翌日、存分に海で遊んでから、ツタたちがローマに戻ったのは夜だった。

ホテルの部屋はそのままだ。シオンはアンジーの部屋に移ったようなものだが、ツタはツインの部屋に一人でいる。ローズの部屋に泊まることも多いが、自分の部屋がある方が良かった。

ローズも「移ってくれば」とは言わない。ありがたいが足りない気持ちもあった。矛盾していると自分でも思う。放っておけ。いずれにしろここで過ごすのもあと少しだ。

ローズは三日後に帰国する予定だ。シオンとアンジーは婚約の報告と、それぞれの家族に会うため、同じ日にイタリアを発つ。一人残っても仕方がないのでツタもアメリカへ戻るつもりだった。

バカンスが終わる。
いつものことなのに落ち着かないのを、気のせいだと言い訳している。


翌朝になって、アンジーがウェディングドレスの下見に行きたいと電話してきた。式の予定も場所もまだだが、ドレスを探すのに早すぎるということはないと、電話の声は跳ねていた。

「というわけで、ローズを一日借りるから」
「丸一日か？」
「一日でみつかるわけないけど、せっかくローズがいるんだもの。どういうスタイルが似合うか意見を聞かせて欲しいのよ。すごく見識のあるんだから」

「見識？　オーバーだな」
「オーバーじゃないわ。なんたってブライダル業の社長ですからね。イタリアに来た目的もドレスの買い付けだって言うし、目が肥えてるわよ絶対」
「ブライダル？　社長？　ローズが？」
初耳だ。

「知らないの？　嘘でしょ。彼女の仕事について聞いたことないわけ？」
黙っていると、アンジーの声は、心配げに変わった。
「ねえツタ、ローズともアバンチュールですませるつもり？　もったいないわよ。あんなに素敵な人を」
「俺にはもったいないって？」
笑ってごまかそうとしたが、アンジーはそれを許さない。

「アバンチュールですませるのがもったいないって言ってるの。女性としてはもちろんだけど、何より人として魅力的だわ。賢くて自立していて、でも優しくて思いやりもあって」
「すごいな。アンジーがそこまでほめるなんて聞いたことがないぞ。ほめ言葉のバーゲンセールだ」
「ツ、タ！」

尖った声が耳に刺さる。
話を逸らそうとするのを見透かされている。

「一度聞こうと思ってた。どうしてちゃんとした恋愛を避けるの？」

ストレートな問いに当惑した。切ってしまってもいいのに、ためらわれた。アンジーはためらわない。

「この先、結婚する気は全くないわけ？」
「ない」
「誰かを愛したことも？」
「おまえとシオンのことは好きさ」
「長いつきあいなのに話してくれたことがないわね。家族は？」
「いない」

断ち切るような一言だった。語らないのは語りたくないからだ。鈍感ではないアンジーなのに、それでも諦めない。

「ローズのことは？」

開いた口から言葉が出なくてツタは驚いた。どうして。
獲物の気配を感じた猟犬のように、アンジーが食いついてくる。

「あなたとローズはお似合いよ。ローズはあなたのことが好きだわ。ツタさえその気になれば」
「アンジー」
遮りながら、気持ちは重くなるばかりだ。

「俺は君にふさわしくなかった。ならローズにもふさわしくないさ」
「でも」
「ローズだってそんなこと期待していない」
「でも」
「今日は楽しんで来いよ」
「ツタ！」

呼びかけを無視してとうとう電話を切った。アンジーの心配そうな顔が目に浮かぶが仕方ない。ツタの愛は尽きてしまったのを彼女は知らない。

『ツータ』

耳元にぶら下がる甘い声を振り切ろうと、ツタはシャワーを浴びた。着替えもすませたところで、今日はどうしようと考える。一人で出かける当てもないが、部屋にこもっているのもつまらない。

ノックの音がした。シオンだった。

「なんだよ、ウェディングドレスを見に行ったんじゃないのか」
「式当日まで見せたくないって。僕も買い物に行くからつきあってくれよ」
「まさかマリッジリングじゃないだろうな」
「マリッジリングはアンジーと選ぶさ。家族に土産を買わないと」
一人でいるよりはマシに思えたので、つきあうことにした。

家族のために、次から次へと品物を選ぶシオンに、いつもながらツタは感心した。買い物にも才能があるなら、シオンは間違いなくそれを持っている。

甥や姪のため絵本を物色するのを見て、ローズを思い出した。小さな貝を集めていた彼女が。
（大きな貝を取ってこようか）
（みつけたら）
諦め悟ったような表情だった。そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。


「ローズのこと、どうするつもりだい」

山ほどのショッピングを終えて、ようやく手頃なバールに入ったとたんだ。心を見透かされた気がして、思わずシオンをにらむ。

「まだ夫婦になってもいないのに、アンジーと同じこと聞くんだな。示し合わせてるのか」
少し皮肉が混じったが、シオンはうなずいている。

「当然だな。彼女はローズを気に入ってるし、何より君を心配してるから。僕もね」
「今まではそんなこと言わなかっただろ」
「相手が違うし、状況も違う」
シオンが真顔になった。

「君とローズのおかげで、僕はアンジーとうまくいった。できれば君たちもと思っても不思議はないだろう？　ローズは素敵な人だし、お似合いだよ」

運ばれてきたビールに逃げ場を求め、ツタは一気に飲み干した。シオンは白ワインを含みつつ、逃がすまいとでもいうようにツタを睨んでいる。目をそらして言葉を濁す。

「それはどうだか」
「何が」
「ローズには、他に誰かいるかもしれない」
「はあ？」
気でも狂ったかという顔で、シオンがこっちを見る。

「彼女に決まった相手がいるって？　君とは遊びのつもりってこと？　彼女がそう言ったの？」
「言っちゃいないが」
「そんな風には見えないよ。そもそも君はどうなの？」
いつもと違って逃がしてくれそうにない。詰め寄られてタジタジだ。

「俺はおまえと違って、そういうのは似合わないんだ。知ってるだろう？」
「君が自分をそう思ってるのは知ってるよ。でも気持ちは？　ローズがどう思ってるかはさておき、君はローズをどう思ってるの？　これっきりでいいわけ？」

いいと、これまでなら言い切れたのに、今は出てこない。空のビールジョッキをにらんでも思い出すのはローズの顔。ローズの声。

『愛してるわ、オギ』

彼女にそういう相手がいるんだとしたら。
いないんだとしたら？
「ツタ」
目を上げると、子どもに言い聞かせるようにシオンが言った。

「こんなに長くそばにいても、アンジーは僕の気持ちに、ついこないだまで気づいていなかった。君たちがいなければ気づかないままだったかもしれない」
「……だから？」

「僕らはエスパーじゃないってことさ。自分の気持ちも相手の気持ちも、最後は言葉にしないと伝わらないんだよ。これきりにしたくないないなら、そう言わなきゃ」

これっきりでいいのかって？
いいはずだ。
いいに決まってる。違うのか。


袋小路に追いつめられた気分で、ツタはイスの背に寄りかかった。ビールはとっくに運ばれているが、手を出す気になれない。開放的なバールにいるのに閉じ込められたようで、心はずっしりと重く沈んでいった。





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