「せっかく来たんだから、一泊しましょうよ」

バールで昼食を取りながらアンジーが言い出し、三人もあっさり承諾した。行動も早い。バールの主人に紹介してもらって、すぐそばの二つ並びのコテージに決めた。一泊するならと夕食まで休むことにした。


ローズとコテージに入ったものの、昼食前からツタは彼女との間に、微妙なわだかまりを感じていた。理由は察していても、信じられなかった。

彼女は大人だ。考え方も物言いも女性というより、人間として成熟していて、ツタ自身が圧倒されることも多い。穏やかで抑制が利いていて考え深い。

その彼女があんな、貝ひとつを気にするだろうか。

思いつきで拾ってきただけの、値段もつかない巻き貝だ。彼女に渡すつもりだったものを、通りすがりの子どもに機嫌取りにやってしまった、それだけのこと。

だが、彼女の憂い顔はどう考えてもあれがきっかけで、ずっとだ。そこは大人なので不機嫌をまき散らすとか、押しつけたりはしない。シオンやアンジーは気づかない程度だが、表情が晴れない。

納得はしなくても、まずかったらしいとわかるので、こっちも奥歯にものがはさまったみたいだ。気を使って不自然になる。どうしたものか。

困った時は寝るに限ると、借りたコテージでツタは昼寝を決め込んだ。朝からの運転と久しぶりの海遊びの後だ。この数日、睡眠よりもローズを抱くのに熱心だったせいもある。潜るように熟睡すると、気分もすっきり目覚めた。

ベッドから跳ね起きると、小さなコテージにローズの姿は見えなかった。大きく開いた窓は海が見える。散歩に出かけたのかもしれない。日が落ちるまでまだ時間がある。鍵とサングラスだけ持って、ツタはコテージを出た。


風と共に潮の香りが押し寄せて、鼻腔から全身を満たしていく。海に浸かる人は減ったようだが、砂浜は相変わらずだ。走っているのは観光客か、地元民だろうか。

道路沿いに歩きながら見下ろしていたツタは、赤茶の髪を見つけて立ち止まった。ローズだ。白いタンクトップに膝丈で断ち切ったジーンズ、羽織った緑チェックの綿シャツが潮風に煽られ、女らしい体の線を浮かび上がらせる。

砂浜にしゃがみ込んで何か探しているようだ。探っては歩いてまたしゃがむ。見つけた何かを、どこから持ち出したのか赤い小さなバケツに入れる。

砂浜への階段を飛び降り、ツタはローズを追った。その間にもまたひとつ見つけたらしく、光にかざしている。小さな、貝？

「ローズ」
「あら」
ツタを見た彼女は、いたずらをみつけられた子どもみたいだった。笑顔で何かをごまかすような。

「何してるんだ」
「貝をね、集めてるの。ほら」
ローズが差しだしたバケツには、小さな貝がたくさん入っていた。桜貝や巻き貝、磨かれた小石もある。

「お土産にしようと思って」
「土産？」
「子どもたちに。買ったものより喜びそうだし。ガラスの小瓶に入れたらきれいでしょう？」

何気ない言葉に、心臓が止まった気がした。
ざらりと指先で貝を混ぜていたローズが、怪訝そうな顔になる。

「どうしたの？」
「君は、君には、子どもがいるのか？」

パチパチと瞬きして、ローズが「あら」と言った。
重大な問いだというのに、全く動じていない。

「私に子どもがいたらおかしい？」
「ああ、いや、待ってくれ。子どもが居るってことは、君は結婚してるのか？」

声が上擦っている。何をうろたえているのか、自分でもわからない。人妻には手を出さない主義だが、気になっているのは自分なりの倫理を破ったかもしれないことか、それともローズが他の男のものかもしれないことか？

これまで情事の相手について気にしたことはなかったのに、今は彼女の返答が遅くて焦っている。このままじゃ呼吸不全で死にそうだ。ツタが仮想心停止で苦しんでいるというのに、ローズはおかしげに笑う始末だ。

「違うわよ」
「違う？」
「私じゃなくて、妹夫婦の子ども。甥っ子と姪っ子よ」

どうにか息が戻ってきたようだ。
鼓動を確認する。

「甥っ子の颯そう　は中学生で、姪っ子のささらはまだ二つよ。すごく可愛いんだから」

ソウ。ササラ。　聞き覚えのある名前だ。
もうひとつ、と思ったが、彼女はそれで口を噤む。

「……二人なのか？」
「どうして？」
「いや、なんでも。……ずいぶん集めたな」
ごまかすようにバケツをのぞきこむと、細い指がまた貝を浚って落とす。

「散歩してたら目についちゃって。そうだ、お土産にしようって」

”目についちゃって”

「……大きいのを取ってこようか？」

口をついた言葉に、バケツの中の手が止まった。ツタを見て眉を曇らせたローズは、すぐに柔らかく微笑む。

「あれば喜ぶわ。見つけたらでいいのよ」

ツタの望んだ答えではなかったものの、「わかった」と言うほかなかった。どんな答えを望んでいたのかも定かではない。

「一緒に捜そう」
「いいの？　ありがとう」

ローズと並んで歩く。
昼間のわだかまりは消えたようだ。それでいいはずなのに、別のわだかまりがツタの中に浮かんで消えない。

『ソウ』と　『ササラ』は、甥と姪だった。
なら。
『オギ』　は？

立ち止まってしゃがみ込むローズを振り返る。傾いた陽射しでレンガ色に輝く髪が、夜明けを思い出させる。あの囁きも。

『愛してるわ、オギ』

その名前を聞けないのは、何故なのか。
目をそらした水平線に、夕陽がゆっくりと落ち始めていた。





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