ツタが仲間と三人でホテルに泊まる時は、ツインとダブルを二部屋予約するのが常だった。ツタとシオンはツイン、アンジーはダブルだ。

シオンとの同室は長いつきあいからの習慣だったが、不満に思うこともなかった。必要なら話す、そうでなければ放っておいてくれる。女を連れ込まないのが暗黙の了解だ。

物静かなシオンは一緒にいて楽な相手だった。
しかし突然、別人が乗り移ったらしい。


テラス席でたらふく飲んで食べた二人が、戻ってきたのは午後遅くだった。滅多にない一日のせいでどちらもベッドに倒れ込んだが、夕方ツタが目を覚ましたのは、あわただしい気配のせいだった。

シオンが部屋中を歩き回っている。腕を組んだりほどいたり、上を向いたり下を見たり、時折、「くそっ」とか「まさか」とか「でも」とか独り言を漏らしている。いつものシオンとはあまりにもかけ離れていて、ベッドに起きあがったツタはあっけにとられた。

「何やってるんだ」

ピタッと足が止まって彼が振り向くと、銀色のマントのようにストレートの髪が翻った。

「まだ戻ってこないんだ」
「誰が」
「アンジーに決まってるだろう！」
ツタの寝起きの頭に、昼間の出来事が遅れて再生される。

「ローズは？」
「彼女の部屋にも電話したけど、戻ってない」
「なら一緒なんだろう？　心配するなよ」
言うだけ無駄だった。シオンの顔をした別人は、不安と心配と後悔を口から垂れ流し続ける。

「やっぱり追いかけるべきだった。突っ立っているだけなんて、でくの坊もいいところだ。日頃の訓練なんて何の役にも立たない」
「シオン、おい」
「君だってそうさ。いつも敏捷でハプニングに強いのに、アンジーをそのまま行かせて」
「ローズが追いかけたじゃないか」
きっとにらまれて首をすくめる。

「アンジーは昔軍人の現役ボディガードだぞ。本気の彼女に素人のローズが追いつけると思ってるのか」
確かにそのとおりなんだが。

「元軍人で現役のボディガードが、半日いなくなっただけだろ。心配しすぎだ」
「今までこんなこと一度もなかったじゃないか」

そのとおりなのでツタは黙った。シオンの足は止まらない。うろうろうろと歩き回り、またツタを呼ぶ。

「どうして飛び出していったんだ？」
二人で残されてからさんざん聞かれたことだが、ツタにしても本当のことは言えず、仕方なくこじつけた理由を繰り返す。

「尾行がばれて、パニックになっちまったんだろ。言ったじゃないか」
「そもそもなんで尾行なんか。せっかく君とデートできるのに」

答えない。答えられない。ツタにすると針のむしろだ。アンジーもシオンも決して鈍くはないくせに、お互いのことには鈍感すぎる。返答に窮しているところにノックの音がした。これ幸いと、ドアを開けに行ったツタは、その場で固まった。

鍛え上げたプロポーションを持つアンジーは、私服はボディコンシャスな服が多かった。こんなドレスは初めて見る。

体の線を推し量らせるような薄くて柔らかいシルエット。膝丈のラインはアシメトリーで、色は魅惑的なサンセットパープルだ。金髪を結い上げ、露わになった左右の耳たぶから、細い鎖が三本揺れている。

絶世の美女がほほえんだ。
赤い唇が、聞きなれた仲間の声を発する。

「入れてちょうだい」
「アンジー？」

美女はツタの脇をすりぬけ、部屋へと入った。あわてて追いかけると、シオンが通路で立ち止まっていた。ありありと見て取れる驚愕と賞賛を浴びて、アンジーの頬が染まる。

おっと、これは。
だがアンジーは断固とした態度でツタに振り向いた。

「あたしは、あなたが好きだったのよ、ツタ。あなたが昼間、言ったとおりだとしても、そう信じていたの」
「悪かったアンジー」
「あたしの気持ちを信じてなかったの？」
「信じてなかったんじゃない。おまえ自身も気づいてない気持ちが、俺には見えていた。それだけだ」

シオンがわけのわからない顔でツタを見て、それからアンジーを見る。視線がそこで吸いついて離れなくなる。

「そうじゃなかったら……可能性はあった？」
アンジーの声がすぼんで、弱々しくなった。爆弾のような性格なのに、不意にのぞかせる可愛らしさも好きだった。だからこそ。

「俺はおまえにふさわしくない」

卑下でも自嘲でもない、真実をツタは伝える。アンジーがようやくそれを受け入れたのがわかった。潤んだ目で大きく息を吐く。

「……見えていたなら、もっと早く教えて欲しかったわ」

言っても信じなかっただろう、とは言わずにおく。瞬きで涙を払ったアンジーが、向き直って呼んだのは。

「シオン」
「なん、だい？」

面食らった声だが、アンジーから目が離せないようだ。無理もない。元から美人だが、これほどゴージャスな彼女は見たことがない。いつものコーディネートじゃないなとひらめいた。妖精が魔法の杖を振ったに違いない。

「笑われると思うけど。怒られそうだし呆れられそうだと思うけど、本気だから信じて欲しいの」
「だから、何だい改まって」
「あたし、あなたを愛してる」

アンジーに爆弾でも投げつけられたみたいに、シオンが一歩下がった。

「いつからなのかわからない。気づいたのは今日よ。バカよね」

彼の口からは何も出てこない。目だけが輝きを増している。希望の光だ。アンジーは勇ましかった。怯まずおそれず、訴える。

「今まであなたをどれだけ傷つけてきたのか、考えるだけで怖い。地球の裏側まで逃げようかと思ったくらい。でも、あなたは逃げなかった。ずっとあたしの、こんなどうしようもない女のそばに居てくれた。励ましてくれた」
「アンジー」
「あなたを誰かに取られそうになって、ようやく気づくような情けない女だけど、もし、そんな女でもいいって言ってくれるなら」

ツタは静かに後ずさった。アンジーのうなじを透かして、シオンの半信半疑の表情が、歓喜へと変わるのを見届けると、そっと部屋を出た。


できればアンジーの部屋に移って欲しいが、そんな余裕はないかもしれない。それどころじゃないよな。エレベーターホールへと廊下を歩きながら、ツタの口元に柔らかい笑みが浮かんだ。

彼らはいずれ、永遠を誓うだろう。刹那の恋しか求めない自分とは真反対だが、仲間の幸せに文句はない。

シオンの積年の忍耐を思えば、一晩部屋を追い出されるくらい安いものだ。飲み明かすなり、女を見つけるなり、術はいくらでもある。女か。アンジーが戻ってきたということは、ローズも戻っているはずだ。ローズのルームナンバーをシオンに聞いておけば良かった。

だからって、今戻るのは出歯亀もいいところ、戻れはしない。フロントに聞いてみようかと思ったが、エレベーターは最上階のバーに着いてしまった。


まだ早い時間だというのに、かなりの人がいた。テーブルで話すグループや、フロアで揺れるカップル。止まり木に座る背中を見て胸が躍った。見上げてきた彼女に素早く口づける。さすがに驚いた顔だ。

「……アンジーは？　シオンは一緒じゃないの？」

心配そうな彼女は昼間の活動的なスタイルと打って変わって、花模様のサンドレスに薄い上着を羽織っている。目の保養だ。

「たぶん今頃、メイクラブの真っ最中じゃないか」

そう答えたとたん、彼女の顔にぱあっと笑みが咲いた。心から安心したような笑顔だった。きれいだな、畜生。

「君のおかげだ。いつもと違うアンジーに、シオンは釘付けだった。魔法の杖を振ったようだな」
「もともと美人だもの。どう思った？」
「むしゃぶりつきそうだった」
満足げにローズが笑む。

「だが勿体ない。せっかくドレスアップしたのに、見たのは俺たちだけだ」
「あなたたちに見せるためよ」
「たち？　シオンだけでいいんじゃないか？」

ローズが呆れたように言った。
「しっぺ返しよ。わかってないわね」
その意味をツタは察した。女は怖い、とは言うまい。

「ひとつ問題が残った」
「どんな？」
気がかりな顔に笑い返す。
「シオンと俺は同室なんだが、今夜は戻れそうにない」
「あら」
ローズの声が曖昧だ。

「助けてもらえると嬉しいんだが」
「私に？」
「君にも責任はあるだろう」
うーんと腕組みすると、じっと見上げてくる。

「聞きたいことがあるの」
「何を」
「アンジーとシオンのことよ。二人が結ばれて、あなたはほんとうに良かったの？」
何を今さらと思いながら、ツタはあっさりうなずいた。

「似合いだろう？　俺とは違って永遠を誓い合える」

何か探すようにツタの顔に見入ったローズは、ふっと視線を落とすと、スツールから滑り降りた。

「踊りましょうよ」
「踊るだけ？」
「夜はこれからだもの」


フロアへと進むローズの後に続きながら、ツタは気になっていた。
自分の中に、彼女は何を探していたんだろうと。





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