海沿いの道を、白いコンバーチブルが走っていた。

風にたなびくリボンのように、オーディオからシャンソンがこぼれ落ちている。運転しているのはツタだ。隣にシオン。のばらは後部座席にアンジーと乗っている。

のばらの休暇は終わりに近づいていた。ずっと街で過ごしていた四人だが、一緒にビーチに行こうと珍しくシオンが言い出し、海岸へ車を走らせることにしたのだ。

「テープチェンジよ、シオン」
「なんだってアンジー」
この数日で初めて、シオンがアンジーに非難の目を向けた。

「シャンソンが嫌いだなんて言わないよね」
「聞かされすぎて嫌いになりそう」
「シャンソンは人生を語るのに」

「人生を語らない音楽がある？　多様性は必要よ。ロックにして」
「ジャズでもいい」
運転席からツタが乗っかる。のばらも追随した。
「ポップスでもいいわ」
シオンがのばらをにらんだ。

「君まで」
「ならラジオにすれば。ミュージックチャンネルとか」
多数決で仕方なくテーブデッキを止めたが、シオンはムスッとしていた。しかしラジオのチューナーをひねると、流れてきたのはスタンダードシャンソンだ。

「ほらね」
得意げなシオンとしかめ面のアンジーにツタが笑い出した。シオンが鼻歌に戻り、アンジーが毒づく。三重奏だ。彼らはいつもこうしてきたのだろうとのばらは思った。

いつもどおりということは、のばらも仲間とみなされたわけで、なんとなく嬉しい。道の先には岬に沿うように白波を立てる海が見える。ビーチはすぐそこだった。


砂浜は海水浴客でいっぱいだった。碧い海は明るく輝き、波が打ち寄せる。ビーチチェアの行列はバカンスの象徴だ。パラソルの下、その一つにのばらは寝そべっていた。

少し沖の海で、ツタとシオンがじゃれあっている。大きな浮き輪を島にしながら、潜ったり泳いだり、沈めたり沈められたり、少しもじっとしていない。まるで。
「子犬が二匹、ね」
のばらの呟きを聞きつけ、隣でアンジーが笑った。

「どっちもタフだから、いつまでだって続けるのよね」
「喧嘩しないの？」
「口げんかはしょっちゅうよ。シオンはあれですぐムキになるから。ほんと子どもで」
そっけなく言おうとしても、アンジーの口調から目つきから気持ちがこぼれている。
「そこも好きなくせに」

図星を指されて照れたらしい。プイッと横を向いて本で隠した頬が赤かった。エメラルドグリーンのビキニと、腰に巻いた挑発的なパレオで、見事な肢体を包んでいる。のばらのビキニは白だ。日焼け止めのオイルが欠かせない。

海に目を戻すと、二人はやっぱりじゃれていた。のばらの視線は自ずとツタに注がれる。

この数日、ずっと一緒に過ごしているが、知れば知るほどツタはつかみどころのない男だった。しっかりした経歴と仕事があって、仲間もいる。見た目もいい男だ。文句のつけようはない。

けれど隣で眠っても、目が覚めたら消えているような気がする。頼りがいがあるのに、頼ってはいけないと思わせる。頼ろうとすると離れていきそうだ。

肌と肌を合わせた男女は自然と距離が縮まり、互いのことを知ろうとするものだ。生まれや育ち、家族や兄弟について。しかしツタは何も聞かなかった。自分について語らないように、のばらのことも知りたくない、知るつもりがないのだろう。

アンジーやシオンがいれば、軍にいた頃の昔話や今の仕事の話をすることはある。だがそれも稀だ。無口とは違う、自らの周りに柵を設けているようだった。彼は一人を貫いている。今までも、きっとこれからも。

いっそ、冷たい人ならよかったのに。
理不尽なことを思ってから驚いた。どうしてそんなこと。

「疲れた」
我に返ると向こうのチェアに、シオンが寝そべっていた。
「へとへとだ」
「バカみたい。ツタは？」

アンジーの問いにシオンが指さす。ちょうど浮き輪を持ってツタが砂浜に上がってくるのが見えた。波打ち際を走っていた子どもが、彼の前で転んで泣き出したのも。しゃがみこんで立ち上がらせ、砂をはたくが泣き止まない。

どうするのかと思ったら、ツタは手品のように巻き貝を取りだした。遠目にもきれいな形と色がわかる。目を丸くしてツタと貝を見比べた子どもは、彼がうなずくとようやく笑った。そして貝を持って走りさった。

手を振るツタの笑みが、のばらの胸を締め付ける。
ほんとうに、冷たい人ならよかったのに。

ううん、私が子どもならよかったんだわ。何も求めない、でなければがむしゃらに我が儘を言える子どもだったら、もっと。


歩いて来たツタは浮き輪を置くと、のばらのビーチチェアの足下に座った。オイルを取って手のひらに広げ、のばらの背中に塗ってくれる。ごく自然な、親密な仕草だ。仕草だけは。悔しさを紛らわせようと尋ねた。

「子どもが好きなの？」
「好きってわけじゃないが、目の前で泣かれるのは苦手だ」
「甘いもので釣るわけね」
「うん？　ああ、君にやるつもりだったんだが」
「え」

思わず起き上がったのばらをよそに、オイルを置いてぬるくなったコーラを手に取る、彼。
「沖で潜って見つけたんだ。せっかく持って来たのに、途中でとんびに浚われたってわけさ。まあ泣きやんだから良かったか」

心が騒いだのばらは、ツタを残して波打ち際まで出た。砂浜を右左に見る。子どもの姿はあるはずもない。ツタが不思議そうに後を追ってきた。
「どうした？」
「ううん、その、きれいな貝、だったなって」

情けない声だった。自分で子どものようだと思うほど。
「……まさか。欲しかった、とか？」
「違うわ」

強く言い返したものの、頬が染まった。ツタの顔が見られない。振り返りたくない。
「また取ってくるさ」
「違うったら」

あごをつんとそびやかし、反対の方向へ歩き出した。
「ローズ」
「飲み物買ってくる。ひとりでいいから」

放っておいて。
呑み込んだ言葉を察したのか、それとも驚きすぎたのか、ツタは追ってこなかった。

足下に広がる砂浜の、あちこちに貝が埋もれている。あの巻き貝だって同じ、どこにでもある珍しくもない貝だ。欲しいと言いさえすれば手に入るような。

ううん違う。
欲しかったのはたったひとつ。
彼が自ら、のばらのためにと思いついた、あの貝だけ。

子どもね。
人のことを笑えないわ。


目を上げれば海は空を映してどこまでも青い。
のばらの乱れた気持ちも知らず、ビーチはいよいよにぎわっていた。





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