は決断できる女だ。そこにも惚れた。

「はい」
涙に逆らう笑顔がきれいだ。
「結婚します。よろしくお願いします」

「ありがとう」

ふさわしい言葉かどうかはわからないが、他にみつからなかった。ほっと安心感が胸に広がる。緊張が解ける前にしかし、彼女が言葉を足す。
「でも、あの、仕事は続けたいんだけど」

そうだと思い出した。
話は終わってない。銀は気を引き締める。

「おまえさ、店を作ろうと思ったことある？」
「いきなりね。そりゃ夢はあるけど、まだ先よ」
「日高の実家の近く、路地から表通りへの角地にビルがあるんだ。そこに店を作らないか」
「は、あ？」

プロポーズよりも驚かれている気がする。無理もないか。とっくに涙が引っ込んだ目が、正気を疑う色になっていく。いや正気だって。

「自分の事務所のスペースを探してたんだ。三階建てのビルだけど、事務所は二階で間に合う。一階はもともと喫茶店だったっていうからパティスリーにしたらいいと思ってさ。それに、同居が不安なら、三階を自宅にするってのも」

さらに初音が目を剥いた。
そんなに目がでかいとは知らなかった、などと言う暇はない。

「自宅って、誰の」
「俺と、おまえの」
「あなた長男でしょ？　お父さんたちと同居するんじゃないの？　ご家族と話ししたの？」
「まだ」

沈黙数秒。
初音がテーブルをばん、と叩いてまた立ち上がった。


「そういう大事なことはまず、家族と話さなきゃ駄目でしょうが！　第一、立地場所も見ないで店とか言われて返事ができると思うの？　商売なんだからリサーチとか資金とかあるでしょう？　ああもう、あなたって時々一人で突っ走るわよね？　もっぺん説明しなさい！　前言撤回するわよっっ！？」

仁王立ちでにらみつけられた上、前言撤回と言われてびびる。
「……俺、断られたわけ？」
「違う！　話をしなさいってこと！　それと、同居が嫌なんて言ったことないよね？　あたしのことそーんなに協調性がないとか、臆病者だと思ってるの？」

「お客様、お静かにお願いします」
「あ、あ、すみませんごめんなさい。この馬鹿のせいで」

現れたかなり怖い顔の店員に初音は三度みたび　平身低頭する。馬鹿呼ばわりされて一緒に頭を下げながらも、叱られたことに銀は、懐かしさを覚えていた。無性に可笑しい。笑ったらとうとう頭をはたかれた。

「笑ってる場合？」
「笑えちまうんだ、嬉しくて」
「頭叩かれるのが？」
「叱られるのが」
「馬鹿！　頭おっかしいんじゃないの？」
「おっきゃくさまああー！」

今にも居酒屋を追い出されそうなのに、プロポーズが危ういのに、銀の心は滅多にないふわふわな幸福感で満ちあふれている。

同時に決意していた。
これから絶対、何があっても彼女を離すまい、と。





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