生まれて三十数年。
長いと言うのはおこがましいが、短いとも思えない人生において、ツタが悟っていることが二つある。

人は死ぬということ。
それから、女は嘘をつくということだ。

異論反論はあるだろう。男だって嘘はつく。だが誤解を恐れずに言うなら、女の方が嘘は多い。ツタにそれを教えたのは他でもない母だ。軽い嘘ろくでもない嘘タチの悪い嘘。しゃべる半分は嘘をつく女だった。

母親だけならそれはたまたま運が悪いと思うだけだが、そうでない女など二人しか知らない。姉と親友だ。今までその二人が例外・稀有なのだと信じていた。

ひょっとしたら稀有なる三人目に出くわしたのだろうか。
期待と疑いと驚きを込めて、ローズをみつめる。


場所はティボリの街中、地元の人も多いトラットリアだ。うろうろと迷うこともなく、「ここが良さそう」と入っていったローズは、ツタに好き嫌いがないのを確かめると、怒濤のパスタ・オーダーを繰り出した。エプロンをした恰幅のいいセニョーラが眼を丸くする勢いで。

「リングイネ・ブッタネスカ、スバゲッティ・カルボナーラ。ペンネ・ペペロンチーノに、トルティリーニ入りスープ。とりあえずそれだけ」

それだけどころか、まさに『山盛りのパスタ』だ。
パスタ・フェスタだ。

前菜の海老カクテルと白ワインを加えたら、正真正銘の限界だ。隙間がない。磨き上げられたテーブルは皿でうめき軋むことで、「山ほどのパスタが食べたい」という言葉が嘘じゃなかったと証明していた。

あっけにとられるツタを見て、ローズは首を傾げている。
「多すぎた？　まさかね。あなたの体格なら普通でしょ？」
「俺は、な。君は一体どれくらい食べるつもりなんだ」

それでも半信半疑だった。雀の涙ほどつっついた挙げ句、残りを押しつけられるんじゃないか。ツタの懸念を、ローズはあっさり蹴飛ばした。

「責任は取るから心配しないで。パスタばかり頼んじゃったから、欲しかったら主菜を足してちょうだい」
そう言うとフォークを取り上げ、戦闘開始のゴングを鳴らしたのだ。

嘘のかけらもない、素晴らしい食べっぷりだった。
しかもガツガツして見えない。

出会った時から思っているが、ローズの動作や仕草には備わった品というものがある。食べる時も損なわれない上品さだ。なのにパスタはみるみるなくなっていく。手品か魔法かよと突っ込みたくなる速さで。

パスタの国だから、一皿の量は男が見てもたっぷりある。それが四皿並ぶとなかなか壮観だが、全く怯む様子がない。この見事なプロポーションのどこに入っていくのだろう。

「食べないの？」
「もちろん食べるさ」
食べなかったら遠慮なく食べ尽くされるに違いない。ツタも腹は減っていたので本腰を入れた。

アンチョビやケッパーが利いたリングイネに、濃厚な卵黄をまとったスパゲッティ。ペンネは唐辛子が刺激的だし、トルティリーニはチーズがつめられていて、スープでするりと口当たりが良い。

この店は味も当たりだった。美味い。そしてどっしり腹にたまる。全身筋肉質のツタはちょっとやそっとで腹一杯にはならないが、自分と変わらぬ量を片付けながらローズは平然としている。それどころか。

「ポロネーゼならマカロニとスパゲッティ、どっちがいい？」
「追加する気か？」
「当然」
「俺は肉が欲しい」
「いいわね。選んで」

というわけで、マカロニ・ポロネーゼとオッソブッコ（仔牛の骨付き肉のワイン煮）が追加された。ブルスケッタまで頼んでいる。冗談でない、真顔の本気だ。化け物か。そう思ったのはツタだけではないようだ。

「あんたの美人はいつもあんなに食べるのかい」
隣のテーブルの老夫婦に苦笑いで答える。
「俺の美人ってわけじゃない、まだよく知らないんだ」
「地元の人間でも食べきれない量よ。すごいわね」

するとローズまで会話に加わって盛り上がる。
「だって美味しいんですもの。よく来られる店なんですか？」
「ああ。ミゲルの店はここらでも評判なんだ」

その間も彼女の食欲は止まらない。食欲だけじゃない。
「悪いわね、一人だけ飲んじゃって」
「俺がいいって言ったんだから、気にするな」

ローズは酒も強いらしく、ツタが一杯だけつきあった白ワインのあとは、一人で赤ワインをカラフェで頼んで、空けようとしている。だが目元がほんのり色づく程度の変化しか見えない。

帰りの運転を引き受けたのは単なる好意で、酔わせようという企みではないが、これだけ食べて飲んでも変化がないとは思わなかった。
やっぱり化け物？　いやいやいや。

そこに新たな皿が現れた。白と黄色と黒のジェラートは、バニラとオレンジとチョコ。美味しそうだが頼んだ覚えはない。

ローズと一緒に、皿を運んできたセニョーラを見上げると、その体に負けない開けっぴろげな笑みで言われた。

「あなたたちほどたくさん、しかも美味しそうに食べてくれる人は珍しいわ。敬意と感謝を表してミゲルが是非にって」
「ミゲルって」
確か店の主人の名だ。奥へ目をやるとカウンターの向こうから、エプロンをかけた男性がニカッと笑いウィンクをくれた。周囲の客たちがどっと受けている。

「特にセニョリータ、美しい上に豪快な食べっぷりね、目の保養だわ。さぁエスプレッソと一緒にどうぞ」
「……ならお言葉に甘えて」

戸惑ったローズだが切り替えは早かった。ミゲルとセニョーラにほほえんで礼を述べ、スプーンを手に取る。一口食べると目を輝かせた。

「美味しい！　なんてラッキー！」

好意をそらすことなく受け止め、膨らませて返す。できるようでできないことを難なくやってのける、飾らない素直さに魅了された。カウンターのミゲルに、人差し指で頬を突いて叫ぶ笑顔ときたら。
「ボーノ！」

ミゲルが得意げに笑っている。さっきの老紳士がツタの肩を叩いた。
「いい女だ。運が良いな、セニョール」

確かにと、ツタは思った。
俺はすごくラッキーかもしれない。

「セニョリータ、ベッラドンナ！」

カウンターから出てきたミゲルに抱きしめられるローズ。他の客とも談笑しながら、満足そうにジェラートを食べている健啖家の美女から、ツタは目が離せなかった。


たっぷり歩いたあとたっぷり食べて飲めば、当然のことながら眠くなる。ツタが運転した帰り道、それでも半分くらいはしゃべっていたローズだが、途中でスイッチが切れたように眠り込んだ。寝顔が日に照らされて、可愛い。

可愛い、か。
昼間もそう思ったな。

少女どころか成熟した美女だというのに、どう見ても強かな大人なのに、可愛いと感じさせるのは、擦り切れてしまいがちな真面目さや情熱が失われることなく、輝いているからか。ついからかってしまうが、引き寄せられる。


ホテルのロータリーに車を止めると、まだ眠っているローズを抱き上げた。軽かった。山盛りのスパゲティを平らげるのをこの目で見たにしては、これまで知っている女性たちとなんら変わらぬ重さだ。

車とキーはベルボーイに彼女の名前と共に預ける。エントランスに入ると、フロントの手前でローズが目を開けた。その目はまるで、天体ドームが開いて夜空がのぞいたみたいだ。足が止まる。

「いやだ、すっかり眠っちゃったのね」
「このまま俺の部屋ってのも考えたんだが」
「うーん、惹かれないとは言わないけど、もうちょっと」
「ならディナーは」
「いいわね」
「ドライブのお礼に」

ふふっと浮かべた笑いは、寝起きのせいかこれまでより打ち解けて、無防備だ。らしくもなく心が躍る。我慢できなくて唇を寄せる。大きく開いたまぶたのドームがそっと伏せられる。

のどの渇いた旅人がオアシスで味わうような、甘露の味にツタは酔った。もっと欲しい。むさぼろうとした、そのとたんだった。

「ツッターー！」

誰の声かすぐにわかった。ぎょっとしてローズを下ろす。何しろつきあいが長い。長すぎる。おまけに彼女ときたら声がでかい。

「何やってんのよー、この浮気者ーっ」

待て待て待て、その単語はおかしい。誤解を招くだろ、と思ったが、すぐそこに二人は立っていた。

金髪の美女は眉をつりあげにらみつけてくるし、その横のプラチナハンサムは、眉を下げて天を仰いでいる。どうしたものか。

ローズはと見ると眉間にしわを寄せているが、どこか面白がっている表情でツタと二人を見比べている。


一日の疲れがどっと押し寄せる気がした。





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